火事場泥棒


大雪の後遺症

 普段、テレビの画面は普通に見ている。しかし、電波の入り口であるアンテナを見上げることはほとんどない。
 昼ごろ外に出て屋根を見上げたらUHFのテレビアンテナに違和感を感じた。アレッと思い目を凝らしてみたら曲がっているではありませんか。そう言えばこの冬はアンテナにモッサリと雪がついたことを思い出した。

 ただ、これまで一度も「テレビが見えない」と言う悲鳴が聞こえてこないので気にしなかった。もちろん自分で見ていてもテレビの映りは全く問題がなかった。

 で、どうするかですね。雪がしっかり消えたら屋根に上がって修理しようかと思っている。でも何だか怖いですねぇ。テレビは問題なく見えているからそのままにしておこうか悩みどころです。


被災地で窃盗事件多発

 塩竃のお父さんからメール。
 先週の土・日に塩竃一家とともに我が家を訪問してくれたCさん一家がいる。Cさんの東松島市の方である。市町村合併で東松島になっているのだが元々は成瀬町野蒜である。この呼び方の方が地理的にもわかりやすい。市町村合併の弊害だ。オーッとこれは本題ではない。
 Cさんのお宅も今回の震災による津波で一階部分が天井に着くくらいの被害に遭った。幸い二階部分は大丈夫だったようだが普通に生活できる状態ではないとのこと。だから今は塩竃の家に身を寄せて避難生活を送っている。

 いずれ、再建に向けてどうするかを考えている。津波に襲われた家をそのままにしておけないので水がひいてから何度か後片づけをしている。家はまったく使い物にならないそうだ。

 さて、メールの内容は次の通り。

『今日(30日)Cさんの家へかたずけに皆で行ったら泥棒に入られていたそうです、警察に連絡したら鑑識やらが来て色々大変だったそうです。本当にがっかりしたと思います。こんなことが将来笑い話なるようにとCさんの旦那さんが明るく話していましたが、本当にしゃくにさわると思います』

 これこそ火事場泥棒である。海外から「日本はこれほどの震災に遭っても落ち着いて暴動も略奪もない」と絶賛された。と、マスコミは誇らしげに報道している。しかし、身近にこんな事件が起きている。ガッカリする。背に腹はかえられないかもしれない。しかし「人」としての尊厳があると考えるのだが・・・。まぁ、こんなことを言っても考えてもわからない人間がいるってことだけれど。

 今朝の新聞には、震災後の半月で宮城県内では窃盗事件の被害総額が一億円に上ることを宮城県警が発表したと報じている(日刊スポーツ 2011.3.31付)引用すると次の通り。

『宮城県警は、東日本大地震発生から26日までの約半月間で、県内で発生した窃盗事件の被害総額が約一億円に上ると明らかにした。県警によると、空き巣や忍び込み、事務所荒らしなどの窃盗事件は15日間に約250件発生。津波にのまれた仙台市東部や多賀城市、石巻市などで多発しているという。気仙沼では、津波で損壊した信用金庫の金庫室から4000万円が盗まれているのが発覚している。前年と比べ出店荒らしが60件、ガソリン盗などは40件増加。県警は、震災による物資不足の影響とみている。県警は26日までにガソリン盗などに対する窃盗容疑などで25件40人を摘発した』

 摘発率は16パーセント。悪い奴らは窃盗をして摘発されるリスクが小さいとみてるんだろうなぁ。しかも非常事態だから半分は無法状態だ。「やり得」だと思ってるんだろう。
 そう言えば、我が南外村でも一週間ほど前に民家の灯油タンクから灯油を盗んだとして70歳を過ぎた老人が摘発されたと報じていたなぁ。
 困っていることはわかる。しかしなぁ。そりゃあないよ鋭く怒りたい。

   バカ野郎苦く言葉を噛みしめて被災地の窃盗記事にらむ



ラジオから流れてくる内容はテレビと違いなかなかに面白い。今日もアナウンサーが話していた。
誰もが気づいていると思うが政府や原発専門家(どうもこの人たちが胡散臭い)が発表する内容に引っ掛かりを持つ。
「放射能汚染された野菜を食べても水を飲んでも今すぐに健康に問題はありません。しかし、出荷規制はします」
中学校だったか高校だったか忘れたが「矛盾」という言葉を国語の時間に習ったことを思い出す。
 三日間の休暇が今日で終了。三日間ボーっと過ごす。ほとんどラジオを聴きながらビデオ編集をしていた。明日からは勤務。これにて本日のブログは終わります。明日からに備えて缶ビールをプシュッと一本。

