結婚式はギターで歌ってごまかせ!


アヤメ
 アヤメの種類は水辺に咲いているとばかり思っていた。からからに乾いた日の当たる場所でも小さな紫色のアヤメがたくさん咲いている。ほとんど雑草の中に埋もれているが元気な植物だ。今、住んでいる家の周囲は山を切り開いた土地。だから石ころだらけで土地はやせている。そんな場所でも花は咲く。

本日の読書「斉藤斎藤」
 朝日新聞の土曜日特集に『天才の育て方』という連載コーナーがある。いろいろな「天才」が登場してお父さんやお母さんが子どもの頃のエピソードをする紹介記事だ。「天才?」への道が見えて楽しい。全部の記事をチェックしているわけではないが脚本家宮藤官九郎や腹話術いっこくどうは印象に残っている。宮藤官九郎は宮城の県北(宮城では仙北と呼ぶが)築館の出身でお母さんが子どもの頃「おだぢもっこ」だったと書いていたのでフフフと笑ってしまった。意味わかりますかねぇ。
 で、先日紹介されていたのが「斉藤斎藤」君だ。本名とのこと。ヘーッ。歌人である。『渡辺のわたし』という歌集が刊行されているようなのでチェックした。小さな出版社で発行されていることをようやく発見。天才斉藤君はどんな歌を詠むのか非常に少し興味があった(なんという言い回しだ)ので早速注文。
 歌は半分は理解可能、半分は理解不能。ボブ・ディランの言葉を思い出す、意味のないことも意味があるのだと。わかりやすい二首ピックアップ。『お名前なんとおっしゃいましたっけと言われ斉藤としては斉藤とする』『それ俺に言われてもなと思いつつ言うべき顔が浮かばずに聞く』(Book Park刊 渡辺のわたし より)
 わかりましたか世界の天才「さいとう」さんたちへ。と、言うわけで本日の突然の書評コーナー終了。



 これから野球部卒業生の結婚披露宴へ。平日の夕方。珍しい日程と時間帯ですねぇ。それはそれで会場は貸し切り状態で良いのかも。監督が合宿で出られないとのこと。急遽、挨拶がまわってきた。何も準備していない。主賓ではないので気楽に話せばいいか。そして、ギターで歌ってごまかせだ・・・・。いってきます。

ドクダミだって可憐な花を・・・


最初にお詫びを
 先日の「月は東に日は西に」で月がどこにあるんですかと聞かれた。申し訳ないそのままの写真では見えません。写真の上で左クリックして下さい。写真が2段階で拡大されます。すると写真の左端(東)に見えるはずです。鳥海山も真ん中付近(南)にボーッと見えます。ぜひお試しを。

本日のドクダミ
 草刈りをしていると突然ドクダミの匂いがしてくる。良い匂いとは言えないが独特のものだ。
 しかし、花を見ると四弁の白い花が可憐だ。ドクダミの匂いと格闘しながら草刈りを続ける。(写真はドクダミの花)
 

ボブ・ディラン 愛があってこそ


ボブ・ディラン
 先日のブログで「志麻ちゃん」と「むらくん」を紹介した。二人の路上ライブを聴く前にボブ・ディランの自伝映画「アイム・ノット・ゼア」を観た。だからギター一本で表現活動をすることは素敵だなぁと思ったのである。がんばれ二人。

 映画はボブ・ディランを黒人の子どもや女優ケイト・ブランシェットなど俳優6人で演じる。ケイト・ブランシェットは若い頃のディランによく似ている。このように6人で演じ分けることが封切り前から話題になっていた。つまり、ディランのとらえどころのない性格を表現したのかもしれない。(写真はパンフレットからコピー)
 映画の感想。自分としてはとても楽しい映画だった。懐かしい曲。10秒くらいのカットだがビートルズは良いぜというディランのメッセージ。そして、ディランの繊細な人柄が垣間見えたこと。良かった。カリスマとして追いかけられ詩や生き方の意味を常に求められていたディラン。それをケイト・ブランシェットが演じるディランが「意味なんかなくても良い」と言った言葉がとても印象に残った。

