疾走する歌


二月も終わりに

 早いなぁ。さすがに二月は「逃げ月」と言うくらい(誰が言ってるのかわかりませんが・・・)に足早に過ぎ去った。
明日から高校の卒業式が始まる。今日はその準備が行われた。式場になる体育館には花が飾られ雰囲気が出てきた。
 その飾られた花を一枚撮影してみることに。桜だが種類は?


二・二六

先日の友川カズキのコンサートの後で購入したCDにサインしてもらった。彼は一度CDの表面に日付を書いた。ところが、本当の日付をど忘れしたのだろうか。
スタッフに

「今日は何日?」
「二月二十六日です」
「アッ、ニー・ニーロクだね」
それを聞いてボクも
「そうですね!!」

と、あいづちをうった。そしたら一度書いた文字をグシャグシャトと消してその下に日付を書いてくれた。これはこれでなかなかに味があります。思い出としてとても大切なメッセージである。

 正直言ってニー・ニーロクはよくわかりません。ただ、ボクの父が話していた記憶がある。
 父が東京の大学生の頃に事件がおきたと話していたことがある。しかし、酒乱の父からそれ以上詳しい内容を聞いたことがない。まぁ、ボクもあまり2.26事件に興味がなかったのであるが・・・。ただ、言葉として知っていただけですけれど。

 このCDの『無残の美』は当日並べられていた中で結構初期のもの。販売している人に新譜ではない古いCDはと聞いたらこれを紹介された。

 タイトルになっている『無残の美』は弟の自死を歌っている。短い小節の中に言葉を一杯詰め込んで歌は弟への思いと悲しみと無残さが疾走する。若いときに亡くなったボクの弟を思い出した。
 ある意味で(どんな意味だ?)2.26だった。



久しぶりに職場のK君と話した。彼の仕事する手元を見つめて

「何をやってるん?」
「出席簿をまとめています」
「いいねぇ」
「その都度やってます」
「それが大事だねぇ」
「でも、これを指摘されましてねぇ」

と、一か所を示してくれた。どれどれと覗いたら祝日に旗を書いているのだ。
例えば「卩 春分の日 卩」のような感じですね。

「この旗の日の丸の色が黒いから指摘されたのかと思ったんすよ」
「・・・・」
「すると赤い日の丸にしてもダメらしいです」

それにしても出席簿の休日に旗は初めて見たぞ。でも、ボクは良いと思うんだけどなぁ。K君はとてもいい男なのだ。

  黒い雪かくしたはずの心根が現れいずるマナーはどこへ

これにて本日のブログは終了です。

継続は力なり


友川カズキコンサートにて

 まず、彼のドキュメンタリー映画。一人の真摯な男友川カズキを追いかけている。フランス人の監督が撮ったらしい。購入したパンフレットをまだしっかり読んでいない。後で読んでみよう。常に移動するカメラワークのためか画像の揺れが見てるボクを疲れさせる。ちょっと酔わせる感じだった。
 フォークシンガーであり競輪狂のギャンブラーであり書評家であるなど多彩な活躍の場が彼の演奏を紹介しながら展開される。とても人間らしさを見せてくれる。
でも、映画は友川の時々見せる素顔を切り取っていた。だから、見終わったあとに不思議な共感が生まれていた。途中、一回寝てしまった。ごめんなさい。

 演奏会。最初お客さんの数を予想していた。おそらく50人前後かと・・・。ところがボクの野鳥を数える鋭い目は一瞬にして聴衆を500人前後とはききだした。
彼がコンサートの運営をしてくれた人たちに謝意を話した時に
「いつもなら5~6人しかはいらない」と話していた。半分ギャグ半分は本音だったのだろう。

 彼の歌はドキュメンタリー映画で本人が話していたように「ガンガン歌うか静かに歌うかしかない。生き方と同じように中韓はないんです」の通りだ。35年前とまったく変わらない。

