「やりがい」=「楽しさ」
燃えるようなイチョウのつもり
ボクの家を出てすぐに八幡神社がある。そこにはイチョウの大木がそびえている。ようやくイチョウの葉が黄色に輝きだした。
今朝、出勤の前にちょっと立ち寄りイチョウの木の下に行ってみた。気温3℃の朝。の青空に立ち上がるイチョウの葉の輝きを見ながら、なんて凄いヤツなんだと思った。
そして、写真を一枚。しかし、その思いとは裏腹に写真の写りはさっぱりだ。腕なんだろうなぁ。それとも気持が中途半端なんだろうか。機械のせいにしたくはないし・・・。
青空に直立してる銀杏の
黄金に染まれ我がみにくさよ
パチンコするように・・・・
10月26日のブログに「智慧の冒険ならば」と書いた。その坪内稔典さんという俳人がまた朝日新聞11月2日付の読書欄「大切な本」に書評を書いている。これがまたおもしろい。
彼はパチンコが好きだったようだ。パチンコで勝って正岡子規の全集を買ったとのこと。なんてギャンブラーなんだ。
ボクはパチンコは好きだったけれど坪内さんのように勝てなかった、いつも負け通しだった。学生の頃には仕送りがあれば学校さぼってまっすぐパチンコ屋に行った。それでも親に迷惑をかけられないと思い下宿料だけは支払った。その残りの金を握りしめてパチンコ屋に向かうのだ。なんて親孝行な息子なのか・・・。
帰りは当然オケラ街道。しょんぼりしてオーシャンホワイトウイスキーも買えずに昨年の5月に他界した加藤君の下宿に行った。そこでは二人で300円をかき集めてオーシャンホワイトを一本買って常に自己嫌悪を抱えながら酔っぱらっていた。
だからパチンコは楽しいと思ってやっているわけではなかったと思う。だから大学を卒業してからは全くパチ屋には行かなかった。それがまた行くようになったのはなぜだろう。あの負け続ける頽廃感を味わっていたのかもしれない。そして、負けてこそパチンコだと思うようになったりもした。しかし、それも最近はやめている。楽しくないからだ。
で、本題に戻るが坪内氏はパチンコも研究も俳句作りも楽しくて好きだからできると言うのである。なるほど勝てばそうだなぁと思う。
そして、今ボクは思っている。パチンコのように楽しいことって何だろう。今はパチンコに行く気はない。なんだろうなぁ。我を忘れるほどに楽しいことを探さなければいけないと思う。確かに学校に行くのは楽しい。これは仕事だ。仕事以外で何があるのだろうか。
ゴルフはイマイチなじめないし。やはり、こうなればいよいよアマチュア無線になるのかもしれない。と、思う今日この頃だ。
アマチュア無線でバンド内をスイープしながら珍しい局を探す楽しみのように、これからいろいろなことを探し求めることは楽しいことだろうなぁ思う。
アレッ文章が少し変になってきたぞ。今日はかなり衝撃を受けることがあった。この衝撃はけっして悪いことではない。とても良いことだ。と、ボクは思っている。
その衝撃のことを考えたときに「やりがい」を求めるとは何かを考えた。それには「楽しく」ということはキーワードになると思ったのだ。
それでこの記事が目についた。と、言うわけでした。
本日の日本シリーズ
3回を終わって1-0で西武が勝っている。もう少し見てみよう。今日はまだ寝ないようにしよう。途中でアレッとなったりして・・・・。
本日のブログはこれで閉店です。ビールで乾杯します。それでは。