明日からもこうして生きてゆく


誕生日

 母さん(本物の母親ではありませんm(_ _)m。ボクの母と漢字も含めて同姓同名でボクは母さんと呼んでいる人)から誕生日おめでとう!のメールが届いた。さすが母さん!

 誕生日はあまり気にしていなかった。でも、メールをもらったりすると何となくその気になってしまう。今日で65歳。良く生きてきたなぁと思う。
 昔、60歳を過ぎた人を見るとただのジジイだと思っていた。突然、65歳になった人だと見ていた。ところが自分のことになるとそんなことはない。順番に齢を経てきたのだ。だから年をとったなぁという実感がない。
 
 そりゃあ身体の動きは悪い。元々、運動なんかさっぱりできない人間だった。何しろ100メートル走るのに20秒近くかかっていたからなぁ。
 何かの用事で隣の部屋に数歩歩いているうちに「アレッなんでオレは歩いてるんだ」と立ち止まる。元の場所に戻って「アーッ思い出した」と気づくことがよくある。これだって子供のころから学校の先生に健忘症と言われていたからどうってことはない。
 基本的にボクはバカだからこんなもんでしょう。バカは年取らないと言われるがその典型かもしれない。

 65年前の写真と今を比べると髪の毛の無さは同じである。まぁ、髪の毛やその他年齢相応の身体の衰えはあると思う。酒は弱くなったし・・。その他いろいろ。でもあまり気にならない。それでも、それなりに生きてきた足跡が顔に現れている。ウーム・・・。
 最近、誕生日になるといつも吉田拓郎の歌「今日までそして明日から」をついつい口ずさんでしまう。

 ♪わたしは今日まで生きてみました
  時にはだれかの力をかりて
  時にはだれかにしがみついて
  わたしは今日まで生きてみました
  そして今 わたしは思っています
  明日からも
  こうして生きて行くだろうと

  わたしは今日まで生きてみました
  時にはだれかにうらぎられて
  時にはだれかと手をとりあって
  わたしは今日まで生きてみました
  そして今 わたしは思っています
  明日からも
  こうして生きて行くだろうと

  けれど それにしたって
  どこで どう変ってしまうか
  そうです わからないまま生きてゆく
  明日からの そんなわたしです

ボクもこの通りですね。どう変わってしまうかわかりません。そして明日からもこうして生きてゆくと思っています。この歌は上手に歌うのはとても難しいから自分では演奏できませんけれど・・・。歌詞には共感をおぼえる。

  そうなんだ65歳になるんだと自覚もなけりゃ実感もなし


日本の秩序の良さ

 このような大惨事でも日本ではパニックが起きないと諸外国が絶賛しているとマスコミは大々的に伝えている。
 例えば時事通信がネットに下のように配信した。

『「なぜ略奪ないの?」=被災地の秩序、驚きと称賛―アメリカ 時事通信 3月16日(水)16時9分配信
【ワシントン時事】東日本大震災の被害や福島第1原発事故が連日、トップニュースで伝えられている米国で、被災者の忍耐強さと秩序立った様子に驚きと称賛の声が上がっている。「なぜ日本では略奪が起きないのか」―。米メディアは相次いで、議論のテーマに取り上げている。
 CNNテレビは、2005年に米国で起きたハリケーン・カトリーナ災害や10年のハイチ大地震を例に「災害に付き物の略奪と無法状態が日本で見られないのはなぜか」として意見を募集。視聴者からは「敬意と品格に基づく文化だから」「愛国的な誇り」との分析や、「自立のチャンスを最大限に活用する人々で、進んで助けたくなる」とのエールも寄せられた』

 本当に我慢強いのだと思う。

 しかし、先日テレビで気仙沼(だったと思うが・・・)の女性がインタビューに応じていた時に気になることを話していた。「治安が悪くなっていますから・・・」と心配顔だったのである。流されなかった無人の家に入り込んで盗難を働いているんだろう。津波で流された車からガソリンを抜き取っているという話も聞く。
 秋田市のアルヴェでは避難している人のパソコンが盗まれたり。宮城県の栗原市のガソリンスタンドではガソリン1リットル200円で販売したという話もある。ガソリンスタンドや車から燃料を抜き取る事件も何件かおきたと新聞に載っていた。

 火事場泥棒のような人間がいることは確かだ。こんなことはあるだろうと予想していたが現実に起きるのもつらい話。でも、全体的にみると日本全体でパニックにならないで復興を目指している。

