年金者組合総会


元気な高齢者

 何を隠そうボクは年金生活者である。今、政府は年金を減らせとか一元化とか言っている。最近、激怒のイトーである。

 だいたい消えた年金を追求したのが民主党だ。良いぞがんばれと思っていた。その勢いで政権交代が起きたと言えるかもしれない。
 ところが民主党は政権をとった途端に年金生活者や高齢者を追い詰める政策をやり始めようとしているのだ。なにやってんだまったく。

 そんないろいろな話を聞くことができた。全日本年金者組合秋田県本部大曲支部の支部定期大会が大曲の佐藤旅館で開催されたのである。
 来賓に秋田県本部の委員長である渡部雅子先生が来訪された。渡部先生にはボクが某私立大学の法人を相手取って労働審判を起こした時にいろいろとアドバイスをいただいた。一緒に写真におさまってもらった。

「ブログに使っても良いですか」
「大丈夫よ」

とても素敵な人なのである。

 今のままじゃあ日本はダメになるぞ。と、いう気持ちが満ちあふれている会議だった。久しぶりに頭の中をリフレッシュした日である。

 その後の懇親会も良かった。午後3時頃からビールを飲みながら近況報告。それにしても参加していた人たちは元気だった。アクティブなのだ。元気をもらったなぁ。


大曲市内の変化を見て

 夕方、年金者組合の懇親会が終わってから佐藤旅館を出て大曲市内を大曲駅前に向かってブラブラと歩いた。
 まずは山内理容店に久しぶりに寄る。お父さんとお母さんそしてお兄さんと話してきた。毎月一度は頭を丸めてもらっていた床屋さんである。しかし、1年近く行っていない。
「ゴメン、最近来なくて」
「イヤー良いすよ。バリカンで自分で丸めていると聞いてました」
「そうなんです」

 山内さんを出て「福芳」に寄ってビールを飲もうとしたら玄関に張り紙。
「本日は予約のお客さんだけです」
と詫びの言葉が書いている。残念。素通りだ。

 榊田分店の前を通ったら更地になっている。「ありゃりゃ」完璧に建物がない。トボトボと歩いていたら御菓子の「暁月」の前に来た。ここも店は閉じている。古い建物が印象的なので写真を1枚。
 そして、大好きな町の本屋さん「平山書店」に寄りマスターと少し話す。週刊現代とパソコン雑誌そして「放送禁止ザ・ベスト」を購入。本屋に寄ると気持ちが安らぐ。

 歩きながらいろいろな知人にすれ違い数秒から1分ほど立ち話。加藤さん、三浦さん、古屋さん、馨さん。皆懐かしい顔だった。

 羽後交通の乗り場もジョイフルシティーヤマサの閉店で変わっていた。午後6時半発のバスに乗って帰途についた。
 バスの車中から雄物川の橋を渡ったら昨日からの雨による増水で周りはモヤに包まれている。窓越しに嶽山を撮影してみた。
 久しぶりのプチ旅行であった。ビールはうまかったなぁ。


本日の北東北軟式高校野球大会の結果

【準決勝】
 弘前工  3- 2 秋田商
 能 代  4- 0 一関一

これで能代と弘前工の決勝。もしも能代が勝ったらすごいことになりそう。甲子園には能代商業が出場決定。今日おこなわれた全県中学校野球大会では能代市立東雲中学が優勝で東北大会へ。そして、明日の決勝で能代が勝ったら明石でおこなわれる軟式高校野球全国大会に出場。まさに野球王国になりますねぇ。


【本日のワイルド・メモ】カラス・ムクドリ・スズメ こんなものだったなぁ。昼前にとてもきれいになく鳥の声を聞いたが種類はわからない。


昨日の花はムクゲではないかと思う。今日、大曲市内を歩いている時に色違いで花の形が似ているものを発見。それも撮影してみた。
自宅についてからビールを一杯やり始めた。これにて本日のブログは終了。

スイカの名産地


この花は何だろう

 隣家の花壇にハイビスカス風の花が咲き始めた。今朝、家を出る時に昨夜からの大雨があがった。その時に1枚撮影してみた。じっくり調べてみればいいのだろうけれど・・。南国の雰囲気はあるのだがひっそりと優しさを感じるのである。


デーブ大久保氏の問題

 西武では2軍の大久保コーチを解雇したという。いろいろなメディアでは大久保氏個人は「不適切な行為はない」と言っていると報じている。もしかすれば法的な対応も考えているとか。納得がゆかなければ法的手段に訴えるのも一つかもしれない。ボクもその経験はありますからね。

 さて、問題は何か。火のない所に煙は立たないの例え通りに「何か」はあったはずだ。それも指導者として不適切な「何か」が。
 例えば、メディアで報じられている菊池雄星投手の胸ぐらをつかんだという行為だとしよう。これくらいのことは大久保コーチの高校生時代やプロの現役時代には日常茶飯事のことだったかもしれない。もちろんパンチや平手打ちが飛んできたのかもしれない。

 しかし、今は時代が違う。いや、もっと言えば以前は野蛮だったのだ。どんな小さなことでも体罰はやってはいけないのだ。
 前にもブログに書いたことがあるけれど、体罰をやった方はその場限りで忘れてしまう。しかし、体罰を受けた方はおそらく生涯忘れることはない。
 それを愛のムチと勘違いしていたのだ。その部分を気づけなければ大久保コーチはいつまでも「何もやましいことはしていない」ということになる。