サヨナラは再会への道


送別の宴

 昨夜は横手で職場の送別の宴がもたれた。ボクは送る側で参加。

 新しい職場に赴いたのが一年前。新しい出会いがありそれから一年経過して何人かの人たちとの別れである。

 以前も書いたことがあるのだが、亡き酒乱の父親が話していた言葉を思い出す。

「山と山は会えないが、人と人は生きている限り再会できる」

当たり前のことだが深い内容だなぁと考えている。それぞれ新しい世界に旅立つ人たちの健闘を祈りたい。

写真は昨夜の参加者。

   新しき世界に旅立つ人たちは希望と不安勇気を胸に


クロコダイル・アタック

 下のワニの玩具は10年以上使っている。ガバッと口を開けて歯を一つ一つ押してゆくと、当たりの時にはガシャッと口を閉じて噛みつく構造である。ガリっと噛り付かれて痛そうだが実際は痛くない。でも、歯を押すときにはとてもドキドキするのだ。
 単純な玩具であるがなかなかに奥が深い。あまりにも酷使したので奥歯から二本目が欠けてしまっている可愛そうなクロコダイルです。

 昨夜はこいつを持参して簡単なゲームをやった。それを名づけて「クロコダイル・アタック」。

 内容は簡単。スタートの人が質問を用意する。例えば「あなたの好きな勉強は?」など。かなり真面目に始まるのです。そして、口を開けたクロコダイルを歯を一個押してもらいながら順々に隣の人に回してやる。
 で、ある人がガブリと噛みつかれたら答えを言う。「数学」と答えたらその人は次の質問を出す権利が発生する。例えば「好きな下着の色は?」などどんどんバージョンアップしていく。まぁ、下ネタになったり個人情報関係になると盛り上がりもなかなかですねぇ。
 昨夜はもう一つ罰ゲームとして沖縄土産でものすごく酸っぱいシーサン果汁を御猪口で一杯グイッと飲むことをプラス。健康にもよく楽しめるという一石二鳥のゲームですゼ。ダンナ。

 そんなこんなで楽しいひと時を皆で過ごせた。



本日は能天気な内容でお粗末です。昨夜の飲み疲れでウロウロしています。ブログは終りです。

想定外はあり得ない


少しは春の日差しが

 今朝、少し積雪。しかし、午後からは春らしい日差しが戻ってきた。一歩外に出たら背中にあたる太陽の熱が温かい。もちろん後頭部にはねかえる太陽の光も痛いぐらいに感じる。
 まぁ、この写真は花粉症の人は見たくもないかもしれない。それでも春の日差しが杉林の中に差し込んでいる光景を見ると春はだいぶ近いぞと思わせてくれる。それにしても今シーズンの雪は多い。昨年の今頃は地面が顔を出していた。

 わが校の野球部監督がこの積雪で練習ができないと嘆いていた。保護者の協力をいただいてグラウンドの除雪をしたら地面から1mほどの積雪があったとのこと。これじゃあ4月の中旬まで野球の練習はままならないだろうなぁ。雪国の中でも豪雪地帯とはいえ気の毒なことだ。もっと強く春の日差しが当たればいいのだが難しい。

   背中押す春の日差しに誘われてめめしくふさぐ気持ち飛ばそう


東電、津波対応先送り

 塩竃のお父さんからメール。少し引用。

『昨日の河北新報の記事に次のような内容がありました。
(東電)は津波へ危機意識が薄かったという記事が載っていました。
それによると過去「869年に起きた貞観地震では非常にでかい津波が来ている。それについてまったく触れられていないのは納得できない」という内容でした。
具体的には2009年6月、経済産業省で開かれた審議の席上独立行政法人産業技術総合技術研究所の岡村行信、断層・地震研究センター長が東電の報告に激しい言葉で意義を唱えた。と言います。
2006年に制定された国の原発耐震指針に沿って東電は08~09年福島第一原発の再評価結果を国に提出。東電はマグニチュード7.9の地震などを想定したが、近年の研究でマグニチュード8以上とされた貞観地震については、特別な配慮をしなかった。従来、最大5.7メートルと見積もってきた津波の再評価は先送りされた。とのことです。
そのことを岡村さんは追及したが、東電は学会で提案されている震源モデルを基にして原発への影響は「想定の範囲内」と主張。「貞観地震については、まだ情報を収集する必要がある」として事実上、無視したそうです。
研究チームによると過去に津波がき来た証拠の複数の砂の層が地中で見つかっているそうです。津波は4世紀頃と室町時代にも起きているようです。500年程度の間隔で起きている可能性が高いそうです。過去の津波の経験を完全に無視した、東電・国・原発を推進した人々の人災でしかありません。本当に迷惑です』

