良いねぇミニ・コンサート


アンサンブルコンサート
 昨日、職場の吹奏楽部で校内アンサンブルコンサートが行われた。1~2年の部員だけで練習の成果を聴かせてくれた。
 曲目は「木管三重奏の愉しみ供廖屮侫奪ト・オン・クラシックス」「打楽器二重奏」「木管七重奏」の4曲。時間にして20分ほどのミニコンサートだった。

 曲ごとに登場する部員たちは緊張しながら一生懸命に良い演奏をしようと取り組んでいた。少しぐらいのミスは恐れる必要はない。生で聴けるから音楽は素晴らしい。演奏する人がそこに生きているのだ。

 詩人の谷川俊太郎『谷川俊太郎質問箱 ほぼ日刊イトイ新聞刊』の中におもしろい質疑応答があった。いろいろな場面に出るときに勇気の覚える内容だ。少し長いが引用しよう。

読者の質問
「論文や本などの長い文章を書くとき。大勢の前でピアノを弾くとき。人前でしゃべるとき・・・・。普段よりプレッシャーがかかります。準備しているときから不安にかられたり、挫折しそうになったり、「間に合わなかった」って焦ったり、予想以上に自分の引き出しがないことに気づいてしまったりします。谷川さんはどうやって暴れ出す自分の気持ちをコントロールしますか?」

谷川俊太郎さんの答
「長い文章を書くときは、あわてずに。毎日たゆまず少しずつ書いていくことで気持ちを平静に保つ。
 大勢の前でピアノを弾いたことはないけど、以前ピアノリサイタルの司会をしたとき、ピアニストが盛大に引き間違えたことがあった。その人は冷静に聴衆に断って始めから弾き直した。演奏の合間のトークの時間に、ぼくは間違えたことを話題にして、CDより生演奏のほうが音楽が生き生きして聴こえるのは間違えるかもしれないという、スリルがあるからだと言った。けっこう拍手がきた。
 一人でしゃべる講演と、複数で話し合うシンポジウムみたいなものとでは違うからいちがいに言えないが、自分を実際以上によく見せようという見栄を捨てられれば、ずっと気が楽になるんじゃないかな。
 でも背伸びしないで、ありのままの自分を他人に見せるのは簡単にできることではないよね。ぼくも詩のリーディングのとき、若いころはキリキリと胃が痛くなった。でも今は居直っていて平静でいられる。暴れだす気持ちをコントロールするには急いで年を取るのもいいかもしれない。」

 聴衆は職員。暖かい目と耳で演奏を聴いていた。おだやかで素敵なコンサートだった。

     緊張があっても良いゼその方が
          生きてる音が心にしみる


残念なり
 昨夜は晴れていたがルーリン彗星は確認できなかった。間違いなく見上げる空に「存在」するはずなのに発見できない。まぁ、宇宙の彼方に飛び去ってゆくのを見守ろう。次は数万年後らしいから、それまで生きられるはずはないしなぁ。
 一昨年のホームズ彗星を見たときの奇跡はならなかった。

輝ける星になれ


月と金星
 夕方の帰り道。携帯電話がなった。
「もしもしブーシャン」
「はい」
「この前はお世話になりました」

先日のブログに書いた友人の娘たち三姉妹の長女だ。お母さんの携帯からだ。
なんと丁寧で素敵な話しぶり。良いねぇ。だんだんに大人になってゆく。

「教えてください。三日月が見えるんだけどその上に黒っぽい部分があります。どうしてですか」
今日の三日月が黒っぽい部分を抱いているように見えるのだ。
「それは月の影というか太陽の照らしていない部分が見えてるんだよ」
「フーン。じゃあ影っていうのは雲がかかっているの」
「いや、そうじゃなくて・・・」
実に説明が難しい。何とか太陽が当たっている部分が光っていて三日月。太陽の光が当たっていない部分が黒っぽく見えてることを説明。でも、納得できないだろうなぁ。
「じゃあ、月の上で光っている明るい星はなんですか」
「それは金星だよ」
「エーッ金星ッ!」
「ビーナスとも言うんだよ」
余計なことまで言ってしまう。なんてオヤジだ。
「じゃあ、この前のニッコリマークも金星なの?」
「そうそう、金星。もう一つが木星だったんだ」
「木星?じゃあ今、木星はどこにあるの」
「今は見えなくなっているんだ」
「ふーん」
小学校3年生に説明するのは難しい。でも不思議だなぁと思うことは聞くに限る。いいぞがんばれ。どんどん質問しようゼ。