 3年前に購入して三分の一ほどで読んであきらめていた「ボブ・ディラン自伝」を引っ張り出し読み直した。帯には「伝説が終わり、真実が始まる。つくり上げられた偶像のヴェールを剥ぐ」とある。
 実に読みにくい。何しろカタカナの人名が山ほど出てくる。ところどころに60年代のポップスターの名前が出てくるのでホッとするのだが。ほとんど知らない登場人物だから相関関係がわかりにくい。それでもゴリゴリと読み進めた。彼に大きな影響を与えたフォーク歌手ウディ・ガスリー(登場する黒人の子どもの名前)や女性について語られる部分は納得できた。
 構成は映画と似ている。もしかしたらこの自伝を基にして映画化したのかもしれないと思った。映画も本も時代が60年代から80年代へと行ったり来たりする。時系列の通りに進まない。ジェットコースター状態。それが良いのかもしれない。
 繊細で素直で常に変化しているボブ・ディラン。だからアイム・ノット・ゼアだろうなぁ。「もうここにはいないゼボクは常に変化している」というメッセージだと思った。
 
 ボブ・ディランは秋田で2回公演を行っている。その2回ともボクは聴きに行った。1回目は県民会館の二階から豆粒のようなディランを聴いた。2回目も県民会館。ステージから5列目で聴いた。テンガロンハットをかぶったおじさん。ロックンローラーだったなぁという印象である。ボクもあんなふうになりたいなぁとも思った。無理だけど・・。

 ところで、自伝の中にあった部分を少し引用。『マキャベリの「君主論」が大いに気にいった。しかしマキャベリの言うところの大半は理にかなっていたが、いくつか気になるところがあった---例えば愛されるよりも恐がられるほうがよいという場所については、彼の考えは不充分ではないかと思う。彼が意味するところはわかるが、現実の人生においては愛されている者のほうが、マキャベリが想像したよりずっと大きな恐怖を煽ることがある。』(ボブ・ディラン自伝 ソフトバンク・パブリシング株式会社より)
 この部分を引用した理由。それはこの言葉を本日労働審判の相手方の理事長や校長に聞かせたいからだ。彼らには「愛」がない。
 
 映画を観ながらとんでもない場面で「くすっ」と笑ったりして隣で観ている人にとっては「???」と思ったでしょう。「ヘンなおじさん」だったことはごめんなさい。ディランの仕草やエピソード思い出したんです。ディランのCDを数枚引っ張り出して聴いていることは言うまでもない。あ~ぁやはりミーハーだ。

 6月11日に「映画ってほんっとうにいいもんですね~」で有名な水野晴郎さんが亡くなった。水野さんがプロデュースした映画館で逝去された日に観たのも何かの縁だ。

月は東に日は西に


本日の同時日の入りと月の出と
 久しぶりに全力チームの応援に西仙北町に行った。グラウンドは乾ききっていたが一生懸命に取り組んでいた。アレッと思わせるプレーも随所にあったが・・・・。がんばれ球児たちよ。
 帰宅の時間は午後7時。夏至も近くなり日の入り時刻である。神岡町を過ぎて雄物川の土手に出たら西の山に沈む太陽と東の奥羽山脈から登ってくる月が同時に見える。今日の月齢は十三夜。完全な球形ではないが丸い。月と太陽の競演。不思議な光景である。
 早速、土手の上に車を停めて西から東に向けて何枚かシャッターを切った。自分にとって丸い月と太陽が東と西に出ている珍しい風景なのでパノラマにしてみた。太陽はフィルターがかかっていないので右端に暗く写っている。月は薄暮の時間帯なので小さな点になっているが、なんとなく分かる。
 拡大してみるとピントは甘いが、真ん中に鳥海山が見え、鳥海山の左隣には台形の保呂羽山が見える。
 この風景を見ながら子どもの時に読んだ本を思い出した。タイトルも、どんなストーリーかも忘れたが次の場面はとても印象に残っている。
『戦場の近くにいた少年が流れ弾にあたって倒れてしまった。誰も助ける人もいない。倒れた少年を太陽がズーッと見ていた。しかし、時間が経過し太陽は西に沈まなければならない。少年の事が心配な太陽は沈みたくない。それでも時間がくれば沈んでゆくのが決まり。そこに丸い月が東から顔を出した。太陽は月に「少年のことを見守って下さい」と話しかけた。月は「私が夜の間ズーッと見守ります」。そして太陽は月にバトンタッチをして沈んでいった。』
 だいたいこんな内容だった。かなり誇張されていて少し違うかもしれないが、今でもその部分だけは記憶に残っている。
 そんな太陽と月を見ることができた夕方だった。今日は空気が乾いているので山際にある太陽もひずまないで球形になっていた。良い日だ。

