寒スズメ


今日の空

 昨夜は秋田市のe-Hotel宿泊。若干、宿酔い気味の頭を抱えて9階の部屋から外を見ると良い天気である。1枚遠くの山と空を1枚。その後大浴場にて朝風呂。


三味線

 昨夜は川反で飲んでいた。楽しい飲みの一夜だった。その会場に出前の民謡一行が来訪。ぜひともミニ民謡ショーをやってもらいたいとのこと。三味線の男性一人。歌手の女性が二人。
 その三味線の方を見て「アレッ」と思った。どこかで見た人だ。そうだ、1月9日に中仙ドンパルでおこなわれた高校生の高校生による民謡ショー「響爽(ひびき)」に助っ人で出演してくださった三味線の方である。
 先日、DVDで拝見した、このショーは三時間に及ぶ壮大なショーだった。その時の三味線ショーで登場した方なのだ。

 昨夜は20分ほどの民謡ショーを。民謡は日本人の心や秋田県民の気持ちをつかんでいるなぁと思った。
 三味線の伴奏がサブのメロディーを奏でる。ジャズの感覚だなと感じた部分もある。

  象牙バチ猫の皮打ち弦はじくベンベンベンと音はT-REX


打ち合わせ

 今日、卒業記念のクラスDVDの製作についての打ち合わせをした。秋田市の喫茶店「陶」という場所でおこなった。ボクの母さん(と、言うことにしているのだが・・・)のクラスが3年生の卒業生をだす。その記念のDVDを我がHi-Rock Co.Ltdで作ることにしたのだ。そのデータなどを受け取り内容について話し合った。

 さて、その喫茶店は2階にある。窓の外側にはバードフィーダーがあった。スズメが群がっている。寒スズメである。窓越しに撮影。



と、言うわけで本日のブログはこれにて終了。

体育館の床には・・・


重い雪

 昨夜は一晩中、屋根から積もった雪の上にボトッボトッと何か重い物体が落ちる音がしていた。

 外気温が少し高いと湿った重い雪はある程度積もるとトタン屋根を滑り落ちる。その音である。

 今朝、外を見ると数僂慮気納召辰真契磴積もっている。湿った雪は着雪しやすくなる。山の木々を見ると久しぶりに雪で白く化粧している。

 上の写真はその着雪した木と空を撮影したつもりだったが・・・。角館に向かったら湿った雪の厚さが増えていった。10僂歪兇┐討い襪世蹐ΑF始はシャーベット状になっている。


大物、鴻クン

 下の写真を見てください。床の上に寝ているのは鴻クンである。ところがこの床の場所がハンパではない。体育館である。しかも、その横ではバレーボール少女たちがサーキットトレーニングをしているからドスンドスンとジャンプの音がうるさい。

 その騒音をものともせずにスヤスヤ寝ている。さすがお母さんはバレーボール選手、お父さんは陸上選手だ。アスリートたちの息子は違うぞ。と、思った。
 今日はバレーボール少女たちのフィジカル面の強化をするために、バレー母さんと陸上父さんに来訪いただき今後のトレーニングの方向性をしっかりと指導をうけた。その時に一緒にきたのが鴻クンなのだ。
 ここに寝ている息子を見ながら。バレー母さんは言う。

「普段は神経質ですぐに目覚めるんですけどねぇ」

そんなことはないですね。しっかりと寝ている。その間にもドカドカと、でかいバレーボール少女たちが走り込んでいる。がんばれ鴻クン。しっかり育ってくれたまえ。大物の雰囲気を醸し出しているゼ。

  大型のバレー少女の足下で眠る鴻クン卜(ぼく)の字に似て



今日はこれから秋田市に向かいます。夕方から色々な事情の一杯飲み。そのために本日のブログはこれにて早めに終了。



1997好投手続出の年


再会・駒ヶ岳

 ボクにとっては2ヶ月ぶりくらいに見る角館からの駒ヶ岳である。今日は直線距離にして25劼らいだろう。冬になったらその距離には雲や霧が邪魔をして駒ヶ岳が姿をあらわしてくれない。
 今朝は晴れたことと空中に水分があまりなくなったので久しぶりに駒ヶ岳が顔を見せてくれた。それでも頂上付近では強い風が吹いていることがわかる。