 この記事は共同通信の配信紙には掲載されたと思う。秋田魁新報にも詳しく掲載された。読んでみると東電の傲慢さが浮き出る。そして、日本政府の甘さと…。

 昨日どの新聞か忘れたが、投稿欄に東京電力を訪れた小学生の話が掲載されていた。うろ覚えだだ記憶をたどって書く。

 小学生が東電を見学に行った。その時、係の人に原発の安全性を質問したとのこと。
「もしも事故が起きたらどうするんですか?」
「大丈夫です」
「もし大地震が来たら?」
「予備電源が働きます」
「それよりももっと大きい地震や津波が来て電源が止まったら?」
「大丈夫です」
「それでも・・」
と聞いたら東電の職員は「ありえない」と激怒したらしい。しつこいなぁと思ったのだろう。バカにしていると感じたのだろう。

 だが、今になって東電や政府は「想定外」と逃げ言葉を使っている。小学生の想定にも答えることができなかったと投稿者は憤っていた。

 専門家の警告を無視するのと小学生の質問に激怒するのは似たような構図ですねぇ。まだまだ予断を許さない状況だ。何だか今日はプルトニウムまで検出されたと報じられている。今後の原発はどうなるかわかりませんぞ。



原発については考えないようにしようと思っていたが、やはり考えるなぁ。今日はのんびりとしていた。新聞を何度も見直し読み直す。悲惨さを押し殺して報道する姿勢が感じられる。それでも肉親を失った人たちの体験談を読むと涙がにじむ。月並みな言葉だが言葉を失ってしまう。
これから職場での最後の解散会で一杯です。早めにブログアップして横手に向かいます。飲みすぎないようにしよう。と、だけ書いておこう。

政党助成金を震災の復興に使おう


雇用期限が来た

 実は今日でボクの雇用期間の契約が切れる。今の勤務体系は常勤だが臨時的な雇用。年間365日は勤務できないことになっている。そのために年度末に何日か空白ができる。その空白期間はそれはそれで楽しいことになりそう。

 そんなわけで今日は職場のお別れの日となる。1年間一緒に仕事した人たちが職場を去ることになり皆の前で挨拶。10人近くの人が挨拶したがそれぞれの立場で話していてなかなかに味があって良かったなぁ。

 ボクはボクで皆の話を聞きながら、体育館の天井付近の窓から見える風景を時々眺めていた。今朝もまた雪が10cm近く積もり道路はシャーベット状になった。その名残りの雪が窓の向こうの木々にまだ残っていた。と、言うわけでとりあえず雇用期間終了です。

   離任式一人一人の想い聞きふうわりとした出会いと別れ


ZO-3

 ちょっと前(震災前)のことになるがネットオークションでギターをボーっと眺めていた。するとエレキギターのZO-3(ぞうさん)が何点か出品されているのを発見。5K円程度ならいいかと思い入札。

 何日か経過してそれが落札できた。以前から持っているZO-3は黄色だが今回は真っ赤なZO-3である。
 このギターはアンプが内蔵されているので手軽にエレキギターの感覚を楽しめる。音はけっして良いわけではない。だがスイッチをパチンと入れるとチャンチャカチャンチカ安っぽいエレキギターの音のするのが懐かしくも楽しい。

 まぁ、ボクの弾けるコードはせいぜいE/E/E/E/A/A/E/E/B/A/E/B/の12小節をセブンスコードなどを絡めて鳴らすのだ。これはブルースコードの基本です。それで自称ロックンローラーはニヤリととできる。
 そんなZO-3。和みの「ぞうさん」である。姿が象に似ているので命名されたギターですゾウ。


最近考えること

 東北・関東大震災のために何ができるか。我々庶民の一人一人の力は小さい。しかし、政治家の役割は大きいはずだ。その政治家が見えてこない。見えるのは枝野官房長官のみである。あとはどうなったんだろう。プロ野球セリーグの開催を伸ばすことをすすめた蓮舫氏が時々出てくるぐらいか。菅直人総理大臣なんかどうしたんだろう。

 そして、岩手出身の大物小沢一郎氏はまったく顔を出さない。先日の朝日新聞の時事漫画にまで揶揄されていた。「小沢一郎先生(衆議院岩手4区)国家危急のこの大事にどこにこもっているんですか。陣頭に立って指揮してください 被災者一同」と,似顔絵入りで・・・・。
 ここまで書いたらラジオで小沢一郎氏が岩手県庁を訪問したと報じている。いよいよ動き出したのかなぁ。

 さて、ここでの問題は小沢一郎氏ではなく国会議員の政党助成金である。毎年、国民一人当たり250円。総額370億円が議席数などに応じて各政党(共産党だけが受け取っていない)に配分される。国会議員一人一人に換算すれば国会議員の給料にプラスして約4000万円が税金で支払われている計算だ。