 彼の指導力は定評があった。だから一昨年西武が日本一になった時の打撃コーチとして絶賛を浴びた。間違いなく素晴らしい打撃理論をもっていたはずだ。そして、早朝練習を取り入れるなど「練習は裏切らない」ことを積極的に推し進めたと聞く。
 だが、これらを教える時に大久保コーチの内面に「暴力性」があったために若手がついてきたのならそれは大間違いだ。
 よくあるでしょう。自分の子どもを育てる時に小学生時代はゴツンゴツンと鉄拳制裁をしていて言うことをきかせていた。しかし、中学生や高校生になると体格もでかくなり親の言うことを全くきかなくなる子どものパターンが。そして、最終的には何とかしてほしいと「どこか」に泣きつく。それでもダメなら完璧に放任してしまい手がつけられなくなってしまう。

 暴力で支配すると言うことはこんな危険が常につきまとっている。絶対服従を強いられていると必ず反発される。そのことに気づけないのだ。

 そんなことを改めて感じさせられる大久保コーチの問題である。


勝手にスイカの宣伝マン

 雄物川町はスイカの名産地である。
 夏の終わり頃になると、おそらく出荷で余ったスイカをトラック一杯に積んでラウドスピーカーで

「スイカ-ー、スイカーー!」

と売りに来るのである。
 しかし、今回は正真正銘雄物川の出荷場所でゲットしてきた。スイカを作った人の名前がしっかりと貼り付けられている。写真では縮小しすぎて見えませんが佐々木永市さんという方が生産者である。どんな味か楽しみです。
 正直言うとスイカをポンポンとたたいたって中味も味もわかりませんから割る楽しみです。

【本日のワイルド・メモ】カラス・キジバト これだけ!!??


今日は角館方面が大雨のようで秋田新幹線が運休になったようだ。横手地区は少し強い雨が降ったがたいしたことはなかった。
今宵は友人たちと一杯の予定。焼き肉でビールです。ボクには少々カロリーオーバーかもしれません。控えめに控えめにしなくては。と、言うわけで早めのブログアップです。

 

沼館の柵跡・蔵光院


勝手に雄物川町Hi-Rock観光協会(3)

 ボクは日本史で赤点をとった。高校1年生の時である。おそらく高校に入学して最初の中間試験だったと思う。手元に帰ってきた答案の点数が25点ほどだった。
 田舎の中学校ではどんなに点数が低くてもたいした問題にはならなかった。当時の高校進学率は10%前後だったと思う。だから、高校入試には全く力を入れていない学校本来の姿だった。当然、テストの点数などは重視されなかった。のびのびと毎日毎日野山で遊び暮らしていた。とても良い時代だったのである。

 ところが高校に入って赤点という現実をつきつけられた。だからと言って何か勉強に取り組むこともなかった。ただ、流されるまま。最終的にはどうにかなるさと思っていた。2年生には進級できる程度の得点で滑り込んだと思う。そうでなければ落第しているはずだから・・・。
 だから日本史は大嫌いだ。だいたい年号を憶えるという作業が嫌いだ。年号は両親と自分の産まれた西暦と元号をしっているくらいのものだ。

 そんなボクが雄物川町沼館の神社巡りをしている。今回は沼館がなぜ沼館だったのかの原点とも言える場所に行ってみた。その名も「沼の柵跡・蔵光院」である。
 歴史知らずの人間が歴史について書くのもなんだが勉強のために「沼の柵本城址」の看板をもとに由来などを書いておこう。

 前九年の役後(1000年ほど前だろう)雄物川沼館付近は清原氏の一族が支配してらしい。
 つまり、清原家の清衡と家衡兄弟が二分して支配していた。ところが土地や人民に対して統制ある支配をおこなうためには同族連合の形では難しくなったらしい。つまり兄弟の仲が悪くなったんですね。今もよくある話だ。
 そこで清衡は朝廷から陸奥守に任じられた赴任した源義家の助けを得て家衡のこもる沼の柵を攻撃したのだ。ここから後三年の役が始まるんですねぇ。なるほど。
 こうやって物語風に教えてくれたら日本史も面白かったんだけどなぁ。

 水柵(四方を水で守られた柵)といわれた沼の柵は簡単には落城しなかった。そして戦いは激しい風雪の中での戦いになった。攻め込んできた清衡・義家軍は大雪と寒さと兵糧の欠乏で大苦戦。結局、清衡・義家軍は陸奥の国へと引き上げた。寒さは戦争の大敵なんですねぇ。

 その後、沼の柵にいた家衡は叔父の進言によって沼の柵よりも要害堅固の地と言われた横手市金沢の柵へと移った。再び戦いが始まり激しい攻防戦の結果、清衡・義家軍が金沢の柵を攻め落としたのであった。そこで後三年の役は終わったという。
 素人のボクが考えてみると沼館から金沢に移ったのがまずかったと思うのだが・・・。

 清衡は清原氏の勢力をついで藤原氏を名乗り平泉三代文化の礎を築いたとのことである。今、世界遺産に申請しようとしている平泉かぁ。

 そう言えば以前作家高橋克彦氏の「火怨 北の燿星アテルイ」と「炎立つ」を読んだ時は我も蝦夷の末裔なりとワクワクドキドキした記憶がある。まぁ、実際の歴史と小説とは違いますけれどね。
 そんなことを思い出しながら激戦の場所を見てきたのである。沼館とは沼の柵跡だったことがわかったような気がする。なかなかに奧の深い「しん」としたお寺と沼の柵跡であった。