  風が舞い雲が千切れるいただきはまだ冬の牙研ぐ駒ヶ岳


センバツ出場校決定

 32校が決まった。出場全チームは次の通り。
  ■北海道 北照
  ■東北  秋田商(秋田)盛岡大付(岩手)
       山形中央(山形)=21世紀枠
  ■関東  前橋工(群馬)花咲徳栄(埼玉)東海大望洋(千葉)
       東海大相模(神奈川)
  ■東京  帝京・日大三
  ■東海  中京大中京(愛知)大垣日大(岐阜)三重(三重)
  ■北信越 高岡商(富山)敦賀気比(福井)
  ■近畿  立命館宇治(京都)大阪桐蔭(大阪)神戸国際大付(兵庫)
       神港学園(兵庫)天理(奈良)智弁和歌山(和歌山)
       向陽(和歌山)=21世紀枠
  ■中国  開星(島根)関西(岡山)広陵(広島)
  ■四国  今治西(愛媛)高知(高知)
       川島(徳島)=21世紀枠
  ■九州  自由ケ丘(福岡)宮崎工(宮崎)嘉手納(沖縄)
       興南(沖縄)

健闘を期待したいですね。


1996~1997の秋田県高校野球

 東北大会で負けてしまった秋田県高校野球チームの状態はどうだったろう。ボクは人材的にすごい「年」だったと思っている。まぁ、正直言ってそこより前の時代の高校野球はよく知らないんですけどね。
 何よりも投手がすごかったと思う。思い出の選手たちをあげてみたい。フルネームはわからないので名字だけでも・・・。

 まず何と言っても今もヤクルトで大活躍の石川雅規が秋商。広島に入団した本荘の仁部智。阪神に入った新屋の藤田太陽。高校生として日本初のアメリカマイナー契約をした後松。以上の四人は騒がれた投手たちだ。
 騒がれなかった投手でも好投手は多かった。西仙北の田村。横手の皆川。能代の浅野。能代商の佐原。大曲の今野、山田、小山、伊藤貴。

 で、語りぐさになっているのは秋から一冬越えて「化けた」投手が一人いるということだ。
 それは秋商の石川雅規。冬場はとにかく走ったという話が伝わってきた。この石川伝説はその後色々な場面で「見習え!石川を」と語り継がれることになる。
 その結果が今の石川投手の大活躍になっているのだろう。残念ながら秋に活躍した投手たちは一冬越えた時に「あまり化けてはいなかった」ことになる。その時に彗星のようにあらわれたのが藤田太陽と仁部だったと考えている。

 色々なことを思い出す。しかし、ボクのすべての記憶には良いことしか思い出せない。うっすらとしたヴェールに包まれているのだ・・・・。


私的な話になりますが、全力監督は今日うまい酒を飲んでるんだろうなぁ。おめでとう!これにて本日のブログは終わります。


謙虚でなければ・・・


曇り空と飛行機

 午後から小雨まじりの空を見上げていたら飛行機が秋田空港に着陸しようとして方向を切っている。
 東京からの秋田便が大曲から角館の近くを通り西仙北の上空を横切り協和町を通り雄和町の秋田空港に大回りで着陸態勢に入ってゆくのだろう。こうやって町の名前を書くと4町村を飛行機は一っ飛びで飛んで行く。しかし、今なら市町村合併で大仙市から仙北市を通り秋田市へ飛行機は向かったとなる。なんと味気ない。どこを通っているのかもわからない。だから市町村合併は反対なんだ。アレッとばっちり?

