暮れゆく2010年


雪の大晦日

 いよいよ2010年も今日で最後。今年は何があったんだろう。政治は相変わらず(と言ってもそれは何十年も続いているのだが・・・)低迷し我々貧乏人を助ける気はないらしい。
 もっとも政治に頼っていてはどうにもならない。基本は自分で楽しく生きるしかない。

 今朝、ボーッとテレビを見ていたら今年亡くなった書家の榊莫山さんと数学者の森毅さんの懐古番組をやっていた。森さんの話が面白かった。森さんは人生80年生きるのは20年×4回と考えたほうがいい。つまり20年ずつ4回生きられる。だから歳だからとか歳老いたなどとはあまり考えないほうがいい。と、話していた。
 そうだよなぁ。それじゃあボクはもう一回(4回目を)楽しく生きられる途中ってことになる。今年はそのうちの1年だったのだ。

 と、言うわけで今年最高の出来事は「とわ」の誕生でしょうね。新しい生命が人の心そして家族を明るく前向きにしてくれると心から感じることができた。

 そして、3月まで勤めていた女子高から横手地区の普通高校に移って仕事ができたこともありがたい話である。先日、本店の社長がボクに話してくれた言葉がありがたい。

「生涯一(いち)ティーチャーでゆきましょう!」

 今年も仕事の関係で高校野球の試合をほとんど見ることができなかった。その分いろいろなことを考えることができた。ある意味、来年の高校野球の動きが楽しみである。

 若き友人たち(まぁ、ボクだけが友人だと思っているのだが・・・)が新天地めざして挑戦したことも今年の特徴かもしれない。皆、2011年は活躍してくれると思っている。『人間万事塞翁が馬』なのだ。

 そして、生存証明ブログを365日続けられたことも大きいですねぇ。毒にも薬にもならないことをつぶやいて一日終わる。これって結構ストレス解消だった。



写真は南外村の薬師堂から大向にかけての国道105号線の道路。湿った雪がボサボサ降り続いて積もっている。こんな雪の時には車の運転は要注意。そう思っていたら、ハンドル操作ができなくなって道路脇のガードレールに刺さった車の跡があった。夕方になっても降りやまないので新年は大雪で雪かきから始まるかもしれない。

午後11時からは地域の八幡神社で初詣の準備がある。今年はそこの神社の当番長。本店の社長が作ってくれた蕎麦つゆで早めに年越し蕎麦を食べ、酒はあまり呑まずに係の役割を少しは果たさねば・・・。
今年、この拙いブログを読んでいただいた皆様に感謝しつつ2010年のブログは終了です。

生存証明です


宮城から帰って

 天気予報図を見ると西高東低(低気圧が日本列島の真上に二つあるパターン)の気圧配置で年末天候は大荒れの予報が出ている。

 もしかしたら帰り道は大変かと思った。ところが順調なり。昨夜から飲み続けていたので疲れ気味です。本日は本当に生存証明のみ。

 今年も残り一日で暮れてゆきます。

ジジバカ再び


宮城へ

今日から休日に入った。本日は宮城塩竃に来ている。年末の忙しい時に何をやってるんだか・・・。
まぁ、逆に何かをしなくてはいけないからこそ遊びに出るのが良いのかもしれない。と、自己弁護しておくことにしよう(^-^)
まっとも年末だからと言って特別やる事もないのではあります。

宮城は強風警報が出るくらいで、東北線の電車も遅れや運休が出ていると情報があった。しかし、西高東低なので太平洋特有の青空になっている。

今朝の朝日だったか魁だったか。宮城にいるので確認しようがない。だからうろ覚えなのだが思い出したことがある。それは宮城女川町の生んだ大スター中村雅俊が新聞に子供の頃の思い出を書いていた。
彼はワンパク坊主の典型的な小中学校時代を送ったとの。その当時を「オダジモッコ」だったと回想していた。
ボクも宮城で暮らしたことが4年ほどある。その時の思い出に残る方言の一つである。活用は次の通りだったと思っている。