   沼館に兵どもが夢の跡千年翔る平和の願い


似ている花

 先日、茨城に行った時に道路を走っていると目についた花がある。それは葉っぱがバナナの葉のように大きいそして、赤や白の花をつけている。聞いたら「カンナ」だという。
 今日、職場の庭を眺めていたら似ている花がある。オーッこれはカンナだろうと思い近くに寄って1枚撮影した。
 さっきまでズーッとカンナだろうと思っていた。しかし、どうも違うようだ。葉っぱがバナナの葉のようにでかくない。細いのだ。グラジオラスのようだ。なるほど似ているけど別物かぁ。



【本日のワイルド・メモ】カラス・ウグイス・キジバト 今日職場の方からカラスについておもしろい話を聞いた。
 彼が墓参した際にお供えをした時の話だ。

「カラスってさがしい(賢い)んすな」
「ハイ」
「お墓参りに行った時、長持ちするようにビニールに包まれたお供え物をしたんですよ」
「ホーッ」
「するとカラスが持っていって穴を掘って埋めているんです」
「なるほど」

こんな話になった。モズが木の枝に獲物であるトカゲやカエルなどを刺しておく「モズのハヤニエ」のカラスバージョンなのかなぁと考えた。確かにカラスはさがしい(賢い)鳥ではありますねぇ。


夕方から雨が降り始めている。秋田県内では大雨洪水警報が発令されている場所もあるようだ。これにて本日のブログは終了です。

勝手に雄物川町Hi-Rock観光協会(2)


鹿嶋人形

 雄物川沼館の町中を自転車で歩いていると興味深いことにぶつかる。小さな商店の店先にいくつもの紙でできた人形が発泡スチロールの箱に刺されて立っている。アレッ珍しいなぁと自転車を駐めて中にいたおばちゃんに話を聞いた。

「この人形はなんだすか?」
「これだんすか。これは鹿嶋人形だんす」
「ひば、あの大きなわら人形になるんだすか?」
「んでねんし、あれは大雄村のものだんすな」
「ホーッここではこんな小っちゃな人形だすべな」
「ハイ、8月5日にこの人形たちを乗せる大きな船を持って子どもたちが町中をねり歩くんす」
「で、その後は川に流すんだすか?」
「いや、それはやらねスナ」
「なるほど」
「8月5日、見に来てけれ」
「ハイ。ありがとうございます。人形っこを写真に撮ってもえーんすか」
「どんぞ、どんぞ」

そんなわけで鹿嶋人形を写真に収めた。この人形たちを船に乗せて子どもたちが町をねり歩くんですねぇ。厄払いの一つとのことだった。良いなぁ。これで見たいことが一つ増えた。行けるかどうかはわからないけれど・・・。とても親切なおばちゃんだった。
 だからフラフラと歩くのはやめられない。


ノウゼンカズラ

 今、オレンジ色の花が杉の木などにからみついて咲いている。真夏の花だ。しばらく名前がわからずにいたのだがノウゼンカズラと知ることができた。夏が過ぎたら忘れるかもしれませんけどね。

 花はよく見るとハイビスカスに似ている。つまり南国っぽさを醸し出している。私は南国育ちなのよ。と、主張しているようだ。
 やはり暑い時の花だなぁ。路上に落ちた花を見ると少し鬱陶しく感じるのではあるが・・・。

  北国に真夏を告げる橙色は目には鮮やかノウゼンカズラ


【本日のワイルド・メモ】カルガモ・トビ・スズメ・カラス 今日もほとんど鳥の姿を見ていない。見たけれど目の前をアッと言う間に通り過ぎたので何の鳥かはよくわからないのです。フーッ。



夕方、帰り道。西に沈んでゆく太陽が小さな川に反射して輝いている。1枚撮影してみた。まだまだ暑いのだが今日は7月28日。夏至から1ヶ月以上経っている。日没の時間は夏至の頃から10分ほどしか短くなっていない。秋田付近では夏至では午後7時10分頃が日没だが、今は午後7時頃の日没になる。ちなみに日の出は夏至の頃は午前4時10分頃。今の時期は午前4時30分頃だ。20分ほど遅くなっている。都合一日当たり30分くらい夏至の頃よりは日中の時間は短くなっていることになる。なるほど着実に時間は経過しているのだ。秋に向かっているのである。
日の出や日の入りの時間のことを書いているうちに突然ですが思いだしました。最近のお話。14時の約束時間を午後4時と勘違いして待ち合わせの時間に遅れたということがあった。大事には至らなかったようだ。これがデートだったら
「あんた2時間も待ったのよ」
と、待っていてくれるのはまだ良い。たいていは愛想づかしをされてバイバイだろうなぁ。まぁ、ボクはそんな経験はないけれど。
やはり通常の生活では午後何時とか午前何時のほうが感覚的には良いのかもしれない。
などと余計なことを考えないで早めに軽くビールを飲んで今宵は読書をしよう。そんなわけで本日のブログはこれにて終了。

沼館の八幡神社(納豆八幡)