     天体の不思議さ理解しようとす
          少女の気持ち金星のよう

 そうしたら、また他から電話。月と金星を写真に撮ったらと勧めてくれる。それではと車を停めて一応シャッターを切る。何とか写っていたラッキーだ。


 今晩は久しぶりに星が輝いている。もしかすればルーリン彗星を観測できるかもしれない。見ることができるかどうか双眼鏡をもって挑戦してみよう。はたして・・・。

    

春は帰る


緑、萌えいで
 2月末になった。3月になれば高校は卒業式になる。
 昨年は某高校の卒業式に参列して二度と職員として卒業式に参列することはないと思っていた。しかし、今年も高校は違うが職員として卒業式に参列できることになった。ありがたいなぁ。

 今日は卒業予定の生徒諸君が登校。卒業式で歌う歌の練習があった。その子たちを指導する若き指導者がとても良い。全身全霊をこめて歌の心や詩の意味を伝えようとする。そして、大きな声で歌おうと子どもたちに伝えてゆく。その熱意に応えて生徒たちの良い声が出る。
「もっと大きな声で歌ったら、感動で鳥肌がたつかもしれない」
と、大きな動作と声で語りかける。本番の式では間違いなく鳥肌ものかもしれない。大ファンになった。
 学園ドラマなどで学校にお客さんが訪ねる場面がある。その時に校舎から女子高生の歌声が流れてくる。「ツタのからまるチャペーールで」てな具合で。もっともステレオタイプの状況だ。しかし、それを彷彿とさせる1時間だった。
 今、あちこちの高校の卒業式や入学式で校歌を歌わないと言うか歌えない式が多くなっている。このことを嘆く人もいる。だが、ここではそれはあり得ない。確信する。

 突然だが何十年も前に中学校の卒業式で歌った「緑萌えいで」は今でもおぼえている。
「緑萌えいで 花は近く 学びの窓に 春は帰る」
短い歌詞であるが旅たつ思いがつまっている。そんなことを思いながら練習を見守った。

 廊下にはミニ生け花が並べられている。シャッターを押した。桜、桃、パンジー、カーネーション、あとは知らない・・・。
 色とりどりの花が生徒諸君の感性でいけられている。
 春が帰ってくるのだ。

     卒業の歌に心をこめ練習
         空に吸われし子らの歌声


最近気になる野球の話題
 WBC。実はあまり関心はない。しかし、マスコミの騒ぎようが気になる。メジャーリーグの覚めた対応があるからなおさらだ。メジャーリーグの考え方「一年間を通したリーグ戦が大切である」ということが正解だとボクは思う。
 今、ありったけ持ち上げておいて負けたときには北京五輪のようにスーッとひくんだろうなぁ。
 やはり騒ぎ過ぎだよなぁ。静岡の友だちから電話があった。
「WBCは勝てないだろう!」
同感である。勝ち負けを超えた野球の楽しみなら良いが・・・。

ところで申し訳ない。
さっき気づいたのだが3日前のブログ「フェアプレーの道のり」で「刈穂酒造」と書いたのは「福乃友酒造」の勘違い。まったくなんてこったです。


今日のブログはこれにて終了。さぁ、お茶でも。

       