岩手・宮城地震
 日を追うごとに甚大な被害に驚かされる。もともとあった道路の位置が山の斜面を300メートルも滑り落ちたことも明らかになってきた。被害者も山間部で人が少ないはずなのに死者行方不明者が多い。天変地異だから責任を問うわけにもいかない。気の毒なことだ。
 仙台市内でもアパートの中で本の下敷きになって死亡した人がみつかったと報じられてもいた。我が家も地震の後に見たら本棚の本が10冊ほど落ちていた。その本は漫画。三田紀房著の『甲子園に行こう』だった。本棚の前に積んでおいたのが落ちてしまった。これならば頭に当たってもケガはしなかったなぁと思ったのだが・・。
 夕べも結構でかい余震が2回あった。もっとも2回目は夢の中だったが。いずれにしても地震に備えて行動シミュレーションを常にしておくことが大事と学者先生が言ってた。喉元過ぎれば熱さ忘れるにならないようにしなくてはいけないと思った。

遅ればせながら「父の日」に


遅ればせながら「父の日」に
 5月13日のブログに遅ればせながら「母の日」にとして書いた。母さんだけでは片手おちなので父のことも書こう。
 父は1913年(大正2年)11月1日、旧花館村現大仙市花館でお寺の次男として生まれる。1995年平成7年1月24日逝去。あれだけ酒を飲みまくりハチャメチャやって82歳まで生きたのは超人だなぁと思ったことも事実。
 子どもの頃から「ポンコ」と呼ばれるほどのやんちゃ坊主だったと聞く。そのやんちゃぶりは死ぬまで治らなかった。まさに三つ子の魂百までの生き方だった。
 1945年(昭和20年)山深い外小友の売り酒屋に婿入りした。旧姓木村から伊藤になった。朝から酒を飲んでいたと聞く。村では「とんでもない男が虎治店に婿になってきた」と囁かれたとか。今でも語り継がれるエピソードがある。
「あなたの父さんは朝から囲炉裏の自在鉤にタコの足をさげて酒を飲んでたもんだ」。
 これでは売り酒屋の跡継ぎは無理だと祖父に見放されるのも当たり前。そして祖父の別荘?にする予定だった台林の家に昭和26年に父母と兄弟3人は移ることになった。
 ボクが物心のついた時から父の頭はピカピカだった。母がよく言っていた。
「見合いの時に向こう側に二人の人が並んでいた。一人は頭がはげていて、もう一人はフサフサだった。髪の毛のある人のほうだべなと思っていて、結婚式の日に来た人を見たらピカピカの方がいた」と。ウーム。ボクの頭(中味じゃなく表面)は完璧にDNAを受け継いでいる。自慢の頭だ。
 しかし、中味のDNAは受け継がないなぁ。父は文字や絵が得意だった。芸術家ではないが祭りに奉納するのぼり旗などを依頼されてたくらいだから人前に出してもそれほど恥ずかしくないレベルだったと思う。今も近くの神社に行くと「これは親父の書いたものだ」とわかるものが掲示されている。なんてこった。これらのDNAが全然伝わっていない残念!。ボクの文字はミミズがはったようなものだし絵は最悪。
 父のことを一言で言うと酒飲み。酒を飲むとオフクロに「あらげる」のが常。つまり秋田弁で言う「さがつぐり」酒乱である。母はこの現実から逃げるように焼酎をあおるようになったのだろう。そして、ボクはそれを見ながら一生酒を飲まないぞ。と、誓ったのだが・・・・。
 子どもの頃3人の兄妹を囲炉裏の周りに正座させて「頭出せ」と号令。頭を出した3人の頭をキセルでカンカンカンと叩くことがよくあった。今、考えると一種の愛情表現だったんだと思う。しかし、子どもの頃は嫌だったなぁ。父が仕事の宿直で帰らない日は家の中が明るかったような気がする。
 家族を愛し子どもたちを心から思っていたことは間違いない。照れ屋だったために表現が裏返しになる。そんなオヤジだった。ボクが教師になったのもオヤジを見ていたからだ。あまりにも思い出がありすぎて文章がまとまらないので以上で終了。遅ればせの父の日に。