 負けるな東北、がんばろう日本ですね。



この連休はジッと家の中に閉じこもっていようと考えていた。しかし、魚のエサも切れかけたので大曲にチョイと出た。相変わらずガソリンスタンドでは給油待ちの車が長い列を作っている。それでも改善させているような空気を感じたのだが…。今日は誕生日。これにてブログは終了。

人知を尽くして原発対策を(2)


郵便局

 ハガキや手紙を出そうと思い郵便局に行った。ポストには大震災のために小包は扱えない。封書やハガキ類は遅れがでるかもしれない。と、書いてあった。それは承知の上で投函した。
 こんな非常事態でも郵便業務が機能してくれるのが素晴らしい。郵便局愛好家としてはとてもありがたいですねぇ。

   内容はたいしたことない手紙です届いてほしいそんなものでも



パニックにならず

 昨日は原発事故でプロ野球の外国人選手が帰国したところまで書いた。その続きを少々。

 例えば広い国土のソ連のチェルノブイリやアメリカのスリーマイルで事故があったとしもしも家族の誰かがアメリカやソ連で生活していたら「帰ってこい」とボクならば言いそうだ。いや、言う。たとえ住んでいる場所がチェルノブイリやスリーマイルから遠く離れていても・・・。帰国した選手たちの気持ちはわかる。

 こんな時だからこそ政府や東電にやってもらいたいことが二つある。

 一つは正確な情報の公開だ。隠ぺいしているではないかと思うようなことをしないことである。
 一昨日、事故のレベルを「4」から「5」にあげた。一瞬アレッと思った。もしもパニックの誘発を心配しているのならば日本人をバカにしているとしか思えない。
 今日のブログにコメントをいただいた元某大付系父母会事務局長さんの勤務する東京消防庁では消火のために部隊が派遣されている。彼もその可能性はあったのだろう。命をかけての作業をやってくれている。
 その人たちの働きを無にしてはいけない。それに報いるのは正確な情報を流すことだ。

 もう一つは事故が起きたことは事実だ。なんだかんだ言ってもそれを抑え込まなければいけない。日本の技術の総力を結集して対応してもらいたい。それをやりとげなければ日本全体が沈み込んでしまう。

 郡山の市長が事故当初からアメリカが事故対策の協力をすると申し出た。しかし、その対策は廃炉を伴うので断ったとのこと。「たら・れば」や「もしも」はないが対策の協力を得ていればばもっと早く解決しただろうと憤りの声明を出していた。
 今、海水を入れている。だから福島原発は「廃炉」になると予想されている。どうせ廃炉になるのならばの気持ちも伝わってくるのだ。
 いずれにしても人知を限りを尽くして日本を沈没から救うことである。


辺見庸氏のコラム

 今朝(2011.3.20付)の魁新報に作家辺見庸氏が『日常の崩壊と新たな未来』と題してコラムを掲載した。

 辺見氏は石巻出身。彼の生まれ育った海や浜辺が荒れ狂い、知り尽くした場所が崩壊したことを書く。さらに『その大地の怒れる風景は怒りのわけを教えてくれない。ただ、命じているようである畏れよ、と』書いている。そして、結論は次のように書く。少し長いが引用する。

『いまはただ茫然と廃墟にたちつくすのみである。だが、涙もやがてかれよう。あんなにもたくさんの死をのんだ海はまるでうそのように凪ぎ、いっそう青み、ゆったりと静まるであろう。そうしたら、わたしはもういちどあるきだし、とつおいつかんがえなくてはならない。いったい、わたしたちになにがおきたのか。この凄絶無尽の破壊が意味するものはなんなのか。まなぶべきものはなにか。わたしはすでに予感している。非常事態下で正当化されるであろう怪しげなものを。あぶない集団的エモーションのもりあがり。たとえば全体主義。個をおしのけ例外をみとめない狭隘な団結。歴史がそれらをおしえている。非常事態の名の下で看過される不条理に、素裸の個として異議をとなえるのも、倫理の根源からみちびかれるひとの誠実のあかしである。大地と海は、ときがくれば、平らかになるだろう。安らかな日々はきっとくる。わたしはそれでも悼みつづけ、廃墟を歩まねばならない。かんがえなくてはならない』

悲しみを乗り越え未来を鋭く見つめる。なんと格調の高い文章だろう。



まだまだガソリンパニックは続いているようだ。本日のブログはこれにて終了です。

人知を尽くして原発対策を(1)