ワンパク小僧は「オダジモッコ」。ふざけんなよなぁは「オダズなっちゃ」あるいは「オダズなよ」。この辺のところは地元ならではの微妙なニュアンスがあるのでしょうけれど・・・。基本的には方言らしい方言だと思っている。


またもやジジバカ

久しぶりに孫娘のとわに会った。と、言うわけでブログの本日の写真はその中の一枚を・・・



本日はいつもの通り生存証明の内容です。本日は皆で一杯です。

反逆児はカッコいいです


雨模様に

 夕方、公的用事があり少し早めに職場を出た。空は曇り空。道路の凍結も緩み車は走りやすくなった。職場の近くにある「何でも売っているスーパーセンター・トラスト」の上空はまだまだ荒れ模様だが・・・。


立川談志 71歳の反逆児

 友人からのメールに「談志が高座を久しぶりにつとめたと話題がありました」と書いていた。

 このメールを見てオーッと驚いた。実は3年前に見逃していたNHKBS「ベスト・オブ・ベスト」で『立川談志71歳の反逆児』が再放送された録画番組を見ていた時だったからである。そこで今回はその番組から感じたことを書いておこう。

 談志師匠はケチなんだろうか。それとも合理的なんだろうか。と、思う。

 談志師匠の格言として「高いものを買うヤツにろくなヤツはいない」があった。ブランドものなどもってのほかの姿勢である。ボクはブランド物なんて全然もっていないから心からいいなぁと思った。

 さらに談志師匠がつぶやく。「落語家で寿司をいっかん五千円なんて高いのを食ってるヤツなんかバカなんだよ。寿司は回転寿司でいいんですよ。充分なんですよ。幸せの基準のネーヤツって嫌だな・・・」。自分自身の幸せの基準をしっかりもって生きているかどうかを問われたような気がした。

 そして、立川談志師匠の仕事場であり資料室の一軒家の机上には次のような文章が自筆で書かれている。

『泥棒代』
 泥棒様へ
 この家は資料室といって
 演芸等の資料だけです
 金品は有りません
 疑うなら探すことはいいですが
 荒らさないで下さい
 ささやかですが
 ご苦労さん賃です
   ¥30,000(封筒に入っている)
                立川談志

 物に対する価値観とは何か。金銭に対する感覚とは何かを考えさせられる。

 昨日のブログにも書いた「言葉の難しさ」と言うか「教育の問題」を次のような談志師匠の文章がヒントを与えてくれるような気がする。

『この歳、この肉体の衰えとの対面にグラついています。
 加えて世間の常識がジワジワと変わってきています。
 現代では協力も、それ故の思いやり、礼儀も必要でなくなれば
 「どうも済みません」という日常語も使われずにいられる
 現代の生活(くらし)となりつつあり
 それが古典落語の世界にも入ってくる。
 主題(テーマ)がダメになるのだ。共感がなくなるのだ。
 で、結果、落語という題材を使った「笑わせ屋」となる。』

 (古典)落語の世界を教育の世界と置き換えると、今後の方向の考えが深まるかもしれないと思った。まぁ、そうするかどうかは別にしてですけれど・・・。

 1時間50分の番組をズーッと見続けた。この番組をDVD化した1枚はボクにとっての永久保存版である。
 そして、落語や演芸に関する何冊かの新刊や古本をアマゾンでクリックしたのである。その中の一冊は童門冬二著『人生で必要なことはすべては落語で学んだ』である。読むかどうかは到着してからのお楽しみ。