勝手に雄物川町Hi-Rock観光協会(1)

 何回か雄物川の町中を歩いて町の紹介のようなことを書いている。そこでタイトルをみうらじゅんが出しているCD「勝手にご当地ソング47+1」にならって「勝手に雄物川町Hi-Rock観光協会」とした。

 スタルヒンのお墓、首塚神社と続いて今日は雄物川町八幡神社に行ってみた。実は友人から「雄物川町は【納豆神社】のある町の印象があるのだが」とメールをいただいた。
 何も知らないボクはそんなことがあるのか。と、早速自転車を組み立てて出かけた。

 雄物川の八幡神社は写真のように大きな木立が境内にある。午後3時近くに行ったのだが、周りではうるさいくらいにヒグラシが鳴きかわしている。ところがヒグラシの鳴き声の中に何だかクビを締め付けられているような叫び声のような音も上空から聞こえてくる。
 なんだろうと思い、高い木の上をジーッと眺めていたら大きな鳥の影がサーッと飛んでいった。すると、その叫び声がひときわ大きくなった。ムムムッ、アオサギのようだ。境内の「佐助」と刻まれた敷石の上には鳥の羽が落ちている。色からしておそらくアオサギだろう。つまり、この木立の頂き付近ではアオサギが営巣しているはずだ。

 看板には八幡神社の見所として次のように書いている。

『後三年の合戦で配送する源氏軍の馬の背で発酵した大豆が納豆の起こりといわれ「納豆八幡」とも呼ばれます。祭典の宵祭りには縁起物として参道で「納豆」が売られます』

 なるほど。まぁ、歴史や由来はいろいろあるようだ。煮た大豆を藁のようなもので包んでいなければ発酵しそうにないのだが、言い伝えだから良しとしよう。

  ヒグラシの声がしみいる境内は緑陰涼し納豆八幡


桑田真澄氏(6)

 桑田氏の「野球を好きになる七つの道」は最終回になる。

7.その大声、無駄では?

 桑田氏は大声を出す理由は二つあるという。一つは練習中のノックの順番を待っている時。二つ目は試合で相手をヤジっている時。

 試合中や練習中にただ闇雲に声を張り上げていれば良いわけではないのだが、チームメートに対してしっかりと意思表示をするためには大声も必要である。と、ボクは考えている。
 ここでは相手をヤジる無駄な大声を無くすことには大賛成である。桑田氏はヤジについて次のように書いている。

『ヤジは日本に野球が伝来してから100年たってもなくならない欠点の一つです。明治時代の一高と米国人チームとの対戦でも、ヤジのひどさを批判して「もう一高と試合をするのはやめるべきだ」と英字紙が論じたそうです。そんなものを続けるよりも対戦相手や仲間にリスペクトの気持ちを表現したほうが、スポーツマンらしくかっこいいと思いませんか』

 ヤジについては色々なことを思い出す。まず、大会要項に明確に規定されている「対戦相手を尊重するように」ということがある。つまり、ヤジったりしないで正々堂々と試合をしようという規定だ。ところが・・・2007年5月21日の魁新報に『真剣勝負に飛び交うやじ』として次のような記事が掲載された。

『(5月)14日までこまちスタジアムなどて開かれていた高校野球の春季中央地区大会。一冬を越した球児が繰り広げる熱戦は,十分に観客を引きつける内容だった。ただ、スタンドの応援団からプレー中の選手に数多くのやじが飛んだことが気にかかった。やじには相手へのプレッシャーの意味もあるのだろうが、聞いていて決して気持ちのいいものではない。中には選手の身体的特徴をあげつらう声もあった』

 このコラムはスタンドのヤジを書いている。しかし、このようなチームはベンチ内からもヤジが飛んでいる可能性大だ。
 だいぶ前のことになるが秋田県内の某強豪校と言われるチームと対戦した時のヤジはハンパでなかった。こんなチームが甲子園に出場するのかと愕然としたものだ。

 桑田氏が言うように味方を鼓舞する。そして、対戦相手を尊敬していればヤジなど飛ぶはずがない。そんな指導を前の監督と徹底したことも貴重な思い出である。

 桑田氏は「新しい野球道」の根幹にスポーツマンシップを置きたいという。そして、野球を通じて人間性を磨き、技術だけでなく精神的にも自分自身を成長させていく。そして何よりも野球が楽しくないといけないと言う。
 
 心から納得できる内容だった。


【本日のワイルド・メモ】アオサギ・スズメ・ツバメ・ヒヨドリ・キジバト


今日は久しぶりに古巣大曲工業高校に行ってみた。理由はコロコロと車を回して距離を測定するメジャー(と、言うのかな)が壊れた。そこで何でも修理してくれる我らがONOさん(ONO工務店工務店社長と呼んでいる)に直してもらうことにした。手近な部品を利用して十二分に使用に耐える修理をしてもらった。感謝感謝である。久しぶりに行った懐かしの校舎の玄関横の池には蓮の花がひっそりと咲いていた。
これにて本日のブログは終了。

首塚神社にて


首塚神社

 まったくなんてこったです。先日のスタルヒン墓参に続いて職場の近くにある神社などの施設を自主研修で歩いているのである。自転車を組み立てエーコラエーコラこぎながら・・・。なかなかに面白いのである。