タラの芽を見て想い出す


タラの芽
 先日、宮城からの帰り道。東北道の北上相去サービスエリアで休憩。売店を見ていたらタラの芽を数本を水耕栽培したパックを売っていた。写真がそれである。高さ25僂曚鼻
 フーン、これも売り物になるんだと思いながら購入。700円也。物好きですねぇ。これが高いか安いかはいろいろあるんだろうが・・・。

 居間のテーブルに置いてたら少しずつ芽が出てきた。

 で、今朝の話。仕事に出る前に「めざましテレビ」を見ていた。すると山形で名産のタラの木の「駒」を売り出していると紹介していた。これも水耕栽培だった。全国放送である。
 相去で買ってきたものは写真の通り枝の先を切り取ったもの。山形で売っているものはタラの木の両切りタイプである。だから芽は木の皮から出ていた。
 どう考えても岩手産のタラの木が何回か多く芽の収穫が出来る。はず。どうでも良いけど我田引水。

 子どもの頃。冬の遊びはスキー。それも長靴にしばりつけたスキー。滑走面には仏壇にあるロウソクをコリコリとぬる。ロウソクのないヤツはクレヨンをぬる。それでもダメな場合は仕方なしにそのままで裏山に行く。
 そしてスキーで雪を踏みしめてバーンを作る。バーンと言ってもスキー板の長さ分だけ横に踏むか、八の字に山に登って踏んで一本道をつける。その時に邪魔なのがタラの木だった。あちこちにニョッキリと立っているしトゲはあるし嫌な木だ。変に折ると白っぽい樹液が出てくる。

 それでも雪山に頂上から下界に向けて一本道ができると真っ直ぐに滑り降りる。どれだけ長い距離を滑ってゆくかの競争をしていた。今のスキーのようにウエデルンでグニャグニャ曲げる技術もなければスキー道具もない。とにかく山のてっぺんから真っ直ぐ滑り降りるだけだ。ビューンと耳をかすめる風の音を聞きながらスピードに負けまいとしていた。転がると雪だるまになる。そしてたまにはタラの木に触ったりする。トゲが痛い。
 滑走面に何もぬっていないヤツは滑らない。いや滑ることができない。滑走面に我々は「ボッコ」と呼ぶ雪の「かたまり」がベタッとついてしまうのだ。ただモッタモッタと歩いてるだけだ。それでも楽しかった。

 さて、ここからは推測である。当時、南外の住人はタラの芽なんかは誰も食べなかったと思う。100%誰も食べていなかったはずだ。それが今では春の高級食材だ。村中のタラの木はすべて先端部分がもぎ取られていると言っても過言ではない。

 それが商品化されて売り出されている。時代も変わったなぁ。買ってくるボクもボクだが・・・。テーブルの上の芽も出てきた。そろそろテンプラかな。

 と、まぁ昔のことを思い出すこともできたのだから700円は安い買い物でしょう。

    タラの芽の生長みつめほくそ笑む
        明日はテンプラ次は酢の物


取らぬ狸の皮算用です。本日のブログはこれにて終了。
      

ナベは良いけどセンスがねぇ??


ナベを買った
 先日、秋田市に行く途中で昼食にしようと思った。いつものドライブインに入ろうとすると様子が違う。
 ドライブインの建物は残っているが看板がつけ変わっている。不況の影響はこんな所まで来ているのだ。
 看板を確認したら一軒が二軒になっている。ラーメン屋と厨房工房(うろおぼえであるが厨房だけは正しい)だったかと思う。仕方がないのでラーメン屋に入って「お勧め」のラーメンを食べた。少し辛くて正直言ってイマイチだった。
 さて、本題はこれからだ。ラーメンを食べてから厨房工房に入ってみた。ここは中古の厨房用品が所狭しと置かれている。おそらく、あちこちの倒産したり店をたたんだりした食堂などから運び込んだ用品だろう。
 実は長い間寸胴ナベを探していた。ナベッこ遠足に使うような直径の大きなナベはある。しかし、直径がそれほど大きくなく背の高いナベはない。色々な煮物をするときに欲しいなぁと思っていた。
 店をブラブラしていたら手頃な寸胴ナベがありました。直径が28儿發気26册杷効率が良さそうだ。値段を見たら4,200円也。
「これが欲しいんですけど」
すると店のオヤジさんが
「何に使うんですか」
「まぁ、色々ですがジャムなどにも」
「ほほー」
そしてジャム作りの話を2~3分。オヤジさんは4,000円におまけしてくれた。
 で、早速ジャムを作ってみた。当然、材料の入る量が違う。普通に作るにはまったく問題ない。さらに熱効率がよいためか、できあがりの時間が短縮された。
 そんなわけでナベを買ったどー。今日の写真はナベと出来上がったリンゴジャム。