 この政党助成金を国家危急の大震災の復興費用に充てるべきだ。大震災で活動状況が何も見えてこない国会議員たちも今年に限っては政党助成金は不要だ。大震災にまわそう。
 それくらいのことは協力する気概をもつべきだ。月々の給料を寄付してくれとは言わない。できれば3年間は政党助成金すべてを震災の費用にするくらいの度量の大きさを示すべきだ。

 ところで赤十字によれば震災後に国民から義援金400億円が集まったという。国民はそれだけの気持ちをもっている。国民から集まった義援金とほとんど同額の政党助成金を国会議員が使っている。どう考えてもこの政党助成金は震災のために使うのが正しい。

 まぁ、こんなことを政治家が国民のために考えることができたらもう少し良い国になっているかもしれないけれど・・・。



文化放送を聞いていたら興味深いことを話していた。テレビなどでは全然放映していないが、名古屋で高校生が主体となった原発反対デモが行われたという。中部電力の浜岡原発をストップしてくれとの趣旨らしい。
世界的にみるとドイツでは25万人が原発停止のデモをやったと朝日新聞にあった。
反対行動を正面切ってやらないのは日本人の奥ゆかしさかもしれない。だが、高校生の行動を聞くとこんな柔軟な姿勢と行動力がいいなぁと思う。
これにて本日のブログは終了です。

楢岡焼にて


掘り出し物市

 南外村には誇れるものがたくさんある。そのうちの一つが陶器の「楢岡焼」である。南外小唄にも歌われているのだ。

♪南外名産又五郎こけしソーリャン
  俺らが高野の楢岡焼き
  お酒は銘酒出羽のつる
  お酒は銘酒出羽のつる

 「又五郎こけし」は隣の神岡町に行ってしまった。「楢岡焼」と銘酒「出羽鶴」は健在。ボブ・ディランではないが「時代は変わる」だが、まぁいいでしょう。

 今日は毎年1回開催される「楢岡焼の掘り出し物市」だった。上の写真は楢岡焼の窯元の建物。今朝、積雪が数cmあり寒い日だったが到着した時間には少し晴れ上がった。
 窯元では大震災があったので今年の「掘り出し物市」を開催しようかどうか迷ったようだが例年のことだからと開催に踏み切ったと言う。

 昨日、宮城の被災地から2家族が我が家を訪れていた。温泉などに入ってもらい何日ぶりかの入浴もしてもらった。豆腐や納豆そしてきりたんぽ鍋なども少し食べていただき束の間の命の洗濯をしてもらう。その一環として「掘り出し物市」にも皆で出かけた。

 午前10時のオープン1時間前に行った。やはり、震災の影響だろう。いつもよりお客さんの人数が少ない感じがする。仕方がないかもしれない。受付番号をもらいしばらく待つことに。
 すると何ということでしょう。古巣野球部のお母さんたちが三人もいるではありませんか。皆、元気で頑張っていることをお話ししながら時間を過ごした。

 いよいよ10時。開店である。二階展示場の五台のテーブル上には所狭しと陶器類が並ぶ。下の写真はその一部。ボクはマグカップタイプを何点か購入。

 会計が終わってから訪れている買い物名人たちを観察していると「なるほど」と思うことがあった。それは欲しいと思う商品を、とにかく自分のカゴにドンドン入れる。ある程度そろったら会場の片隅でそれらを並べてじっくりと選ぶ。不要なものはもう一度テーブルに戻す。こんな作業をしている。名人たちは本当に欲しいものをじっくりと選んでいるなぁと感心した。

 ま、ボクの場合は正直言って陶器の良さがよくわからない。だから「ハイ、これ」と決めて購入。それでも良いものをゲットできたと喜んでいる。

 宮城からの来客たちも久しぶりの買い物を楽しんでいたようだった。

    海鼠釉楢岡焼の青色は空の色ねと掘り出し物市


原発事故どんどん悪化

 いやぁ、ひどいテレビ番組もある「たかじん委員会」だ。見るともなしに見ていたがコメンテーターたちのほとんどが「放射能は怖くない」とアピールしている。そして、ある一人のコメンテーターなどは「放射線はむしろ身体に良い」とまでのたまう。

 エッと思った。恐怖心をなくそうと思っているのかもしれないが、まったく科学的ではない。こんな人たちの言動が「日本の常識」になるのかとゾッとした。

 テレビなんかは見るもんじゃネーなぁとつくづく思うのだが、ついついテレビ電卓(我が家ではテレビのリモコンをこう呼ぶ)の赤ボタンを押してしまう。もう一度赤ボタンを押しテレビを消して節電しろよな。ハイ。



宮城の人たちは帰った。皆は、昨夜久しぶりの温泉に浸かりゆったりしてもらった。震災後2度目の風呂だったと聞く。
皆と一杯やりながら震災で避難した時の状況。津波で自宅が壊滅状態になっている話などを聞いた。浜の近くに残るも地獄。退くも地獄だなぁとつくづく思う。
宮城に帰った人たちは明日からまた厳しい生活が始まる。物心両面でできることを応援してゆく必要があると思った。これにて本日のブログは終わりです。

本気で反対したのか??