 今日は首塚神社。これをボクは「くびづか・じんじゃ」と読んでいた。なんて生々しい名前だと思いながら幟や鳥居を眺めていたのである。

 そこで今日ボクは

「くびづか・じんじゃに言ってきます」と言ったら

「そこはこうべづか・じんじゃと読むそうですよ」

と、教えていただいた。
 神社に向かう途中で見かけたヒルガオ、白と紫のキキョウを撮影しながら向かった。ヒルガオにはショウリョウバッタの子どもと思われる小さな緑色のバッタが止まっていた。

さて、首塚神社である。
由来は次の通り。

『平安時代のはじめ、征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂が蝦夷を討った際の戦死者の首1000余りをここに埋葬したから、この名前がついたと伝えられている』

ウーム。我が蝦夷たちへの侵略者の跡か。ボクは蝦夷の末裔だと思っているので許せん。と、思いながら次を読んでみた。

『また、平安時代後期には、藤原家が後三年の合戦で戦死した敵味方の首約890をこの地に埋葬し、社殿を建ててその霊を慰めたとも言われています』

と、言うことは1000年以上前に2000人ほどの首がここに埋葬されたことになる。特に平安時代後期の890という数は妙にきっちりと数えているところが真実に近い感じを受ける。
 どうにも歴史にも疎いのでよくわからないのだが、いずれにしても我が東北へ中央からの侵略の結果としてこれほどの首がはねられたことになる。まったくなぁ。

 これを見ながら2010.7.24付の朝日新聞の記事「世界文化遺産、道険しく」を思い出していた。内容は次の通りである。
 世界文化遺産として鎌倉を申請しようとしている。しかし、世界文化遺産の承認などする国際会議を3日間開いた時の初回に「武家の印象は教養がなく残酷というもの」と評価されたという。日本(鎌倉側)としては禅宗の信仰など高い教養があったことを丁寧に説明すべきだとの意見が出ている。

 平安時代から鎌倉時代。いやもっと時代は江戸時代近くになっても教養があるかどうかは別として、残酷な「首狩り族」の風習は残っていたのではないかと思うのだ。

 ところで首塚神社は御利益があるらしい。まず「学業の神様」である。そして「頭の諸病」に効くとのこと。頭痛や学力向上に霊験あらたからしい。じゃあボクの物忘れ病は治り、髪の毛の薄いのもフサフサになるのかもしれない。そんなわけはないな。いずれにしても平和になった世の中の幸せを噛みしめねばなるまい。
 首塚神社。なかなか奧が深かった。

   われこそは蝦夷の末裔首(こうべ)塚侵略の跡今は長閑に


桑田真澄氏(5)

6.米国を手本にしない

 野球発祥の地米国のベースボールは理想的なものではない。と、桑田氏は否定している。現在のメジャリーグは中南米などアメリカ以外からの選手たちで支えられている。
 拝金主義がはびこり、稼ぐためには手段を選ばない状態である。さらに薬物に依存する。
 特に桑田氏が強調するのは「道具を大事にしない」風潮に釘を刺しています。グラブを座布団変わりにして話し込んでいる選手を見たりしている。
 さらに戦術やバッテリーの配球なども日本野球の方が進んでいると言う。
 ベースボールは元来、賭博などと結びつきやすい側面を持っている。しかし、飛田穂洲氏たちは「ベースボール」の品格に欠ける部分を嫌って、人格を磨くことができる日本版「野球」を生みだそうとしたと言います。この日本野球の魅力の部分は積極的に受け継ぐべきだと結んでいます。

 これを読んでボクは野村克也氏の講演の言葉を思い出します。野村氏はメジャーリーグの監督をやってみたいと言います。それは桑田氏が言うように米国の野球の荒っぽさを指摘しています。それだけ日本の野球は進化していることに自信をもっていた。
 確かにパワーのある米国野球は魅力にあふれている。しかし、真似るべきでない点もあることに気づく。


【本日のワイルド・メモ】アオサギ・カラス・トビ・スズメ・キジバト


今日は横手でビールを一杯。軽く飲んで帰ろう。これにて本日のブログを早めにアップして終了。

畜産科クラス会


クラス会

 17~18年前になる。地元の農業高校に畜産科という専門の学科があった。今はその科はない。ボクはその科の担任を命じられた。
 1年生に入学してきたヤンチャ坊主たちが42名プラスヤンチャ少女2名合計44名。入学式に配ったB4版の学級通信(その後3年間卒業まで毎日発行し続けた)に『44名全員卒業しようゼ』と書いた。その目標がいかに無謀なものであったのか・・・。
 3年間いろいろなことがあった。何度も全員卒業のピンチを迎えた。ある時は停学の累積。ある時は登校拒否気味。ある時は・・・。とにかくありとあらゆる「出来事」のデパートと言えるかもしれない。でも、それはそれで楽しい日々であったことも確かだ。
 しかし、44名は3年間を見事に乗り越えた。44名全員が卒業することになった。おそらく奇跡だったのかもしれない。保護者の協力、彼らに寄り添いながら指導してくれた教師達の粘り、そして何よりも44名のヤンチャ諸君が高校を全うしようとしたからだ。
 その間に配布した学級通信は600枚を超えた。

 一年前に一人亡くなってしまったので43名になった。昨夜、集まったのは約四分の一のメンバー。いろいろな人生を乗り越えた顔がある。まだまだ若いねぇと思うが立派になったとボクもニコニコ顔だった。

