元気の出る教育論


春が来た

 気温が10℃を超えるとポカポカと気持ちが良い。車の中もエアコンを作動させようと思うくらいだ。なんとわがままな自分なんだ。
 グラウンドを見るとソフトボール部が練習試合をやっている。昨日のブログにも書いたがいよいよアウトドアのスポーツもシーズンインだ。

一人の部員に聞いてみた。
「試合をやったの?」
「ハイ」
「どこのチームと?」
「N高です」
「結果はどうだったの」
と、聞いたら照れくさそうに
「19-0です」
負けたそうだ。いいんだそれで。ここからスタートなのだ。と、ボクは話した。あきらめることはない。ようやく外で一つ一つのプレーを練習できるようになったのだ。これからミスしたことを詰めてゆけばよい。がんばれ少女たちよ。

    グランドに仲間励ます声聞こゆ
       シーズンインだワクワクするねぇ


街場の教育論

 内田樹氏著の『街場の教育論 ミシマ社刊』がおもしろかった。正直言って難しい言葉がたくさん出てくるのでギクシャクギクシャクしながら読んだ。だが、おもしろい。率直な教育論が痛快である。簡単に一部を要約しておこう。

 内田さんは教育は惰性の強い制度であると分析している。小手先の制度を変えて簡単に教育は動くはずがないと言う。
 教育を改革することは学校への信頼と、教師たちの知的・情緒的資質への信頼を維持しつつ(そこには生徒や学生も存在する)、それと並行して「学校制度の信頼するに足らざる点、教師たちの知的・情緒的な問題点」を吟味することになる。つまり本格的に教育改革をやろうとすれば教育の中身を全部新品と取り替えることになる。これは間違いなく無理な話。
 だから「教育改革」を声高に言う人たちは施策に失敗しても何も責任を取らなくてもいい。これが教育改革の中身である。と、内田氏は説く。

 教育は入力から出力までのあいだに時間がかかる。それはそこを行き交うものが商品やサービスではなく「人間」だからです。と、言う。
 だから教員や学校を評価する「評価制度や成果主義」ほど教育になじまないものはない。それは「人間」を扱うものだからだ。

 読み応えのある本である。「あとがき」に、この本は内田樹さんが大学院で講義した内容を加筆したものである。読者として念頭においていたのは「学校の先生」だっと書いている。「学校の先生が元気になるような本」を書こうと決めていたと言います。
 確かに元気が出る。「大丈夫だよ。心配しなくてもがんばれるよ」と励ましてもらった気がした。
 この本を「あの人」にぜひとも読ませたいなぁ。


ゴタンチ

 何だかヘンテコな言葉だ。
 北朝鮮が打ち上げるという人工衛星(テポドンと言う声もあるが)が発射されたことを探知したと政府が全国に情報を連絡したらしい。
 これが間違っていた。あわててすぐに全国に「間違っていた」と連絡。それが「誤探知」だ。アリャリャである。
 まったく人騒がせな。
 北朝鮮の「飛翔体」はもっと人騒がせな実験である。でも、何となく騒いでいることを楽しんでいるような雰囲気もあるのだが・・・。
昼に食堂に寄ったらオヤジさんがニコニコと話しかける
「テポドン発射されましたかねぇ」
万が一落ちてきても対応のしようがないから諦めるしかない。だから明るいかもしれない。ボクは答えた。
「わがらねー」


これにて本日のブログは終わり。

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