老人力とは?
晴れました
まったくなんてこった。今日は愚痴からスタート。昨夜の楽天対日本ハム。楽天は9回裏で4点リード。このまま楽天の勝利で終わると思ったのに。なんと逆転満塁本塁打を打たれて日本ハム劇的な勝利。それはそれですごいなぁと思いますね。もし、日本ハムのファンならこたえられないでしょうねぇ。まぁ、そんなもんですね。勝負って。
で、今日は久しぶりに晴れた。夕方には夕焼け空に三日月(四日月)が浮かんでいた。
今宵は晴れていたらオリオン座流星群を観察してみようかと思っている。しかし、さっき自宅に帰ってオリオン座が出てくる方向には雲があったので少し心配だ。はたして・・・。
野村監督のことば
10月20日付の朝日新聞に西村欣也さんが『ボヤキ聞き続けたい』と題してコラムを書いている。出だしに
「野村克也監督の無念さを思う。」
まったくその通りだ。
今回はそのことではなく、このコラムにもあった野村監督がよく言う「前後裁断」について書いておきたい。この言葉の意味は
「過去も未来も断ち切って、今という瞬間に集中するという意味合いだ」とある。これこそ「今を全力で」の精神なのだ。
そこで思いだしたことがある。以前、読んだ白石豊著の「本番に強くなる 筑摩書房刊」の中にもこの「前後裁断」があった。
道元禅師の著した『正法眼蔵』に書かれているとのことだ。現代語訳があるので少し引用してみたい。
「薪は燃えて灰となるが、燃えた灰が灰に戻ることはない。灰は後、薪は先と見てはならない。薪は薪として、初めから終わりまで薪だ。その前後はあるが、その前後は断ち切れているのだ」
この内容をもう少しわかりやすく解説している。要約してみると次のようになる。
「お釈迦様の教えには、過ぎ去れるを追うことなかれ。いまだ来たらざるを思うことなかれ。過去、それはすでに捨てられたり。未来、それはいまだ到らざるなり。ただ今日、まさになすべきことを、熱心になせ」
つまり「今を全力で」なのだ。
さすが曹洞宗の教えである。
と、言うわけで野村さんを応援しているのだが・・・。
コラムの結びがいいです。
「経験からくる知恵こそが老人力である。できるだけ長く野村監督のボヤキを聞いていたいと思う」
ボクもそう思う。と、ここまで書いて試合の途中経過を見たら楽天が負けている。これで日本ハムにCSの大手をかけられてしまう。仕方がないね。
老人をあなどるなんていけないゼ
力ないけど少しは知恵が
なんだか、いつにも増してハチャメチャな内容になってしまった。ボクの心身状態みたい。少し頭を切り換えないといかんなぁ。と、言うわけで本日のブログはこれにて。