やってはいけないこと


プレコは両生類に似ている?
 先日、我が家にやってきたプレコ。身体が小さいからなのか、妙に平べったいためか水槽の中で発見するのがなかなかに難しい。石の裏側などにペターッと張りついている。不気味なんて言わないでください。なかなかにかっこ良いのだ。
 ピョコピョコピョコと動き出したと思うと水槽のガラス面に張りつく。吸い付いているのかもしれない。そう言えば、最近水槽のガラス面に着いていた藻の類が無くなってきたように思える。
 ペットショップの売り言葉が「水槽の掃除屋」と書いていた。一生懸命にガラス面に張りつきながら藻を食べながら掃除しているのかもしれない。
 そして、ガラス面に張りついているプレコの姿を見ると
「これって両生類に似ているなぁ」と思う。つまり、魚からイモリ類に移行する段階のような感じがするのだ。
 生態が似ているので形態が似てくるのかもしれない。と、まぁそんなすごいヤツです。


無意識をよそおう意識的な犯罪を考える
 今朝、通勤途上でとんでもない人間を見かけた。南外から神宮寺にかけて雄物川にかかる岳見橋がある。
 橋の中央付近の対向車線に一台の軽乗用車がハザードランプをつけて停まっている。つまり雄物川のど真ん中だ。
 どうしたんだろうと走りながら見たら、車から降りたおじさんがレジ袋に入れた「何か」をポーンとためらいもなく川に向かって放り投げた。袋の中身が何かはわからないが川に簡単に物を捨てる行為それって犯罪じゃないの?
 廃棄物を川や山にポイポイ捨てることと同じレベルの話だ。不要な物体を自分の周囲に置きたくないばかりに捨てるんだろう。まったくなぁ。これが第一の犯罪行為目撃。

 次。昨日からマスコミで大騒ぎの慶応大学での学内大麻売買問題。あれだけの有名大学でなんてこっただ。
 ニュース番組で大麻の密売人の売り込み時の話を姿や声を変えて放映していた。
「君はタバコ吸うの?タバコが吸えるなら大麻なんか簡単だよ」が売りの文句とのこと。そして、若者たちは簡単に買ってゆくとのこと。
 今、タバコが若者を中心に爆発的に普及しているらしい。つまり、若者たちのタバコ喫煙は大麻や麻薬までのハードルを低くしている可能性がある。もちろん愛煙家の方たちはそんなことはあり得ない。と、考えるかもしれない。
 しかし、確実にタバコを吸っている若者の中から連鎖的に大麻騒動が起きていることも確かなのだ。これが第二の犯罪行為確認。

 これら二つのことからもう少し考えてみる。
 問題はどちらの場合も犯罪を犯している意識が低いことだ。自分さえ良ければ他人を災いに巻き込んでも自分は知りませんよ。こんな気持が強いために起きている。
 まぁ、突然に話は変わるが企業におけるパワハラなんかも犯罪行為だ。これも上司の保身や気分で部下に対して行われる。見かけ上は会社の上司による指導のように見える。しかし、実態は部下の精神状態や心のあり方をズタズタにしていることでもある。
 ここには橋の上からゴミをポイ捨てする神経。また、自分だけ良ければ大麻を吸ってもカンケーないね、と言うような意識。これらと密接につながる「自分さえ良ければ症候群」と言えるだろう。実はこれらの犯罪行為は知らないふりして、実は意識的にやっているということが見え見えなのだ。

 と、まぁ今日はポイ捨てをチラリと見てしまったこと。新聞紙上で慶大大麻事件を読んでしまったことで人には迷惑をかけちゃいけないという道徳の基本的なことをついつい考えてしまったのだった。

     ダメだよね子どもでさえも言うだろう
           いじめポイ捨てパワハラ野郎


そんなわけで精神も回復。元気になりました。さぁ、ビールです。これにて本日のブログ終了。

今日は精神のリハビリを


初冬の広い校庭
 校舎の窓から先日ブログに書いたトチの木がある方向を見て一枚。木々の青さはすでに無く葉は黄色に染まり広葉樹はすでに葉が落ちている。木々の向こうに町の屋根が見えてくる。
 写真の左はアカマツ。この松の木の前には、おそらく昔の正面玄関だろう。校名を書いた校門がある。そして、黄色の葉が落ちているのは桂の木。そして、右のモサーッと葉が茂っているのがラクウショウである。
 そして、校舎を取り巻いている黒の板塀が見える。さすが角館、古い町を思わせる板塀である。
 と、言うわけで本日は初冬の校庭からだ。