 トークが良かった。友川カズキが苦労してきた歴史を思わせた。秋田を想い秋田から離れたい願いがあったような気がする。

お客さん(この客たちが悪い)が妙に悪ノリをする。ステージの彼に声をかけた。

「秋田弁でしゃべってもエード」

彼の目は一瞬マジになった。

「オレが新宿のゴールデン街を歩いていた時、向こうから来た男に声かげられだ」
「オメ友川ダベ、俺も秋田出身だ」
「イッパツぶん殴ってやりました」

話が実話でも作り話でもいい。友川は秋田を引きずっていない。もっとよく見てくれと言いたかったのだろう。

 会場ではワンドリンクが有料で提供されていた。呑んで酔っ払っていたのか客席がざわついている。特に一人のつぶやき声がうるさい。

「ジッコ、ウルセ!金払えばエエワゲデネベ」

と、一言言って演奏になった。その通りだと心から思った。

 また、何と言うことでしょう(`へ´)凸。後ろに座っているオバサンがステージで話す友川の内容に大声で笑う。声をかける。これ見よがしに相槌をうつ。過剰反応ダベと苦々しかった。中国に泣き女と言う人たちがいるらしい。あのオバサンはウナズキ女だ。まったく・・・。

 コンサート後にDVDやCDを購入した人たちに本人がサインをしてくれた。もちろん買った。サインをしてもらった時に
「35年ほど前に能代で旅立ちコンサートに行ったんシ」
と、言ったら
「忘れてください」
と、言われた。それが上の写真です。

 さらに読書家の彼が先日芥川賞を受賞した西村賢太を熱く語った。芥川賞を受ける前に西村賢太の文庫本に友川カズキは解説を書いている。それだけの交流があったのである。本(小説)を見極める目の鋭さに感銘した。その文庫本は一冊ゲットした。

 一つのスタイルで歌を歌い続ける。競輪で負け続ける(勝つこともあるんでしょうが)。本を読み続ける。継続は力になるのだと良いコンサートだったと思う。



 その後の一杯が美味くて飲みすぎてしまった。最後にはシクシクとお腹が痛くなった。朝、早く某ホテルの部屋の鏡に自分を映して腹痛から回復気味の自画像を撮影。
 そして、仙台に向かった。


これにて本日のブログは終了。

友川カズキに行く


梵天あげ

大曲の街中を歩いていたら梵天奉納(あげ)の一行が軒先で歌っている。梵天の歌を歌ったあとにジョヤサジョヤサの板をバチャッバチャッと二人でお互いにぶつける風景が懐かしい。
こうやって42歳の歳祝いをやり厄払いをするのだろう。
ところで梵天は我が方で「ぼんでん」と言うのはなまってるガラダベガ?

今日は秋田市で友川カズキのコンサートと映画がある。
友川カズキはジャンルわけをすればフォークシンガーってことになると思うが、そんなことはどうでもいいことです。
三十五年ほど前に若美街に住んでいた。その頃に遊びに出る街は能代だった。仕事は夜だったので昼の間は暇人そのもの。昼前に下宿の布団から抜け出して能代に向かう。能代にはボクの知ってる限りでは二軒の本屋があった。一軒の本屋で一時間くらいずつブラブラして欲しい本を探していた。そして、もう一軒の本屋に入る。そして、本棚の周りをウロウロとした。
その時に「友川カズキ旅立ちのコンサート」だったと思うがポスターがあった。これは当然、行かねばと思った。友川カズキなんてシンガーはまったく知らない。でも、ボクの中の誰かが「ゆけ」と言っていたような気がする。
記憶がかなりぶっとんでいるのだが、その時に一緒に出演したのが「生田敬太郎」や、まだ売り出していない能代の高校生だったと思う「とんぼちゃん」の二人。などのように思う。
その時に友川カズキが歌った「生きているって言ってみろ」に衝撃を受けた。ズーズー弁丸出しでシャウトするのだ。しばし、圧倒された。今、思えばその時に最近魁新報に自分の生い立ちを連載している野添憲司さんが激励の言葉を言ったような気もするのだが・・・
まぁ、そんな友川カズキの映画とコンサートに行く。

詳しいことは後日。これにて本日のブログは終了です(^-^)/
秋田市の某ホテルにて(・_・)

カタカナ語はゴマカシ語?