薪ストーブ

 終日、家の中にいた。それでも一歩出て薪ストーブは化石エネルギーの節約にはいいのかもしれないと考えながら隣家の薪ストーブの煙突を撮影。その後はまた引きこもりに。
 これから薪ストーブについて少し考えなければいけないかもしれない。煙の匂いがなかなかいいのですねぇ。

   木の香り最先端の省エネか薪ストーブの煙突ながめ


こんな時こそ

 福島原発については東京消防庁や自衛隊そして米軍などが必死の放水をして廃棄燃料棒の発熱を何とか抑え込んでいるようだ。

 それでも着々と放射性物質は拡散されている。
 福島産の牛乳や茨城産のほうれん草には食品衛生基準を超える放射能量を検出したとのこと。
 枝野官房長官が「ただちに健康に影響を与えるレベルではない」と必死の呼びかけをしている。それなら食品衛生基準は不要じゃんと思ってしまうのだが・・・。また、このほうれん草のレベルは一年間食べ続けてもCTスキャンを一回実施した程度と話している。しかし、現実には茨城では露地物ほうれん草の出荷を停めてしまった。

 このようにテレビ報道では「微量だから大丈夫」「レントゲン撮影を一回実施するよりも少ない量です」などと話す解説者が多い。

 安心感を与えようとしているだろうけれど、人々にとってはたとえ微量だとしても放射性物質(放射能)には敏感だ。放射能は見えないからこそ、なおさら恐怖の対象になるからである。

 昨日の河北新聞に福島原発について報じられた内容が心配だとメールが届いた。

『河北新聞を見ると東電・政府の情報隠しがあるように書いています。本当のことだと思います。レベル7の可能性があるのではないかとも書いています。レベル7だと80Kmが避難範囲に入るそうです』

 そして、もしも100キロ離れた場所まで避難勧告が出たら秋田に避難したいと書いている。

 政府や東電は情報を隠しているのではないかと疑心暗鬼になっているのである。それについては昨日(2011.3.18付)の日刊スポーツ紙にも次のような記事がある。少し長いが引用する。

『原発半径80キロ以内 米国民に避難勧告 NRC(米原子力規制委員会)独自判断 16日、東日本大震災で事後が起きた福島第一原発の半径80キロ以内に住む米国民に対し、予防的措置として非難するよう勧告した。避難が難しい場合は、屋内への非難を勧告した。日本政府は半径20キロ圏内に避難、20~30キロ圏内に屋内退避を指示しているが、米政府はより広い範囲を対象とした。カーニー大統領報道官は16日の記者会見で、米側が独自に分析した結果、判断したと説明。NRCは15日に日本政府の支持は妥当との認識を示していたが、カーニー氏は「情勢は悪化している」とした上で、米側の対応は日本政府とは「もはや一致しない」と述べた』

 アメリカは基準が厳しいのかもしれない。日本は我慢強いからレベルが甘いのだろうか。上の80キロ避難記事のアンサーのように今朝(2011.3.19付)の日刊スポーツ紙に次のような内容が掲載された。これも引用しておきたい。

『米政府80キロ圏退避に米原子力協会が疑問 米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は17日、米政府が福島第一原発から半径80キロ以内に住む米国人に退避を勧告したことについて、米原発業界がその「科学的根拠」について疑問を抱いていると報じた。日本政府は半径20キロ圏内からの退避と20~30キロ圏内での屋内退避を指示している。同紙は、米業界団体である原子力エネルギー協会(NEI)のスポークスマンの話として、業界には米政府勧告の「科学的根拠に対する疑問」が存在すると報じた。スポークスマンは、これまでのデータからは20キロ圏内からの避難という日本の指示が「健康への影響を最小限に食い止めるのに十分とみられる」と語った』

 アメリカ政府とアメリカの原子力業界との見解は違うということのようだ。原子力業界はもうかればいいんですから。
 でも、どんなに「科学的根拠」と言われても20キロ圏内にいた場合には「健康への影響」は確実にあるということになる。放射性物質は空気の動きによってどこに飛んでゆくか予測できない。そして、土の上に落ちた放射性元素は作物や動物に吸収され野菜や牛乳になる。何だかチェルノブイリ事故を思い出す。

 今朝の朝日新聞の「時事漫画」をコピーした。皮肉交じりに『避難範囲ショック、この差は不信感なのかね?」』と描かれること自体、日本人のほとんどが原発事故の現状を「????」と感じているということだ。
 こんな状態になったら不安になるなと言われても無理ですねぇ。プロ野球に在籍する外国人選手の何名かは国外に退避したとも報じられている。



