目立ちたいだけの野球はダメだ


あらためて金屋交差点
 南外村を通る国道105号線と県道との交差点である。
 昨夕の猛吹雪もおさまり、今朝は穏やかにマイナス7℃くらいまでキンキンに冷えた朝だった。通勤途中、金屋交差点の赤信号でとまった時に神岡方面に向かってシャッターを押した。

 この交差点の向かって右側には今は閉店しているが売り酒屋があった。その家でボクは生まれた。しかし、小学校に入学する前にボクの家族はこの交叉点の場所から現在地に移った。つまり、跡継ぎはボクの母親の予定だったが「なし」になったのだ。婿入りした父があまりの酒乱で店の酒を飲み尽くされてしまう恐れがあったので独立させられたのだ。時が時なら今頃ボクは酒屋のオヤジだったかもしれない。

 高校の頃。夏場はバスで通学していた。冬は雪で道路が閉ざされるので下宿生活だった。
 通学のバス停が金屋交叉点にあった。下駄をカランコロンと鳴らしながら朝夕バス停に向かった。
 この頃はバスガイドいた。いや、バスガイドとは言わずにバスの車掌だった。お客さんのために切符を切ったりして車内で販売いた。大好きな車掌さんがいて毎日毎日バスに乗って彼女の乗車勤務するバスに乗って学校に通うのが楽しかった。
 朝、少しバスの発車時間に遅れてしまっても彼女が運転手さんにお願いしてバスを止めて待っていてくれたこともあった。古き良き時代だ。
 今は亡き石原裕次郎が歌う「夕陽の丘」の主題歌に次の歌詞があった。

   1.夕陽の丘のふもと行く
     バスの車掌の襟ぼくろ
     わかれた人に生き写し
     なごりが辛いたびごころ


 まぁ、そんな想い出もある金屋交差点。今ではすっかり様変わりしている。

    思い出の金屋十字路
      大好きな車掌乗ってるバスで通学


髪の毛じゃない、野球で目立てばよい
 先月末に仙台に行ったことはブログにも書いた。その時に駅の本屋によったら、さすがフランチャイズだ。楽天の野村監督の本がたくさん積まれていた。その中から『野村再生工場』角川oneテーマ21新書を買った。
 2~3日前に分厚い小説を一冊ようやく読み終えたので、この新書版を手にとってパラパラと読んでみた。次の箇所が目についた。

 楽天の田中将大投手について野村克也監督は次のように書いている。
 『田中投手に促したいのは人間としての成長である。指導の根底にある信念は「人間的成長なくして技術的成長なし」である。野球選手である前にひとりの人間であり、社会人なのだという自覚と認識をもたなければチームの鑑たりえない。
 田中に対しては細かいことを言わなかった。しかし、一度だけ厳しく叱ったことがあった。1年目の開幕直前の話だ。
 田中がモヒカンのような頭で現れたことがある。そのとき私は即座にもとどおりにするよう命じた。モヒカンにしろ、茶髪にしろ、ヒゲにしろ、それらは自己顕示欲の表れである。要するに「目立ちたい」のである。
 野球選手は野球で目立てばよろしい。真剣に野球に取り組んでいるのなら、そんなことはしないし、考えないはずだ。言い換えれば、髪の毛をいじるという行為は精神のバランスが崩れていることを意味するのである。それでは満足なプレーができるわけないし、ほかの選手のいい手本にならない。エースとして認めるわけにはいかないのである。』

 これを読んで野村監督の言う「プロ野球や社会人」を「高校野球や学校生活」に置き換えれば、そのままあてはまる。
 学校生活を中心にしっかりしようと取り組みをしている(してきた)指導者たちのチームは確実に良くなっていることも事実である。

 野球ばかりやっていれば良い。というスタンスの指導者も確かにいる。しかし、それは邪道だ。

 前にもブログに書いたかもしれないが、3年ばかり前に高野連が異例の通達を出した。異例だからよほどのことがあったのだ。それは「眉毛をそるな茶髪にするな」である。野村監督の言い方を借りれば眉毛をいじったりする行為は精神のバランスが崩れていることを意味するし、満足なプレーができるわけがないってことになる。
 若き指導者たちにぜひともがんばってもらいたい。

 この新書版はおもしろく役にたつ野球ネタがいっぱい詰まっている。


昨日の猛烈な地吹雪もおさまった。ブログはこれにて終了。さぁ、お茶を一服。
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