路上ライブを聴きながら


「むら」くんと「志麻 shima」ちゃんと
 街を歩いている時にギターの音が聞こえると足がそちらに向いてしまう。路上ライブがオレを呼んでいるんだぜと・・・。
 先日はポポロードで「志麻 shima」ちゃんと「むら」くんの二人が路上ライブをやっていた。聴きながら写真を撮らせてもらった。左側が「志麻 shima」ちゃん。右側が「むら」くん。
 路上ライブをやるくらいだから二人ともとても素直な声である。良いなぁあんな声が出るのは。だみ声でオクターブしか声域がないボクにとってはうらやましいぞ。
 聴いていると感想ノートが回ってきて一言書いた。その時に二人から名刺をいただいた。名刺を見ると二人ともホームページを持っておられる。昨夜、ホームページを拝見した。若いのにきっちりと自分のことを見つめながらユーモアあふれるホームページを作っている。自分にとってもすごく参考になった。もし、興味のある方がおられたらぜひ。次のアドレスです。勝手に紹介します。
「むら」くん    http://id19.fm-p.jp/108/mura7391/
「shima」ちゃん http://sound.jp/shimapro/top.htm
 なお、ホームページのインフォメーションを見ると「shima」ちゃんのことが『あんどなう6月号』に紹介されていると書いている。早速入手してチェックした。「音楽畑でつかまえて vol.3 志麻」として『君に届け!LOVE MESSAGE』とある。路上ライブの彼女と雑誌に紹介された写真(当然こっちはプロが撮影しているので)は雰囲気が違う。『あんどなう』からコピーして写真にも紹介しておく。さらに彼女は自作曲2曲のダウンロードサービスもやっている。ウーム太っ腹。こうなれば突然ミーハーになってしまうボクは、すぐにダウンロード。CDに焼いて聴いてみた。曲名は「1.真夜中のsign」「2.あなたの羽根」のどちらも良いぞ。
 と、言うわけで路上ライブあなどれずだ。時々ボクは路上ライブを酔っぱらって待ち時間にボーッと聴くことがある。大好きな時間だ。でも、たまにはアルコール抜きでしらふで聴くのも良いなぁと思った。
 また、街を歩くのが楽しみになった。良い時間をありがとう。帽子の「むら」くんと、偶然の出逢いに期待しましょう(笑)とホームページに書いている「志麻 shima」ちゃんと偶然出逢ったことへ。

