キュウリの花


すべての作物には花が(2)

 大学生の頃だ。その頃に流行っていたのが日に焼けた「黒い肌」だった。男らしいと思っていた。今、考えると皮膚ガンになるんじゃないのと思うけどね。それはともかくとしてボクは生っちろい白い白い皮膚である。男にはもったいないほどの色白肌と言われるくらいだ。だから夏になると色白の肌が恥ずかしく速く日焼けをして川や海に行きたかった。

 そんなことを考えて夏休みになってすぐに近所の川に水浴びに出かけた。その頃の川はきれいな水が流れている。きれいな川だった。水もきれいだしカジカも棲んでいる清流だった。当然、地元の子どもたちも川遊びに集まる。
 川の水を水田のために有効に理由するので川の途中をせき止め田圃に流すように「揚げ」とよばれる大きな建造物があった。コンクリートで作られ春から夏にかけて農繁期にせき止められる。この揚げの上流が広いプール状になっていた。もちろんこの場所が子どもたちの水泳場所になる。

 揚げは川幅一杯に作られているので上部は平らな休み場所のようになっていた。そこでボクら子どもたちは夏の一日少し泳いでは甲羅干しをした。
 ボクは川に行った最初の日に速く日焼けをしたいために甲羅干しばかりではなく腹も真夏の太陽に向けて焼いた。それも朝から晩まで・・・。

 その夜は地獄だった。パンツの部分以外の皮膚は見るも無惨に真っ赤になった。あまりの痛さに風呂にも入れず布団の上に寝ることもできない。背中も腹も日焼けしているので寝返りもできないのだ。七転八倒するわけにもゆかず、うなっているばかりだ。

 後先考えない行動は今でも変わらない・このころからものすごく馬鹿だった。常に後悔の連続。自己嫌悪になっているときに母がキュウリを輪切りにして持ってきてくれた。食べさせるかなと思ったら
「ホレッ、ヒナガ(背中)出せ。ソゴサ寝れ」
「腹も日に焼げでイデー」
「オメ、ワリべ。我慢へ」
腹ばいになった背中にキュウリを貼ってくれた。ヒヤーッとして気持ちが良かった。ある程度の時間が経過するとキュウリの効き目もなくなった。次は自分で腹の方に貼った。

 そんな思い出がよみがえる。今日の写真はキュウリの花だ。この黄色の花から日焼けを抑える(食べるよりもこっちの方が印象深い)キュウリができるのだ。
 あの頃はオフクロの気づかいにありがとうと言えなかった。今まで口に出して言えなかった。しかし、今ならば
「アリガデガッタナァ」
と、書くことができる。

    今ならば言える言葉だありがとう
        キュウリを貼った母への想い


軟式高校野球北東北代表の秋田商

 今朝の魁新聞に佐川監督の談話が載っていた。
「この優勝は(全国大会出場という)志半ばで卒業したOB、軟式野球に誇りを持って取り組んできたすべてのOBで勝ち取ったもの」

 良いなぁ。この思いは。軟式野球に取り組んできた球児。そして今、必死に取り組んでいる球児たちに贈りたい。


西日本で1ヶ月とか2週間遅れの梅雨明け宣言が出たようだ。秋田は梅雨明け宣言は出ないが暑い。本日のブログはこれにて終了。ビールでもひっかけるかなぁ。
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