暖かな朝

 夕方になってから雪になってきた。これまで一週間雪なしの生活をしてきたので少しつらいところがある。

 しかし、朝はけっこう暖かった。氷点下にならない朝は何日ぶりだろう。

 勤務に向かう途中で大森町に入る。ひたすら南に向かっているルートから東に進路をとる。今朝は朝日がボーっとかすんで見えた。そこで写真を一枚。

 まだまだ雪は覚悟しなければいけないだろう。しかし、道路に雪はほとんどなくなり運転する時の気持ちはとてもいいものです。でも、気をつけて運転しなければと気を引き締めている。


分かりやすい日本語の工夫こそ大切

 2011.2.25日付の朝日新聞「声」欄に『カタカナ語の公的使用は控えよ』と題して山口県の藤山照夫さんが投書していた。
 山口さんの論調は政治家はどうしてカタカナ用語が好きなんだろうと疑問を呈している。
 たとえば「マニフェスト」「アジェンダ」「ハザードマップ」「パブリックコメント」「コンプライアンス」をあげている。確かにそうだよなぁ。

 自民党から飛び出し新党を立ち上げた栃木出身の渡辺さんなんかが「アジェンダ」を連呼していた時は「アッ、ジェンだ」つまり秋田弁でいえば「アッお金だ」の意味だと思っていた。そして正直に白状します。「アジェンダ」の意味が分かりません。

 2~3日前のテレビのお笑い番組で「日本人はどうして英語ができないのか」と芸人たちが議論していた。
 その理由の一つは、太平洋戦争後にマッカーサーは日本人の識字力の高さに気づいた。その識字力をもってすれば英語の学習内容は読み書きだけで充分とした。だから会話はまったくだめにのなったというのだ。つまり英語ができないのは米軍が画策したとのこと。本当かどうかわからないがいろいろと分析していた。
 その話の中で最も信憑性のある分析は日本独自のカタカナ英語が英語力を妨げているということだった。
 例えば「ホッチキス」は英語圏ではまったく通じない。「パン」も通じない。中学校の時にバター付パンを「ブレッドアンドバター」と習ったときは衝撃的だった。そして、それから10数年後に「ケンとメリー」の歌を歌ったグループが「ブレッドアンドバター」だったこともびっくりしたのだが・・・。スーパーで「パン」言えば鍋の売り場に案内されてしまうことも実証していた。「コーヒー」も通じない。野球だったら「ホームラン」も本来の英語ではないようだ。ただ、今では和製英語が本場MLBで使われているようだけれど。

 どうしてもハイカラ趣味の日本人はカッコつけてカタカナ語を使いたがる。それはそれで良しとしましょう。しかし、大切な部分はわかりやすい日本語で説明すべきだ。

 はっきり言ってカタカナ語を使うことは「ごまかそうという意図」を持っているのではないかと思っている。

「あなた、これくらいのカタカナ語は知っていて当り前ですよ」
「・・・・・」

見えっ張り(秋田弁でエフリコギ。ボクですが…)の日本人は知ったかぶりをする。そして、最終的にはわからなくてもわかったふりをして誤魔化されてしまう。まったくなんてこったですね。

 ところでボクが最近よくわからない言葉がある。それは「リテラシー」という言葉。「シラバス」という言葉。などなどだ。もっと簡単な分かりやすい言葉で表現すべきだなぁといつも思っている。

 カタカナ語を使うから偉いわけでもないし。物事をよく理解しているわけでもなさそうだ。むしろ簡単な言葉に言い換える能力こそが大切なのではないかと考えている。

投書した藤山さんも次のように言っている。

『できるだけカタカナ用語を使わないようにし、どうしても適切な言葉が見つからない場合は分かりやすい説明を付けてほしい』

ボクもこの意見に大賛成だ。できればカタカナの詳しい説明も読むのが面倒なので、最初から分かりやすい日本語にしてもらえたらもっとありがたい。

と、まぁ今日はあまりカタカナ語をあまり好きではない時代遅れかもしれない男の怒りの一言でした。

  カタカナ語意味不明でもうなずいて友に意味訊きふと苦笑い



わが職場のお茶飲み場?にシイタケ茶の粉末が入った小さな包みが置かれた。20袋くらいかなぁ。オッうまそう。と、茶碗に一袋入れてお湯をドボドボと注ぎ撹拌しシイタケの擬似的な香りとうっすらとした塩味を楽しむ。
するとわが職場のK君が