結論まで書こうと思ったが字数が足りない。明日のブログに続きを書きます。何だか大震災や原発を考えると気が重くなる。これにて本日のブログは終了です。

災害時の連絡設定


メールでブログが書けるとは

 アリャリャ、メールで自分のブログページを作ることができた。当たり前のことかもしれないが長い間知らないでいた。なんと保守的なことか・・・。いや、度胸なしだ。新しいことを試すのにためらいがあるのです。


彼岸の入り

 今朝、出勤前に墓参り。と、言ってもお墓が雪の中から顔を出しているわけではない。深い雪の中に埋もれている。
 道路から墓地までの100mほどの参道は近くの建設会社の社長がボランティアで雪を切ってくれた。どんなに苦労されたことか・・・。ありがたいことです。

 お墓には線香と花とお茶だけを供えた。雪に埋もれたお墓の前で来し方行く末を手を合わせて10秒ほど祈った。暑さ寒さも彼岸までとは言え、今年の春彼岸は別の感慨がある。

   手を合わせ大震災の復旧は悲願だよねと雪の彼岸に


災害の連絡法

 大地震に見舞われた塩釜のお父さんからメールが届いた。その中に次のような文章がある。

『(徳島に住む)娘の携帯は大活躍だったと思います。遠い中継局の役割を果たしてくれたと思っています』

 先週起きた東北関東大震災の時「南外-塩釜」の携帯電話はまったくつながらない。ところが「塩釜-徳島」あるいは「南外-徳島」は非常事態状態でも時々携帯電話がつながる。つながらなくても何度かリダイヤルをしているうちにプルプルプルと呼び出し音が鳴って話ができる。

 若い頃にラジオ局に電話リクエストをしたことがある。1回目は話し中でもあきらめずに何度もダイヤルを回す(押すのではなく回すのであるから古いですねぇ)感覚である。今ならばワンタッチだ。
 実際、徳島に住む姪は実家への連絡のために何度もリダイヤルしたようだ。それこそ家族を心配し思う「力」である。そして、南外に住む叔母との間の連絡もできた。「∧」型のトップに「塩釜-徳島-南外」の徳島が入る大切な連絡手段となった。

 災害の集中している場所どうしの携帯電話の連絡設定は混雑で無理なことがわかった。しかし、災害のある場所と遠くに離れた災害の起きていない場所との間では回線の隙間で連絡ができるらしい。

 これから万が一の時には、あくまでも携帯電話のアンテナが立っていることを条件とするが、遠くの知人か親戚を災害の中継地点として設定するといいと思う。もっとも遠くに親せきや知人がいなければできない相談ではありますけれど・・・・。

 NTTやドコモは災害時の「171」を提唱しているのだがイマイチ使いにくい。今回のように遠くに住む人を中継して安否の確認をすることは考えに入れても良い。

 実際に徳島に住む姪の携帯電話は遠い場所で貴重な中継局の役割をはたしてくれた。


センバツ開催することに

 夕方から開催された高野連の会議で高校野球センバツ大会は開催されることに決まったようだ。先ほどのラジオで報じられていた。

 プロ野球のセリーグが3月25日から開幕することは論議を呼んでいる。Y売GのNABETUNEオーナーがごり押しの開幕だ。この人は東京都知事と同じ人種なんだろう。上から目線。ごり押し男。「人」の痛みを知らないわからない。

 セリーグの言い分は「野球をお見せすることが野球人としての責務」とのこと。何だか違うなぁと思う。

 しかも東京ドーム、神宮球場はナイターである。計画停電真っ盛りの今の時期にやるべきことではない。しかも、被災地では死者行方不明者が2万人を超えているような状況だ。セリーグの野球人気は落ち込むのではないかと考えている。
 プロ野球の選手会が「今の大震災の状況では開幕は無理だ」と反対している。その意識や良しだ。

 翻ってセンバツの場合はどうなんだろうか。ボクはテレビ中継などを控えながら試合だけはやらせたいと思っている。甲子園と言う「夢」を実現させた子どもたちを大切にしたいからだ。

