基本を大事に、簡単なことを確実に


グラウンドを見ると、いろいろな想いが
 昨日、横手方面に行ったことを書いた。その時に横手市内3校の野球グラウンドを近くでそして遠景で見ることができた。
 上が横手城南高校。前の横手市営球場である。ボクにとっては県南大会などで思い出の球場だ。思い出は鮮やかによみがえる。
 中段が横手清陵のグラウンド。誰もいなかったので高台から見た遠景。気持ちよくスカーッと広がった新しいグラウンドである。
 下段が平成高校。グラウンドには誰もおらずレフト側からスナップ。とても水はけの良いグラウンドである。雨の日に遠方からのチームが大工に来た時。大工Gは雨でぬかるんで「カラ戻り」になるところだった。その日は平成高校が遠征しており、急遽グラウンドをお借りして練習試合ができて助けられたことがある。

 前に訪問したことがあるグラウンドは思い出がよみがえり、訪問したことがなければ、それはそれで想いが心に浮かぶ。それがグラウンドであろう。
 たっぷり時間があるから各チームのグラウンド巡りでもするべかなぁ。


イチロー3000本安打達成
 アレッ打っちゃった。
 イチローの3000本安打を見たいなぁと思い、BSのメジャーリーグ中継にチャンネルを合わせ一番打者であるイチローが打席に立つ場面に注目。
 投手が1球目を投げようとした時に電話が鳴った。誰からだろうと電話に目を離した途端に画面からはカーンと音がする。横目で画面を見ると打球はショート後方に飛んでいる。初球をいきなりセンター前ヒットで3000本達成である。スイングする場面をリアルタイムで見られなかったじゃないか。
 でも、まぁいいか。再生画像で見られるから。ヒット一本打つのだって大変なのに3000本すごいなぁと思う。
 さて、今朝の各紙は絶賛の記事であふれている。その中で良いなぁと思ったのが朝日新聞の西村欣也氏のコラム「失敗重ね、センサー開眼」である。
 西村氏のコラムでは『イチローのイチローになった瞬間のシーンをもう一度書き留めておこうと思う。それは3000本には含まれない凡打の中にある』と書き出している。少し引用したい。
『99年4月11日、オリックス次代、ナゴヤドームの西武戦だった。9回ボテボテの二塁ゴロを打った。一塁に走り込む間に、何かが起こった。「自分のイメージに描いたフォームと二塁ゴロになってしまった実際のフォームとを重ねあわせて方程式を解くように、解答が見つかった」と彼はあるインタビューに答えている。その二塁ゴロが誤差を修正するセンサーを呼び起こしたのだという。「それから迷いのトンネルに入り込むことはなくなった」と彼は言った。なぜ、そんな瞬間が訪れたと思うか、の問には「失敗し続けた結果だと思う」と彼は答えた。
 その答えを聞いて、京大アメリカンフットボール部の水野弥一監督と話した記憶が呼び覚まされた。水野監督は言った。「1万回練習してできなかったことが1万1回目にできるようになることがある。これが開眼です。なぜ、そんなことが起きるのかというと、一種の誤動作なんです。人間はコンピューターではないから、たまたまそういうことが起きる。それには練習を重ね続けるしかない」』と話したとのこと。
 そしてイチローは「練習しないでプレーできる選手を天才と呼ぶのなら、僕は天才ではないですね」と語っていた。
 
 イチローが現在の大記録を達成するためには、すさまじいほどにバットを振り続けて得た極致であることがわかる。
 と、ここまで書いて先日終わった全県少年野球大会の記事を思い出した。あわてて魁新聞を引っ張り出して調べた。準優勝した(優勝は羽城中)矢島中学校の佐藤監督が1989年経法大附属高校野球部で甲子園ベスト4に進出した時のメンバーだと7月29日付の魁新聞「白球・熱球」で紹介している。と、言うことは全力チームの監督の教え子になる。
 矢島の佐藤監督は「難しいことは要求しない。基本を大事に、簡単なことをきちんとやれという当時の監督の教えを、そのまま教え子にも伝え続けている」と語っているのだ。
 なるほど、これは根っこの部分でイチローが練習に取り組んでいることとつながっているなぁと感じた。
 地道に粘り強くじっくりと基本を大切にし、失敗をおそれずに練習に取り組むことが大切であると教えている。


「傘がない」を聴きながら
 先日、WOWOWで「井上陽水コンサート2008」を放映した。HDDに録画していた。
 30年以上前のヒット曲「傘がない」を新しいアレンジで歌っている。世相を切り取った出だしの歌の内容は「現代(いま)」と同じに思える。だからボクは「傘がない」を聞くと胸がシンとなる。

 夕方から蒸し暑くなった。ジメジメしている。こんな時はどうすればいいんだ。やはりビールか。それとも焼酎の水割?