「よく飲めるすなぁ」
「ウメベェ!」
「いや、絶対に飲めませんシイタケは嫌いです」
「好き嫌いをすると人生半分損するデー」

彼はシイタケが大嫌いらしい。匂いから味から全部ダメとのこと。旨みの三巨頭のシイタケ・昆布・鰹節の一つがダメらしい。ウーム。
これにて本日のブログは終了。軽くビールでも…。

人知の及ばぬところに人知を


鉛色の水

 山間部を走っていると小さな水路を何か所も通る。川もあれば小川もある。宮城ではこんな小さな川を「ほり」と呼ぶ。おそらく「壕」を言うのだろうと思っているのだが・・・。今朝は氷点下にならず水もぬるむ様子を感じた。

 その小さな壕には鉛色の水が流れている。鉛色と言えばおよそ暗くて重っ苦しいイメージだ。しかし、今朝の水面はそんな感じをうけなかった。よしよし大丈夫だよ。これから暖かくなってやるぞというゆったりした意志を感じた。


ニュージーランドの大地震

 ニュージーランドのクライストチャーチで起きたマグニチュード6強の地震の被害は大きい。テレビ画面に出てくる煉瓦の建物が崩れた瓦礫を見ると月並みな表現だが気の毒だなぁと心から思ってしまう。さらには日本人留学生の多くが行方不明となっている。帰りのラジオニュースで不明の方々の名前と年齢を報じていた。皆、若い。気の毒である。

 今朝(2011.2.24付)の朝日新聞天声人語に阪神大震災を経験した防衛大学長の五百旗頭真さんの(五百旗頭をイオキベと読む)言葉が載っている。

『大地の悪魔は突然、家を持ち上げ地面にたたきつけ、両手で家を引き裂こうとした」。そして思ったそうだ「本気で殺しに来ている!」』

 この言葉を読んでボクが体験した阪神大震災やクライストチャーチの地震には及ぶべくもないが日本海中部地震(本当なら男鹿能代沖地震と命名すべきだと今でも考えている)を思い出す。
 1983年5月26日。28年前のことだ。妙に暑い昼のこと。
 ボクは某農業高校の昼間定時制に勤務。午後の体育をグラウンドで実施しようと思いグラウンドを確認のために農場を通り雄物川の土手に上がった。その時に地震は起きた。
 一瞬、何が起きたのかわからなかった。地面が大きく揺れている。地震だと思った時に向こうに見える金谷橋の異様な風景に驚いた。ユラーリユラーリとスローモーションのように揺れているのだ。仙台駄菓子にねじり棒がある。そんな感じの橋を見ている気がした。幸い崩壊はしなかった。だが、もう少し揺れる時間が長かったら崩れ落ちたかもしれない。
 地震がおさまってから校舎に帰ったら午後の授業どころではなかった。バスも鉄道もすべての交通機関はストップ。生徒諸君の帰り道を確保することに精一杯。角館や田沢湖方面から来ている生徒たちをボクが送ってゆくことになった。
 大きな揺れだったのだが大曲仙北地区は震源地から数十キロは離れている。壊滅的な大きな被害はなかったようだ。
 その後、少しずつ聞こえてくるのが津波の被害。「本気で殺しに来ている」地震によって奪われた多くの犠牲者がでた。その当時、南外村のスキー場によく訪れてくれた隣町の男性が釣りをしていた男鹿で犠牲になったことを後で知った。

 先述の天声人語には昨年亡くなられた歌人の竹山広さんが阪神大震災を詠んだ一首を紹介し不明者の救出を願っている。

『「居合わせし居合わせざりしことつひに天運にして居合わせし人よ」
そのときそこに「居合わせた人」よー。鎮魂の調べは、自身の長崎での被爆体験が根にあるという。居合わせる運命に人知は及ばない。しかし今、悲運から命を救えるかどうかには人知は及ぶ。希望を捨てず、一人でも多い救出を諦めるべからず。ねばり強く、一秒でも早く、を現地に願う』