 それにしても相変わらずごり押しの「G」はいかんなぁ。




福島原発の状況が気になる。このことについては明日にでも書きたい。いずれにしても深刻な状況になっているのは事実である。これにて本日のブログは終了です。

メールでブログが書けるかのテスト


このブログがメールで書けるとの情報を発見。
そこで早速試してみます。
もちろん、添付はとわの写真です・・・。

ラジオの力


こんな時に大雪

 昨夜から屋根を滑り落ちる雪の音がゴーゴーと鳴っている。深夜になってから静かになった。それは気温が下がったから雪が落ちなくなったからだ。
 今朝、秋田特有の風除室(秋田ではカコイと言う)にある板の簀の子を見たら雪の足跡がついている。これは雪が積もったことを示している。

「アーまた雪が積もったのか」

ガラガラと戸を開けたら10センチ以上の積雪がある。寒い。出勤間際に少し晴れ間が出たので家の前で一枚撮影。

 夕方からは寒さがドンドン増してくる。そして、雪も降り続いている。被災地の苦労はいかばかりか。


ラジオ

 この大震災でボクはラジオの良さと言うか威力を再確認した。停電であるからテレビは機能しない。だから情報はラジオに頼る状態になった。

 家中を探してがらくたからいろいろなラジオを引っ張り出した。電池のラジオは当然。懐中電灯の合体したものもある。グルグルとハンドルを手回しして充電するラジオもあった。サバイバルラジオと言うのかもしれない。百均で買ったものまである。五個ほどのがらくたラジオが出てきた。

 それらに電池をつないで聴こえるかどうか試してみた。すると何台かは動作する。懐中電灯とカップリングされたラジオ。そしてラジオ専用の二台を今回の緊急時に使うことにした。百均ラジオはピクリとも動かない。サバイバルラジオはしっかりと鳴ってくれるが何しろ疲れる。予備に回すことにした。まぁ、こんなもんでしょうね。

 放送されているラジオ番組は大震災の情報だけである。これを聴いているだけで、今回の震災の悲惨さがひしひしと伝わってくる。ラジオの力だなぁとつくづく思った。衝撃的な同じ画面ばかりを流すテレビと違う想像力をかきたてられる。
 そりゃあテレビのように津波が太平洋を襲ってくる絵を見ることはできない。しかし、具体的な内容が着々と声で伝えられる。これはとても軟らかでありリアルタイムの良さである。

 この大震災で「radiko.jp」が全国に臨時的に解放された。インターネットで関東関西地区で聴くことができる主要な民放ラジオのサービスである。AM、FM問わずに聴ける。
 必死にダイヤルを回してチューニングすることもなく、とてもクリアに聴取できるのだ。これはすごい。
 NHKにこんなサービスはないのかと思ったら「R1 NHKラジオ第一」という番組がインターネットで解放されていた。これも臨時的な措置のようだ。これもとてもいい。NHKらしい丁寧なニュース番組が流れる。

 わが、南外村はAMラジオがよく聴こえない。秋田市からの電波も平鹿町浅舞からの電波も中途半端な場所だ。つまり電波の谷間に位置している。それがこのようなインターネットのストリーミングで聴くことが出来るのはとてもありがたいことだ。

 インターネットから流れるラジオを聴きながらメールをチェックしていた。するとテレビをパチッとつける人がいる。まったく・・・。映像がなければ想像できない人が多いのだ。

 できればNHKもラジコもこのまま全国に放送を展開してもらいたいなぁ。と、言うよりも今は技術の時代。地元のラジオ局でも独自にこのような電波と同時にインターネットに流すことはできそうなのだが…。
 いずれにしてもラジオは良い。特にこのような非常時にはありがたいメディアである。

   ラジオからノイズ混じりに聞こえくる辛苦慟哭連帯希望



塩竈の固定電話が回復したようだ。それによってインターネットもつながった。メールのテスト送信があった。そこで水道とガスが復旧したかを尋ねた。するとどちらもまだとのこと。水道は4月3日以降の復帰らしい。電気系統だけが復帰している。まだまだ我慢は続く。がんばってもらい。そして、被災地の被災者の皆さんも耐えてくると祈りたい。
これにて本日のブログは終了です。

「天罰」とは


シンビジウム

 大震災の後に一段と気温も低くなり寒くなってきた。天気予報では暴風雪警報が出されている。
 そんな折だからこそ、少し露出オーバー気味にしてシンビジウムを明るく寫してみた。


ひどいなぁ!!