野球は「人」がホームを踏んで得点


ボクの知らなかった秋田
 まずは年金者組合の総会に参加したことを書いておこう。年金者組合と言うくらいだから総会に参加した人たちは年金を受領している。いろいろな職場を経験した多くの先輩たちが集まってきた。
 何よりも参加した人たちは後期高齢者医療制度についての憤りが大きい。要するに姥捨て山を制度上作ったことに怒っているのだ。
 ボクはどうか。前期高齢者だからと言って油断はできない。すぐに中期になり後期になる。時間は待ってくれない。だから一緒に反対するのだ。参加した人たちのパワーに感心した。ガンバローだ。
 
 次に他国の人が秋田のことをよく知っているのかもしれないことだ。先日、塩竃軍団が来訪した目的の一つは「ヒロシマ原爆展」を見ることが一つの目的だった。実はもう2カ所見たい場所があるとのことだ。
 1カ所は秋田市の赤レンガ館。斜め向かいの協同社大町ビルや周辺の居酒屋などでは何度か飲んだことがある。何度も何度も前を通ったことはある。しかし、赤レンガ館には一度も入ったことがない。
 赤レンガ館で催し物をやっていることを塩竃の人たちは知っているのだ。ヘーッ何をやっているんだろう。駐車場に車を乗り入れた。看板を見ると「はかりの展示会」をやっている。
 重さ・長さ・面積・温度などなど身の回りでは常に何らかの測定をしている。まさに科学である。測定の歴史を展示しているのだ。
 ところで赤レンガ館はもとは秋田銀行の建物だったと書いてあったような気がする。その昔5万円で建設されたとか。5万円かぁ。
 さて測定だが昔からの単位(尺・寸・匁・貫・足袋の文数の意味)などを簡単にわかるように展示していた。勉強になったなぁ。
 そして、三階には勝平得之の業績も展示されていた。こちらは常設展示だった。勝平得之の版画本を2~3冊持っているので興味深く彼の仕事ぶりを見た。版画の下絵から刷りまで一人でおこなう技法で感動した。特に50年ほど前のラジオ番組で数分インタビューされている勝平得之の温かな声が印象的だった。ラジオ良いねぇとしみじみ感じることができた。

 次の日は横手のかまくら館に行くとのこと。何度も前は通ったことがある。しかし寄ったことはない。外気温30℃の時にマイナス10℃以下の「かまくら展示場」に入ったら寒いこと寒いこと。こんな寒さの場所に閉じこめられたらどうしようと閉所恐怖症のボクは恐怖を覚えた。あわててすぐに出てきた。展示場から出てきて雪の結晶模型を見てホッとしたのである。
 と、まぁ住んでいて知らない場所を歩くのもいいなぁ。


野球の得点は「人」がホームに入ることで成立
 野球は特別なスポーツである。なぜか。得点の仕方に違いがある。
他のボールゲームはボールがゴールを通過したり、入ったりすることで得点される。バスケットボールもサッカーも。バレーボールは相手コートにボールを落とせば得点である。
 ところが野球は「人」がホームを踏んで得点される。「人」の数が得点になる。当たり前のことだがなるほどと思う。
 と、ここまでは知ったかぶりで書いた。実はこの話を聞いたのは日本高等学校野球連盟の田名部和裕参事からである。
 2年前に当時勤めていたグラウンドに田名部さんは来訪された。その時に生徒諸君と共に伺った話である。
 だからこそ得点する「人」の人格を磨かなければ野球には意義がないと、田名部さんは強調された。本当にそうだとボクは思った。
 今朝のワイドショーで小倉智昭が「インターハイが埼玉で開かれていることを知っている人がどれだけいるのでしょうか新聞の扱いも小さいし。それに対して高校野球は朝からNHKで全試合中継している」と話していた。
 高校野球とは何かと問いかけていると思った。その答えは難しい。しかし、野球を通して人格を磨くことの意義は大きい。

 と、ここまで書いて自分の「人格」を考えてみると・・・・。自分はろくな人格を築いていないなぁと反省反省。これからでも遅くはない。野球を通して知ったことから少しずつでも人間として成長したい。
 やっぱり、もう遅いか。このままぐたぐたのロックンローラー人生を歩むしかないか。妥協しよう。

 今日は友人の社長と横手に行った。なかなか楽しい遠出だった。本日のブログはこれにて閉店。さぁ、ビールでも。

良い指導者ほど引き出しの数が多い


陶芸勝負
 6月21日。にわか芸術家になった。陶芸作家である。フフフフ。
 7月27日に楢岡焼の登り窯から姿を現した作品を受け取ってきた。なかなか良い色に仕上がった。いわゆる楢岡焼の海鼠釉(なまこゆう)ではない色にした。黒と白の釉薬にしたのだ。
 多くの方が楢岡焼の陶苑に自作の焼き物を受け取りに来ておられた。皆が自分の作品を見てニコニコしている。
 下の2点(でかいカップとJH7BDSの皿) がボクの作品。上の3点が天才の作品。やっぱり天才とは勝負にならないなぁ。負けを認めようかな。
 しかし、土と火が作り出した、世界に一つだけの陶器だ。カップには500ミリリットルのビールがちょうど一本入るように作ったつもり。でかいのです。