本日、久しぶりに本店の社長に会う。野球談義を少々。元気そうで何より。そんなわけでこれにてブログは終了です。

ところでモバイル用に使っているipadが突然電源の入らないブラックアウト状態になった。ヤバイッ故障だ。これは明日にでも購入した仙台店まで直行しなければと契約書類を揃えた。その後ネットを調べてみたら下の「メール人語」というブログに到達。そこに復旧方法が書いてありました。その通りに実行したら見事に復旧。アドレスは↓です。とても参考になることが書いています。感謝感激です。

http://blog.itoy.jp/mobile-phone/iphone-freeze.html#comment-2533

言葉の使い方


30僂寮兩磴

 昨日の有馬記念。ヴィクトワールピサとかいう馬が勝った。本命のブエナビスタが追いかけたが鼻差2僂両”蕕世辰燭箸いΑ実際にテレビなどでも見ていなかったので今朝の新聞を読んで分かった。馬連で1-7である。
 実はボクも馬券を買っていた。3-5-9-13のボックス。かすりもしなかった。これでいいのだ。ボクは本命や2番人気などに興味はない。常にそこは避ける。だから当たらない。
 と、言うわけで軽く一蹴されたのである。馬に蹴られると痛いですね。そんなわけで昨夜から積雪は30僂歪兇┐拭重い重い湿り雪である。
 でも雪の降った景色は悪くないなぁと思っているのも事実だ。


確かに行き過ぎかもしれないが・・・

 さて競馬に負けた失意のどん底で本題に移ろう。ケイパとはまったく関係のない教育論。かな?

 最近、報じられていた二つの事件?について考えたい。
 一つは盛岡の中学校でのこと。英語の宿題に「これをやらないと呪いがかかります」と印刷して配付した件。もう一つは青森県内の公立中学校で課題を出さない者は「愚か者」として愚か者リストなどを掲示したことなどで訓告処分を受けたこと。なんだか新幹線青森延長の影響なのか盛岡から青森にかけて中学校がにぎやかである。

 ところでボクは「こんなこと」が問題になることが問題だと考えている。だって宿題をやってこなかったり課題を提出しない諸君にちょっと厳しい言葉で注意することは当然ある。
もしかしたら
「何だ課題をもってこながったのか!バガケ」
と、言うかもしれない。愚か者とバガケ(馬鹿ケ、は馬鹿者と同意語)の間にはあまり差はない。あるいは
「提出さねば進級(あるいは卒業)させねど」
と言ったりすることも、まぁあるだろうな。

 今も放送しているかどうかわからないが、テレビCMで「御飯やおかずを残したらもったいないオバケが出るよ」というのがあった。
 とても良いCMだと言われていたらしい。見方を変えればお化けを利用して脅しているのだ。
 今回の中学校で問題になったことは、せいぜいこのレベルではないかなぁとボクは思うのだ。

 言葉がおどろおどろしいことは認める。しかし、新聞にデカデカと載るほどのことではない。まるでこの先生たちが極悪人のように感じる。つまり、過剰反応なのである。

 今の世の中の世相を映しているような気がする。あまりにも正しいことが前面にでてしまい、小さな悪事やちょっとした行き過ぎを誰かに見とがめられて指弾されて騒動になってゆくパターンだ。
 おそらく誰しもが「それくらい、いいんでねーの」と思っていても誰も言い出さない。言い出せないでどんどん情報はふくらんでゆく構造だ。
 「生類憐れみの令」のような感じになる。生命は大切にしなければならない。これは大切なこと。しかし、あまりにもピュアな考えの行き過ぎは窮屈な世界になってしまう。

 朝日新聞の2010.12.10付の投書欄で千葉県の66歳主婦の方が『宿題をしないと「呪い」なぜ問題視』と疑問を投げかけている。その方が投書の最後に次のように書いている

『私にはことさらに問題視した保護者や学校の気持ちが理解できない。ましてや教育委員会が処分を検討するような事柄とは思えない。こうした過剰な反応が現場の教師を萎縮されるのではないかと心配している』

同感である。その通りだと思う。

 ボクの大好きな言葉に「いい加減は、良い加減」がある。「いいかげん」はデタラメではなく「いい加減」である。まぁ、少しは「いいかげん」もあるのだが。要するにそれくらいでちょうどいいんではないかなぁと思っているのだ。