 それにしてもひどい人間がいる。ボクはこのところ大震災のストレスなどで少々気持ちが落ち込んでブログを書いている気がする。しかし、この男の発言は許せない。それは石原慎太郎だ。

 2011年3月15日付の朝日新聞に掲載されている『石原知事「やっぱり天罰」「津波で我欲洗い落とす」』の記事を読んで「これはひどいなぁ」と憤りを感じた。少し長いが引用したい。

『石原慎太郎・東京都知事は14日、東日本大震災に関して、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落す必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べた。都内で報道陣に、大震災への国民の対応について感想を問われて答えた。発言の中で石原知事は「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と指摘した上で、「我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを(津波で)一気に押し流す必要がある。積年たまった日本人の心のあかを」と話した。一方で「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べた。石原知事は最近、日本人の「我欲」が横行しているとの批判を繰り返している』

 究極の後出しジャンケン野郎石原慎太郎。東京都知事に四選出馬はしないと言いながら自眠党の幹事長である息子に言われて、それでは出馬しようかと前言を覆した人間だ。
 何年か前の東京で使うイラストだか何だかに自分の四男だかを使ったりしている。石原慎太郎は四男は芸術家だからいいだろうと言ったような気がする。何だか北朝鮮のトップと同じ感覚だ。それって「我欲」じゃないの?と思う。
 おそらく出馬は都民のためだなんて大義名分を言うだろうが彼の頭の中身はこんなものだ。

 計り知れない辛さと悲しみの中にいる被災者の方たちに対して「天罰」発言をする人間は都知事として適切な人間なのか。宮崎県も東国原を選んだし大阪は橋下を選んでいる。石原慎太郎も同じような仲間の「ポピュリズムの権化」だろう。

 こんなことを考えていたら今朝(2011.3.16付)の朝日新聞「声」欄に東京都の主婦田村さんと言う方の『石原知事の「天罰」発言に怒り』の投書が掲載された。その内容をまとめると次の通り。

『この(天罰)発言後に石原知事は撤回したようだが東京都民として驚き、あきれ、激しい怒りを感じ、都民の一人として被災地の方々におわびしたい。(石原知事)自身では都政に手腕をふるい、結果を出したと思っているようだが「上から目線」の言動にはこりごり。やっと引退してくれると思った矢先の再出馬表明。そして、この無神経な発言。傲慢以外のなにものでもない。もうたくさん。はやくやめてもらいたい』

 石原慎太郎のような人間は過激なことを計算ずくで話す。そして、計算ずくで撤回する。しかし、彼らの発言は誤ったことを言ったとしても真実味を帯びて独り歩きする。そして人々の頭を切り替えてしまう。

 だからこそボクは田村さんの正しい意見に同感である。いつもの通りまとまりのない何だかオチのない内容だが憤りはおさまらない。

  「我欲」とふひとを選ぶは天罰か一歩ふみだせさよなら言おう



東北電力も何だか迷走気味だ。計画停電を発表した。停電の影響は大きいので魁新報は停電のエリアを大きく詳報した。そして、企業や官公庁は停電対策をすることにこの大震災の状況ならば協力やむなしと暗黙の了解をし対応策をねった(と、ボクは思っている)。
とこがである。とうしたんだろう。ヒョイとやめてしまった。電力は不足なのか適正なのか過剰なのか。何か裏があるんじゃないかと勘繰るのは良くないのかなぁ。それともボクが昨日ブログに計画停電は何かおかしいと書いたことが原因かも。まさかそんなことはありませんぜダンナ。
車の燃料がボクは軽油だ。本日、補給できたのでちょっと安心だ。それにしてガソリン不足が次第に深刻になってきている。職場は集団で通勤するような計画が出ている。今朝の魁新報に佐竹秋田県知事の「燃料、近く正常化」という見通し談話が載っていた。はたしてどうなりますか。これにて本日のブログは終了。

センバツ組み合わせ


センバツ組み合わせ決定

 今日、抽選会が行われて組み合わせが決まった。18日に開催か否かを決めるとのこと。阪神大震災の時にも実施した経緯があるから予定通りにセンバツ大会は実施されると思う。


原発の危険性

 その昔ボクは原発反対運動に共鳴していたころがある。25年ほど前のことだ。それから原発はどんどん作られて安全神話の前に原発反対の気持ちもなくなっていた。それでも心の片隅には危険な設備であるという気持ちは常にあった。

 今回の東北関東大震災(別名東日本大震災と言っているようだがどっちが正しいのか…)で福島原発が危機に陥っている。原発の働きは止まったようであるが危機的状況は変わりない。