高校野球選手「Hi-Rockの定義」
 昨夜、高校野球について熱く語った。つもりだが何しろビールが進んで次第にろれつが回らなくなった。
 今朝、酔いからさめ昨夜の話と以前から考えていたことをごちゃ混ぜチャンポンにしてHi-Rockの野球選手の定義を勝手に作った。当たり前のことですけど・・・。
 定義1。どんなに上手でも、どんなに才能があっても、どんなに体力があっても練習やトレーニングをしっかり積まない者は野球選手ではない。ただの野球というボール遊びがうまいだけの人なのだ。あまりに当たり前のことでブヂョホー(秋田弁)ですが・・・。
 生徒諸君の中によく出てくる例。中学校の時にエースで四番。だが高校に入学して高校野球はやらないで遊び人というパターン。彼らに話を聞くと「オレは何もやらなくても野球が上手だ」という気持ちがプンプンと漂う。しかし、軟式ボールでもソフトボールでもやらせると全然ダメ。つまり野球選手の定義から外れるからなのだ。
 特に高校野球ではしっかりと練習やトレーニングをしないとただの野球というスポーツができるだけの選手になると明確に言える。もう少しシビアに言えば戦う高校野球選手にはなっていないのだ。
 しかし、高校生が個人的に練習やトレーニングに意識的に取り組めるわけがないことも明らかだ。
 だからこそ高校野球に取り組む諸君のために指導者が必要とされる。指導者のキャパシティーが試されることになる。言い方を変えると高校野球の戦いとは「指導者が高校生を導く引き出しの多さの競い合い」と言っても良い。
 定義2。良い指導者ほど引き出しの数が多い。
 2年前のこと。秋田県高野連から約3ヶ月間社会人野球チームに派遣されて指導者研修を終えてきた監督たちの報告会を聞く機会があった。
 その時に感じたのは社会人野球から得るものは、それほど多くはないなぁである。なぜか。社会人の場合は「個」を重視していると感じたからだ。
 しかし、派遣された秋田の監督たちが研修の合間に訪問した、いわゆる関西強豪校の練習についての報告は中味の濃いものだった。そのことを聞けただけで充分に研修の役割を果たしたと思った。
 甲子園の常連校の練習は何か。簡単に言えば徹底した体力づくりだ。走り込みである。練習風景を撮影したビデオの画面でも選手たちがひたすら走り続ける姿が印象的だった。野球技術にはほとんど関わっていない。
 ただし、その走り込みやトレーニングは冬の期間(シーズンオフ)におこなわれている。少なくてもシーズンが始まり本番の大会が間近に迫った時にはやらない。それをやることはナンセンスと言うことだろう。もし、やるにしても計画的な強化策をとっている。
 もっと言えば最近は科学的なトレーニングが流行である。それはとても大切なことだと思う。しかし、はたしてそれだけで良いのか。と、言う疑問も提示された。ウサギ跳びをやっても良いではないか。アヒルをやっても良いではないか。ある意味、理不尽と思えるトレーニングをしても良いのではないか。と。
 どこのチームの選手か忘れたが「ウサギ跳びをやらされると腰を痛めるので抜いています」と話した。アレッこいつは誰にそんなことを吹き込まれたのだろうと一瞬クビを傾げてしまった。まぁボクは「そうかぁ」と聞き流したのだが・・・・。結局、その子は高校時代に成長することなく終わってしまったと風の噂で聞こえてきた。
 結論として何を言いたいのか。それは理不尽とも思える徹底したトレーニングや練習を冬場にしっかりやっていなければ、生死を賭けて戦っているとも思える夏の大会は勝ち抜けないことを言いたいのだ。ただ単に野球が上手な子どもたちだけで、夏は通用しないと言うことだ。
 あらためて結論。練習やトレーニングをやっていない者は高校野球選手ではない。


 ところで秋商の小野平監督が勇退するとのこと。日刊スポーツ紙に大きく出ていた。なるほどなぁ。
 これにて本日のブログ閉店。作ったカップを冷蔵庫で冷やしてビールを飲んでみよう。うまいだろうなぁ。

眉毛考


本日の高校野球眉毛考
 昨日全国55校が勢揃いした。今年は各県(各地区)で決勝が終了するたびに抽選会が行われたので最終のチームが決定したとたんに組み合わせが決まった。情報化時代とは言えある意味感動的である。

 秋田からは本荘高校の出場。
 さてこれまでブログにも書いたが、ボクの高校野球を見る一つのポイントは球児たちの眉毛である。
 先日、物知り顔で
「やっぱり眉毛の立派なチームが勝ったなぁ」と高校野球の指導者たちの中で話した。すかさず反論があった。
「エーッ本荘の眉毛はあれで良いんですか?」と。それも一人や二人ではない。
「あれで勝てれば眉毛なんか関係ないのでは」とも言われた。
 ムムムムッ。そうかぁ。本荘の勝利は立派な勝ちだ。しかし、別の側面から見る人は見ていたのだ。
 日本高校野球連盟では(陰の声:オイオイそんなことを持ち出すのか君は)何年か前に『野球部員が眉毛にそり込みを入れたり、髪を茶色に染めたりすることを禁止、校則違反の指導を徹底する』ように異例の通達を全国の加盟校に出した。
 高野連の指導はテレビに映る高校球児の一部の姿に「眉毛がなかったり茶髪だったりユニフォームがだらしなかったり」で苦情が殺到したから出した通達である。現場に任せきれない苦渋の選択だったかもしれない。
 この通達が出たと言うことは、指導者はできるだけ指導しきる必要があることを意味する。少なくても眉毛を剃ったり整えたりするのは部員の自覚に任せるなどの無責任な発言や指導はすべきではないと言うことになる。ダメはダメなんだから。
 そしてボクは屁理屈をこねだした。
「高校野球の指導をして普通にきりりと眉毛がしている部員で戦い、例え結果的に負けても皆の指導に悔いはないのではないか。その指導をしきったという誇りがなければ勝っても意味はないのでは」あとはモゴモゴと。
 当然、球児は高校生である。野球ばかりやっていれば良いのではない。基本は学校生活なのだ。練習で疲れ果ててどんなに勉強しても学業成績は上がらないかもしれない。しかし、懸命に取り組む生徒であるべきだ。その指導が野球を指導するよりも前にくるべきなのだ。その延長線上に眉毛もあり服装もある。例え野球の指導が回り道になっても。
 と、常に思っていた。だから高校球児の眉毛はしっかりしていなければならないのだ。
 ところで昼のテレビ番組「笑っていいとも」を見るともなく見ていた。茶髪の現代風女子高校生が10人ほど出ていた。ウルセーのなんの。話にならない。彼女らの発言に眉毛のことが出てきた。男性の太い眉毛をバカにしていた。ゆるせんっ。バカヤローだ。
 でも、こんな女の子たちに「もてたいため」に眉毛をいじっているようでは高校野球なんて勝ったって意味はないなぁとも感じた。
 そんなわけであらためてこの2~3日球児たちの眉毛に注目してしまった。古巣の子どもたちも全力チームもしっかりしている。野球に取り組むための最低の条件をクリアしている。
 さぁ、がんばれ球児たちよ。新たなステップになる。