スズメ

 南外にカメイスーパーがある。少しずつ商品棚も回復している。それでもまだまだかもしれない。買い物のついでに電線を見上げたらスズメが二羽。


原発に対する女子中生の鋭い発言

 大地震から2週間経過。アッと言う間である。大きな被害を受けた震災地には復興を祈るだけだ。自分でできることは今のところ何もない。ただ、祈るだけしかない。

 さて、福島第一原発の事故について考えると将来への不安が山ほど出てくる。それはボク自身のことではなく将来を担う子どもたちに対してだ。昨夜、塩竃のお父さんからのメールにもそれは切々とつづられていた。ちょっと引用したい。

『原発はだんだん状況が悪化しているようです。不安でしかたがありません。私は60年間生きていますから放射汚染うけても心配しません。しかし、20年後の娘たち、まして孫のことを考えると本当に不安です』

 この考えが多くの人たちに共通するものであろう。

 福島に住んでおられるアマチュア無線の大先輩のブログ
http://blog.goo.ne.jp/ja7pl
にも原発の恐怖にさらされているストレスについて書いておられる。
 その中にかつて原発に従事した平井憲夫さん(原発の放射線の影響でガンを発症し現在は亡くなっておられ方)の原稿『原発がどんなものか知ってほしい』のアドレスが紹介されている。下のアドレスです。少し長い文章だが読んでいるうちに原発の怖さが伝わってくる。興味のある人は是非一読を。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

 これを読んで平井さんが5年前に原発事故をほぼ確実に予測していたことに驚く。そして、彼が北海道泊原発近くの町で講演した時の様子がボクのような商売をしている人間に重くのしかかる。

 それは平井さんが招かれた教職員組合の講演だった。そこで中学2年生の女の子が泣きながら発言したことである。少々長いが引用したい。

『(女子中生の発言として)
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、24時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」
と、泣きながら300人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。
「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」
と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。そして
「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」
と言う。
「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」
って、泣きながら訴えました。私が
「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」
と聞きましたら、
「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」
と言います。
「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」
って。
担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです』

 ボクも原発問題では反対の立場にいた。しかし、この中学生が話すように僕に対して一生懸命反対したのか。と、問われたらつまってしまう。「なんとなくだった」と言われても頭を下げるしかない。

 そんな重い問題をはらんでいる原発。日本はもっともっと考えるべきだ。と、言っても現実の事故を終わらせないとなんともならないが・・・。



今日、宮城の塩竃と東松島市で津波で家が水に浸かった人たちが我が家に気持ちの切り替えで来てくれた。ちょっとの間だがゆっくりして今後の復興にあたってもらいたい。軽く一杯やりますのでこれにて本日のブログは終了です。

健康診断にゆく


まだ大丈夫かな?

 健康診断で大曲の中通病院に行く。午前8時前には到着。受付にて。

「健康診断をお願いします」
「予約があるんでしょうか?」
「いや、ありません」

そこで、あらかじめ配布されていた健康診断書のフォーマットされた書類を提示。

「これにお願いします」
「わかりました」

これにて受付終了。

 健康診断だから朝方は食事も水も摂らずに出かけた。最初は血圧測定。最高血圧が140越えである。看護師さんが言う。

「少し高いですねぇ」
「・・・・」

不安になってしまう。その後、待合室にある自動血圧測定器でひそかに測定したら何ということでしょう。上の血圧が120である。そこでボクは気づいたのです。女の人がいるとその人の年齢容姿にかかわらず緊張のために血圧が上ることに・・・・。

 小便の採取、血液採取、レントゲン、心電図と続いてゆく。レントゲン撮影の時にでかい撮影面に胸をつけながら、これって今話題の福島原発で漏れている放射線の一つガンマ線だよなぁと思った。
 「ハイ、息を止めて」の間の一回分だから安心です。みたいなことを原発専門家は言ってるのだが果たして…。

 そう言えば昨夜宮城県からあまりにも福島原発が心配で夢を見てしまった。と、メールがあったことを思い出した。それだけ福島原発の状況は楽観できないのである。怖いのだ。

 健康診断に戻る。ここまででいわゆる機械による検査が終わった。それからドクターの判定を待つまでが長い長い。午前11時半頃になってようやく診察室に招き入れられた。ドクターが宣言する。

「まず、胸の写真も心電図も問題ありません」
「ハイッ!」
「ところでガンマGTPが高いのですがお酒を飲みますか」
「ハー。かなり・・・」
「それが原因だと思いますがコレステロールの値も高いです」
「・・・・」
「まぁ、それでも様子を見れば大丈夫です」