自己責任論
 今、世は自己責任論で満ちあふれているようだ。大阪の橋下知事も高校生を相手に「自己責任論」を話したことが問題になっている。
 自己責任と言えばアフガンだったと思うが拉致された日本の若者に対して「自分で好きで行ったことだ。拉致されようが自分で責任をとるべきだ」と言う声があがった。そして、解放されたら「身代金は自己責任で払え」と大合唱があった。
 これはおかしいなぁと思っていたのだが今では政治を司る人たちまで「自己責任論」を言いだしている。これでは国民は困ってしまう。と、思うのだが・・・・。
 ここ何日か嫌なことばかりあるので妙なことが気になってしまう。


 と、言うわけで本日はこれにてブログ終了。いろいろな意味で何だかエネルギーがなくなってきました。ビールで補給します。
 明日からは本店の社長に言われたように「今を全力で」の精神を回復します。今日はリハビリします。

      いつまでも続くわけないエネルギー
           リハビリ用にビールをあおる


私は今日まで生きてきました


ポヨポヨと
 ポヨポヨと残飯を残らず食べてやるぞと言うような意志で水槽の底をなでるように泳いでいる。
 最初に水槽に来たときよりも二回りほど大きくなった。
 名前は「青コリドラス」。地味に3匹が動き回る。なかなかに可愛いヤツらだ。すごいヤツらだ。

        ポヨポヨと心やすらぐ動きなり
            しばし眺めて生き方学ぶ


妙に涙が
 昨夜、テレビをボーッと見ていたら「泣き歌」という番組があった。今まで聞いたこともない知らない歌を、その歌を取り巻いた背景をもとに紹介するドキュメンタリータッチの内容だ。
 昨夜は馬場俊英の「ボーイズ・オン・ザ・ラン」を紹介していた。高校野球を題材としていた。なかなかに良い歌だった。
 そして、松山千春の「生命」。これは子どもが生まれた時の喜びを歌っている。松屋町春(ワープロの変換がこうなってしまうのです。松山千春が正解なのに・・・ごめんなさい)の声はあまりにも高いのでボクが歌うことはできない。しかし、結婚式などのバックの音楽としては良いんじゃないか。と、思った。そして、すぐにアマゾンにこの曲の入ったCDを注文したのである。まったくミーハーだ。
 さらに高石友也の「陽気に行こう」だ。高石友也はナターシャセブンを結成している前から大好きなフォーク歌手だ。彼の奥さんがガンで余命何日かになってしまった。その宣告を受けてから高石氏と奥さんがこの歌を歌いながら歩いている姿は涙なしでは見ることができなかった。高石友也は言う「どんなに絶望の中あっても、少しでも笑わないといけない」。涙が・・・・。
 
 先日は「エチカの鏡」という番組を見た。タモリの司会で感動秘話をやはりドキュメンタリー仕上げで見せる。
 そこでは作家眉村卓の奥さんがガンで(またガンなのだが)余命1年ほどと宣告された。そこから眉村氏は毎日欠かさずに1日に一編2000字以上の小説を奥さんのために書いたと言うのだ。1000日以上続いた。余命宣言よりも長い間奥さんは生き抜いた。これはすごいことだ。と、やはりボクの目には涙がにじんでくる。

 突然話は変わるが、この世には救いようのない人間がいることを人づてに聞いた。それは人の弱みを握った途端にヒルのように吸い付いて思い通りに操ろうとする人非人がいるらしいとのこと。そんなことは当たり前だ。君は甘いなぁと言われるかもしれない。だけどボクの辞書にはそんな人間がいることは書いていない。そのような話が事実だとすると世も末じゃ。まぁ、そう言う意味でも涙はこぼれてくる。