 ところで15700円でこれよりも二回り大きい寸胴ナベもあった。あれだったらニワトリの燻製を作るときにニワトリ10羽くらいのボイル用に良いなぁと思ってきた。しかし、お金が・・・。

     良いナベを備えることで腕前が
        上がるはずだがセンスがないなぁ。
       

本日のブログはこれにて終了です。右の白目部分に充血。早めに治さなければ。

フェアプレーへの道のり


蔵見学のシーズンだろうか
 今のシーズンあちこちの酒造会社で酒蔵を開放の行事がある。先日は南外の出羽鶴でもあったようだ。酒蔵開放は3月におこなわれている「酒遊サミット」という催しだけかと思っていた。そうしたら先週の土曜日午前中に出羽鶴のを通ったらたくさんの車が駐まっていた。この日が酒蔵の開放日だろうなぁと思った。もっと情報を仕入れるアンテナを高くしておかなくては。
 で、本日の写真は神岡町にある福乃友酒造の看板である。神宮寺駅に向かう交叉点に位置している。たいていは信号待ちでとめられるのだが、運良く信号の一番前になったときにシャッターを押した。


マナー・フェアプレイへの道
 友人からメールがあった。内容は、昨日の毎日新聞「余録」に野球についておもしろい内容がありますとのこと。
 早速、チェックしてみた。すると1月14日と2月14日にボクもブログにも書いた「ミットを動かすな」という内容についてである。
 さすがプロの文章。過不足なく述べたいことをきっちりと書いている。しかもキメの台詞がいい。このコラムの情報に感謝感謝。文章を勉強するためにも全文コピーしておきたい。

   2009年2月22日毎日新聞『余録』より

「ミットを動かすな」。国内の野球規則の総元締め、日本アマチュア野球規則委員会は今年からユニークなキャンペーンを姶めた。高校、大学、社会人などのアマチュア各団体に呼びかけている
▲投球を受けた捕手がストライクと見せかけるため、ストライクゾーンの内側にさっとミットを動かす。プロ野球中継などで日常的に見慣れた光景だが、球審の目をごまかそうという意図があることは確かだ。この小さな「不正」を擁除しようというのが狙いだ
▲ミットを動かすだけではない。「これがなぜボールなのか」と審判に抗議するように、ミットを構えたまま動かない捕手も少なくない。審判の目をだますのも「捕手の技術の内」と、子どものころから教え込まれた選手もいるそうだ。指導者の側の意識改革も必要なのだろう
▲麻生紘二委員長によると、捕手による不正な「ストライク工作」は日本野球に特有の傾向だという。五輸をはじめとする国際大会に参加した日本人蕃判は同僚の外国人審判から「まだ日本のキャッチャーがおかしな動きをしている」と苦情を言われ、肩身の狭い思いをしているそうだ
▲野球が国際化し、単なる勝ち負けだけでなく、選手のマナーも比較される時代になった。アジアの代表を自負してきた日本野球が実はアンフェアなプレーの巣のように見られているとしたら、これほど残念なことはない。キャンペーンはアマチュアが対象だが、影響の大きいプロにこそ必要な改革だ
▲フェアプレーが求められるのは、スポーツの世界だけではない.国民の審判の目を避け、ミットを動かし続ける政権があれば、国内でも海外でも信頼は得られまい。

