若乃花のファンだった


教師生活最高の酷暑?

 愚痴は言いたくない。言わないようにしている。しかし・・・。
 今日の4時間目。つまり、ちょうどお昼時の授業だった。担当のクラスは前の時間には体育。
 ボクもそうだったが学校で一番燃えるのは体育と相場が決まっている。どんなに暑くても学校生活がだるくても体育の時間だけは必死に動き回っている。彼らにとって次の時間に頭が機能しなくなっても「そんなの関係ネー」である。ちょっと古いが・・・。

 ボクが向かった教室は最上階である。窓から風が行き来しにくい構造になっている。そこには体育が終わった後の汗だくの若者たちがいるのだ。教室中がパタパタとあおぐうちわの波。しかも窓から差し込む太陽の光や熱を遮るためにカーテンは閉めている。

 これがどんな状況かわかりますかねぇ。最近、我が愛用する携帯型熱中症計を継続監視モードにしておく。すると10分毎に状況を教えてくれる。こうすると危険ゾーンでも警報は鳴りっぱなしにならず5秒間ピーーーーーッと鳴って止まる。

 これを教室の黒板付近にかけておく。すると10分毎に「危険」の警報が鳴る。温度は36℃、湿度70%、熱中症レベル危険。

 こうなれば仕方がない。ピーッと鳴ったときに1分から2分の休憩をとることにした。

 長い間、教員をやっていたがこんなに暑さが身にしみる授業は初めてかもしれないと心から思った。
 しかし、妙にノドが痛くなっているのはなぜだろう。


初代若乃花逝去

 ボクは相撲が好きだった。寄り切るか投げ飛ばすかで勝負の決まる単純なルールが好きだった。ルールの複雑な野球はできればやりたくなかった。
 親戚の家に遊びに行ったとき。近所の子どもたちが集まって三角ベースをやろうとした時に「ファースト」という言葉が出た。その時にボクは言葉を知らずに怖じ気づいてしまった。そして、ゲームに加わらなかった記憶がある。それだけシャイだったし頭が悪かったんだろうなぁ。
 それはともかくとして昭和30年初め頃。小学校から中学校にかけての頃、栃錦に対抗する若手の若乃花の勢いは絶大な人気だった。
 当時テレビはなかった。だから相撲好きはラジオにかじりついて勝負の行方を聞いていた。
 若乃花と栃錦の対戦を聞いていたボクは、若乃花が勝ったときに
「ウワーッ勝ったーっ!!」と大声を張り上げた。
声変わりもしていない甲高い声だったに違いない。母は
「バガケ!わらし起きでしまう」
と、一喝された。考えてみると一番下の弟が産まれたのが昭和29年2月。まだ赤ちゃんの頃だったと思う。

 それだけ若乃花のファンだった。本当は千代の山になりたかったのだが゛浮気性のボクはすでに若乃花に乗り換えていたのである。

 その当時、栃錦は横綱だったが友人たちが
「栃錦のケツタボはザラザラで汚ネー」
などと知ったかぶりで言っていたことを思い出す。見たこともないことを言うなぁと思いながら栃錦はヒール役。若乃花はベビーフェース役(?)になる。もちろん若い力士の若乃花を応援したくなってくる。そんな記憶が甦ってくる。

 その若乃花が亡くなった。一世を風靡した名力士がなくなった。品格があったかどうかは知らないがすごい横綱だったことは確かだ。

   相撲道阿修羅の如く取り組んだ土俵の鬼の逝去に献杯



ビールを飲む気力もない。しかも、今日見た鳥はカラスだけ。まったくアンテナの感度が鈍くなっている。もしかしたら心の同軸ケーブルが切れているかもしれないなぁ。と、言うわけで本日のブログはこれにて終了。
アクセスカウンター
リンク
カレンダー
08 | 2010/09 | 10
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新記事
最新コメント
プロフィール

Hi-Rock

Author:Hi-Rock
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR