遅ればせながら「父の日」に


遅ればせながら「父の日」に
 5月13日のブログに遅ればせながら「母の日」にとして書いた。母さんだけでは片手おちなので父のことも書こう。
 父は1913年(大正2年)11月1日、旧花館村現大仙市花館でお寺の次男として生まれる。1995年平成7年1月24日逝去。あれだけ酒を飲みまくりハチャメチャやって82歳まで生きたのは超人だなぁと思ったことも事実。
 子どもの頃から「ポンコ」と呼ばれるほどのやんちゃ坊主だったと聞く。そのやんちゃぶりは死ぬまで治らなかった。まさに三つ子の魂百までの生き方だった。
 1945年(昭和20年)山深い外小友の売り酒屋に婿入りした。旧姓木村から伊藤になった。朝から酒を飲んでいたと聞く。村では「とんでもない男が虎治店に婿になってきた」と囁かれたとか。今でも語り継がれるエピソードがある。
「あなたの父さんは朝から囲炉裏の自在鉤にタコの足をさげて酒を飲んでたもんだ」。
 これでは売り酒屋の跡継ぎは無理だと祖父に見放されるのも当たり前。そして祖父の別荘?にする予定だった台林の家に昭和26年に父母と兄弟3人は移ることになった。
 ボクが物心のついた時から父の頭はピカピカだった。母がよく言っていた。
「見合いの時に向こう側に二人の人が並んでいた。一人は頭がはげていて、もう一人はフサフサだった。髪の毛のある人のほうだべなと思っていて、結婚式の日に来た人を見たらピカピカの方がいた」と。ウーム。ボクの頭(中味じゃなく表面)は完璧にDNAを受け継いでいる。自慢の頭だ。
 しかし、中味のDNAは受け継がないなぁ。父は文字や絵が得意だった。芸術家ではないが祭りに奉納するのぼり旗などを依頼されてたくらいだから人前に出してもそれほど恥ずかしくないレベルだったと思う。今も近くの神社に行くと「これは親父の書いたものだ」とわかるものが掲示されている。なんてこった。これらのDNAが全然伝わっていない残念!。ボクの文字はミミズがはったようなものだし絵は最悪。
 父のことを一言で言うと酒飲み。酒を飲むとオフクロに「あらげる」のが常。つまり秋田弁で言う「さがつぐり」酒乱である。母はこの現実から逃げるように焼酎をあおるようになったのだろう。そして、ボクはそれを見ながら一生酒を飲まないぞ。と、誓ったのだが・・・・。
 子どもの頃3人の兄妹を囲炉裏の周りに正座させて「頭出せ」と号令。頭を出した3人の頭をキセルでカンカンカンと叩くことがよくあった。今、考えると一種の愛情表現だったんだと思う。しかし、子どもの頃は嫌だったなぁ。父が仕事の宿直で帰らない日は家の中が明るかったような気がする。
 家族を愛し子どもたちを心から思っていたことは間違いない。照れ屋だったために表現が裏返しになる。そんなオヤジだった。ボクが教師になったのもオヤジを見ていたからだ。あまりにも思い出がありすぎて文章がまとまらないので以上で終了。遅ればせの父の日に。

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