岩手・宮城内陸地震
 昨日、発生した大地震。湯沢に住んでおられる大先輩JA7AO松本さんに電話してみた。松本さんのお話では車椅子で生活もしているので、転倒しないように机にしがみついているしかなかったとのこと。これで終わりと思ったとも話しておられた。何しろ足が不自由なので、余震でどうすべきかと考えるだけでメンタル面でダメージが大きいと状況を話された。
 ボクは当面、健常者である。松本さんのように不自由な方の場合はこのような天災の時には本当に大変だなぁと思うが、心からそう思っていなかったことを反省した。町の風景は大地震の後でも普段とほとんど変わらない。被害の状況もテレビでしか見ることができない。当たり前のように車や人の往来がある。しかし、その風景と松本さんのフィジカル面とメンタル面のギャップを考えると心からお見舞い申し上げなければと思った。

引かないで前向きにこそ勝利への道


裏鳥海?
 上の写真は山形市内から見える月山である。楯を伏せたような形の楯状火山である。まさに白きたおやかな嶺である。
 そして、下の写真は山形に入ってから見えてくる鳥海山。富士山のようなコニーデ型(円錐形)だからどこから見ても同じような形に見える。素敵な姿である。
 と、ここまで書いてみたが山形の人たちにとっては鳥海はこれが普通の姿。どっちが裏か表かになる。ボクが住んでいる所から日常的に見るのが正しい?鳥海山であることにして山形側を勝手に裏鳥海としたい。ウーム。(どちらも車中撮影)

本日のごめんなさい
 三日連続で高校野球で山形に行ってしまってごめんなさい。今朝、エンゼルフィッシュたちの水槽を掃除しながら「12時半から山形では明O高校(以下M)とT北高校(以下T)の試合があるなぁ」と考えた。時計を見ると8時半。間に合うと思った途端、気持ちが山形に飛んで行く。当然、車に飛び乗って身体も飛んで行けだ。
 話、変わって。水槽の片付けも終わり出発しようと準備が整った時間帯の8時43分頃。周囲の音がガガガガガと鳴り始める。アレッ地震だっ!外に飛び出した。周りの人たちも飛び出す。悲鳴も上がっている。そして、横揺れが始まった。大きいっ。揺れは30秒くらいだろうか。そして収まった。すぐにテレビをつけると速報で岩手県南部が震源地らしい。岩手では震度6強。マグニチュード7.0(その後訂正があり7.2に)とのこと。南外では大きな被害もなくホッと一息。宮城に電話をしてもつながらない。天変地異の時にはつながらないから大丈夫だろう。そのうちに連絡をと思い車を走り出させた。なんて人でなしだろう。(これを書いている時間帯にニュースを横目で見ると被害がどんどん広がってゆく。歴史的な大地震である。)
 さて、本題へ。行くつもりのなかった試合を見ることになった。
 結果的にはM6-7TでT高の勝ちだった。特にHi-Rockの法則を適用しなかったので冷静に見ることができた。気になったことを上げておきたい。
1.T高のベンチ内のヤジがひどかった。たまたま地震で応援隊の到着が遅れてドンドコ太鼓がなかったからわかったことだが、M高の高橋投手が投球する前に「オッオッオッオッオッ」などとベンチ一体になって妙な声を出して威嚇する。話にならん。指導をしていないのかとボクはブツブツとつぶやいていた。するとメインスタンドの一角から大声で「その声の出し方は何だ!天下の東北ともあろうチームが何をやっている。部長は何を指導しているんだ!」。それから声は止まった。ひどいねぇ。田舎チームなら秋田でもある。恥ずかしい話だ。宮城県高野連よ。アレッ東北って書いた?。しっかりしてくれ。

2.二回表M高、二死三塁チャンスだ。打者は渡辺。そこで「コンパクトに振れ」と声がかかった。彼にコンパクトにだって。有り得ない。レフトスタンドめざして振れ、ならわかるけど。案の定セカンドゴロでチェンジ。個性をつぶさないでくれ。と、ボクはまたまたブツブツとつぶやいていた。

3.T高の守備は良いと思う。しかし、正面に入って捕球しない。それがMの追い上げを許す三塁エラーにつながった。M高が二死満塁でサードゴロ。打球はサードのちょっと右に飛んだ。打球は速いが処理できないものではない。Tのサードは正面に入らずグラブを出すだけだった、打球はその横を抜けていった。見事な失策だ。

