十五の心は分岐点


手紙
 昨年12月19日のブログに「心豊かに歌声が」と題して3年生全員で合唱を披露したことを書いた。その歌はアンジェラ・アキ作詞作曲の「手紙」だった。
 書道の先生がその「手紙」の歌詞を「手紙」にして表装し美術展に展示したとのこと。
 本日、その展示した作品が返ってきた。そこで先生にお願いして写真を一枚撮影させてもらうことに。
 十五の自分に当てて書いた手紙である。こんな素敵な手紙をもらえたらうれしいだろうなぁ。歌詞の最後を少々。

 ♪ああ負けないで泣かないで消えてしまいそうな時は
  自分の声を信じ歩けばいいの
  いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
  笑顔を見せて今を生きてゆこう
  拝啓この手紙読んでいるあなたが
   幸せな事を願います

 自分は15歳の頃に何を考えていたんだろう。高校1年生だったことは確かだ。1クラス55名の中に埋もれていたような気がする。女子42名男子13名のクラスだった。これは鮮明に記憶している。女子校が男子校に変わって十数年しか経っていない頃だ。

 そして今、幸せなんだろうか。いつまでも十五の戸惑いや悩みを引きずっているような気がする。
 十五と言えば我が第2の故郷である盛岡城址にあった石川啄木の歌碑「十五の心」を思い出す。
      不来方のお城の草に寝ころびて
            空に吸われし十五の心

 十五歳。分岐点なんだろうなぁ。


昨日の「犬を食う」の続き
 昨日のブログ結局2000字オーバーで「犬を食う」について書いた部分をカットした。その部分を少々書いておきたい。

 犬を食うことに「エーッ!?」と言うのは認識不足だなぁとボクは思った。南外ではつい最近(と、言っても30年ほど前だけど)犬を食うことは普通だった。次のような話は当たり前にあった。

昨日まで
「シロ、シロ」と子どもたちが可愛がっていた犬が突然行方不明。不思議に思った子どもたちが
「シロ、シロ、どこさ行(え)った。おがしーなー」
と探している。どころが父さん達は
「ガン(ばらしてしまったこと)とやったでな。昨日の肉は犬の肉だ」
と、話していることが良くあったのだ。

 弥生時代からの伝統を正しく引き継いでいたことが今日ようやく明らかになった。ウーム。

     シロシロと消えた飼い犬呼んでる子
         すでにみんなの血と肉になり


本日のブログは残酷な最後で終了。こんな残酷さはたいしたことない。もっとひどいことが身の回りで起きている。なんてこった。

        
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