宿酔いも回復。季節は大雪になりつつある。年末はどうなりますか。これにて本日のブログは終了です。

仕事は「やりがい」あってこそ


縁は異なもの

 今年の呑み納め。昨夜は某焼き肉屋にその昔、某所で一緒に仕事をしていたメンバーたちが集合。写真後方左から二人目が全ての厄災のもとである「悪の権化」なのである。本人は善人だと言っているんですけれどねぇ。

 NHKで放映している番組「課外授業ようこそ先輩」を時々観ることがある。いろいろな分野の一流の人たちが母校の小学校に帰って授業をする。やはり、一流には一流の流儀があってとても良い。そのテーマ曲が「Le Couple る・くぷる」の『縁は異なもの』のサビの部分である。

 ♪縁は異なもの それもいいもの
  ちょっと前は 他人でも
  これが inspiration そうね Destination
  一瞬の出逢いもなぜか 永遠になるのね

 おそらく某所(学校)で出逢わなかったら、こうやって呑みはできない。ここに写っている全員はボクが最初に出逢った場所から離れて、それぞれ違う場所で生き生きと働いている。
 話しながら呑みながら酔いながら人が働くとは何か。どんなことが大切なのか考えさせられた。
 簡単に言えば仕事には「やりがい」が必要ってことだ。さらに言えばその人の目線は何を見つめるかである。それらのことを求めて新天地へと飛躍した仲間たちだ。

 昨夜のメンバーは皆一流の「芸」をもっている。それを今後とも活かして、今後の活躍に期待したい。『縁は異なもの』の歌詞にあるようにインスピレーションをもって一人一人の目的地を目指してくれーー。そして、また呑もうゼ。本当に縁は異なものだなぁと思う。

 ボクが日本酒を飲むことに決めてから2~3ヶ月になる。昨夜は一人で300ミリリットル入り冷酒を3本あけた。ってことは5合を呑んだ計算になる。自宅に帰ってから缶ビールを開けてしまった。大酒飲みなのだとあらためて反省している。おかげて一日中宿酔いでグータラグータラしていた。ウーム・・・。



大雪警報

 テレビ画面では由利本荘地区と雄勝地区に大雪警報が出されたと臨時ニュースが流れている。わが家の周辺でも30センチメートル以上積もった。
 宿酔いを治そうと朝に1回。夕方に1回除雪機を出動させた。さっき外を見たらまた10センチメートルほど積もっている。明朝も除雪作業だろうなぁ。と、思いながら今宵は休肝日。これにてブログは終了です。

やはり落語の力ですね


横殴りの雪が

 昨夜からの風が収まらずビュービュー吹雪である。気温も上がらず真冬日だろう。家の前の除雪をやって午後からは少しノンビリとした。
 風の音を家の中で聞いているのも案外悪くはない。


桂七福さんのいじめ経験から

 2010年12月19日付の朝日新聞に『伝える いじめられ体験 徳島の落語家 小中100校で講演』という記事が掲載された。

 この記事の中で徳島の落語家。落語家は普通は東京か大阪にしかいない。それが徳島の落語家である。アレッ珍しいなぁ、もしかしたらこの人のCDを持っているぞと思った。
 例によってとっちらかっているCDやら本・雑誌の山をガシャガシャとひっくり返してみた。すると見つかりました。徳島に住む桂七福さんという落語家の自費出版とでも言える1枚である。

 桂七福さんが直接売っているのではなく長野県にある長谷寺が販売している。通信販売で入手した。長野の長谷寺は信州・鎌倉・奈良それぞれにある日本三所長谷観音の一つとのこと。
 このCDには信州・長谷寺の由来を落語にして納められている。タイトルは『ふるさと落語 白助(しらすけ)物語』。その解説の一部には次のように書いてある。