   フェアプレー
      何にもまして尊きと
         言うは易く行うは難し

 ボクの視点は野球に関してのアンフェアに一つは「やり得」だったが「逃げ得」という視点もあったのかと気づかせられる。


本日のブログこれにて終了。さぁ、番茶でも一服。

自分には何ができるのか


小林多喜二祭にて
 先日1枚のハガキが届いた。昔、組合でお世話になった先生からだ。「第44回小林多喜二祭」に来ませんかという内容だった。

 少し記憶があいまいになっているし古いブログのログを探すのも大変だが「蟹工船」について書いたような気がする。
 小林多喜二は「蟹工船」の作者だ。秋田県大館出身の作家。76年前の1933年2月20日に殺された。

 昨年「蟹工船」が大ブレークした。若者の間ですごく読まれたとのこと。まぁボクも初めて文庫本を読んだ。厳しい労働環境の中でストライキを組織することなどが書かれている。その中で労働者達の葛藤があり弾圧があり勝利がありの小説だった。
 今の労働者が苦しい状況が続く時代だから読まれているのかもしれない。

    闘いを挑み続けて殺された
      多喜二のあとを少し追いかけ    


 秋田市に行き会場で合唱を聴き(写真)、作品「蟹工船」の朗読を聴き、小林多喜二賞の授賞式を見た。メインは碓田のぼるさんの「いまに生きる小林多喜二」の講演だったがルーリン彗星の魅力に負けて聴かずに帰ってしまった。

 会場で旧友に再会した。彼に高石友也と岡林信康の二つの曲のことを質問された。高石友也の「チューインガム一つ」、岡林信康の「チューリップのアップリケ」である。大丈夫どちらの曲も何とかなると話した。とりあえず「チューインガム一つ」の歌詞を発見。小学校3年生の詩に高石友也が曲をつけた。長くなるがブログに引用させてもらおう。ボクが子どもからこんな告白をされたら教師としてどんなことを言えるだろう。教師の本質を問われる。

      「チューインガム一つ」

せんせい おこらんとって せんせい おこらんとってね

わたしものすごく わるいことした

わたし おみせやさんの チューインガム とってん

一年生の子とふたりで  チューインガム とってしもてん

すぐみつかってしもた

きっとかみさまが おばさんにしらせたんや

わたし ものもいわれへんかった

からだが おもちゃみたいに カタカタふるえるねん

わたしが一年生の子に「取り」いうてん

一年生の子が「あんたも取り」いうたけど

わたしはみつかったらいややから いややいうた

一年生の子が取った でもわたしがわるい

その子の百倍も千倍もわるい

わるい わるい わたしがわるい

おかあちゃんにみつからへんとおもうとったのに

やっぱりすぐにみつかった

あんなこわいおかあちゃんのかお 見たことがない

あんなかなしそうな おかあちゃんのかお 見たことがない

死ぬくらいたたかれて こんな子うちの子とちがう 出ていき

おかあちゃんは泣きながら そないゆうねん

わたしひとりで出て行ってん いつも行くこうえんに行ったら

よその国へ行ったみたいな気がしたよ ねえせんせい

どこかへ行ってしまおうとおもた

でもなんぼあるいても どこへも行くところあらへん

あしばっかりふるえてくる

なんにもかんがえられへん おそうにおうちへかえって

さかなみたいに おかあちゃんに あやまってんけど

おかあちゃんはわたしの顔をみて 泣いてばかりいる

わたしはどうして あんなわるいことしたんやろ

もう二日もたっているのに

おかあちゃんは まださみしそうに泣いている

せんせい どないしよう どないしよう


そんなわけで今日は宮城から帰南外。お茶でも飲んで一休みだ。

健やかな成長を


折り紙独楽
 昨夜は友人と一杯。彼は三姉妹の父親。オヤジ達が飲んでいる間に子供たちは

絵本を読んだりジグソーパズルをやったりと退屈をしのいでいる。気の毒なことだ。

7~8年前のこと、一番の上の姉ちゃんがボクに最初に話した言葉が忘れられない。
「ブーしゃん」
その場に居合わせた彼女の両親やボクたちは一同
「???」
その意味を瞬時に解読したのはお母さんだ。
「そうだぁ!!私が先生のことを部長さん部長さんと呼んでいるからブーしゃんに