 皆で写真を撮ろうと言ったら全員が「学級通信に載せるのか」とワイワイガヤガヤ。いいねぇ。高校当時がしっかりとインプットされているのだ。また、会おうゼ。

   畜産科卒業式から18年ヤンチャ坊主もまるがおになる


雨の合間に

 大雨警報が発令されている。しかし南外は薄曇り時々雨。ちょっと晴れ間があったので外に出た。紫の花が風になびいている。例によって名前はわからないが1枚撮影。蒸し暑いです。


桑田真澄氏(4)

今回は次の項目について

4.勝利ばかりを追わない

 桑田氏は小学生時代グラウンドに行くのが憂鬱だったと言う。理由は指導者に殴られるから。顔がパンパンに腫れ上がり、殴るところがなくなると、今度はケツバットが猛スピードで飛んできたと言う。このような体罰は指導者だけでなく先輩から受けることもあった。
 これは目の前の勝利を至上の目標にするために、指導者は手段を選ばなくなってしまうから起きてしまう。
 小学校時代には、礼儀と体作りの基礎を身につけることが大切。そんな「時」に勝利をめざした選手権大会は不必要だと桑田氏は説いている。
 プロ選手へのアンケートで指導者から体罰を受けた経験のある人は中学時代46%、高校時代47%。先輩からの体罰が中学で36%。高校は51%。こんなに多いのは指導者が体罰を受けながら練習してきたから。体罰を受けた選手は体罰を与える指導者になる。つまり体罰は連鎖する。

 そう言えば先日、西武の二軍打撃コーチデーブ大久保氏が解任された。スポーツ紙などによると,その原因はあの菊池雄星投手の胸ぐらをつかんだことが原因のようだ。そのスポーツ紙では古い考え方ややり方で指導しようとした大久保氏の考えの浅さを指摘していた。時代は変わったのだ。

5.勉強や遊びを大切に

 今の「野球道」は選手を罵倒することを恥じず、体罰をためらわない指導者の精神的な支柱になっている。それは戦前野球道を提唱した飛田穂洲さんの「野球道」の影響が大きい可能性がある。千本ノックに象徴される猛練習、武士道にも通じる精神主義、指導者や先輩への絶対服従などなど・・・。
 しかし、監督としての飛田穂洲さんの本当の姿はけっして一方的な指導をしていたわけではない。合理的な最新の戦術を取り入れ、選手には自己管理を求め、勉強してきちんと学校を卒業することを奨励するなどバランスのとれた指導者だったことを明らかにしている。
 成長期の人には心身のバランスが大事。練習時間を短縮して空いた時間は,勉強や遊びにあてること。「苦手な勉強で苦労するより、得意な野球の練習に集中する方がいい」と思う人がいるかもしれません。しかし、人間は得意なことばかりで生き抜くことはできない。プロ野球の世界で永年活躍できている人たちは、対戦相手を分析研究したり自分自身をコントロールできる「賢い選手」である。現役生活を引退してから生きてくるのは遊びや新しい出会いを通して身につけた「感謝する心」「ひとを思いやる気持ち」である。このような能力を養うためにも、生活のすべてを大切にしよう。

 桑田氏の話はとても参考になる。と、あらためて思うのである。


【本日のワイルド・メモ】ヒヨドリ・カラス 今日はほとんど外に出ないので確認したのはこれだけ。


久しぶりに終日ゴロゴロと。同僚にプレゼントするガムテープバッグ作り、読書少々、居眠りそして久しぶりに回転寿司に行きビールと軽く寿司をつまみ優雅な日曜日。そうそう、回転寿司で旧知の素敵なお二人の女性にお会いできた。フフフ。これで本日のブログは終了。

野球はミスのゲーム


季節外れのモクレン

 数日前から向かいの家ではモクレンの蕾が1個だけでてきた。すでに春から夏にかけて終わった花だったと思っていたが季節外れのモクレンである。
 空は昨夜から雨が降り続いていた。横手地区ではバケツをひっくり返したような雨になったとのこと。

   夏色に染まる古里寂しげに季節外れのモクレン咲いて


スタルヒン焼きそば

 昨日、ブログでスタルヒンの墓参をしたことを書いた。今日は昼食にどうしてもスタルヒン焼きそばを食べたいので雄物川町沼館の「滝沢食堂」に寄った。
 食堂に寄って初めてこの焼きそばの意味がわかった。ウインナーはバット。目玉焼きはホームベース上にボール。青海苔はグラウンドの芝生。そして紅ショウガは観客とのこと。ウーム。なかなか考えていますねぇ。昨日は「あざとい」なんて書いてごめんなさい。お値段550円也。味は普通のソース焼きそば。


桑田真澄氏(3)

 朝日新聞2010年7月20日付『オピニオン球児たちへ野球を好きになる七つの道』から。前回は1.練習時間を減らそう、2.ダッシュは10本について引用した。今回は

3.どんどんミスしよう

 ミスについてだが野球はミスのゲーム。どんな優秀な打者でも3割打てれば最高のバッター。7割は失敗している。どうしても起きてしまうミスをチームメートに救ってもらったり、逆にチームメートのミスを自分がカバーしたりする。こうした助け合いの気持ちがチームワークだし野球の魅力である。ミスをなくそうとするムダな努力をするよりも、ミスから学ぶことのでる選手の方が成長が早いと桑田氏は言う。
 しかし、指導者の中にはミスした選手を怒鳴りつけたり罰練習をさせたりする指導者がいる。こんな指導者は野球というスポーツがわかっていない。と、厳しい指摘をする。ミスをした時にどうして失敗したのか考えるチャンスになり,次にミスを減らすための練習に熱が入る。
 そして桑田氏は球児に次のような言葉をかけている。そのまま引用したい。