 飛行機は遠かったが一枚シャッターを切った。あんな重い物体が空を飛んでいること自体が不思議である。
「エッそんなことを言って理科の先生ですか?」
と、よく言われる。模型飛行機も凧もブーメランも基本的な原理は旅客機と同じなんだけど、やはり不思議である。
 だから飛行機に乗れば両足を床に強く踏ん張っている。万が一の時には地面に着く瞬間に一瞬ピョンと飛び上がったらショックが和らぐという説を信じているのだ。ありえませんけどね。

  ゆったりと機種を北へと傾けてもうすぐ降りるあの人の町


1996夏休み後

 昨日はこの年秋季東北大会に中央地区のチームの出場がなかったところまで書いた。

 仙台で開催された東北大会では初戦で第1代表能代商は東海大山形に1-4、第2代表能代は福島の学法石川に1-4で敗退した。

 一方第3代表大曲工は初戦で福島の双葉に3-0で勝利。次の試合は同じ福島の平工業との対戦になった。こうやって調べてみたら福島の3チームとも秋田県のチームと対戦していることに気づいた。

 さて、問題はこの平工業。
 大曲工の部長と監督は平工業のアップや練習を横目にしながら歩いていた。その時の会話を思い出すと
「何だか、たるいですねぇ」
「ウーム」
この気持ちはお互いに共通していた。ここに、一瞬にしても二人に油断と予断と傲慢が生まれたと言えるだろう。

 そしていよいよ名取の愛島球場で試合開始。田舎者の大曲工軍団。今なら珍しくもない電光掲示板に自分の名前が出るのに舞い上がってしまった。なんてこった。

 4回までは1-2で1点リードされているが「いける」状態。
 そうこうするうちにエースがあれよあれよと言う間にガンガン打ち込まれる。コールドゲームにならなかったが1-8の完敗だった。

 この後、平工業は準決勝で光星学院に1-2で敗退する。ところが決勝が光星学院対青森山田の対戦になった。光星学院が6-3で勝利。このままだったらセンバツは青森2校に落ち着くかと思った。ところが青森山田は選抜されずに準決勝で好ゲームを展開した平工業がセンバツに出場した。

 今でも悔やむことがある。一瞬の油断と予断と傲慢。これがあと一歩を踏み出せない要因だと。そして、野球は「謙虚さ」がどれだけ大切なゲームであるかも気づかされた。

 投手のことを書こうと思っていたが次回以降にしよう。


今日から完全に復帰。いろいろとご心配をおかけしました。元気になればただのヤンチャジジイかも・・・。本日のブログはこれにて終了。


高校野球 1996年・夏休み以降


少し爽やかな夕焼け?

 アレッ。目覚めたら身の回りが妙に明るい。いつもだとまだ暗いうちに目が覚める。しかし、あわてて部屋の時計を探して確認すると午前7時。すでに太陽が昇り始めたから周りが明るくなったのだ。最近は日の出の時間が少しずつ早くなっている。
 ヤバいッ寝坊だ。モゾモゾと起きる。体調はかなり良い。いやらしい咳も結構おさまっている。

 この時間帯なら職場に出発するデッドエンドまで40分しかない。その時間で飯食って、トイレ行って、その合間に新聞を読んで、魚やエビに餌をやって・・・。何よりも着替えなければいけない。忙しい。

 結局、職場到着は遅刻ギリギリ。ウーム。
 ここ数日カゼによって睡眠をとっているようで十分な睡眠が確保されていなかったのだろう。
 体調が戻っているのと同時に、身体が休息時間を要求しているから寝過ごしたんだろう。正しい朝寝坊だったのかもしれない。

 そんなわけで今日はとりあえず職場にいることができた。しかし、寒い体育館には行かない方がいいと周りの人が言ってくれる。ありがたい。メンコイ連中だ。と、言うわけで今日も(今日まで)体育館には行かずに体調を完全復活させることにした。

 写真は夕焼けの南外村石仏付近から本荘方面を見た夕空。夕暮れの時間も次第に遅くなってきた。

  いいカラダ悪いカラダのボクがいて悪いイトウはビール欲しがる


1996年・夏休み以降

 先日の続きにかかろう。この年の秋は色々な意味で秋田県高校野球の転換の「時」だったかもしれない。

 秋の全県新人大会、つまり秋の東北大会に出るチームを決める大会に出場したチーム12校を各地区の順位ごとにあげてみよう。

  県南地区  西仙北・横手・大曲工・横手工
  中央地区  経附・本荘・秋商・西目
  県北地区  能代商・鷹巣農・能代・鷹巣

 この出場チームを見て東北大会に出場するチームを3チーム予想しなさい。と、言われたらいわゆる「つう」はどう答えるだろう。
 まぁ、「経附・秋商・本荘・能代」くらいがあげるかもしれない。ところが秋商は初戦で横手工に、経附は二回戦で能代に、さらに本荘は部員10名の西仙北に敗退。
 番狂わせだったのか。それとも高校野球の「潮目」が変わった年だったのか。ボクは「潮目」の変わった「時」だと考えている。それでも、その後なかなか県南・県北から甲子園の出場はできていないのだが・・・。