なったんだ」
さすが。
 今でも彼の家族と三姉妹の間でボクはブーしゃんなのだ。

 その子たちが酒飲みを横目に見ながら折り紙を始めた。その完成品が写真であ

る。ありがたくいただいた。テーブルの上で回すとクルクルと回ってくれる。色

が混ぜ合わされてとてもきれいだ。

     折り紙の独楽まわして色変化
           みな健やかに育てと祈る

今、宮城県に来ています。ルーリン彗星が見えるかなぁと思ってきた。しかし高速道路が築館-大和インター間が猛吹雪のために通行止め。さきほどとりあえず双眼鏡で空を眺めたら星が10個ほどしか見えない。ダメだこりゃァ。ビールです。
これにて短いですがブログ終了。 

アンテナ高く全力で


今日の飾り窓
 今朝がたまで少しずつ降り続いた雪が昼頃から雨にかわった。山下達郎のヒット曲クリスマス・イブは「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」と歌い上げる。しかし、今日は反対。雪は昼過ぎ頃に雨へと変わってしまった。

 まだ雪が降り続いていた午前中に職場の別な階段側にある飾り窓から見た雪が降っている景色である。
 シャッタースピードなどを高速にして雪を止めて写すのかもしれないがオール自動で写してしまう。まだまだ初心者だ。
 と、ここまで書いているうちに秋田県地方には暴風雪波浪警報が発令になった。どれだけ荒れることやら。

    雨と雪
      冬と春とのせめぎあい
         光が戻り春に軍配


アンテナを高く全力で
 少し前の朝日新聞に建築家の安藤忠雄氏がトレーニングに取り組んでいることについてのコラムがあった。

 工業高校に勤務するまで安藤さんの名前を知らなかった。
 ある年、建築科の卒業生が大学に進学し課題として安藤忠雄さんの業績を調べることを与えられたとのこと。そこで彼は母校に帰って手っ取り早く情報を仕入れる手段に出た。それはよろしい。その時に安藤忠雄という名前を初めて知った。有名な建築家であることもわかった。昨今は秋田県立美術館の設計を依頼しているとの話も聞こえてくる。

 さて、その安藤さんが仕事を続ける原点を次のように語っている。
「若い人が作る新しい建築を見ると、どきっとして不安になる。これが仕事を続ける原点です」
 不安は刺激になり、現状に安住しない緊張感を生む。建築の仕事は短くて3年、長ければ10年以上の仕事になる。その間を緊張感を持続しなければならない。そのために安藤さんはトレーニングをしていると言う。

 安藤さんは負けず嫌いとのこと。今も昔も「競争に負けたくない」というシンプルな思いを持っている。だから負けないためにトレーニングを続け、世の中の情報に絶えずアンテナを張る。
 次の言葉に勇気をおぼえる。
「大きい仕事や賞をとることを目標にすると、それを達成したら安心してしまう。私は常に全力で走っていたいし、青春を生きたいと思っているわけです」

 と、まぁここまで読んで自分を振り返ると最近「どきっ」とすることがあるだろうか。ないなぁ。でも若い人たちに刺激を受けていることは確かだ。そしてできれば全力で取り組む気持は大切にしたい。そして、アマチュア無線のアンテナは現在つないでいないが精神的なアンテナは常に高く上げて感度を鋭くしたい。
 だけど、基本的にボクは三日坊主だし・・・・。気持だけにしておこうかな。