ホッと胸をなでおろした。けっこう酒飲みなのでガンマGTPの高い傾向は何十年も続いている。それが体質で当たり前の状態だと思っている。だから酒を完璧に止める意志の弱いことはやらないようにしている。持続は力だからなぁ。かなりいい加減ですけれど…。

 結局、一枚の健康診断書ができて会計が済むまで4時間拘束だった。長い長い半日が終わり会計額を聞いてビックリ。健康保健がきかないので1万4千円強のお値段。ウーム。

 でもまぁ、これで一安心。そんなわけで本日の写真は中通病院の遠景である。まだ、駐車場には雪が残っている。ここには古巣の野球部のお母さんMさんとTさんのお二人が勤務しておられる。会話もできた。とてもお世話になりました。

  ホッとする経過観察診断を聞いて安心またまた飲める!


福島原発その後

 昨日は作業員の二人が足に高レベルの放射能を浴びて入院。なんだかドンドン状況は悪化しているような感じがする。一部の新聞によるとアメリカで起きたスリーマイル島の事故よりも悪くなっているという。

 何だか最近のニュースは津波の震災地よりも原発事故の扱いが大きい感じがする。大地震や津波は天災、しかし、福島第一原発は人災の様相が濃くなってきた。
 とにかく国と東電は全力をあげて事故を抑えなければならない。がんばってもらいたい。




今日、自宅でノンビリしていたら。電話。30年ほど前の教え子W君からだった。このブログを見てくれているとのこと。まだボクのことを知っていてくれたことがうれしかった。ありがたいことだ。と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。

選手宣誓


霧の朝

 今朝は冷え込んだ。マイナス5℃前後だった。と、思っていたら湯沢地区ではマイナス10℃になったらしい。寒いはずだ。
 雄物川に近づくにつれて気温が下がってゆく。それにしたがって霧がどんどん濃くなる。

 雄物川にかかる橋を撮影してみた。この方向は少し霧が晴れてきている状態である。それにしてもまだまだ路面は凍結。寒い日々が続く。被災地の苦労は続くなぁ。


選手宣誓

 センバツが始まった。ラジオで聴いた選手宣誓がよかったと昨日書いた。今朝のテレビニュースでその場面を見ることができた。
 選手宣誓は創部1年目で史上最速でセンバツ出場を果たした岡山創志学園の主将・野山慎介君である。
 しっかりとした声で堂々と宣誓をした。よくいろいろな競技で日本人がやる選手宣誓は「ハイル・ヒットラー方式」である。野山君は右手を挙げない正統な起立の姿勢での宣誓だった。彼の眉毛も高校球児らしくキリッとして好感が持てた。
 今朝(2011.3.24付)の日刊スポーツ紙に野山君の選手宣誓全文が掲載されている。記録として、そして記念として転載する。

『宣誓。私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。
 人は仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちができること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
 がんばろう!日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います』

 いいですねぇ。

   姿勢よし勢いやよしセンバツの選手宣誓勇気じんわり


スーパーにて

 雄物川町に「トラスト」という大きなスーパーがある。帰り道、ちょっと時間があったので、パンと牛乳を買いたいと思い立ち寄った。もっともこの時期、パンと牛乳を買おうというのが無謀なのかもしれないが・・・。

 店内を回ってみてもあちこちの商品棚はがら空き状態。ウーム、補充がなければこうなるのか。と、つくづく実感した。
 牛乳はビン売りが3本あった。後日ビンをレジに返却すれば53円返却しますと書いている。一家に一本だけの販売らしい。早速、それをカゴに入れた。パンを探してもないですねぇ。仕方がないのでチューインガムなどを購入してレジに向かった。

「パンは売ってないんですか」
と聞いたら
「・・・たぶん売り切れたと思います」
「ンダンスか残念」
「大変なことになりましたねぇ」
レジを打ちながらお姉さんが話しかけてくれる。ボクは答えた。
「大地震だったものな」
「一つの県が無くなったようなもんだすな」

と、レジの係の方が話してくれた。販売する人たちも非常事態であることを十分に認識して対応してくれる。こんな時だからこそお互いの気持ちの連帯だなぁと思った。我慢我慢辛抱辛抱である。


電話

本店の社長から電話。

「モシモシ。ブログ見たんす」
「ハー」
「毎日毎日ACエーシーとまったく飽きでしまったんす」
「ま、今はスポンサーがイネーがらこうだべな」
「ハー」

 CMの内容はけっして悪いものではない。ただ被災地や被害者に寄り添わない内容で繰り返しTVに流れていることに多くの人がウンザリしていることだ。この状況ですから仕方がありませんけどね。