「檄をとばす」
 この前のブログでもっと勉強しなくてはなぁと反省した。だが、何となく気になっていた言葉に「檄をとばす」がある。
 正式には【自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求める】ことで自分の無知さぶりがわかった。
 しかし、例えば野球の監督が部員に「しっかりしろ。元気をだしてこれからの取り組みをやれ」と言うように大声(大きな声でなくてもいいんですが)で叱咤することも「檄をとばす」でも良いのではないか。と、思って手元にある電子辞書をひいた。
 すると【元気のない者に刺激を与えて活気づける】ともあるんですねぇ。他の辞書も色々と調べる必要はあると思うが今のところ手元の電子辞書はそうなっている。少し元気が出る。
 つまり、言葉は使い方が少しずつ変化しているのだと思う。だから日本語は難しいしおもしろいのかもしれない。
 けっして自分の知識不足を言い訳しているのではないので・・・。

 今日は午後からブログのサイトがメンテナンスらしい。さぁ、これにて本日のブログ閉店。仲間たちと焼き肉へでも行こう。ビールだビール。元気を出そう。

平和の大切さ


ヒロシマ原爆展
 昨日、塩竃一家が来訪。
 秋田のアルヴェで「ヒロシマ原爆展」をやっているので見学に来てみたとのこと。そこで年金者組合総会での交流会は乾杯(当然ウーロン茶で)だけで失礼し秋田市に向かった。広面方面から秋田市に入ったのは久しぶりだ。
 左手にノースアジア大学と明桜高校を眺めて駅前方面に向かう。ウームこのアングルで見るのは久しぶりだなぁ。
 さて、アルヴェの「ヒロシマ原爆展」である。「~次代へつなぐ平和の願い~」のサブタイトルで多目的ホールで開催されていた。オープニングの日だとは全然知らずに行った。ボクが着いたのは夕方だったから人出はそれほど多くない。それでもテレビカメラが入ったりして注目度は高いなぁと一瞬思った。今朝の新聞によると700人以上の人が参観に来たとのことだった。
 広島には3回、長崎には1回行って原爆記念館を見ている。今回は遠く離れた秋田市内でのパネル展示であるところに意義があると思う。パネル中心であるが、実際の資料も展示されている。その数は少ないが貴重なもの。
 どうしたことだ。パネルを一枚一枚読みながら場内を進んでゆくと重たい「何か」が胸をしめつけてくる。
 悲惨、残酷、傲慢などありとあらゆる悲しみを表現する言葉のどれもが消し飛んでしまう。秋田弁で言う「ンドチラだなぁ」の一言に尽きる。だから涙がにじんでくる。
 旅行の途中であろうか一人のお母さんがじっと立ち止まってパネルを食い入るように見ていた。見終わるとハンカチで涙をぬぐいながら、ボストンバックのカートを引きながら次のパネルに移る。そして絵や写真や文に見入る。またハンカチで涙をぬぐい次に移動する。一枚一枚読んでゆく。心の中は悲しみだろうか。憤りだろうか。哀れみだろうか。
 人間に対して直接核兵器が使用されたのは63年前の広島・長崎である。一瞬にして数十万人の命が消し飛んだ。原爆投下までのプロセスを読んでみるとヒロシマ・ナガサキは壮大な実験場だったとも読み取れる。いや、そうだったのだ。ありえない。
 パンフレットの最初にある言葉を引用したい。『戦争と核兵器の恐ろしさ。平和の大切さ。そして命の尊さを理解してもらうため』に開催したとある。
 今の日本の平和は計り知れない大きな犠牲をもとにしていることにも気づく。当たり前すぎで結論にもならないが・・・。


第9回年金者組合総会
 後期高齢者などの社会的な弱者のお金に手をつけはじめると戦争が近い。と、言うような報告がなされた。そう言えば今の日本。何となくきな臭い。憲法9条の大切を噛みしめねば。
 後期高齢者を「長生きしてよかったね」と言い直しても本質は変わらない。20名を超える参加者の心の中に静かな怒りが燃えているなぁと感じた。ボクも発言の時間を少しいただき現状を話した。
 なかなかに楽しいものだった。