とても格調の高い歌であり文章だ。ボクも「居合わせぬ」者として心から救出を願いたい。

  大地震人知を超えて襲えども人知を尽くし生還祈る



わが職場のK君が先日購入しW君にプレゼントしたサングラス。今日、W君がかっこ良くかけているではありませんか。ちょいて借りて手に取ってみると重さと言いとても良い。
「かけてみてもいい?」
「いいすよ」
早速かけてみたら
「電撃ネットワークみたいです」
「ウーム」
電撃ネットワークがよくわからなかったのでネットで調べたら「南部虎弾」という命知らずの男がいた。ボクはそんなに凶暴ではありませんがなんだか似ている感じもします。フフフフ。本日のブログはこれにて終了。

メンタルなど地道な試みが良い


月は西に日は東に

 タイトルを「月は西に日は東に」と書いて何と違和感のあることか…。だいたいは「月は東に日は西に」と言われる。

 3日連続で晴れの朝。さすがに今朝は昨日のような朝の冷気をスーッと吸い込むとシュンッと一瞬に鼻毛が凍り付くような冷え込みではなかった。それでもマイナス5℃くらいになっていたと思う。

 通勤の道路は基本的には南に向かって走る。だから右手の西にある山の端に沈みきれない半月が未練たらしくかかっていた。
 ちょっと車を停めて1枚撮影。明るい空に浮く月を見るのも何か月ぶりのことだ。

 そして、山の木々を見ると積雪と木の根元には空間が開きはじめている。こうなるとどんどん春が近づいている感じがする。
 そして、ユキムシと呼んでいる黒いカワゲラの仲間を先日見た。小さくて黒い虫なので気づきにくいがこれが出てくると間違いなく暖かくなるのだ。

   雪虫がゴマ粒のごとはい回り春の便りを十ミリに詰め


メンタルトレーニング

 先日(19日)高野連の主催で栄養講習とメンタルトレーニング講習会が実施された。参加された野球部の顧問から聞いたのだが一言で「よかった」と話していた。

 特にメンタルの講習については入門編としての内容だったらしいが受講してとても参考になったとのこと。
 話を聞きながらこの入門編をどのように発展させてゆくのか。指導を受けたメンタルの内容をどのように部員諸君に伝えてゆくのかが課題となるベナと先輩ぶって話したような気がする。3分前のことを忘れてしまうので申し訳ないが…。
 講習をやってくださった講師の先生方が一生懸命だったこともとても好感が持てたと話していた。
 よいきっかけの講習だったようだ。このような機会を作って継続することはとても大切なことだと思う。運営などは難しいんでしょうが目に見えない部分での地道な取り組みが大切だろうなぁ。


最近、K君との会話がなかなかできない。少しさびしい感じがするのだが忙しい中での会話だ。仕方がないでしょうね。今日は桂枝雀を聞きながら寝ようと思うが笑ってしまい寝不足になるかも…。そんなわけで本日のブログは短めの内容でこれにて終了。
 

映画・大いなる西部を観て


本日も快晴快晴

 今朝も気温がマイナス10℃前後。放射冷却で快晴になった。勤務先に向かう田んぼの向こうには今朝は朝日に輝く鳥海山が見えた。
 そして、カタ雪なので田んぼの中をサッササッサと歩くおじさんがいた。遠くの集落にまっすぐに向かってゆく姿が見事であった。

  カタ雪を渡るおじさん軽やかに向こうの町へちょいと近道


大いなる西部

 昨夜、9時頃に本でも読んで寝ようと思った。テレビはBS-2になっており古い西部劇が上映されている。
 なんだろうとチラッと見たらBGMに聞き覚えがある。「大いなる西部」だ。観た記憶もないのでちょっとぐらいいいだろうと観始めた。

 次第にはまって最後まで観てしまった。

 話の内容は、西部にお婿さんにやってきた非暴力的な主人公が当初の相手の娘とは結婚せずに、別なもっと素敵な御嬢さんと結ばれるという話だ。主人公は金のあるハンサムな男で、人には誇示しないがケンカも強いし男気もあるという設定。
 まぁ劇中にはいろいろなエピソードは盛られているのだが・・・・。ぶっちゃけるとこんな感じだ。
 ストーリー展開は勧善懲悪といいますか単純な図式だから魅かれてしまう。ボクも2時間半以上の番組を最後まで観てしまった。

