今さらだが市町村合併とは
おめかしゴリ
今朝、仕事に出る前水槽をのぞいたら1匹のゴリが目一杯にヒレを広げている。腹にも黒っぽい地肌に黄色の縞が出ている。そして背ビレは風をいっぱいにはらんだ帆のように広げている。写真では大きさがわからないけれどおよそ3.5僂曚匹梁腓さだ。
春になったので婚姻色になったかなと思ったのだがよくわからない。いずれにしても「おめかしゴリ」だ。秋田弁で言えば「おじまげゴリ」だべな。なかなか可愛い(めんこい)でしょう!!
。友人から譲っていただいたゴリであるが体の大きくなったゴリから少しずつ死んでしまって水槽から消えてゆく。
精一杯おめかししてるゴリを見て
元気でいろよ仕事にゆくぜ
合併の功罪、常に検証を
少し古い話になってピンぼけで申し訳ないが、どうしても書いておきたい。
4月13日のブログで知事選について簡単に書いた。内容は「新知事には平成の大合併によって小さな村が陥っていることに目を向けてもらいたい」なぁという願望だった。続きについて書いておこう。
ブログに書いた次の日(14日)の秋田魁新聞に「合併の功罪、常に検証を」として社説を掲載した。魁新聞の前向きな論調だったと思った。これをブログで取り上げようと考えたが飲んだくれたりカゼをひいたりで今になった。
社説には知事選当選者よりも七市町選の自治体の首長へ向けてのアピール内容である。
本来ならば社説全文をコピーすべきで都合の良い部分を「つまみ食い」するのは恐縮だが少しピックアップしてみる。
『合併の仕方も一様ではないが、「合併の功罪」への評価もさまざまだ。行政が遠くなった。合併後ちょくちよくそんな話を耳にするようになった。多くの住民が抱く素朴な実感が案外、「新生自治体」の内実を言い当てていそうである。』
また、次の内容にも目が止まった。
『何より「効率化」を求めた結果、「ぬくもり」が失われつつあるということはないか。従来行き届いていた神経が合併で体が大きくなった分、届きにくくなっているとすれば、早急に改善しなければならない。』
さらに
『旧市中心部と新市周辺部の「格差」という問題にも通じる。事業投資が中心部に手厚く、周辺部に薄いという傾向は、日本の都市圏と地方という構図にそっくりで、是正が求められるのは今さら言うまでもない。』
社説の最後がすべてを語る。
『温かな行政の手を差し伸べつつ、財政難も克服していくのは容易な道ではない。しかし、やり遂げなければ、合併市町村は、何のための合併だったのかと根本的な疑問を何度も突きつけられることになる。』
ボクは今でもこの平成の大合併には反対である。しかし、今さらどうしようもない。民主主義である多数決で決めたことには従うことは当然だ。より良い方向はどうあるべきかを考えなくてはならないだろう。
極端な効率化や地域の評価などを取り入れれば取り入れるほど、ぎくしゃくして「ぬくもり」はなくなる。これは教育に似ているとボクは思っている。自治体も教育も「ひと」との関わりで動く。「物体や工業製品」を作りだしていないからである。
なんだか最後は「わけ」がわからなくなった。まぁ、良い地域を作ろうぜ。と思っているんですけど。
これにて本日のブログ終了。体調が戻ってきた。ビールでも。