『ここでは絶対に三振したくないと思うと、体はこわばり、ボールを迎えに行てフォームが崩れてしまいます。そういう時は「タイミングだけを合わせて、空振りしてやろう」と考えましょう。投手が振りかぶってきました。さぁ、ゆっくり体重移動、思い切って空振り!あれ、ヒットになってしまいました」

 ミスをどのようにとらえて指導するのか。指導者の力量が問われる話だなぁと思った。


本日の高校野球

【決勝】
 能代商  5- 4 秋田商
 
 能代商が25年ぶりの甲子園出場。今大会の粘り強い戦いは特筆されると思う。それと、今日初めてこの大会をテレビでじっくりと見ていたのだが気づいたことがある。それは能代商業高校野球部員諸君の眉毛がしっかりしていることだ。と、言うよりも普通なのだ。眉毛をいじっていない。あまりにも眉毛を調整?する球児が多すぎるとボクは思っている。
模範的な球児の姿としての意味でも能代商業高校の勝利を祝福したい。


【本日のワイルド・メモ】カワラヒワ・ヒヨドリ・ホオジロ・カラス・トビ



今晩は柳家喬太郎の落語に行くつもりでいた。しかし、昔の教え子たちが集まるので絶対に来るようにとの連絡が入った。なにしろヤンチャ坊主たちだったから今も心配。だから行かざぁなるまい。と、言うことで今宵は大曲で一杯です。少し早めのブログアップ。

ヴィクトル・スタルヒン


夏を迎えてタチアオイ

 暑い。まぁ30℃前後なので関東から中部にかけて猛暑日の人たちには申し訳ない。しかし、暑いと言わざるを得ない。
 タチアオイが頂上まで咲いた。これで夏なのだ。と、主張しているよう。良いなぁ。


ヴィクトル・スタルヒンのお墓

 毎日、通っている雄物川町。その町の沼館地区に「ヴィクトル・スタルヒンの墓」という幟や看板がある。

 スタルヒンと言ったらあの大投手のスタルヒンだよなぁ。と思いながら、どうして雄物川町沼館に彼の墓があるのかと不思議に思っていた。

 スタルヒン。東京巨人軍のロシア人投手。
 ロシア革命の時に両親と一緒に日本に亡命してきた人である。北海道旭川で育ち旭川中学で今で言う高校野球に専念。2年連続北海道の決勝まで進んだが甲子園には出場できなかった。
 その後、紆余曲折があり読売ジャイアンツの前身である東京巨人軍に入団。第2次大戦中は日本名「須田博」と強制的に改名させられたが、無国籍だったために戦地への召集はなかった。
 戦争が激しくなると東京巨人軍は職業野球を存続させるためにスタルヒンを除名。そして敗戦を迎える。
 戦後、スタルヒンは巨人軍に戻らず(当然だよなぁ)パシフィックに復帰。その後近鉄パールズ(懐かしい名前だ)などに在籍して300勝をあげる大投手になった。
 ウィキペディアなどに掲載されているので詳しいことはそちらを。

 そこで今日は暑い中を自転車こいでスタルヒンの墓の探検?に出た。沼館(雄物川町)の浄土真宗崇念寺というお寺にその場所はあった。お墓は写真のようにボールをかたどっていて、なるほど間違いなく野球関係者だったことがわかる。自分ならばギターの形をしたお墓にしようかなぁと一瞬思った。しかし、すでに普通の墓が我が家にはあるのでギターはやめようと思い直した。

 お墓にお参りして帰ろうとした時にお寺の奥さんがおられた。声をかけていただいた時のボクとの会話である。

「どちらからおいでですか?」
「南外からです」
「遠いですねぇ。わざわざですか?」
「実は,私はここの近くで働いていてスタルヒンのお墓がどうしてここにあるのか疑問だったので来てみました」
「なるほど」
「スタルヒンの奥さんがここの檀家だったんですねぇ」
「いや、このお寺の出身ですよ!」
「ハーッ!そうですか??!!」
「このお寺の住職のお姉さんですよ」

 実はスタルヒン夫妻はこのお寺のお墓に一緒に葬られていると言うことを墓所の前にある説明板で読んでいた。それですっかり奥さんの檀家だと、ボクは思い込んだのである。大きな勘違いだった。お寺の奥さんは次のように話して下さった。

「スタルヒンの奥さんのターニャはこのお寺の出身で、現在の住職は一番下の弟なんですよ」
「なるほど」
「写真を見て行きませんか」

オーッ写真を見せてくださるとのこと。ありがたい。しかも名前がターニャという奥さんのこともわかった。ロシアの名前だ。いろいろと話を伺ってかなりわかったことがある。

 崇念寺の先代の住職高橋義雄さんはロシアを縦横に駆け回った方だった。それはお寺で拝見した本『ユーラシアを駆けた男』に詳しい。その頃にロシア人の奥さんと結婚し沼館に帰ってきた。その子どもたちの長女がターニャだった。現住職は一番下の弟さん。住職さんとも挨拶を交わした。確かにハーフでした。