 ところでBSの映画は最後に主な出演者をスナップ写真にして紹介する。グレゴリー・ベックやチャールトン・ヘストンなどが紹介された。だが、ボクはこの映画でずるい弱虫息子で悪役となっているチャック・コナーズが紹介されなかったのに納得できない。

 チャック・コナーズは昔々我が家にテレビが入ったころに「ライフルマン」という番組で主役だった役者だ。ハンサムかと聞かれると????ではある。しかし、妙に魅力のあると思っていた。テレビを観ながら「おっライフルマンが出ている」と気づいた。

その頃の「ライフルマン」の歌一部はまだ覚えている。

「バキューンバキューン」とライフルの音。「ザ・ライフルマン。スターリング!!チャック・コナーズ」のイントロの後に小坂一也の歌が始まるのだ。

♪「どこからやってきたのやら
  いかつい顔に 優しい目
  笑えば誰でも なつくけど
  悪人どもには 鬼より怖い
  ライフルマン ライフルマン
  無敵のライフルマン」

カントリー&ウェスタン独特の半音ずれるような歌い方が頭の中をかけめぐる。何だかライフルマンの歌は鞍馬天狗化桃太郎侍のような歌詞だと思った。

 その彼が紹介されなかった。もしかしたら「ライフルマン」はNHKの放映でなかったからネグられたのかもしれない。と、邪推したりしている。どうでもいいんですけれどね。

 やはり映画は観始めたらやめられませんゼ。面白いですね。



結局、昨夜は映画を観終わってから本や雑誌を読んだ。その後、立川談志の落語CDを聞いてから寝付いた。おかげで寝不足気味。基本的になんだか冴えない。
夕方、自宅についたのは午後7時半過ぎ。車から降りてから空を見上げたら満点の星である。北からカシオペア、北斗七星、スバル、オリオンなどなどの星座がくっきりと見えた。星座の名前を知っているのがこんな程度なのも寂しいのですが…。
と、いうわけで本日はこれにてブログは終了。今日はゆったりと休むぞ。

伝統の細工寿司


固(かた)雪渡り

 東の空が明るい。窓を見るとビッシリと白く凍り付いている。放射冷却現象で気温がものすごく低い。おそらくマイナス10℃前後だろう。

 昨日の好天で雪の表面は解けた。だから今朝は固雪になった。踏み固めていない雪におそるおそる足を踏み出す。すると何ということでしょう。そのままスックと雪の上に立てるではありませんか。雪の中に沈み込むことはない。いいなぁ。昨年も書いた気がするが子どもの頃の固雪渡りを思い出す。

 小学校や中学校の頃に学校までを田んぼの中をショートカットしてまっすぐ向かう。途中に川や用水路があればそこは避けてズンズンと道なき道を歩ける楽しさがあった。

 ほんの一歩を固雪の上に乗せただけで懐かしい想い出がよみがえる。この不思議な懐かしい感覚はどこから出てくるのだろう。

 今朝、カメラを向けたのは霜がついた木の表面。そして、窓から見える青い空だった。

   懐かしき固雪渡りがよみがえる妙にうれしい放射冷却


郷土料理実習(細工寿司)

 地域の農協婦人部と連携して伝統的な料理を生徒諸君が挑戦する授業がおこなわれた。テレビ局も取材に来て調理実習室は熱気がこもっていた。

 秋田県南地区の名物とも言える(のかな?)太巻きの飾り寿司の製作だった。ボクも興味津々で見ていた。
 出来上がりの切り口の両面に赤と青の花が出るパターンを作った。普通の寿司飯と食紅(青でも食紅とはこれいかに)を混ぜた赤と青の寿司飯をつくる。それとホウレン草を上手い具合に海苔巻きにして切り口が花模様になるようにしている。金太郎飴の作り方のようなものだろう。と、知ったかぶっても実際に作ってみないとわからない。