今宵は旧友たちと一杯。楽しみ楽しみ。これにてブログ終了です。

メタメタになる前に


雪は一段落
 気温は低く、冷え込んだが雪は一段落。以前のブログにも書いたが職場の階段に飾り窓がある。1カ所、角館の町を望む方向にあるお寺の屋根がピタッとおさまる構図の窓がある。雪の晴れ間を利用してシャッターを切ってみた。

 あるプロ写真家のブログを見ていたらチェコのプラハに行って冬のモノクロ風景を撮るのが楽しみと書いていた。
 ボクにとっては白黒しかない風景はおもしろみがないなぁと思っていた。しかし考え直さなければと思った。そんなわけで額縁に入ったような飾り窓の中の景色である。

      モノクロに奥深さあり風情あり
           だけど悩まし片想いに似る


メンタル再び
 去る2月6日に行われた春高バレー秋田県大会の1回戦角館南対秋田北の試合のビデオを見ることができた。
 試合結果は角館南が19-25、17-25で敗退。
 ビデオで試合を見た感想を書いておきたい。

 点差ほどお互いのチーム選手個々のバレー技術の差は無かったように感じる。勝敗を大きく左右したのはメンタル面ではないかと感じた。

 まず、1セット目の展開は次の通り。試合開始から角南のリズムが良く秋田北の堅さが目立った。そのために序盤の一進一退の試合展開から11-6と角南が抜け出した。
 ここから角南チームのサーブミスなどでジワリジワリと追いつかれてきた。それでも17-16までは何とか持ちこたえていた。
 しかし、試合を決めるような大事な場面で二度三度とサーブミスや守備に穴が開いたりした。結局は秋田北に20点をとられた段階でミス連発で1セット目を失った。
 2セット目は角南チームは0-11まで連続失点。そこから何とかふんばって17-25まで盛り返したと言える展開だった。

 この試合をボクは素人であるがメンタル的に考えてみる。1セット目と2セット目では選手達のメンタルのあり方が少し違うと考えたい。
 まず1セット目はリードした段階で「勝てるかもしれない」と心の動揺があったと思われる。この現象は全県新人戦の時に雄物川に敗れた時にも見られた。得点を挙げたり失ったりするたびに心の中で「勝ち負けが行ったり来たりする現象」が起きているのではないだろうか。特に大量リードしたときに「勝てる」と安心するのではないだろうか。その心の動きや気持ちはわかる。安心したいのだ。だが25点のゴールに到達するまでは「1点1点の積み重ねであること」に集中すべきだ。そして、結果として25点に到達できれば良い。その辺の一喜一憂しない強い精神構造が必要になると思う。極端に言えば何点リードかビハインドかは監督やベンチだけが見ていればよいとも言える。

 次に2セット目だ。バレーは流れのゲームと言われる。この辺は野球にとてもよく似ている。自分たちの悪い流れを断ち切るチーム全体としてのメンタルの強さが必要である。0-11になるまでに流れを断ち切れる力が必要だ。それには「ゲームの中で会話のできるチーム」になりたい。全員がパニックになってメタメタと相手にやられっぱなしになる状況が改善できるチームが理想だ。
 野球は投手が投球してゲームが始まると同じようにバレーもサーブを打ち込んで攻防が始まる。「間」のゲームと言える。その投球やサーブまでの「間」何秒かにチームとしての気持ちを切り替えるのが会話なのだ。アイコンタクトも良いかもしれない。

 2セット目に関して言えば大量リードされてから「開き直り」とでも言える状態になった。その開き直りこそ「1点1点の積み重ね」の原点ではなかったのかなぁと思う。
 さらに秋田北にも大量リードの罠から7-19から17-25まで反撃されるスキがあった。そのことからも、どのチームも紙一重の実力差である。つまりメタメタになる前に気付くチームは強くなるってことだ。

 まぁ、負けはしたが収穫のあるゲームだったとも感じる。大会前にメンタルの講義を受けたことは役立ったはずだ。これからもっとメンタル面を強化してインターハイを目指してもらいたい。
 がんばれバレーボール少女達よ。

今日のブログはこれにて。連続、休肝日にしようかな。
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