 いろいろな写真の中にスタルヒンが車の窓から顔を出している写真もあった。奥さんが話すには

「この車で事故に遭い40歳で亡くなりました」

 スタルヒンの墓所がなぜ雄物川町沼館にあるのか判明した。

 スタルヒン。ロシア革命で祖国から亡命。日本で無国籍。日本名に改名させられ国と国の間で翻弄された。そして、プロ野球の名選手として活躍。40歳で自動車事故で急逝。
波瀾万丈なり。
 もう少し彼のことを知りたいなぁ。『NHK知る楽 こだわり人物伝 野球がパスポートだった ヴィクトル・スタルヒン』をアマゾンでポチッと。

 お寺の前の食堂では「元祖スタルヒン焼きそば」があった。話によればウインナーソーセージと目玉焼きがトッピングされているとのこと。その組み合わせを聞けば、少々あざといなぁとは思うがウーム「そう、きたか」と納得。そのうち食べてみよう。

   祖国とは何かと思い手を合わすスタルヒン眠る暗き墓前で

本日の高校野球

【準決勝】
 秋田商  8- 1 鷹 巣(8コ)
 能代商  3- 2 西仙北

いよいよ明日は決勝。商業対決になったねぇ。


【本日のワイルド・メモ】カラス・スズメ・ツバメ おまけとして雄物川町を自転車で走っていたらマンホールの蓋にサギのデザインが施されている。右アオサギ、左ゴイサギかな?そして、下には「お」のデザインが・・・。雄物川町の「お」?



字数オーバー。桑田真澄さんの項目は明日以降。本日のブログは終了。

練習時間とは


ヤマユリ

 通勤の山道にヤマユリが咲き始めた。良いなぁ。と、写真を撮るために近寄ると花の香りがフーワリと漂ってくる。
 ヤマユリの咲く路肩は手入れが行き届いていると言う。なるほどなぁ。今日も暑かった。日中は30℃の熱風がグラウンドを駆け抜けていた。

   ヤマユリの匂う山里あたたかし人はすっきり手入れしっかり


桑田真澄氏(2)

 このことについて、昨日は資料(切り抜き)を忘れてしまい書けなかったので本日書きたい。朝日新聞7月20日付に掲載された『オピニオン「球児たちへ」野球を好きになる七つの道』をまとめてみたい。

 桑田氏は早稲田大学大学院スポーツ科学研究科で論文「これからの時代にふさわしい野球道」を書いた。これは社会人1年コースの最優秀論文賞を受賞したという。その論文の中から桑田氏本人が七つのポイントをまとめて提案したのがこの記事の内容である。まずは次の項目から始まっている。

1、練習時間を減らそう
2、ダッシュは全力10本

 桑田氏がプロに選手に聞いた練習時間は平均すると平日で4時間半、休日だったら7時間20分。
 彼はこの時間は長すぎるという。どんなに野球が好きでも、自分の体力と集中力には限界がある。短時間で効果的な全体練習をして、その後は各自の課題や体調に応じて個人練習をした方が技術力はアップすると考えている。
 技術向上にはどんなスポーツでも反復練習が必要であることは認める。しかし、最高速度でダッシュを100本、素振りを1000回もは誰にもできるはずがない。
 彼は指導者から無理矢理押しつけられたらどうしたか?簡単に言えば手抜きをした。サボりや手抜きはけっして良いことではないと知りながら「抜いていたこと」を述懐している。
 彼の周囲で真面目で才能のある選手が指導者に指示されるままに頑張りすぎ、ケガをし表舞台から消えていったの何人も見ている。だからこそ、けっして大きくない彼の身体を守るためには手抜きは必要なことだったと言う。

 この練習時間を減らすことについて桑田氏は次のように考えている。
 練習量を増やしすぎると動作は徐々にゆっくりになる。そのゆっくりした動きを脳が覚え身体に染みついてしまう。ダッシュは全力10本でいい。
 そして、球児たちにに訴える。「きみが投手なら、ダッシュ1本が1イニングの投球だと思って9回走ってみよう。10本目は延長の分。どうですか、集中力がぐんと上がったでしょう」と。

 これを読みながら、ボクが昨年バレーボールの顧問をしていた時に弘前聖愛学園高校のT監督さんがとても興味深いことを話してくれたことを思い出す。

 ゆったりとした動きから少しずつ速い動きにする練習はムダだとTさんは話した。つまり、速い動きは速いボールを扱えることからしか得られないと言うのだ。遅い動きから順々に速くしてゆく方法は違っているという。ウーム。

 このことから、ボクは桑田さんの考えるように練習のし過ぎによってゆっくりした動きを脳が覚えて身体に染みついたら速い動きやボールに対応できない。こんな風に考えたのである。

 もっとも反論もあると思う。野球が好きになるためにどのように練習するのか考えるヒントになる。

 字数が足りなくなったので次回以降に続きを書きたい。


【本日のワイルド・メモ】カラス・ウグイス・キジバト  ありゃりゃ。今日は何も野鳥を見たり聞いたりしていない感じがする。今日はアンテナ全く感度なし。



これにて本日のブログは終了します。
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