 さて結論だが、最近のテレビ番組の内容が変わってきたのではないかと思う。テレビ番組が変わってきたというのは、今の世の中の救いようのなさの現れかなと思っているのだ。つまり、まだまだ世の中捨てたもんじゃないですよ元気だそう。と、メッセージを届けようとしているのかもしれない。

 そこでボクの現在の「泣き歌」は何か。吉田拓郎の『今日までそして明日から』である。少し引用しよう

  「今日までそして明日から」
      作詞・作曲 吉田拓郎

  わたしは今日まで生きてみました
  時にはだれかの力をかりて
  時にはだれかにしがみついて
  わたしは今日まで生きてみました
  そして今わたしは思っています
  明日からも
  こうして生きて行くだろうと

  わたしは今日まで生きてみました
  時にはだれかをあざ笑って
  時にはだれかにおびやかされて
  わたしは今日まで生きてみました
  そして今わたしは思っています
  明日からも
  こうして生きて行くだろうと
 
  わたしにはわたしの生き方がある
  それはおそらく自分というものを
  知るところから始まるものでしょう
  
  けれどそれにしたって
  どこでどう変わってしまうのか
  そうですわからないまま生きてゆく
  明日からのそんなわたしです

 吉田拓郎20代の歌。今でも心にしみこんでくる。うまくは歌えないが、今は毎日ギターで口ずさんでいる。そして勇気をふりしぼる。


本日のブログは閉店します。今日は妙に疲れました。もう寝ます(このタイトルの曲も拓郎にあったなぁ)。

地道にまじめに


古新聞エコバック
 今、女子高生に古新聞エコバックが人気である。とまぁ、自分で勝手に決めつけているのではあるが・・・。
 このところ、いろいろな新聞の紙面を利用して作ったバックを持ち歩いている。すると現代感覚の鋭い女子高生諸君が「これ欲しいっ」と群がってくる。わけがないか!?。一人一人に作ってやる時間はない。そこで「皆で作るべ」となった。本日放課後などを利用して製作講習会を開いた。
 苦節1ヶ月の苦労を重ねた作り方を伝授した。
 必要な部材は次の通り。
 新聞紙4枚、糊(アラビア糊が接着力が強くてグー)、少々の厚紙(段ボールで可)、取っ手(これは入手が難しいが古い紙バックからリサイクルでも大丈夫。まぁ、ボクはインターネットの通販で大量に入手)、ハサミ、千枚通し(錐)、定規。
 そしてあーでもないこーでもないと折り紙をしながら、作ってくれた皆は上手にできあがった。その写真を一枚。
 エコバックとともに皆が美人に写っている。ことにしよう。
 これで未来のエコ感覚は養われた。かもしれない。

       良いですね笑顔輝くエコバック
            その感性を未来に生かせ


限界ラインを引かない
 26日に高松で開催された全日本合唱コンクール中学混声の部で、福島県郡山二中が最優秀賞に6年連続輝いた。この指導をした小針智意子先生が朝日新聞の「ひと」欄に掲載された。
 この記事の中で部活動の指導法としてとても参考になることがあるので抜き書きしたい。

郡山二中の合唱部に入部してくる部員は
『ほとんどが初心者。毎春、新入生に合唱のイロハを教えることから始まる。
部員には、音楽の技術以前に、誠実であることを教える。「地道にまじめに取り組まない限り、いい音楽は生まれない」が持論だからだ。「限界ラインを引かず、子どもたちの可能性を引き出したい」と話す。』

 合唱であれ野球であれ吹奏楽であれどんなスポーツであれどんな部活であれ、この原則「地道にまじめに取り組まない限り」の思想は一番大切なことだとボクも思う。指導の根本として譲れないことだと考える。

そして、彼女の指導法は
『「ここは飛行機が着陸するように」「今度は除雪車が雪を押すように」。身振りとともに、そんな表現で、部員全員に曲のイメージを共有させる。 「ハーモニーが重なり合って、鳥肌が立つような瞬間」を体感することで、合唱の魅力を感じてもらいたいという。』
 そして、6年連続の日本一に輝いた。