本日の高校野球の言葉
 鈴木語録打撃三つの極意。.棔璽襪鯲匹見る ▲織ぅ潺鵐亜´A肝魯好ぅ鵐阿亮汰である。と、話す。
 当たり前と言えば当たり前だがこれが、できないからバッティングは難しい。特に全力スイングについては意見の分かれるところだろう。
 しかし、夏の県大会を見て全力スイングの大切さを目の当たりにした。二死満塁一打逆転の場面でボールにコツンと当てて凡打の打者が何と多かったことか。
 全力スイングで三振するのと、何とかコツンと当てるのとを比較した時に納得のゆくのはどちらか。と、問われればボクは全力スイングと答える。

 と、言うわけで本日のブログ閉店。ヒロシマの展示を見たのであらためて平和を考えねば。さぁビールでも。

昨日はもうない、明日はまだない


夏空広がる
 2~3日前まで雨が続き梅雨明けなんて嘘なんだろうと思ったりした。しかし今朝からスカーと晴れ上がり夏空が広がった。裏山の方向を見上げて青空を見上げる。30℃くらいになるだろうか。


夏の大会を終えた球児訪問
 3年間高校野球を続けた高校球児がお父さんと来訪。
 まだ日焼けした顔が凛々しい。勝ち負けよりも何よりも素晴らしいことは3年間野球を継続したことだとボクは彼に話した。
 途中で何度か野球を辞めようかと思ったんじゃないの。とも聞いた。彼はニコッと笑う。おそらく「野球なんかやめてやる」と思いこんだことが何回も何回もあったことだろう。それを乗り越えて背番号をもらい、そして試合に臨んだ。
 彼の話を聞いたら野球で大切なのは「心」だと話す。心のこもらない選手はどんなに上手でも良いプレーはできないとも彼は言う。野球でもっとも大切なポイントを捉えていた。野球を続けたことによって素晴らしい「もの」を得ている。
 今後の進路を尋ねたら「進学希望」とのこと。野球で培ったねばりや考え方は進路実現のための追い込みで必ず役立つはずだ。
 がんばれ。球児よ。


昨日の続き
 昨日、古巣に寄って監督室に保管してある以前作っていた野球部便りの「第8巻」をいただいてきた。
 実はこの冊子類は自分が作ったものである。ところが自分の保管しているバックナンバーの8巻だけが抜けている。誰かに貸したのか、あるいは余分があるからと思いこんで誰かに差し上げたのか。記憶が定かではない。第8巻だけがないので奥歯に物が挟まったような気分でいた。
 そこで、もし余分な冊子があったらと思い聞いてみた。そしたら余分があるとのことだったので一冊分けていただいた次第だ。
 過去にこだわるわけではない。しかし、とりあえず自分の歩んだ過程を手元に置きたい気持ちはある。これは年寄りの考え方かもしれない。

 さて、過去・現在・未来という観点で鈴木寿監督は次のような内容で野球部便りに書いたことがある。「昨日はもうない。明日はまだない。あるのは今日だけ。だから今日一日を悔いなく全力で努力しよう」と。
 そして、別な号には「近未来」について油断大敵と題して次のように書いている。つまり一試合約2時間の流れについてである。
『初回や2回で点数をとれば「これでいける」「なんだこんなものか」と思ってしまい、油断が生まれる。これは自信のないチームになればなるほど出てくるものである。油断大敵なのだ。それを打ち破れなくては勝ち進んでゆくことはできないものである。そのためには全力を尽くすこと。試合ではイニング勝負に集中することが大事になるのだ』。
 過去をくよくよしてもどうしようもない。将来の結果を考えても物事は進まない。やるべきは今なのだ。今、全力を尽くすことで結果は自ずとついてくる。
 まさに真実を語っている。 
当たり前のことではある。しかし、当たり前のことが当たり前にできないから難しいのだ。


本日は年金者組合総会
 午後から年金者組合の総会に出席。久しぶりに旧友・先輩たちとの再会ができる。
 ところで年金者なんて。自分は年金をもらう年齢になっていることを認めたくないなぁ。精神的には30代のつもりだったのに・・・・。いや、まったく成長していないので10代のつもりなのに。しかし、実際は60代なんですねぇ。そう言えばボクに声をかける人が「おどさん(おとうさん)」という。かなり気をつかっているんだろう。「おにいさん」とはいえないし、本当は「おじいさん」と声をかけたいのかもしれない。なんてこった。
 テレビに出ている人たちがほとんどボクよりも年下だと思うと愕然とする。やっぱりボクは年金者組合なんだ。つまり捨てるものは何もない年代ってことだ。気楽に闘えるってことだ。
 前向きに考えよう。

 と、言うわけで本日のブログは早めにアップ。さぁ、総会後の一杯が楽しみだ。昼酒かぁ。暑いけど良いねぇ。

伊藤君へ。もっと勉強しろ!