『長谷観音の開基シラスケさんのお話が落語になった!聞いてびっくり、笑って納得、長谷観音のはじめて物語。桂七福さんは桂福団治に入門。作家藤本義一氏に桂七福を命名していただく。落語家では珍しく「人権」「福祉」「教育問題」「文化」「健康」「ボランティア」などをテーマにした講演活動にも力を入れる。また、各地の伝説・民話・風習・情景・伝統芸能などを盛り込んだ「ふるさと落語」も展開』

 なるほどなぁ、そんな人だったんだ。と、CDをあらためてながめた。このCDは確かに二度ほど聞いた。しかし、話の途中で寝てしまった内容はまったく頭に入っていない。まったくなんてこった・・・。

 それはともかくとして本題の新聞記事に入ろう。桂七福さん自信もいじめられ体験があるとのこと。小中学校での講演は延べ100校になったとのこと。

 この記事にある七福さんの言葉(ゴシック体で目立つように書いている)を抜き出してみたい。

『いじめは線がひきにくい。それがいじめかどうかは、いじめられている方にしかわかりません』
 七福さんへのいじめは小学3年生から始まったという。きっかけは両親の離婚で徳島に引っ越した。そこからはじまった。最初は無視された。それがいやで、自分から同級生に声をかけなくなると、持ち物がなくなったり、通りすがりに蹴られたりした。何か言おうとするとからかいの言葉がかえってきた。そのために息をのむみせがつ、うまく言葉が出なくなった。
 中学では、いじめから逃れようと休み時間は毎日図書室で過ごした。そこへ担任教諭が来て「いつも来てるね。本が好きなんだね」と言って立ち去った。自分は信号を送っていたつもりだったのに、きづいてももらえなかった。と、落ち込んだ。
 心配をかけたくなくて、母にも言えなかった。じっとマイナスの感情を抱え込んだ。それは今思うと「回り道」だったという。

『いじめられている人は助けて、しんどい、つらいと言おう。チクるんは卑怯なことじゃなくて、本格的に戦う準備をするということや。傍観者も堂々とチクろう。それは、いじめられている人を守るということや』
そして、いじめられている人には、次のように伝えたいという。

『人間はほっとっても寿命が来たら死ぬ。だから、どんなに悩んでも自分から死ぬ方向には絶対に行くな』

 七福さんの話に鋭く納得する。
 教育現場で、いじめとの取り組みは永遠の課題かもしれない。人間が集団である限り。人間が動物であるからこそかもしれないが、形を変えたいじめは常に存在すると考えて良いだろう。どのように対応するか。気づいてあげるか。これらが最も大切なことだとボクは思う。

 ラジオでまだ放送しているかどうかわからないが日曜日に部活動に出る時間帯流れてくる番組を思い出す。
「心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も相手の胸に届かない」
これを聴くと「アーァ、オレには愛がないから何を話してもダメだべなぁ」と思っていた。考えてみれば言葉を伝えることは難しい。そして、その人の言葉を聞く側の精神状態も言葉が伝わるかどうかの問題があるんだろうなぁ。

 桂七福さんの記事。いろいろと考えされられました。そして、CDを三度目聴いてみよう。また寝てしまうだろうなぁ。だからボクの心には愛がないのだ・・・。

詳しくは朝日新聞のWEB。下のアドレスでも読めます。
http://www.asahi.com/edu/student/news/TKY201012200080.html



本日はクリスマス。クリスマスとは関係はないのだが久しぶりに会える前の職場の仲間たちと食事会。要するに飲み方。夜のブログアップは酔っ払って落としてしまう危険性がある。だから早めにアップしておきます。これにて終了です。

笑顔がいいねぇ


スナップ写真

 ボクは写真を撮るのはとても難しいなぁと思っている。。特にスナップ写真を撮ることは難しい。
 本日の上のスナップ写真は昨夜一緒に食事会をやった旧友のお嬢さんたち。YUUちゃんとMIUちゃんである。三姉妹なのだがもう一人NAUちゃんは熟睡中で二人を撮影。