 野球で考えれば「相手を考えてキャッチボールをせよ」とか「ボールとケンカするな」などなど表現を変えて指導する監督たちがいる。そして、一生懸命に練習した子が「突然、野球が上手になる瞬間」を感じてもらいたいと指導者が日夜考えている。「突然、打てるようになった子や守れるようになった子」はおそらく「ゾクッ」とする瞬間を味わっているはずだ。そして子どもたちは、その瞬間を忘れないようにさらに練習を重ねてゆくだろう。
 そうそう、全力チームの監督も「自分で限界を作るな」と指導している。限界を作ることはそこで成長がストップするからである。

 とても良い内容の記事を読んだ。勝ち負けを超えたいろいろなイメージが広がってくる。

そんなわけで(なにがそんなわけかわかりませんが)本日のブログ終了です。

人生は恥だらけ


わらび座「おくのほそ道」
 芸術鑑賞という行事があり全校で神代(じんだい、かみよではありません)のわらび座で「おくのほそ道」を観た。
 松尾芭蕉が「おくのほそ道」に1689年46歳の時に旅たってから320年ほどになる。今年のわらび座の特選ミュージカルだ。
 なぜ、芭蕉がみちのくを旅したのか。当然俳句の修行のため。つまり俳句を諧謔の世界から叙情の世界へと転換したのがこの「おくのほそ道」と評価は高い。
 わらび座のミュージカルでは俳句はもちろんだが、同行者の曽良と二人は幕府の密命を帯びた隠密だったという内容もあった。確かに隠密だったという研究者も多く存在している。劇中では、芭蕉は妻も子も捨てて旅に出たグータラ人間として描いている。そのグータラ人間の成長物語でもある。だから芭蕉をエンディングまで追いかける妻である「寿貞」も大切な役割を担って登場していた。
 いろいろな考え方があろう。あくまでも解釈の違いだ。わらび座ミュージカルはとてもおもしろかった。
 劇の中で印象的なことは何か。2点あった。
 一つはこのミュージカルのテーマの「出会い」である。みちのくを旅しながらいろいろな人との出会いで彼は成長してゆく。
そしてエンディングで芭蕉が言う
「人生は恥だらけ 夢のかけらばかり 今は見えない山の夜の闇を登る そっと見ていてくれ ひとりで登る姿を」の言葉が重い。今の自分への応援とも感じた。
 そして、もう一点は俳句についての考察だ。有名な俳句
「閑かさや岩にしみいる蝉の声」
 この句の中には現実にはない情景がある。例えば蝉が鳴いているのになぜ閑かなのか。声は岩にしみこんでゆくのか通り抜けて聞こえるのではないか。蝉の種類は何かなどなど。
 しかし、ミュージカルの中で芭蕉は言う。
「現実にない状況、つまりウソを書くことで一層心に入り込む句ができる」と。
 これって昨日ブログに書いた内容と同じことを言ってるんだ。と、劇を観ながら思った。何でもかんでも現実を書くことではないのだ。
 と、言うわけで今日の演劇鑑賞は良かった。そして楽しかった。なんとベタな感想だろう。これじゃあダメじゃん。反省します。
『月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也』良いなぁ。

閑かさも雨に西施もさみだれも
すべて芭蕉のするどき目線

        
先日のクライマックスシリーズのお詫び
 まったくボクの予想はお話になりませんでした。ジャイアンツファンの方々にお詫びいたします。
 やはり読売は強かった。8回表せっかくと言うかようやくと言うか中日が2-2と追いついたのに、その裏にラミレスがカーンといとも簡単に2点ホームランを打ってしまう。これじゃあどうしようもありません。
 正直に言います。それまではテレビを観ていました。ラミレスのホームラン後はすぐにテレビを消して読書に入りました。全然、頭に入りません。で、柳家小さんの落語CD『強情灸』を聞いて大きな灸をすえられた男が「灸なんかぜんぜん熱くない。石川五右衛門はさぞや熱かっただろうなぁ」と「さげ」を聞きながら寝てしまった。なんと負け惜しみの強い・・・・。
 と、言うわけで気持ちを切り替えて日本シリーズを楽しみにしよう。

