首塚神社にて


首塚神社

 まったくなんてこったです。先日のスタルヒン墓参に続いて職場の近くにある神社などの施設を自主研修で歩いているのである。自転車を組み立てエーコラエーコラこぎながら・・・。なかなかに面白いのである。

 今日は首塚神社。これをボクは「くびづか・じんじゃ」と読んでいた。なんて生々しい名前だと思いながら幟や鳥居を眺めていたのである。

 そこで今日ボクは

「くびづか・じんじゃに言ってきます」と言ったら

「そこはこうべづか・じんじゃと読むそうですよ」

と、教えていただいた。
 神社に向かう途中で見かけたヒルガオ、白と紫のキキョウを撮影しながら向かった。ヒルガオにはショウリョウバッタの子どもと思われる小さな緑色のバッタが止まっていた。

さて、首塚神社である。
由来は次の通り。

『平安時代のはじめ、征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂が蝦夷を討った際の戦死者の首1000余りをここに埋葬したから、この名前がついたと伝えられている』

ウーム。我が蝦夷たちへの侵略者の跡か。ボクは蝦夷の末裔だと思っているので許せん。と、思いながら次を読んでみた。

『また、平安時代後期には、藤原家が後三年の合戦で戦死した敵味方の首約890をこの地に埋葬し、社殿を建ててその霊を慰めたとも言われています』

と、言うことは1000年以上前に2000人ほどの首がここに埋葬されたことになる。特に平安時代後期の890という数は妙にきっちりと数えているところが真実に近い感じを受ける。
 どうにも歴史にも疎いのでよくわからないのだが、いずれにしても我が東北へ中央からの侵略の結果としてこれほどの首がはねられたことになる。まったくなぁ。

 これを見ながら2010.7.24付の朝日新聞の記事「世界文化遺産、道険しく」を思い出していた。内容は次の通りである。
 世界文化遺産として鎌倉を申請しようとしている。しかし、世界文化遺産の承認などする国際会議を3日間開いた時の初回に「武家の印象は教養がなく残酷というもの」と評価されたという。日本(鎌倉側)としては禅宗の信仰など高い教養があったことを丁寧に説明すべきだとの意見が出ている。

 平安時代から鎌倉時代。いやもっと時代は江戸時代近くになっても教養があるかどうかは別として、残酷な「首狩り族」の風習は残っていたのではないかと思うのだ。

 ところで首塚神社は御利益があるらしい。まず「学業の神様」である。そして「頭の諸病」に効くとのこと。頭痛や学力向上に霊験あらたからしい。じゃあボクの物忘れ病は治り、髪の毛の薄いのもフサフサになるのかもしれない。そんなわけはないな。いずれにしても平和になった世の中の幸せを噛みしめねばなるまい。
 首塚神社。なかなか奧が深かった。

   われこそは蝦夷の末裔首(こうべ)塚侵略の跡今は長閑に


桑田真澄氏(5)

6.米国を手本にしない

 野球発祥の地米国のベースボールは理想的なものではない。と、桑田氏は否定している。現在のメジャリーグは中南米などアメリカ以外からの選手たちで支えられている。
 拝金主義がはびこり、稼ぐためには手段を選ばない状態である。さらに薬物に依存する。
 特に桑田氏が強調するのは「道具を大事にしない」風潮に釘を刺しています。グラブを座布団変わりにして話し込んでいる選手を見たりしている。
 さらに戦術やバッテリーの配球なども日本野球の方が進んでいると言う。
 ベースボールは元来、賭博などと結びつきやすい側面を持っている。しかし、飛田穂洲氏たちは「ベースボール」の品格に欠ける部分を嫌って、人格を磨くことができる日本版「野球」を生みだそうとしたと言います。この日本野球の魅力の部分は積極的に受け継ぐべきだと結んでいます。

 これを読んでボクは野村克也氏の講演の言葉を思い出します。野村氏はメジャーリーグの監督をやってみたいと言います。それは桑田氏が言うように米国の野球の荒っぽさを指摘しています。それだけ日本の野球は進化していることに自信をもっていた。
 確かにパワーのある米国野球は魅力にあふれている。しかし、真似るべきでない点もあることに気づく。


【本日のワイルド・メモ】アオサギ・カラス・トビ・スズメ・キジバト


今日は横手でビールを一杯。軽く飲んで帰ろう。これにて本日のブログを早めにアップして終了。
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