 出来上がりの太い寿司を包丁で切り、花の姿が現れた時に「ワーッ」と小さな歓声があがる。こんな感動が大切だ、今の時代はいいなと思った。




わが職場のK君。先日購入した石川遼愛用と同タイプのサングラスを同僚で後輩のW君にプレゼントしたとのこと。W君はいずれ屋外での指導が多くなることを想定してらしい。何と優しく太っ腹の男だろう。素敵な奴だぜ。

夕方、帰り道で鳥海山が夕焼けの中に見えた。久しぶりに鳥海山を拝むことができた。何か月ぶりにみるのだろう。そんなわけで本日のブログはこれにて終了です。

晴れの日のとわ


晴天に

 この写真は大曲のジャスコから西山(出羽丘陵側)を見た方向である。とても好い天気になった。

 昨夜から孫娘とわが来訪。一緒にジャスコに行く。振るとチャランチャランと鳴るボールを買ってあげることにした。まったく、なんて可愛いんだろう。と、内心思っているのだがすでに帰ってしまった。

  五か月の孫の名前はとわという時々会えるうれしさ永久に

ただのジジバカですね。でも、さすがに寂しくなりました。


『勝ち負け、すべてではない』

 大相撲のことはもう書かないと思っていた。しかし、昨日(2011.2.19付)の朝日新聞に音楽評論家の吉田秀和さんが『ああ相撲!勝ち負け、すべてではない』という内容で長文のコラムを書いていた。この内容が「音楽展望」というコーナーに書かれていることに驚く。
 この内容を読みながらもう一度相撲について書いておきたいと思った。

 吉田秀和さんは1913年(大正2年)生まれと書いている。今は亡きボクの父と同じ年の生まれだ。年齢98歳。すごいなぁ。
 東京日本橋界隈で生まれ育った吉田さんたちが子供のころのスポーツの話題はもっぱら相撲だった。小学校に上がる前の正月に、吉田さんの家に年賀のあいさつにきた大工の棟梁の持つ相撲のレクチャーの思い出話を書いている。

『相撲は勝ち負けがすべてではない。鍛えに鍛えて艶光りする肉体同士が全力をあげて゛てぶつかる時、そこに生まれる何か快いもの、美しく燃えるもの。瞬時にして相手の巨体を一転さす技の冴え、剛力無双相手をぐいぐい土俵の外に持ってゆく力業。そういった一切を味わうのが相撲の醍醐味。それに花道の奥から現れ、土俵下にどっかと座り、腕組みして自分の取組を待つ姿から土俵上の格闘を経て、また花道をさがってゆく。その間の立居振舞の一切が全部大事なのだ』

 吉田さんも当然相撲のめざすところは勝利にある。と、いう。そのためには日常の精進と土俵上の奮闘が必要。要するに、美しさと力強さの両立が理想である。吉田さんの幼いころの相撲はむしろ歌舞伎につらなる興業だった。現に相撲は歌舞伎の演目にも組み入れられた。さらに寛政の大力士谷風が貧しい親孝行の力士のため星を譲ってやるという講談の人情話の種にもなった。

 そして、大相撲はいろいろな変遷をたどって今にいたった。ある場所の柏戸と大鵬の対戦を石原慎太郎が「八百長だ」と声をあげたこと。
 さらにはある年の大阪春場所で貴ノ花と北の湖の一戦についての思い出も書いている。当時の北の湖は「憎らしいほど強い」と言われていた。
 この時の対戦を見た時の吉田さんの感慨と最後の言葉を読んだときにボクは思わず涙がこぼれそうになった。その部分を引用したい。

『北の湖の大太刀に対して細身の剣のような貴ノ花ような感があり、貴ノ花が勝つのはどうかと思われた。それがまた観衆の判官びいきの熱を一層高める。そんな中で、かなり長い攻防の末、勝ち名乗りを受けたのは貴ノ花だった。その時の満場の歓呼、歓喜の沸騰の凄まじさ!あれはもう喜びの陶酔、祭典だった。あとで北の湖は「四方八方、耳に入るのはみんな相手への声援ばかり」といっていたが、私はTVを前に「北の湖、よく負けた」とつぶやいた。
 今相撲は非難の大合唱の前に立ちすくみ、存亡の淵に立つ。救いは当事者の渾身の努力と世論の支持にしかない。あなたはまだ相撲を見たいと思ってますか』