本日のブログはこれにて閉店です。

智慧の冒険ならば・・・


プレコがやってきた
 古新聞エコバックをより便利に作れるよう、ポンチを買いにDIYショップに出かけた。しかし、ポンチそこのけでまっすぐにペットショップに向かってしまった。水槽を眺めていると4僂曚匹両さなプレコが1尾380円で売られている。
 足がピタリと止まってしまう。そして、しばらく水槽内を眺める。何だかボクを誘惑している。「おにいちゃん私はどぉーお」。いやいや違ったおじ(い)さんだった。欲しいなぁ。どうしようか考えながら何度も展示水槽の前を往復する。
 結局、水草と一緒に2尾購入することにした。誘惑に弱いなぁ。ビニール袋に入っているプレコを一枚カメラに。
 正式にはセルフィンプレコと言う名前のようだ。セールのフィン。つまり船の帆のように背びれが大きくなるらしい。小さなプレコの隣に30僂曚匹瞭韻献札襯侫ンプレコも1尾販売されていた。しかし、あまりのでかさで見るだけにした。
 これで我が家の水槽の魚種は5種類になった。3匹のネオンテトラがキラッとしている。エンゼルフィッシュがドヨーンと1匹。3匹の青コリドラスが水槽の底をポヨポヨと泳ぐ。奥には生き残りのグラスキャット1匹がヒラヒラと身体をくねられる。そして新入り2匹のプレコだ。ナマズの仲間が多い。
 目立たない魚ばかりがずぼらな飼い主のもとで健気に生きている。がんばれ魚たち。

   水槽でそっ気ない動きナマズたち
      けなげな泳ぎ妙に悩まし


嘘について、あらためて納得
 日曜日の楽しみは新聞各紙に掲載される「読書」欄だ。いろいろな人の書評を読めるのが楽しい。今朝の朝日新聞の読書欄に坪内稔典さんという俳人が柳田国男の「不幸なる芸術・笑の本願」の書評を書いている。
 坪内さんは「不幸なる芸術・笑の本願」から引用しながら「嘘」について俳句の考え方を書いている。その書評の冒頭部分を少し長いが引用したい。目からウロコの内容だ。
『3歳の弟が豆腐屋に油揚げを買いに行った。買ってきた油揚げは端が欠けていた。彼は、鼠が味噌こしに飛び込んで食べて逃げた、と説明した。もちろん、弟は油揚げがとてもうまそうだったので、思わず端をかじったのである。彼の母は、ずいぶんやかましい人だったけど、「この時ばかりはおかしそうに笑った。そうして快くこの幼児にだまされて、彼のいたいけな最初の智慧(ちえ)の冒険を、成功させて遣ったのである」。
 人は成長の過程で嘘がつけるようになる。嘘をついてつじつまを合われるのだが、それを「嘘つきは泥棒のはじまりよ!」ととがめるのではなく、「最初の智慧の冒険」として母は容認した。ちなみに、この話は、外見を描く写実主義ばかりがはやり、嘘の効用などに気づかない時勢への批判として書かれている。』
 
 実はボクは先日、ちょっと知っている子どもに小さな「嘘」をつかれた。その時は「嘘つきは泥棒のはじまり」と頭をかすめたのだった。さらにその時にはダメな子だなぁと心の中で思った。
 しかし今、坪内さんの文を読みながら「もしかしたら、あの子は油揚げの片隅をかじった程度だったのではないかな」と思っている。もっとも智慧の冒険ではなかったけれど・・・。
 詩でも俳句でも短歌でも小説でも「見てきたようなことを書かなければ」ダメなときがある。と、思う。つまり嘘も書く必要があろう。それが芸術にもなり人々を魅了している。何でもかんでも現実にあることばかりではおもしろみがない。
 そんなことを思わせてくれた。そして、坪内さんは柳田国男のこの本との出会いによって今なお俳句を作っている。と、言う。

 現実には夢のような嘘ばかり話していたりすれば変な人間だし、他人をあざむくためのごまかしの嘘は泥棒のはじまりなんだけど・・・。そして、本当の嘘を人は許せないのではあるが・・・。