野球少年を追いかけて
 久しぶりに古巣のグラウンドに出かけてみた。部員の数も多くがんばっているなぁと思った。
 大工の部長・監督とも久しぶりのあいさつ。夏の大会について残念無念と少し話した。まぁ、捲土重来だ。
 すると、中央高校が来て練習試合をするとのこと。オーッそれでは先日こまちスタジアムで会えたマネ諸君も来るのかなぁ。
 それよりも中央の部長・監督とも会えるしなぁと。時間を過ごした。
 無事に中央の部長・監督両氏にもあいさつ。元気だった。新たな出発に意欲を燃やしている感じを強く受けた。
 
 そして、練習試合開始。両チームとも新チームがスタートしたばかりで良いとか悪いとかを論評すべき段階ではない。とにかく、どちらのチームも懸命にボールを投げ・打ち・走っていた。
 
 その後、全力チームにも向かった。紅白戦をやっていた。とにかく、懸命に自分たちの課題をクリアできるように取り組む一人一人の日に焼けた顔が印象的だった。小さな積み重ねが大切だなぁと思った。

 いよいよ新チームの始動だなぁ。
 
 それにしても暇な人間のボクの足の向くところはグラウンドになってしまう。図書館とか博物館とかにどうしてならないんだ。まったく・・・。
 つまりは野球小僧の延長線上から抜けられないんだと思ってしまう。いや、そうではない。野球少年の夢を追いかけているんだと思うことにしよう。


全県大会のことを少々
 少し審判のジャッジについて書いておきたい。まずは炎天下で仕事を犠牲にして球児たちのために審判員をしてくださっていることに敬意を表したい。
 夏の大会で感じたことはストライクゾーンが狭かったのではないかと思うのだ。投手が投げ込んだ勝負の一球が「ボール!」と判定されてから打ち込まれるパターンが多かったような気がする。
 どの試合のどこでそれがあったのですか。と問われれば明確に言えないところが弱いのだが、いずれにしてもアレッと思う場面があった。
 球児たちは3年間の集大成としてグラウンドでプレーしている。それに報いるように審判員の方も努力してくれていると思う。
 今一度「ストライクはストライク」であることを確認してもらいたい。けっして「皆さんはジャッジがおかしいなぁと思うこともあるでしょうが、審判員がストライクと言えばストライクです」と言うようなことがあってはいけないのだ。


今朝の新聞に愕然と
 なんてこった。「会議が煮詰まった」という意味を間違っておぼえていた。ボクはこの意味を「会議が進まなくなってにっちもさっちもいかなくなった状態」と認識していた。ところが正確には「意見が出つくして会議が結論に近づいた状態」とのこと。
 今朝の新聞に掲載された文化庁の「国語に関する世論調査」でボクがおぼえているのは違うことを知った。アリャリャ。
 読み進むうちに青くなった。「憮然」も「檄を飛ばす」も微妙に意味を間違えておぼえているのだ。まさに自分自身の知識のなさに憮然としてしまった。


と、言うわけで本日のブログ閉店。反省のためにビールを飲みます。

愛し合ってるかい


昨夜と言うか今朝と言うか午前0時26分頃。地面が大きく揺れた。横揺れの周期が長い。感触では震度4。正式発表も秋田は震度4くらいだった。震源地は岩手県北内陸部とのこと。
 もしもこのブログを見ている方がおられましたら地震のお見舞い申し上げます。

 郵便局に歩いて行く途中で隣家の垣根を見るとたった一つの花が空に向かって咲いている。そこで、パチリと。例によって名前はわからない。


ビデオチェックの日
 昨日の新聞チェックに続き、今日は大会期間中にハードディスクに撮りためていた映像チェック。
 夏の大会開会式、笑点2回分、日本の話芸(桂文楽の素人鰻)そして、大会4日前に録画していた「徹子の部屋」である。
 秋田市に10日間も出ていたので忌野清志郎が出演した「徹子の部屋」を録画したことはすっかり忘れていた。
 7月15日のブログに忌野清志郎のガン転移のことを書いた。そして今日、徹子の部屋の清志郎「完全復活」を見ることになった。とても痛々しかった。番組の中で清志郎は7月27日開催の苗場ロックフェスの出演を楽しみにしているとも語った。それらのコンサートはキャンセル。まったく気の毒なことだ。

 ボクが清志郎を好きな理由の一つはメッセージが一貫していることだ。武道館で3時間の復活ライブで聴衆に語りかけた内容が良い。
「ここには平和がいっぱいだが。オーライ。
 だが、世界中を見渡すと戦争や紛争がいっぱいだ。
 テロや飢えた子どもたちもいっぱいだ。
 どうしていつまでも、みんな仲良くできないんだろう。
 OK。今日もこんなに、ご機嫌な夜なんで、
 みんなに聞きたいことがあるんだ。
 みんなに聞きたいことがあるんだ。
 最近、世の中は殺伐としているけど。
 21世紀になってずいぶん経っているけど。
 全然、世界は平和になんないけど。
 今夜、みんなに聞きたいことがあるんだ。武道館のべービー。
 聞きたいことがあるんだよ。
 オーライ。
 愛し合ってるかい。
 愛し合ってるかい。
 愛し合ってるかーーーい。
 オーイェー。」
 この映像を見ながら黒柳徹子が清志郎に「あなたは憲法9条が大切だっておっしゃってましたね」と聞く。清志郎はテレながら「そうでしたっけ」と受け流した。
 清志郎が武道館で復活した最初に話した「ここに戻ってくることを夢に見ていてくれたみんなに感謝します。どうもありがとう。愛してます。」と絶叫してくれることを夢に見たい。
 そしてボクの目には涙がにじむ。

 夏の大会開会式も見た。こちらは簡単にコメント。
 入場行進の各校の選手諸君と選手宣誓をあらためてじっくりと確認した。特に選手宣誓は放送室で聞いていたのでどんな内容だったのか、よくわからなかった。もしかしたら彼にハンディキャップがあるのかと思ったりした。
 五城目高校のキャプテンはしっかりと一つ一つ言葉を話し、その中に手話を交えていたことがわかった。とても立派な内容に感心。
 そして、選手宣誓が終わった途端に番組終了。テレビ中継に間に合って良かったなぁと人ごとながらホッとした。なぜホッとしたのかは書かない。ビデオを見るとよくわかるのだ。