4.はっきり言う。T高は高校野球をなめているぞと思った。それだけを感じたゲーム内容だった。M高に6-2と追い上げられた五回裏からエースの萩野を登板させた。それまでは背番号18と10の右投手に継投させていた。この二人のレベルの投手は秋田県内にもたくさんいる。やはりM高打線に捕まった。しかし、急遽登板のエース萩野も失点4とまったくダメな内容だった。強ければ良い。勝てば良いではない。何か大切なことが抜けている気がしてならなかった。

5.M高の3回から登板の二木は6イニング投げ失点1。高橋が1回失点3、2回失点3の計6点だから大好投である。常時130キロ前後のストレートと緩急が良い。鈴木の打撃も良い。彼の本塁打と二塁打でM高チームが甦った。
 敗れはしたが全体にはM高の良さが目立ったと思う。これから秋田県大会になる。秋田県チームがM高に勝つためには「メンタル面も含めて、すべて守りに入らないこと」と「怖がりすぎないこと」の2点だろう。まだあるが字数も少ないので野球フリークのレポートはこれにてThe End。普通の人間になろう?。今後の各チームの強化が楽しみである。
 

「ここ一番のためにこそ」


本日の高校野球
 皆川球場。聞き慣れない球場だ。本日も東北大会に社長と伊藤さん(ボクじゃない友人)たちと一緒に出かけた。今日の車は伊藤さんの豪華外車シルバーのアウディー。ありがとう。
 近代兵器カーナビに「皆川球場」と打ち込んでも出てこない。アレッどうしたんだ。そこでカッコ書きの米沢市営野球場と入力したら案内を始めた。皆川ってなんだ?。まぁそれはあとで。一路、米沢にGO。3時間強で到着。速いっさすが外車。
 本日のカードは2回戦、大曲工業(以下大工)対酒田南(以下酒南)である。酒南はチーム結成以来の好チームとの呼び声が高い。いつも春はもたついていたようであるが今春は出足良く春の山形大会で優勝。部員は少ないようで25名前後だろうか。少数精鋭かも。
 五回表までは互角に試合は展開。五回裏に酒南攻撃で大工は投前バントの処理を誤った。そこから試合は動いた。この回先制点を酒南があげ、六回は大工の守備の乱れに乗じて適時打も出て4点を追加し5-0に。
 七回に大工反撃。酒南のミスや安打で2点をあげた。しかし、最終回二死満塁まで攻め込んだ。しかし一本出ず万事休す。結果として2-5で大工敗退。残念。
 阿部監督が試合の終盤ベンチで「ねばれっ」と檄を飛ばした。その通りにチームはねばったと思う。だが、ここ一本が出ない。
 ボクが若い頃には宮城県の教員をやっていた。2年間、野球部部長に就任したことがある。当時の監督さんが「どんな強いチームとの対戦でも9イニングのうちに1回はチャンスが巡ってくる。それを生かすか殺すかが野球の勝負だ」と言ったことを思い出す。 大工もチャンスはねばってねばって作った。しかし、そのチャンスをすべて活かすことは不可能に近い。しかし、3回作ったチャンスのうち1回でも「ものにする」ことができればなぁと思った。野球の練習は「ここ一番」で力を発揮するためにやっていると言っても過言ではない。しかし、ここ一番で力を発揮できなかった。これから夏の大会までちょうど1カ月。まだまだ成長する。期待したい。

 さて、皆川球場だ。米沢出身のプロ野球選手を記念して命名されたと聞いた。その選手とは南海ホークスの皆川睦男投手だ。子どもの頃に南海ホークスと巨人との日本シリーズをラジオで聞いて名前を知っていた。そこで備忘録として皆川投手のあらましをフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からコピーしておきたい。 