 今朝の魁新報のコラム「北斗星」の序文に次のような文が掲載された。

『原発が安全であるならば東京につくったらよいではないか。そんなことを書いた本があった。四半世紀前に読んでもっともな主張だと思った。書かれている安全性への疑問も説得力があった』

まったくこの通りである。おそらく魁のコラムを書いた人は広瀬隆氏の著書『東京に原発を!』をイメージしている。ボクも本の山を探索すれば出てくる可能性はあるが・・・。

 原発問題と言えば今は亡きRCサクセションの忌野清志郎のアルバム「カパーズ」に原発反対の歌が2曲入っていて発売禁止になった経緯がある。忌野清志郎が日本語訳にした「カバーズ」は名曲ぞろいである。特に「サマータイム・ブルース」の歌詞が今起きている原発の問題点を見事についている。ちょっと長いが引用。泉谷しげるや三浦友和がこの曲に参加している。

  ♪暑い夏がそこまで来てる
   みんなが海へくり出していく
   人気(ひとけ)のない所で泳いだら
   原子力発電所が建っていた
   さっぱりわかんねえ、何のため?
   狭い日本のサマータイム・ブルース

   熱い炎が先っちょまで出てる
   東海地震もそこまで来てる
   だけどもまだまだ増えていく
   原子力発電所が建っていく
   さっぱりわかんねえ、誰のため?
   狭い日本のサマータイム・ブルース

   寒い冬がそこまで来てる
   あんたもこのごろ抜け毛が多い (悪かったな、何だよ)
   それでもテレビは言っている
   「日本の原発は安全です」
   さっぱりわかんねえ、根拠がねえ
   これが最後のサマータイム・ブルース

   (原発という言い方も改めましょう。
    何でも縮めるのは日本人の悪い癖です
    正確に原子力発電所と呼ぼうではありませんか。
    心配は要りません)

   あくせく稼いで税金取られ
   たまのバカンス田舎へ行けば
   37個も建っている
   原子力発電所がまだ増える
   知らねえ内に漏れていた
   あきれたもんだなサマータイム・ブルース

   電力は余ってる、
   要らねえ、もう要らねえ

   電力は余ってる、
   要らねえ、欲しくない

   原子力は要らねえ、
   危ねえ、欲しくない

   要らねえ、要らねえ、欲しくない
   要らねえ、要らねえ、

 今、「サマータイム・ブルース」を聴きながらブログを書いている。

 関東地区では昨日から秋田では明日から「計画停電」を実施だ。これって何かおかしいと思うのだが…。福島原発の電力は東京電力だから関東地区へゆく。
 東北地区の電力はどこの発電所がダメになって「停電」なのか。よくわからない。などと考えると気持ちは25年前に原発反対を考えたころに返ってしまう。危ない施設をどんどん作ってゆく「原発先進国日本」の未来はけっして明るくはない。

 ところで事故の情報をはっきり提出しない姿勢を感じられる。要するに隠しているような感じなのだ。
 そして、これは年寄りの考え方かもしれないが記者会見をする政府の枝野官房長官の作業服姿がイマイチ。二日前には作業服の襟をポロシャツの襟のように立てていた。

「なんだ、この男の不真面目な態度は(`´)」

とボクは少し怒っていた。その後、彼はそのスタイルを指摘されたのか襟は普通になった。だが、どうしても襟を立てたいらしい。みじめったらしく片方を少し立てている。こだわりなのかなぁ。こりゃあ、言うことのきかない高校生と同じじゃないか。と、思ってしまう。いかんいかん大政治家に物申すことはできないのである。
 福島原発。避難生活に入った原発の周囲の人たちは先が見えない状況
になっている。安全かどうかもわからない。この不安を政府も東京電力も真剣に取り組む必要がある。



やはり、大震災の影響は大きい。何と言っても気持ちが重いのだ。それでも孫娘とわの寝返りをする姿の動画が送られてきた。我が家には明るい話題だ。

   文章や歌にするなど絶対にできるはずなしこの大震災
   ラジオ聞きテレビ見ながら震災の悲惨に涙する人ありて

これにて本日のブログは終わりです。

言語に尽くせるものではない


塩竃往復

 食べ物も。ガソリンも。水も。ガスも。とにかく何もない状況になっているようだ。
 近くの親戚からカセットコンロのガスボンベ、カップヌードル、水のタンクなどなどをいただく。さらに我が家の手元にある物を車のトランクに積み込んで塩竃に向かった。

