盛岡のパチンコ屋

ちょいと盛岡へ
第二の故郷盛岡へ。本日は仕事を休日にした。ちょいと付き添いを頼まれて盛岡に出た。
盛岡駅前駐車場に車を駐めた。何十年ぶりだろう,盛岡の町に徒歩で入ってみた。と,言っても時間の都合がありアーケード街の入り口付近でUターンでしたけれど・・・。
まずは開運橋。橋の手前に歩道橋が設置されている。昇ってみた。最近,日本国中で歩道橋は評判が非常に悪い。ご多分にもれず整備がなされていないようだ。おそらく歩く人も少ないように感じた。いずれ撤去されるだろうなぁ。
それでも歩道橋の上に立ってみると日頃見ることのできない風景が広がった。開運橋のアーチを自分と同じレベルから眺められた。ヘーッこんな具合になってるんだ。と少し感心しながら,1枚撮影。
歩道橋を下りて開運橋を渡りながら北上川の上流を眺めてみた。学生時代は上流の鉱山などの影響で真ッ茶色の水だった。今は普通の水?になっている。母校はこの少し上流にあるなぁと思いながら1枚。
町に入ってみて驚きましたねぇ。すぐにパチンコ屋がありました。その名はボンボン。どれだけ色々な意味でお世話になったことか。
仕送りがあれば,なけなしの金をつかんでかけ込んでいた。そしてすってんてんになってしまう。その当時,パチ屋の裏には質屋があった。今はパチ屋の近くにサラ金の貸出機があるけれど・・・。
その頃,腕時計を金に換えてもらおうか。など考えたのだが,さすがにそこまではやらなかった。そして,正面から見たらボンボンパチンコの右隣には質屋があるのです。ウーム。半世紀近く前と同じ構造だった。
ボクに人生を教えてくれた場所が健在なのは衝撃的な発見と言える。店の中にまでは入らなかったが外から懐かしいなぁと思いながら1枚撮影。そうそう,パチ屋の2階にはダンスホールがあったことも思い出した。ダンスホールにも何度も出かけた。しかし,田舎者のボクは踊れずに他人の踊りを興味深く見ているだけだった。そして,バンドの演奏の方法をズーッと見つめていた。いつかはバンドに入るぞと夢を持って。踊る阿呆に見る阿呆ですね。
盛岡の往復はアニマルズ,キンクス、デーブ・クラーク・ファイブそしてハーマンズ・ハーミッツを流して走った。半世紀前へのタイムスリップだった。
町中を流れる北上若き日のヤンチャ坊主の行状流す
「クロカン」の帯より
昨日、紹介した「クロカン」の帯にコメントしているプロ野球選手たちの一言。なかなか良いです。その第2弾。今回は3名紹介。
『栄光に向かって突き進む時,汗を惜しんではいけない。夢は描き続けなければいけない。「クロカン」に込められたメッセージが強く語りかけてくる・・・。そう・・・栄光へ,Hit!Foot!Get!その決意は,いつまでも変わらない 東尾修監督 西武ライオンズ』
『俺の武器って何だ?ピンチに立たされた時,そう自分に問いかける。ストレート?変化球?いや違う!誰よりも「野球が好き」だってことだ!この気持ちはあの頃から少しも色あせちゃいない。そう,この思いこそ・・・・俺の切り札! 工藤公康投手 福岡ダイエーホークス』
『ドクン,ドクン・・・・胸が高まる。ピッチャーの足が上がる。その瞬間,2塁ベースめがけて,溜めた力を解放する。一瞬の判断力ね力強い意志が,成功の鍵を握る。いつも最高のガッツポーズのために!期待を結果につなぐために!今日も僕は走り続けます。 松井稼頭央選手 西武ライオンズ』
コメントしている選手たちの現役当時のプレーが思い浮かんでくる。そして、とても参考になる。
【本日のワイルド・メモ】ウグイス・キジバト・アオサギ・イワツバメ・スズメ
サッカーワールドカップの話題を書こうと思ったが,盛岡のことを書いてしまったので字数が増えてしまった。明日以降にします。
夕方,帰り道で夕日が地平線に沈むところだった。あわてて1枚シャッターを押した。何とか写っている。明日から仕事に復帰する。がんばってゆこう。
これにて本日のブログは閉店です。とても懐かしく良い日だった。