 結局、この大会を勝ち抜いて東北大会に出場したのは次の3チーム。能代商・能代・大曲工(順位の通り)である。中央地区のチームが秋の東北大会に出場しなかったのはかなり珍しい現象だったと言える。
 
 次回、書きたいと思うがこの時の秋商には青山学院大からヤクルトに入りエース格の石川雅規、本荘には東北学院大から広島に入った仁部智がいた。
 彼らはこの大会では活躍できなかったのだ。と、言うよりもこの時には「力」がなかったのかもしれない。魁新報の大会総評には「投手力の低下」という言葉がある。

 と、ここまで書いて制限字数になりそう。以下(続き)

 これにて本日のブログは終了。早めに休みます。明日からは元気で仕事にゆきます。



少しずつ体調も良くなり・・・


雪の壁

 久しぶり(と、言っても三日ぶりであるが)に職場に出た。とは言えあまり調子が戻っていない。
 職場の駐車場は雪を一方向に押し出してスペースを確保している。だから大きな雪の山ができている。写真はそこから校舎を見た風景。

 さて、調子は戻っていないとは言え、もしかしたら良い方向になっているかもしれない。二日間ほど癖になっている趣味の体温測定では安定して36℃台だ。良いですねぇ。

 しかし、咳が止まらない。関の五本松だ。いや、咳のゴホンゴホンゴホンの5連発。こんなダジャレはシャレにならないと立川談志師匠だったら破門するだろうなぁ。ボクは素人だから許してくれるかも・・。

 今日は依頼されたDVDにキャプションやタイトルを入れようと思った。ところがメモリーはたっぷりあるはずなのにコンピュータがハングアップする。体調が悪ければコンピュータにも伝染するかもしれない。明日以降にもう一度やり直ししてみよう。

 と、言うわけで本日のブログも生存証明のみ。明日こそ元気になれそうです。


気持ちも雨空




 雨が降っている。ズーッと屋根を打つ雨の音で過ごしていた。その理由は体調は熱も下がらないので今日は仕事を休んでしまった。夕方になっても何となく調子が悪い。体温が37℃前後をウロウロしている。

 冷え込んだら大雪になるんだろうなぁ。天気予報は一日中西高東低になると言い続けている。
 写真は玄関からチラッと外を見たもの。本当は雨が写ってもらいたいのだが雨は写ってくれません。

 一日中グダグダしている時に一つわかったことがある。
 体温が37℃を超えると身体の節々が痛くなる。そして、足が冷たくなってくる。足がひんやりと冷えるのだ。体温が36℃台に下がってくると痛みもなくなってきて足の部分も含めて身体全体があたたかくなる。
 なるほど体温と逆に冷える部分が違うんだ。と、思いながら午前中数回、午後数回と体温測定。やることがないから体温測定しかできない。

 吉田拓郎の歌に「もう寝ます」というライブ盤のレコードがある。今日、ボクの気持ちや行動は「もう寝ます」の歌詞の内容そのもの。

♪起きてても何にもいいことないみたい
 待っててもだれも訪ねてこないから
 目を開けているのもなんだか疲れるし
 本を読むそんな気持ちも起きないし
 電話するそんな相手も見あたらず
 レコードをかけたところで何になる
 散歩する気持ちも全然起こらない
 町へ出てフラフラするほど元気もない
 ギターなど音を聞くのもまったく嫌だし
 窓を開け大声出すのもバカらしい
 友達に手紙を書くのも気が向かぬ
 だからとて洗濯なんぞはまっぴらだ
 そうなると掃除も当然やる気なし
 要するに早い話がこんなときゃ
 要するに黙って寝ましょうおとなしく
 あーめん