 車中のラジオでは助けたい気持ちはわかるがすぐにボランティアはすべきではない。と、報じている。今の自分はボランティアではない。親戚を救援に行くのだ。と、言い訳をしながら車を進めた。

 高速道路は開通していない。一般道路でゆく。
 国道108号線はまったく混んでいない順調に走ってくれる。いろいろな人が大混雑だと言っていたのが嘘のようだ。

 鬼首峠の県境のトンネルを越えると宮城県。状況は一変した。トンネル内の電灯がついていないのだ。真っ暗。トンネルに入ると一瞬目が見えなくなってしまう。停電状態が続いているのだ。

 鳴子をクリア。松尾芭蕉が歌った小黒崎を通り池月の「あ・ら伊達な道の駅」でトイレ休憩をとろうとしたら停電のためにトイレ使用不可。なんてこった。甘い味噌こんにゃくを食べて我慢することにした。

 岩出山、中新田、黒川、利府の大きなガソリンスタンドでは長い長い車の行列ができている。特に中新田と利府では一車線が車の行列に占拠されている。それだけガソリンパニックになっているのだろう。ガソリンを求めて彷徨うという表現があたっている。そして、とにかく塩竃へ。

 「つれあい」の兄は元気だった。無事だった良かったなぁ。詳しく状況を聞いたら次のような内容だった。

『地震の後に石巻の「湊中学校」に避難。多くの人が避難していた。二晩過ごしたが食料も何もなかった。そこで昨日(13日)の午前中に同僚たちと自力で脱出。三時間ほど歩いているうちに会社の捜索隊に発見されて無事帰還した。連絡をしようにも連絡用のインフラが全部シャットアウト。結局、今朝、無事の確認ができた』

 彼は津波が校舎にぶつかってきたのを目撃したり犠牲者を見ながらの脱出など大変な状況だったと話した。

 ボクも地図で石巻の港中学校を確認したが石巻港のすぐそばである。ここが津波で襲われての生還は奇跡的だと思っている。


夏みかんマーマレード

 土曜日と日曜日。宮城の人たちの安否は全然わからない状況。何をするにも気持ちが乗らない。本を読む気にもならない。もちろん停電なのでテレビなんか自分が間抜けた顔でボーっと映りこんでいるだけ。

 こんな時には単純作業しかない。
 大地震の前に静岡磐田の同級生M君から夏みかんが段ボール箱いっぱい送られてきていた。今が旬である。
 これでマーマレードを作ることにしよう。10垪遒襪海箸砲靴拭2討澆ん10圓鰐鵤横妓弔砲覆襦
 固い皮をむく。そして房を一つ一つバラシて種をていねいにとる。この作業を三時間ほど。皮は沸騰しない程度にあたため、そのまま水にさらして苦みをとる。これで土曜日は終わった。
 日曜日。水にさらしておいた皮を一切れスライスして味を確かめる。少し苦いぞ。皮は少しぐらい苦いほうが大人の味。スイートビター・アンド・酸っぱいマーマレードになる。はず・・・。1~3mmにスライスするのに2時間ほど。
 そして、砂糖を60~70パーセントほどの量をぶち込み時々アクをすくいながら、ひたすら煮詰める。

 少し飴色になってきてできあがり。少々軟らかめだが、これでいいのだ。できあがりを小さじ三杯すくって自家製ヨーグルトに入れて試食。美味い。なにしろ安否を気遣いながらのマーマレードだ。不味いはずがない。ただひたすら単純作業。

  携帯はあてにならぬとつぶやきて大震災の安否気づかう
  なに一つわからぬことのもどかしさマーマレードを作りてしのぐ



大震災の復興には時間がかかるだろう。何ができるか。何をすべきか。これからじっくり考える必要があるのだろう。と、自分に言い聞かせている。被災地の苦悩・苦労・悲痛はこれからも続くのだ。これにて本日のブログは終了。

生存!!

先ほど塩竃の親戚から連絡があった。

「つれあい」の兄が塩竃まで歩いてたどり着いたとの連絡。
避難は石巻の小学校に逃げこんだが全く救助なく、避難した三人で歩いて帰ろうと水をかきわけて家に帰ることに決心して避難先を出たらしい。
途中、水の中で水死者を何体もかきわけて歩いてきたと聞く。

詳しいことはわからない。やはり、これから塩竃まで手元にある必要な物を持って出発せねばなるまい。

それにしても地震発生から約3日を飲まず食わずで生存した。奇跡かもしれない。

以上、昨日のブログの続報です。

まずは安心です。
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