今日は終日雨降り也。強い雷も鳴った。いよいよ冬が近づきつつある。

誠実に


結納
 昨夜来の雨も上がり窓からは太平山がのぞめる好天になった。
 我が家の二男の結納があった。形式的な儀式ではあるが微妙に緊張する。人生の将来は基本的には二人で築くことだと思う。だからあまり関係ないようにしたかったが、そうもゆかないらしい。
 と、言うわけで本日は結納で交換したものを撮影してみた。会食のビールもとても効きがよかった。

        これからの長き人生を歩み出せ
             ともに祝おう太平の峰


参りました
 昨日のCS中日5-5読売延長12回引き分け。アドバンテージでジャイアンツの一勝に匹敵する引き分けだった。
 これでジャイアンツは一勝すればセリーグ代表となる。つまり、リーグ優勝とCS優勝になるわけです。突然、です・ます調になってしまった。それだけジャイアンツの強さを呆気にとられてしまったからなのです。
 さて、昨夜もイ・スン・ヨプが初戦のバント失敗の恨みをはらすがごとくホームランをドガーンと放った。すごいなぁ。
 巨人ファンの皆様へ。そんなわけで申し訳ありませんでした。日本シリーズでの大活躍をお祈りいたします。と、しておこう。


誠実さとは何か
 昨日のブログにインターネットで配信された東北高校野球部の不祥事を書いた。今朝の日刊スポーツ紙にはさらに詳しく「おにぎりをつまみ食いされたことに腹をたてて殴るなどをした」などの内容が掲載されている。
 これを読みながら「誠実さとは何か」を考えていた。この問題を起こした部員たちは野球に取り組む前に「人として誠実であっただろうか」と思った。釣りに行った部員もおにぎりをつまみ食いした部員も、暴力をふるった部員もすべてにおいてである。
 人に隠れず正々堂々と正直に物事をやる。そんな人間をめざしていれば、そんな大きな事件は起こらない気がするのだが・・・。
 多くの部員がいるのだから難しいかもしれない。しかし、そのことの指導に挑戦して行かなければ野球部としてはダメなんだろうなぁと考えるのだ。
 

今宵は少し、いやかなり酔ってるので今まで以上に支離滅裂。

負け惜しみ


名残の秋(その2)
 以前、本店の社長とラーメン屋に行ったときに見た秋に咲く小さなアサガオについて書いた。今日は我が家の向かいの家に咲く黄色のディジー(かな?)。ディジーにしておいて。
 秋の日にキラキラと輝いて彩りを見せている。まさに名残だなぁと思った。今を全力で咲き来年に備えている。その色の潔さに感服のいたりである。

  秋の日にきらり輝くイエローは
      名残のディジー空気さやかに


東北高校野球部の報を見ながら
 インターネットで次の記事が配信された。
『部員8人書類送検へ 東北高野球部暴行   10月24日6時13分配信 河北新報
 東北高(仙台市)の硬式野球部員による暴行事件で、宮城県警泉署などは23日、傷害と暴行の疑いで、2年生の男子部員8人を近く、書類送検する方針を固めた。泉署などはこれまでの調べで、計7人の部員が暴行に加わったと特定。積極的に暴行をあおる発言をした部員1人も共犯にあたると判断した。』

 あの練習に出ずに魚釣りに行った部員にはたらいた暴力事件。書類送検になるほどの暴力事件にまで発展してしまった。これは野球部としても学校としても大きな問題である。
 数年前に仙台育英が不祥事続きで「野球部をやめる」と宣言したことを思い出すが東北高校はそこまで踏み込むだろうか。
 この記事を読みながら、ボクは今春の東北大会で東北高校のベンチでの指導のあり方に疑問を呈した。その指導仕切れていない流れがこのような事件になったのではないかと思ってしまう。はたして野球部内でしっかりした指導をしていたのかどうかだ。
 2~3年前。東北高校出身で今ではプロ野球界の絶対的なエースとして名をなしているダルビッシュの写真週刊誌による高校当時の喫煙騒動も、この不祥事の流れにあると言って良いだろう。
 野球だけうまければ良いのではない。高校生として人間として高校野球に取り組むかどうかを指導しなければ必ずこのような問題は起きる可能性がある。これは断言できる。高校野球以前の問題と言うよりも高校野球に潜む闇を明らかにすべきだと考える。