 二人の写真を眺めながらスナップ写真について考えた。なお、ここにアップするのはご両親と本人たちの許可を得ています。


 今、スナップ写真は危ない状態になっているらしい。と、言うのは他人にカメラを向けることが難しい時代になっているからだ。

昨日(2010、12、23付)の朝日新聞に「私の視点」と題して写真評論家の飯沢耕太郎と言う人が『「撮る自由」いかに守るか』と意見を書いている。内容の一部を超簡単にまとめると次の通り。

『携帯電話のカメラによる「盗撮」が事件になり、スナップ写真に対する警戒感が増幅しているのは間違いない。しかし、新聞や雑誌の自粛に確たる理由があるとは思えない。個々の事例を見ると、スナップ写真を撮影されることで不利益を被る人は、そんなにいないのではないか。それよりも、社会全体に漂っている重苦しい不安感や閉塞感が、人々を過剰な自己防衛に走らせているような気がする。
 スナップ写真は19世紀後半以来、写真表現の重要なジャンルの一つとして発展してきた。多くの写真家たちがその時代の路上の光景を切り取ってきた。それらの写真には時代の空気があたかもタイムカプセルに封じ込まれていたように生き生きとよみがえるのを感じる。』

 岐阜県に増山たづ子さん(1917年(大正6年)~ 2006年(平成18年)3月7日)という方がおられた。増山さんは61歳になってからいわゆるバカチョンカメラ(ピッカリコニカ)でダムに沈む自分が住んでいた徳山村の人々を写した。それが、写真集『徳山村写真全記録』になったのである。本を開くとスナップ写真がたくさん入っている。笑顔がいっぱいの優しさあふれる写真集なのだ。
 この本はスナップ写真の「力」を感じさせる。ところでこの本は現在入手が難しいらしい。古本で14000円を超えていることも発見した。驚きですねぇ。それだけ素晴らしいスナップが納められた写真集である。
 下の写真は増山さんの写真集『徳山村写真全記録』をパッと開いて見えたところを撮影。

 21日にNHKが放映した『にっぽん紀行 鳥取砂丘の16歳・笑顔写真の秘密』を見た。
 鳥取砂丘の近くにある聾学校に在籍する16歳の少年は写真に取り組んでいる。写真展などで入賞もしている腕前だ。この少年がテーマとしているのは「人物」。
 彼が16歳になるまでに撮影した写真の中には撮影した人たちの素敵な笑顔がはじけている。テレビ画面から伝わってくる写真を見るだけで幸せな気持ちになる。
 ところが彼は16歳になった時に壁にぶつかってしまった。人物写真を正面から撮れないのだ。人の姿を後方から撮ることしかできなくなったのである。
 理由は聾唖者であるために「写真を写させてください」とお願いする勇気がなくなったのだ。笑顔のスナップ写真をもう一度撮影できるための努力と取り組みの過程が放映された。

 この番組を見ながらボクも「そうなんだよなぁ。撮してもいいですか?」とお願いするのは勇気が要るからなぁ。と納得していた。
 笑顔の写真を撮りたいものですね。写真は(も)奥が深いです。



冬型天気大荒れの様相。夕方から路面が凍り付いた。地吹雪が結構すごいので積雪はそれほどではない。しかし、寒さはどんどん加速しているようだ。依頼されていた打撃理論のDVD作製をしなければ・・・。と、言うわけで本日のブログは何の「オチ」もなく終了です。

好きこそ物の上手なれ


日差しも出て

昨夜から大荒れになると予報は言ってたが、比較的のんびりと過ごせる日だった。日差しも出て良かった
写真は我が家に雪の積もっている場所で。トンガリ帽子に見えるのは井戸のホコリ防止用の屋根。上水道が引かれてからは井戸の役割は終わったようであるが、ドッコイ元気に活躍している。夏の水撒きには最適なのだ。


天皇誕生日

休日がありがたい一日。あまり天皇については言及したくない。しかしテレビをボーッと見ていたらクニマス発見について話していた。
その中で、「さかなクン」の名前をあげて発見の貢献をたたえていたのが印象的だった。

さかなクンのあの甲高い声を聞くと一瞬「アレッ」と思うことがある。動きも何となくアヤシイと感じる。多動気味である。もしかしたら、子供の頃はいじめられたのではないかと想像している。あくまでも想像です。
しかし、今は東京海洋大学客員准教授であり世紀の大発見に貢献した。「好きこそ物の上手なれ」を体現したと言える。すごいぞ。と、エールを送りたい。

いじめと言えば2010.12.19付の朝日新聞に落語家桂七福さんの体験談が掲載されていた。そのうち、とりあげたいと考えている.