何人かの方からの電話に感謝
 夏の大会が終わってから何人かの保護者の方から電話をいただいた。
「とりあえず挑戦していたことが終わりました。いろいろお世話になりました。」という感謝の内容だった。
 こちらが恐縮してしまう。何もできなかったことで慚愧に耐えないのだ。
 それぞれの方の胸中には多くの思いが交錯していると思う。これから長い人生を歩む若者たちにこそ「栄冠は君に輝く」とエールを送りたい。


 夏の大会の総括がなかなかできない。まぁ、ほとんどが不平不満のようなものだから気持ちの中に「澱」が溜まっているんだろう。前向きなものに変えていかなくてはいけないけどなぁ。と、言うわけで字数も尽きた。鰻のことも書きたかったけど本日のブログは閉店。
 そうそうDVD「忌野清志郎・完全復活祭・武道館」をアマゾンに注文したぞ。

ハクセキレイの雛?


雷雨の中で
 午前4時過ぎから強い雨が屋根を打った。遠くで雷が鳴り始めた。あの一斉に鳴くヒグラシも今朝は聞こえない。次第に雷雨が激しくなった。
 午前6時過ぎになると時々停電をする。電気がないと何もできない。まさにライフライン。どうしても必要な文書を朝から打ち始めた。できたぞと思い仕上げた文書を印刷しようと思ったら突然停電。ヤバイッ。保存していなかった。しばらくして復旧。幸い一時保存文書が残っていた。良かったなぁ。と、思ったらまた停電。携帯電話も圏外になっている。おそらく中継局に落雷したかもしれない。秋田弁で「よ、たらね」だ。携帯がつながらないのはつらいものがある。もっとも誰も連絡してくることはないけれど。
 時々通電されるテレビでは大雨洪水警報が発令されたと報じている。そして完全復旧したのが午前10時過ぎだった。


終日、新聞を読んでいた
 今日は雨の中で昼を挟んで10日分の新聞をひたすら見続けた。つまり新聞を確認するだけで昨日の半日をプラスして1日半かかったことになる。朝日、魁、日刊、その他と4種類を見るのは楽しい。必要な部分は切り抜きながら。印象に残ったことを少々書き留める。

 魁新聞では1カ月程前から重松清氏の小説『かあちゃん』が連載されている。10日分を続けて読んだ。
 実はこれまで新聞の連載小説は読んだことがなかった。この『かあちゃん』はボクが自由業になった時と同じ時期にスタートした。何かの縁だなぁと思い、この新聞小説を毎日欠かさずにに読もうと決めた。
 あちこちの学校で「朝読書」の実践をしているところがある。生徒が本を持ってきて教室で読書をすることが主流のようだ。また、少ない例として担任の先生が朝の連続ドラマのように、毎朝ある程度の量を読み聞かせることもある。今の自分にとってはこのパターンだ。自分に対して自分で読んであげるんだ。

 野茂の引退記事が目をひいた。彼の業績の素晴らしさは誰もが認めると思う。いろいろな人が野茂について書いている。それらを読みながら野茂が渡米した13年前を思い出している。彼がメジャーリーグに行くために日本球界を追われるように渡っていったことを。
 しかし、彼の大活躍が日本人を驚かせるのには時間がかからなかった。魁のコラム欄「北斗星」にも次のように書いている。
『初勝利の瞬間見たさに衛星中継にくぎ付けになったファンは多いはずだ』。まさにその通り。ボクも大曲工業高校の図書館でBS放送にくぎ付けになった。
 そして、野茂が渡米して3年後に大曲工業の後松投手がNYメッツのマイナー契約という大事件?がおきた。メジャーリーグのチームが正式に契約したのは日本で初めてのことだった。野茂の活躍がなかったら、そんなことも起きなかっただろう。当然、今のイチロー、松坂、城島、松井、松井、・・・・・多くのメジャーリーガーたちの活躍も遅れただろう。
 ところで、いまだにボクの名前でインターネット検索をすると、後松の契約記事が写真付きで出てくるのだから大事件であったんだろう。そして、そこに写っているボクの頭には髪の毛が付け足したように置かれている?潔く丸坊主にしろよ伊藤!。
 ウム。話がずれてしまった。野茂の素晴らしさ・すごさは、困難を乗り越えてひたむきに挑戦した勇気ある行動だったと思う。それが多くの人に感動を与えてくれ、新たな挑戦者をだしたことだ。素晴らしい。

 そして野球について言えば秋田県の高校野球軟式大会で優勝が能代高校、準優勝秋田商業だったことも報じられている。硬式にかくれているのだが軟式野球も夏に挑んだことがわかる。
能代、秋商は北奥羽大会に進み、その組み合わせも決まったとある。


ハクセキレイの雛かも
 「鳥がいたよーっ」と野球ボールの入っていた紙箱の中で孵化したばかりの鳥の雛を持ってきた。なんだこりゃあ。早速、写真を。
 昨日、全力チームに行った時のことだ。ベンチの雨のあたらない場所にあったボールの箱に産卵して孵化したらしい。二羽孵化しており、孵化していない卵が1個あった。
 写真に見える赤むくれになっているのが雛である。
 でも、日本野鳥の会会員であるボクとしては「可愛そうだから、見つけたところにそのまま置いてきた方が良いよ」とアドバイス。彼女たちは納得してそのまま置きに行った。孵化したばかりの雛は少し動いているが、これでは助からないだろうなぁ。育雛放棄するだろうと思う。仕方がないけれど・・・。
 おそらく種類はハクセキレイ(セキレイの仲間)だろうと思うが確信はない。身近にいる鳥である。

良い敗者とは


午前4時
 自宅の布団の中で目を覚ます。近くの林でヒグラシが一斉に鳴き始める。おいおいこれではヒグラシではなくメザマシだべと毒づきながら、もう一度目をつむる。自宅の前に黄色の花が色づいている。例によって名前は知らない。雷雨のあとに写真を一枚。


出会えた人々
 高校野球の運営の手伝いに行っていろいろな方にお会いできた。この大会終了後、心機一転(アレッこの言葉を何処かで聞いたぞ)再度野球に携わるというN君に会えた。
 それは良かったなぁ。彼は一生懸命に野球部を盛り上げるために努力していた。ある事情があって一時野球を離れた。それが復帰できることになったと聞いた。とても良い指導者だと思っている。素敵な笑顔だった。ぜひともがんばってくれ。遠くで応援しているぞ。
 卒業生諸君にも何人かに会えた。皆、妙な複雑な顔をしているのだが元気そうだった。こんなボクに声をかけてくれただけで、ありがたかったし嬉しかった。激励したつもりが逆に激励された。これが教師をやっていたご褒美かも。
 そして八橋担当の中央地区野球部部長の先生たちにもお世話になった。真摯に野球に取り組んでいる姿が印象深かった。
 再会の人たちも初めての出会いの人たちも会えて良かった。吉田拓郎の歌に「出逢わなくて良かった人などいないと思ってくれ」のフレーズがある。感謝感謝だ。
 もちろん誰とは言わないが出逢わなければ良かった人もいるけれど・・・。


自分なりに大会を振り返って
 楽天の野村克也監督が「野球に不思議の負け無し、不思議の勝ちあり」と言っている。負けた原因は必ずあるが勝った原因はわからないことが多いと言うことだ。なるほど。
 魁新聞の『大会を振り返って』には次のように書いている。
「明桜は第1シードらしい安定した強さで準決勝まで順当に勝ち上がった。今大会の本命と見られていたが、準決勝で本荘に惜敗。総合力では頭一つ抜けていたが、必ずしも実力のあるチームが勝てるわけではない「夏」の怖さが感じられた。」
 このように夏の大会はなぜか「不思議の勝ち」が多い傾向があるのではないか。魔物が住んでいるというか神様が見ているというか・・・・。その呪縛から解き放たれるために指導者たちは懸命になって心技体を鍛え選手たちの実力を充分に発揮できるように苦心している。
 今大会は多くの人が「不思議な大会だなぁ」と感想をもらす。いわゆる「候補」「シード校」が続々消えていったことを指している。
 ボクは「候補」「シード校」が消えていった原因はエース投手の不在だったと考えたい。一つの試合はしっかりとゲームを作って勝利に導く。しかし、次の試合はボロボロになってしまう。あるいは7回くらいまでは好投しながらも疲労で交替し、交替した投手が打ち込まれて敗戦したケースも多く見られた。こんなチームが多い中で、何枚かエースがいても使い間違った例もあるようだ。いずれ投手起用は難しいってことだが・・・。
 だからこそ5試合全部を一人で完投した本荘のエース池田君の活躍が素晴らしかったことにもなるのだが。

 53チームが参加した大会だから本荘以外の52チームは負けた。負けて良いわけではないのだが、敗者は良い敗者でなければならないとボクは思う。
 相手チームとの力の差が歴然としていても果敢に挑んで負ける。ぼろ負けでも良いではないか。あるいは互角の勝負を繰り広げて結果的に敗退。素晴らしいぞ。
 朝日新聞7月20日『成長に贈るエール~最後のミーティング 監督から選手へ~』の記事がとても良い。タイトルだけでもミーティングの様子が見えてくる。
 十和田村田監督「負けても下を見るな」。大館国際情報押切監督「周囲の支え忘れるな志へ日々の努力を」。合川桜田監督「糧にして人生頑張れ」。西仙北鈴木監督「最後までよく粘った」。湯沢高橋監督「挑戦、乗り越えた経験、社会で通用」。
 一人一人の指導者が生徒諸君に対して毎日の練習を見て話した言葉だ。おそらく涙・涙で監督の話を聞いているのだろう。その涙はある意味精神の浄化作用をしてくれて新しい道に旅だって行く翼になる。これが「良い敗者」だ。「良い歯医者」じゃないよ。
 残念ながら苦く・悲しく・ざらざらとした言いようのない不気味さを漂わせる悔いの残る涙もあったかもしれない。そんな涙が流れたとしたら「良い敗者」にはなれない。気の毒なことだと思う。

 さぁ、高校球児諸君。大きなイベントは終わった。君たちの新たな旅立ちだ。
 
 知らず知らずのうちにボクの足はフラリと全力チームのグラウンドに向かう。そして、どんよりと蒸し暑い雨雲の下で走り回る野球小僧たちの姿を追っていた。
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