ごめんなさい
 私の強気の予測がまったく外れた。これは謝るしかない。ごめんなさい。
 昨夜のクライマックスシリーズは読売11-2中日でジャイアンツが完勝だった。あのイ・スン・ヨプもホームランを一発。そして、小笠原がグランドスラムを含めて2本のホームランで打点4。さらにラミレスもドガンと一発。まさにブラバン甲子園だ。すごいなぁ。大型打線が大爆発だ。
 しかも、安打数が17安打。恐怖の打線である。おそらく投手はどこに投げてもカンカン打たれるのではないかと思うだろうねぇ。
 でも、ここで負けじ魂じゃなくて負け惜しみを少々。得点11なのだがホームランであげた得点が9点。残りの2点がいわゆる流れの中であげた得点である。つまり17本-4本(本塁打)=13本の安打で2得点しかあげていない。これって機能した打線と言えますかねぇ。
 もっとも中日の2点もソロホームラン2本であげた得点だから、上原の投球が良かったのだろうが貧打と言えば貧打だ。
 と、言うわけで今晩の対戦がどうなるんだろう。楽しみですねぇ。
 しかし、試合内容を確認したいのだが残念ながら本日は歓迎会で酒飲み大会。試合が決している時には酩酊状態だろう。明日の朝刊が楽しみである。さぁ、はたして・・・。合格発表の番号を見る心境かもしれない。


 久しぶりの雨だ。今朝は電車で角館まで来た。結構楽しい小旅行だ?某高校の学ラン姿が妙に気になる。なんとだらしない。バッグを濡れている電車の通路に無造作に置くしビニール傘をドサッと通路に置いた。
 バカヤローと怒鳴りつけようと思ったが思いとどまった。気が弱いんだから。なんてこった。
 そんなわけで本日は歓迎会で角館の飲み。ウーム。

予測しておきます


真っ赤なジャム
 一昨夜、夜遅くまでヒメリンゴジャム作りをした。普通のリンゴの赤色を超越している暗紅色のヒメリンゴでどんな色が出現するかも試してみたかった。
 その結果が写真のジャムの色である。カメラが良くないのでそのままの色は出ていないのだが、まぁこんな色のジャムができあがった。リンゴの皮の赤い成分であるアントシアニンと皮の持つ繊維分が適度に混じってなかなかのものである。以上、自画自賛。


愛車の車検
 昨夜、T社のFK君が車の車検と言うことで来訪した。この若者はとても良いヤツだ。車検のことばかりでなく車全体のこと、例えば冬タイヤのことなどをしっかりチェックしてアドバイスしてくれる。
 愛車は2~3日間、自分の手元から車検で出て行くが彼の所ならしっかりとやってくれるだろう。
 あの99999キロ走行から7000キロほど走行距離がプラスされた。税金が高いのだがまだ走行できる。


中日-読売クライマックスシリーズ
 普通の人ならば読売と言わずに巨人と呼ぶんだろうが・・・。もしも巨人ファンの方がこのブログを読んでおられるならここで読むことを止めてください。おそらく気分が悪くなります。
 さて、昨夜からスタートしたセリーグクライマックスシリーズ。試合の途中からテレビ中継の終わる8回まで見ていた。テレビ中継が終わった段階でのスコアは3-3であった。
 しかし、その試合の大きなポイントは8回裏にあったと感じた。それは4番ラミレスがヒットで出塁。無死一塁だ。そして迎えた5番イ・スン・ヨプ。なんと彼にバントをのサインを出したのだ。
 アレッ。これはどこかで見た場面だ。負け試合を試合を決めるバントとも言えるシーンが頭の中に浮かんだ。また妙な既視感を味わった。要するにこの場合のバントを選択することが良いか悪いかである。おそらくほとんどの人はバントは正しいと言うかもしれない。いわゆるセオリーだからだ。
 しかし、セオリーはあくまでもセオリー。その通りやっていれば確率的にはうまくゆく可能性は高いはずだ。監督自身も「自分はセオリー通りやりました」と言い訳もできる。と、イ・スン・ヨプのバントを見ながら考えた。
 結果は一塁ファールフライで簡単に一死を与えた。結局そのイニングは無得点で終わった。イ・スン・ヨプは韓国チームの4番ですよ。あの北京五輪で彼のホームランで日本チームを奈落の底に突き落とした男ですよ。もっと自由に打たせてもよかったのではないかと思うのだ。ボクは素人ですから好きなことを言っているのですが・・・。もっともボクは百人いれば百人が監督であり評論家の一人ですから無責任なことを言ってるのですけど。
 ただ、このワンプレーがこの試合を分けたことは間違いないとボクは思う。もっと言えば万が一読売がクライマックスシリーズに敗退した時にはこのバントが原因だとボクは予測しておく。
 もちろん、プロ野球だからそんなに簡単に勝負の決着はつくはずがないことを十分に理解しての予測である。
 まぁ、科学や理科を学習する時には仮説をたてたり予測をしたりすることはとても大切なことである。それと同じように今回のクライマックスシリーズの結果を、あのイ・スン・ヨプのバントのワンプレーだけで事前に予測・仮説を立てておこう。すると結果を見るのが楽しいと言うことでもある。そして、自分の考え方を検証できることにもなるのだ。
 なんだか、予測が当たらないときの言い訳をしてるようだが・・・(笑)