 で、今テレビをみて気付いたが公共広告機構のCMの最後に流れる「エーシー」という音声が消えている。どうしたことだろう。気を遣ったのかなぁ



センバツ。大館鳳鳴対天理は8-0で天理の勝ち。録画していたビデオを早回しで見た。八回途中で止まって試合終了まで見れないのは残念だが・・・。今の時期は仕方がない。
鳳鳴はがんばっていた。ただ、「ここで一本」と言いますか「渾身の力」を出す場面で及ばなかった気がする。簡単に見逃して三振とかですね。でも、よく頑張ったなぁと思う。これにて本日のブログは終わりです。

無駄づかいも国益に


雪が・・・

 この時期にはまだまだ冬型の気圧配置になる。夕方、帰途につく時にも夕焼けの中で雪が舞っていた。ここ2~3日は被災地も被災の方たちも大変な苦労になるだろう。がんばってもらいたい。


エーシー

 今、テレビラジオのCMは一般の企業のものが流れていない。そのために穴埋めのために公共広告機構のCMが流れているという。一般企業のCMも大震災で流されてしまった形である。

 申し訳ないが公共広告機構のCMが何度も何度も同じ内容が流れるから飽きてしまった。

 内容はけっして悪くはない。と、思う。
 例えば「心は見えないけれど、心づかいは見える。思いは見えないけれど思いやりは見える」。ボクもこの内容を取り上げて商売がら配布する通信を作ったこともある。
 例えばオシムの脳梗塞。ろれつがまわらなくなったらすぐに救急車をよぼう。その通りである。
 例えば子宮頸がん。検診は大切はよくわかる。もっとも子宮頸がんの検診や予防注射などはいろいろな議論はあるようだが・・・。

 CMの内容はもっともな内容で間違いない。平時に時々見せられら納得するだろう。しかし、今は被災地や被害者に寄り添わない内容なのでだんだんに「またかぁ」と思うようになった。。
 難しいもんですねぇ。ボクがわがままだけなのかもしれないが…。


無駄遣いの勧め?も良いかも

 今朝の朝日新聞「天声人語」になかなか味な内容が掲載された。

『今回の大震災で日本全体が沈滞ムードである。江戸時代にも安政江戸大地震があり数千人が亡くなり、街はすさみ、けんかが多発したという。それでも米が配られ家の建て直しから経済が動き出したという。一方では黒船が現れたりして幕府は内憂外患を持て余し、瓦解へと向かった。
 昨今の騒然たる「消沈」が幕末に重なる。節電で薄暗い店、歯抜けの商品棚。これも有事かと思う。昭和の終幕にも自粛の機運が広まったが、今回は工場や発電所、物流網がやられ、停電や放射能の風評被害もある。空気ではなく実を伴う消沈だ。日本全土が現場、全国民が当事者であろう』

さて、ここからが大切。ボクは同感である。

『だが、皆が沈み込んではお金が回らず、再生はおぼつかない。国費を被災地に集め、懐に余裕のある向きは「救国の散財」をしてほしい。義援金、外食、買いだめ以外の衝動買い。何でもいい。十兆円もの復興費用は、今の政権がどうなろうと私たちが背負うほかない。将来に備えた蓄えもあろうが、国難を皆で乗り越えてこその将来。ここは東北のために放出しよう。世界の終わりではない。安政の驚天動地の13年先には、明治という別の地平が待っていた』

 どうですか。無駄遣いの勧めである。ボクはその通りだと思います。今は東北六県に宅急便が通っていない状況だ。営業所まで行けば受け取れるらしいがガソリンなどを考えると荷物は届かないと考えたほうがよい。それでも、東北縦貫道が明日から開通するから状況は変わる可能性がある。
 今のところボクは「ポチッとクラブ」会員としてまったくポチッていない。しかし、衝動買いしたい物がある。それはプロジェクターと電子黒板だ。そりゃあ蓄えはそれほどない。しかし、日本のために早くポチッとしたいのだ。

 何と、ボクは日本思いの人間であるだろうと思っているのだが・・・・。何だか話が違ってきたようだ。



今日からセンバツ高校野球大会が始まった。車の中で聴いていたニュースで流れた選手宣誓がとてもよかった。放送局は宣誓全文を流してくれた。いいぞ球児たちの活躍を祈りたい。

   センバツの選手宣誓聞きながら大震災の復興祈る

職場で古いボロボロになったレコードが1枚あった。井上陽水が1974年(昭和47年)ロスアンゼルスで録音したLP『二色の独楽』である。これをじっくりとCDにしてみようと借りてきた。これから録音します。これにて本日のブログは終了。