 本当に何にもやる気にならない。よくここまでタイピングしたようなもの。何とか治して明日には出かけたい。

 石川投手の思い出と言うよりも1996年夏から秋にかけての思い出を書きたいのだがなかなか進まない。友人からメールも届いているが返信も出せずにいる。

 こんなときゃ「要するに黙って寝ましょうおとなしく」です。それでブログは三日連続の生存証明。生きてはいます・・・・。


微熱が・・・


今日も1日グダグダと

 体温が38℃近くに迫りつつある。だから身体の節々が痛いんだろう。
 今日も1日ゴロゴログダグダしていた。まだ、食欲はあるのだから良いのだがこれで食欲がなくなったら大変。

 これにて本日のブログは生存証明のみで・・。

写真は一歩外に出て家の周りにたまった雪で隣の家が見えなくなってきた状態。それでも外は青空がでていた。

もう寝ます(カゼ)


鬼の霍乱(かくらん)

 昨夜から調子が悪い。鼻がグスグス。鼻がつまる。鼻水が流れる。そして、身体のあちこちが妙に痛む。

 カゼだろう。それでも家の前に積もった雪の除雪をした。さらにはアマチュア無線のタワー下に置いている物置の屋根も二男と一緒に雪下ろし。
 これであとはダウンである。

 今朝から小雪が降っている。久しぶりにアンテナタワーの下に行ったみた。復活したいなぁと思った。しかし、気持ちはカゼで妙に落ち込んでいる。そのために考えはそこまで・・・。

  グスグスとティッシュの箱はすぐ空に翼の折れた土曜日の夜


本日のブログはこれにて終了。生存証明のみです。1996夏休み高校野球の想い出は明日以降に回します。
       (*_ _)人ゴメンナサイ

1996年・夏休み


暖冬願望棚上げ

 昨夜から雪が降り続いている。しかし、ボクの心は「雨が降ったからそれほどの雪は積もっていない。だから暖冬であってもらいたい。いまさら降らなくてもいいじゃん」そんな願望がある。
 でも、そんな暖冬願望はやめよう。棚上げにしよう。謙虚に雪との戦いにいそしむことにしよう。

写真は早朝、村内の除雪を終えて除雪センターに帰る途中の除雪車と曇り空。

   シンシンとモサモサモサと音もなくしのびより来る君に負けたよ


ヤクルト石川投手(2)
 あの頃の思いでを

 石川投手の千秋学園訪問の言葉はとても良い。いろいろ参考になる。

 さて1996年、ボクは石川投手が秋商の2年生だった頃に野球に携わった。その頃の思い出を書いておきたい。思い違いもあるかもしれないが・・・。

 石川投手が高校2年の時。秋田県の高校野球界はどこのチームも勝ち上がれる可能性のある群雄割拠の時代と言えるかもしれない。

 理由の一つは、その年の有望な?2年生選手は秋田市内にそれほど集まっていなかった。県南、県北地区のチームに戦力は分散していた年だった。

 だから、1996年秋の大会に向けて秋商のO監督は危機感をおぼえていたのかもしれない。夏休み中に大曲市に遠征して大曲高校や大曲工業との練習試合をこなした。それまで秋商は県南地区に遠征してくることはほとんどなかったと思う。

 大曲高校には素晴らしい投手陣がそろっていた。もちろん野手も良かった。大曲工には後松という左の好投手がいた。両校の戦力分析も含めて探りに来たのかもしれない。

 午前中の練習試合で秋商は大曲に負けてしまった。午後の大曲工との練習試合では11-11の引き分けだった。ノーガードの打ち合い。大曲工は新チーム移行の最初の練習試合。その試合で大好きなDH君が秋商に7イニング投げて失点5だった。投げ終わった後で脱水症状になつたことは内緒にしておこう。

 この試合で石川投手は中継ぎで1イニング登板。打者4人に投げて1安打1失点自責点1だった。
 ボクはその試合で投げた石川投手の記憶がまったくない。記録を調べてみて初めてわかった。

 石川投手の存在を知ったのは次の年の夏の大会になってからだ。つまり、秋田県代表で夏の甲子園にでることになってからだった。(続く)
                        

本日のブログはこれにて終了。いささか疲れてカゼ気味です。フーッ。


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