 ボクがある農業高校に勤めていたころクラスに二人の相撲部員がいた。とても良い奴らだった。その練習風景を見に行ったときにボクは目を瞠った。ガツーンとぶつかり合う迫力。お互いの攻防の繰り返し。そして、練習によって鍛えた体の張り。そのどれにも感動をおぼえた。彼らはインターハイにも出場し今では素晴らしい社会人になっている。
 それらのことが吉田さんの文章を読みながらよみがえってきた。この内容が音楽展望に掲載された意味も分かったような気がする。相撲も芸術の一つなのだ。さすがに父の年代の記憶と考え方は参考になる。そして、ボクはこれからも相撲を見たいと思っている。



わが職場のK君がしみじみと言う。

「最近、メンタルが弱いんです」
「何っ??」
「欲しいモノがあるとすぐにポチッてしまいます」
「うーむ」
「我慢ができない弱い心があるんです」

なるほど。ポチッとクラブ準会員のボクとしてはドンドンポチリなさいとアドバイスすることにしたい。メンタルは簡単に強化できないのである。継続的に取り組む必要があるのだ。だから、まずは物欲地獄の底を見てからメンタル強化は始まると思うのだ。フフフフフ。これにて本日のブログは終了です。

e-Taxその後


好天の土曜日

 久しぶりに休日の職場に出た。陸上部諸君の練習がおこなわれている。いい天気になった。
 グラウンドは数日間降雪がなかったので雪の量は沈んでいる。おそらく30cm以上は沈みこんだと思う。しかし、まだまだ大量の雪がグラウンドには残っている。

 メインのグラウンドの横に幅20メートル奥行40メートルほどのちょっとしたサブグラウンドがある。夏は木陰を作ってくれる穏やかな良い場所だ。
 そこを職場の技師さんたちが除雪機を使って四角に切り取ってくれた。やり投げの選手たちなど投てきを中心として放り投げ系の練習には十分使用できる。こうやって少しずつ少しずつ春を迎える準備ができてゆく。


美人秘書の検討会

 先日ブログに書いたが確定申告の還付金額があまりにも多い。自分の収入は昨年度とほとんど変わらないのだ。なんだか気になる。小心者のボクは夜眠れなくなった。その分昼間に寝ているのだが・・・・。

 で、わが社の敏腕女性美人秘書(ということにしておきます)に昨年度申告内容と今年の申告内容の資料を持参して検討会を開くことにした。

一か所一か所チェックしながら

「こご、エーべ」
「はい、ちゃんと入力できています」
「フフフフ」
「次は」
「アレッ!!」

と、彼女の目がキラリと光った。

「この所得税の支払額が多すぎませんか?」
「ムムッ」

ボクの誤入力である。見事にミスが発見された。ヤツはできるっ。美人秘書が改めて計算してみたら、なんということでしょう。昨年と同じように十ン万円の追徴課税の対象になってしまった。仕方がありませんね。

 税務署にごめんなさい。と、電話しようと思ったがe-Taxのホームページを見るとは間違いに気づいた時には訂正した申告書をもう一度送信すればよいとのこと。
 つまり、余計な連絡はしないでくれ。と、いうことらしい。申告の期限は3月15日までだから余裕はある。早速、訂正した内容を送った。

 以上、敏腕美人女性秘書とアル・カポネになりそこねた男の報告書でした。フーッ。こんな秘書が我が家に一台あればうれしいですねぇ。



わが職場のK君。石川遼の大ファンでもあるらしい。サングラスに続いて「なんとかかんとか」をポチッたとのこと。「なんとかかんとか」ってどんな物体かを聞いたらアマゾンのページを開いて

「これですよ」
「ん?」
「オニキスのネックレスですよ」
「何っ、ただの数珠デネーガ!」
「これがいいんですよ」

彼は大切に首に巻いているらしい。ボクにはどうにもこうにも良さが分からない。そのうち効果を聞いてみたいぞ。これにて本日のブログは終わります。
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