    野球には人生にじむ味がする
        生きて行く道照らしてくれる


そんなわけで、これからクライマックスシリーズの第2戦を見ます。ブログは閉店です。

好きになってきたかな角館


武家屋敷
 本店の社長に9月の初めに角館の祭りを案内されるまで正直言って角館は苦手だった。そんな角館に勤務して3週間になる。
 最近は好天が続いている。天気の良い日に角館の武家屋敷を車で通った。紅葉シーズンと言うことで観光客がいるねぇ。平日ですぜダンナ。
 車を路肩に数秒停めて写真を一枚。何となくぼけているし紅葉は見えないのではあるがやはり秋の風情を感じる武家屋敷通りである。さすが小京都と言われるだけあって良いなぁと思う。
 この通りをボクも車で通りすぎているので書くのも変な話だが・・・。この写真の向こうでは道路の真ん中で武家屋敷を前にして集合写真を撮っているおじさんやおばさんがいる。これだけ人通りがあれば歩行者だけの武家屋敷通りにする手もあるのかなぁと思うのだが。車で通るとかなり危ないのです。そんな規制は難しいんだろうなぁ。

 角館の奥深い所はわからない。しかし、お祭りの時の場所と武家屋敷の通りとでは全く違う角館を見ているような感じがする。角館って二重人格っぽいのだが・・・。これって間違いだろうか。そのうち本店の社長に聞いてみたい。

 と、言うことで角館が少しずつ好きになってきていることは確かだ。そんなことをボクは言いたかったのです。

     武家屋敷
     春もいいけど
     秋もまた
     風情楽しめ
     心やすらぐ


素晴らしい業績だなぁ
 昨日の魁新聞の秋田版に秋田県文化功労者の紹介があった。今年は7人が選ばれている。その中に10月5日のブログので「時空を超えて」として書いた渡邉喜一先生が選ばれている。
 たまたまボクが角南に勤務して、長い時間を経てお会いできた先生が地域に貢献したことで選出された。すごいなぁ。
 新聞に出ていた業績は次の通り。
『「新編佐竹七家系図」「新編佐竹氏一門系図・稿」を編著。関連する古記録や断片的だった諸系図の集大成である両著は佐竹氏研究者にとって不可欠な手引き書と言われる。「菅原源八遺作全集」も編著。多数の古文書の解読依頼に応えた功績も大きい。秋田市』
 まぁ、ボクにとってはすべてはチンプンカンプン。渡邉先生や我が家のオヤジが口癖に言っていた
「地理も歴史も知らネーで」の口癖が裏付けのあったものだった。と、今なら思う。
 その言葉をオヤジに言われたときに「理科も数学も知らネーで」と内心で口答えしていた自分が少しだが恥ずかしい。

 そんな思いをしながら記事を見た。そして、お祝いの手紙を書こう。 


本日のブログはこれにて終了。昨夜は夜遅くまでヒメリンゴジャムに挑戦。それは明日にでも。

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