生涯一捕手
寒い空
イマイチ体調が良くない。クシャミ鼻水鼻づまり。なんだかCMの台詞みたいだ。熱はないのだが顔の周りがボーッと熱い。
空もすっきりしない。もっとも今の季節スカーッとした青空を期待する方に無理はあるのだが・・・それでも日中は薄雲のかかった青空が顔をのぞかせる。そんな空を撮ってみた。でも風は寒い。空も寒い。
生涯一捕手
8回一死満塁。得点は3-4で負けている。1980年9月。西武対阪急の試合である。打者は野村克也。野村の一打が出れば逆転サヨナラ。
野村は次打者席で
「ヨーシ打ってやる」
と、意気込んでいた。しかし、その場面で監督に呼ばれた。監督は
「代わろう」
そして彼は生涯初の代打を送られた。
野村はここで代えられたことにがっかり。チャンスで代えられることが現実になったのだ。彼はベンチに帰って何を願ったのか。
「代打に出た選手よ打ってくれ」だったのか。それとも「打つな打つな。凡打になれ」と思っていたのか。
彼の考えていたことは後者だった。打つな、と念じていたのだ。そして、結果はショートゴロ併殺。結局そのまま西武は負けた。
野村は
「ザマーみやがれ」と思った。
しかし、すぐにチームが勝利を目指して戦っているのに自分がこんな考え方をしていることに愕然とした。生涯一捕手として現役を続けてきた彼が野球を続ける資格がないと引退を決意した時だった。その時彼は45歳だった。
昨夜NHKで放映された『1565勝1563敗~野村克也野球人生を語る』で彼が語っていた内容だ。
そして、野村は「人の評価によって生きていることを悟った」とも語っている。他人の評価とどのように向き合うのか。ボクは評価されることや評価を知ることは難しいなぁと思って観ていた。
ところでボクは野村克也と長嶋茂雄のどちらが好きかとたずねられたら、野村と答える。才能あふれる人だと思えなかった男が努力によって名選手なる。
そして現役引退後に監督として請われたチームはBクラスのみ。阪神以外では一流のチームに育て上げている。その考え方に共鳴する。
長嶋茂雄はどうだろう。言わずもがなである。だからボクの中では巨人は永久に不滅ではなく不潔なのである。オーッとイカンぞ本音が出てしまった。
野村の言う「生涯一捕手」という言葉は次のことから考えたという。
「禅の言葉に生涯一書生がある。これを真似て生涯一捕手と思っている」
さて、ここでもボクは野村に共感する。ボクも「生涯一教師」でありたいと思っている。
だからどうなんだ。と、聞かれるとギクッとするが・・・。まぁ、この教師の仕事はとても魅力があるからだとしどろもどろに答える。野村の話す「人づくりは愛情」に膝を打つ。この言葉を大切にしたい。生涯一教師として。
今の職場への通勤路を大切に慈しんで行きたい。
この対談番組には野球の技術論はない。と、思う。しかし、生き方や考え方のヒントがたくさん凝縮されていた。見ていてボクも「まだまだ頑張れる」と勇気を覚えた。
体調が悪いのであっちにゴロゴロ、こっちにゴロゴロ。仕方がないのでテレビをつける。なんとも面白みのない番組ばかり。我が家のテレ電(一般にはリモコン)を放り投げて休むことにしよう。これにて本日のブログ終了。