おそらく、天皇の話の中に「さかなクン」という名前が出たことは歴史的な「こと」(事件とは言いません)だとボク考えている。


とりあえず、本日は早めにブログアップです。夕方から旧友との一杯です。

楽天の補強に思う


受難の鳥

 鹿児島県出水市は世界有数のツルの飛来地として知られる。そこで飛来したナベヅルが鳥インフルエンザに感染していることが報じられていた。

 気の毒なことだ。日本全国で鳥インフルエンザを恐れて冬場のハクチョウに餌付けを中止した。それまでチヤホヤしていたのに・・・。と、ハクチョウたちの戸惑っている様子が伝わってくる。

 ヒトの都合で野生生物がどんどん脇においやられてしまう。クニマスにしろ今のハクチョウやツルたちも同じことだ。
 ただ、ヒトに感染しないとは言えインフルエンザウイルスは素速く遺伝子を変えているとも聞く。だから鳥だけに限らない怖さがあるのだろう。

 まさに受難の鳥たちである。天然記念物の出水はどんな対応をするのか注目したい。写真は今朝雨の中を飛んでゆくハクチョウ。


楽天の大補強の裏で

 日刊スポーツ(20101.12.10付)の「これだけは言っておきたい」に『楽天・ブラウン監督の耕した土壌に花が咲く』と題して宮下敬至記者の署名コラムがあった。

 簡単に要約しておきたい。

 楽天は今年の春、野村克也監督解任して広島からブラウン監督を充てた。その結果は、野村さんが講演でも言っていたように最下位だった。

 しかし、宮下記者は楽天の2010年はリセットすべき最下位の過去ではない。と、言い切っている。

 名監督野村克也氏の跡を継ぐのは至難のこと。それをあえて引き受けてブラウン監督のおこなったことは何か。
 球団は中・長期的なスパンで1~2軍を連動させ、強固な組織をつくる。と、いう方向性を掲げていた。その方針をブラウン監督は理解し実践していた。

 さらにブラウン監督はあくまでも現役選手に対する敬意を忘れない指導者だったと言う。

 一つの例は選手が失敗した翌日監督室に呼び「なぜ、あの場面、ベストのパフォーマンスを出せなかったか一緒に考えよう。解決しよう」と、ともに悩む監督だった。そのことによって聖沢、内村、牧田、片山、青山若手の潜在能力は開花したという。

 楽天は星野監督をはじめとして、田淵コーチ、メジャーからは松井稼頭央、岩村、さらには韓国人のMLBピッチャー獲得をして「勝利至上主義」に舵を切った。プロ野球としては正論だろう。

 ブラウン監督は「昨年2位のチームを引き受け、遠慮してしまった面があった。きっかけをつかんだ選手は自分を信じ、さらに能力を伸ばして」と、少し残念そうだった。じっくり耕した土壌がある。花を咲かせるのが星野監督の責務だ。と、結んでいる。

 これを読みながら色々な考えが交錯した。
秋田の高校野球勝利予算の問題。じっくりと選手を育てることの大切さ。プロ野球ならば金さえ積めば選手を集めて勝つチームを作ることは可能だろう。しかし、高校野球ならば地道に選手を育ててゆくことが大切だと考えたりした。

そんな訳で本日はモバイルパソコンで入力している。使い勝手が悪いのだがなんとなくアップできそうだ。これにて本日のブログは終了です。
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