【皆川睦男 1935年7月3日- 2005年2月6日。現楽天の野村克也監督と同期入団。1971年引退。宅和、中村、杉浦らが短命に終わったのに対し息長く活躍を続け、「細く長く」「無事之名馬」を地でいく選手生活だった。通算成績は759試合の登板で、221勝139敗、防御率2.42。221勝はホークス(南海、ダイエー、ソフトバンク)の球団記録。2005年2月6日、敗血症のため死去、享年71(69歳没)。
 出身地の米沢市と山形県では生前のプロ野球選手としての輝かしい成績と、現役引退後も野球にとどまらず郷里山形の発展に尽力した功績をたたえ、2005年11月3日には米沢市市民栄誉賞を、2006年3月15日には山形県県民栄誉賞をそれぞれ贈呈した。また同年夏には米沢市営野球場(上杉スタジアム)の愛称が「皆川球場」に改称された。】

 両翼97メートル、センター奥122メートル。木立に囲まれた球場は昨日の球場と雰囲気が似ている。皆川睦男氏の若くしての逝去に合掌。写真は昨日に続いて合成パノラマを。

 そう言えば能代球場も「山田久志サブマリンスタジアム」と改称された。先日、話をしたが夏の大会では球場名の呼び方がむずかしいですねぇ。
「どこで試合?」
これまでは
「能代球場」でわかった。
これからは
「山田久志サブマリンスタジアム」舌をかみそうでもないか。日本人得意の省略で「山田サブスタ」あるいは「サブスタ」でゆきましょうか。エッ。

自滅しないチームこそ強い


今日の高校野球
 第55回東北地区高校野球大会が山形県で開催された。開幕の第1戦で大曲工業高校と古川学園高校の対戦があった。
 そこで全力大好き人間たちは一路山形へと向かった。球場は山形蔵王タカミヤホテルズスタジアムである。まぁ、言うなれば山形県立球場。名前を企業に売ったわけだ。秋田県ではこまちスタジアムなどが売れていないのに・・・。写真はパノラマ写真に合成した3塁スタンドから見た球場である。両翼91メートル、センター奥110メートルで高い木立に囲まれ素敵な球場だが、秋田県の感覚で言えばとても狭い。この狭さが大曲工業高校にジワッと重しになった。
 先攻大曲工(以下大工)後攻古川学園(以下古学)開幕直後の試合で両チームとも緊張気味。古学の投手は128キロ前後のスピードであるが切れが良く手元で伸びるボールである。対して大工伊藤投手も同じくらいのスピードであるが内外角にボールを散らしてコントロールよく打者を打ち取るタイプ。
 試合結果は4-3で大工の勝ち。まずは良かった。
 試合のポイントはたくさんあるが一つあげると次の場面だ。3-3の同点で迎えた7回表大工の攻撃。2死から3番打者センター前ヒット。4番打者初球の時に盗塁成功。4番打者はこれまで二塁打2本、単打2本で4打席4安打、3打点をたたき出して大当たりだ。残念ながら5番打者は全然機能していなかった。
 さて、ここで古学のベンチワークそしてバッテリーはどうする。当然、きわどいコースを突きながら4番、5番で一死をとればよいと判断し、空いている一塁に歩かせることも考えるだろう。その考え通りにカウントはワンスリーになった。そのまま歩かせるのかなぁと思った。隣で一緒に観戦していた社長は「ここでは勝負されないので盗塁はある意味失敗だったかもしれない」と言う。
 ところがバッテリーはストライクを取りにきてツースリーに。それでも一塁に歩かせることを考えな勝負を避けながら投球をするのが、この場面では最も確率が高いかもしれない。
 6球目が投じられた。ボールは外角高めにきた。ストライクともボールとも言える。4番キャプテンはバットを振り切った。ボールはセンター後方に舞い上がり古学のセンターのグラブのわずか先端に当たり2塁打になり4点目の勝ち越し点をあげた。その後、古学は走者を出しながらも攻めきれず無得点に抑えられた。
 少し、分析をすれば大工はミスまたミスの連続。ゲームの流れから言えば古学の勝ちの流れだったと思う。さらに、6回裏古学が2本目のソロホームランで同点に追いついた段階で大工チームはがたがたと崩れそうになった。その時に阿部監督が「メタメタになるなっ!」と檄を飛ばした。
 その懐かしい檄を聞き、阿部監督と一緒に10年間、野球に取り組んできた悪夢を思い出す。つまりメタメタと大量点をとられるチーム自滅の歴史だ。その克服にどれだけの心血を注いだことか。そしてどれだけ敗者としての涙を流したことか・・・・。
 しかし、今のチームは一味違うようだ。同点に追いつかれた後に四死球を出しながらも無失点で踏ん張った。粘り強いチームになっている。阿部監督の素晴らしい姿勢がうかがえる。
 結局はキャプテンの大活躍で勝ちを収めたように見える。しかしミスのゲームとも言える野球。そのミスを最小限にとどめて試合を進めるチーム力があると感じた。
 それにしても両翼91メートルは狭い。古学のバッターがレフト芝生スタンドにソロホームランを2本打ち込んだ。負け惜しみじゃないが(負け惜しみだけど)秋田の球場だったらレフトフライか2塁打程度の当たりだったと思うのだが・・・・。これがジワッと大工にプレッシャーをかけた。
 明日は山形第1位の酒田南高校。はたしてどうだろうか。頑張れみんな全力で。
 

明日も行くぞ甲子園じゃなかった、行くぞ皆川球場(米沢市営野球場)だ。そしてやがては行け甲子園へ球児たち。  
昨日見た映画・ストリートミュージシャンなど楽しかったことを書きたいことはあるが本日はこれにてブログ閉店。いずれまた。

ボケ?


本日の「ボケ」
 少し時期が過ぎてしまったが、隣んちとの境に低木の一群がある。高さ30~50僂らいかな。それに深紅の花が咲く。そして、秋になるとカラスウリのような実が落ちている。
 ボケなんてなんだかすごい名前だ。自分を見るようだ。ボクに真っ赤は似合わないが・・・。でも花の色は情熱的。見習わなくては。本日はその写真。


「アイム・ノット・ゼア」
 何気なく魁新聞夕刊の映画欄を見た。水色のロゴのルミエール秋田に小さな文字で「アイム・ノット・ゼア」とある。虫眼鏡が必要なぐらいの小さな文字だ。あったぞ!。
 ボブ・ディランの自伝的な映画である。制作の段階から観たいなぁと思っていた。4月頃から全国で上映されていた。東北では仙台、青森では終わった。わざわざ出かけるのもねぇと思っていた。本当はボブ・ディランのファンじゃないかも。ファンでもない楽天なら行くのに・・・・と、つっこみを入れられそうだ。いずれ秋田にも来るとは思っていたが情報が入らない。ま、そのうち。と、思っていたら来ましたねぇ。いよいよ。新聞の片隅もあなどれない情報満載だ。
 
 おそらく、よほどのマニアしか観ない映画だろう。上映時間が限られていることからもマニア向けであることがわかる。
 マニアと言えば3月末に「晴れた日は学校を休んで」ジョン・レノンの「The US vs JOHN LENNON」サブタイトル「Peace Bed」を観たフォーラスシネマパレにはお客さんが二人しかいなかった。今回も似たようなものかも・・・。そんな貸し切り映画館状態でも上映してくれることはありがたい。
 ボブ・ディラン。正直言って全然わかりません。歌詞も英語だしね。でも、何だか良いです。好きですねぇ彼の生き様と方向性が。わからないのに何を言ってるんだか。
 と、言うわけで弁護士さんの事務所に向かう車の中はボブ・ディランの古い曲のCDを聞いて向かうことにしよう。

高校野球
 明日から春季東北大会が始まる。地元の社長と友人が「エグベ」と言う。よしっ行こう!。

と、言うわけで本日のブログは早い開店、早い閉店です。
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