社会保険庁での申請


老人はつらいかも

 65歳の誕生日を迎えたことは昨日書いた。新たな出発である。と、思っているのだがいろいろな書類が送られてくるのを見ると、世間は65歳を老人への一つの区切りとしているようだ。まったくバカヤローである。

 だが、そんなことは言ってられない。社会保険庁から65歳を過ぎたら「何とかかんとか」という申請をするようにとのお達し。要するに「あなたは老人の仲間になったのだから年金の支払いを別にしますよ」と言うことらしい。

 届いた文書を読んでもチンプンカンプン。これは間違いなくイジメであるとボクは気づいた。その理由は次の通り。

 まず役所の言葉はわかりにくい。わざとわかりにくくしているとしか思えない。悪文の見本である。ボクのブログの文章よりひどいと言いたくなってしまう。
 そして、いろいろな書類をコピーを揃えて整えさせようとしている。きちんとした生活をしている人間ならば以前から届いた書類などをファイルするかもしれない。しかし、ボクのようなズボラな人間は無理。書類を探すのす何時間もかかってしまう。
 さらに暗闇を手探りで進むように何とか書類を書いてゆくと書き方の説明書があっちに飛んだりこっちに戻ったりわかりにくいことこの上なし。

 これは申請者がこんなのは面倒だからやめちゃおうと思わせる手段ではないかとつくづく考えてしまった。

 そこで登場するのが、必殺仕事人わが職場の美人アドバイザー。素晴らしい。これはこうでしょう。ここはこの書類が必要です。と、テキパキと指示を出してくれる。その助言に従って準備を整えた。

 そして本日ボクは生まれて初めて勇躍社会保険庁を訪れた。対応してくれた事務の方がとても親切である。
 アレレレもしかしたら申請を難しくする陰謀と思っていた気持ちがユルユルになってしまった。さらに、何ということでしょう。「年金請求書の受付控え」という用紙まで発行してくれて受付完了。

 これはすごい。ありがたい。美人アドバイザーには感謝の気持ちで、もしも忘れなければケーキの一つでもプレゼントしなければと思っている。何しろ健忘症だから忘れる可能性が大だ。

 結論。ボクのような65歳を過ぎると面倒で難しい申請であった。と、書いておこう。そして、ボクは若いんだと思っているのだが・・・・。無理かぁ(^ ^)(^ ^)


揚げ足取り?

 天罰発言の都知事が東京消防庁の職員に対して「福島原発に行かないと処分する」と暴言を吐いた通商大臣に噛みついた。
 これで石原慎太郎氏は天罰発言を棚に上げて自分の点数を稼ぐつもりなんだろう。こんな発言をする海江田万里氏も悪い。しかし要するに揚げ足取りであるとボクは思う。もっと別な方向で被災者を救う発言をしてもらいたい。

 そして大切なことは命をかけて福島原発に派遣されている東京消防庁の職員、自衛隊などの隊員の元気をつける言葉こそ大切だと思うのだが・・・。

    シーベルト炉心融解注水と言葉おどろし原発事故は


最優先は何かを考えなければ

 さて、昨日一通のメールが届いた。次のような内容である。
 
『今回の震災に遭いいいろいろ考えています、今回の石油類の問題は国の問題と考えています。燃料の配布の優先度を国がいち早く選定し配布先を限定して配布すると言明すればこんなに混乱しないと思います。最優先は被災地であり医療の現場であり介護施設などだと思います。このようにはっきりすれば一般の人は我慢したと思います。こんな国にした官僚を本当にさげすみます。(馬鹿野郎と言いたいです)。多くの人はガソリンの心配しながら施設での泊りを覚悟で出かけています』

 超巨大地震や巨大津波は自然のなせるもの。これは畏れなければならない。天災である。人知でなんともしがたいその場に居合わせたら避けることができない。
 しかし、その後の対応については人知が及ぶものが多い。政治家や官僚の対応の拙さ、覚悟の無さそのものが人災になってしまう。その怒りがこのメールだ。心から同感する。


悼む

 今朝の魁新報に大震災による津波で多賀城に住んでいた横手市出身の大学1年生の死亡記事があった。19歳。何だか気になって秋田県高校野球の記録集を調べた。高校球児だった。気の毒なり。合掌。



社会保険庁の帰り道。久しぶりに本店の社長と会った。
震災時の教訓をいろいろと話していただく。反射ストーブのありがたさ。ラジオの大切さ。慣れてくると日中は電灯を点灯しなくても過ごせることの再発見。なるほどなぁと肯くこと多し。
少し早めに自宅に着いたので自宅の周りを見渡して「春」を探した。ちょっとカッコいいかも。遠くの木々にはスズメが囀っている。そして、雪解けの水滴がポツンポツンと滴り落ちて一歩ずつ春に近づく気配を見せていた。日本全体にも必ずや春が訪れる。これにて本日のブログは終了。
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