走る姿は心をうつす


真ん丸な夕陽の向こうに

 夕方は薄曇りになっていた。その雲を通して太陽が丸く見える。カメラを向けても少しの逆光でも暗くならずに写ってくれた。

   真ん丸な太陽沈み被災地は幾百万の悲しみの中


懇親会

 昨夜、横手の民家をそのまま料亭にしたような静かな場所で職場の懇親会だった。今年度、同じ持ち場で取り組む仲間たちである。
 皆、若い。明るい。じっと前をみつめている。とても良い懇親会だった。

 例のクロコダイル・アタック(商品名は「小さくてもイタイワニー」とのことがわかった)は大活躍。写真の右手前テーブル上に緑色のクロコダイルがいます、

 がぶりと噛みつかれた人は罰ゲームで沖縄土産のパイナップルジュースをお猪口で一気のみ。とても健全な一気のみです。ゴーヤジュースにしようと思ったのだが間違ってパイナップルジュースを持参してしまった。罰ゲームにならないぞ。
 それでも、罰ゲームとしてのカミングアウトがなかなかに楽しくハラハラドキドキ。
 20年近く使ってきたクロコダイルの歯が抜けてしまったので、新しいワニを先ほどヨドバシカメラでポチッとした。そいつのデビュー戦ははたしていつになるのか・・・。

 と、言うわけで本日の写真は昨夜の参加者たち。


全力のランニング

 先日、小川洋子さんが毎日新聞に掲載したコラム『甲子園1勝以上に大きなもの』で、もう一つ野球をする上でとても大切なことが書かれている。
 創志学園がセンバツ出場が決まってから、野球部員たちが小川さんに寄せた色紙の内容についてである。引用します。

『(部員たちから送られてきた)色紙の真ん中に元気よくジャンプする部員たちの写真が入り、その上には「甲子園で校歌を響かせます」の一行があった。
「全員野球」「初志貫徹」「切磋琢磨」。どの選手の字ものびのびとして生命力にあふれている。「本塁死守」。この子はキャッチャーだな。「不撓不屈」。こんな難しい漢字が書けること自体、素晴らしい。

「走る姿は心をうつす」。これは名言だ。一番基本的で一番辛い練習のランニングこそ、心をこめてやらなければならないのだろう・・・。
私は会ったこともない少年たちの姿を、一人一人胸に思い浮かべていった。そこにあの地震と津波が襲ってきた。

 少年たちがただ野球をしているだけなのに、どうしてこんなに胸が熱くなるのだろう。今年の選抜野球大会ほど、その不思議について繰り返し考えたことはなかった』

 一番基本的で一番辛い練習のランニング。と、小川さんが書いているように、ランニングで手を抜く(足を抜くかな・意味が違うなぁ)かが「心をうつす」ことになる。前にもブログに書いたことがあることだが、選手たちに能力があってもなくても誰でも取り組むことの出来るランニングにどれだけ気持ちがこもっているのか。そこが大切だと考える。

 いい話を読ませてもらった。



栃木の友人からメール。30年程前の男鹿半島沖地震による津波で小学生が亡くなったことを知りました。との内容だった。
そうなんです。28年前のことです。13人の小学生が津波に一瞬にして飲み込まれて亡くなってしまった。日本海中部地震である。
この時の記憶はまだ生々しく甦ってくる。3月の大震災は太平洋側で起きた。もしも日本海側で起きたら同じように大きな被害が出てしまうことを認識しなければならない。
これにて本日のブログは終了です。

連動する地震


暗雲

 天候が悪い。昨夜、テレビ画面では石巻地区の高波被害について報じていた。満月の頃には大潮になるので海水の動きが大きくなる。まだまだ被災地の苦悩と苦闘は続くだろう。
 写真は平鹿平野から雄物川・大雄・大森方面になる。今日もまた気温も低く雲は低く暗雲が垂れ下がっている。


刈和野地震

 昨日(2011年4月19日午前4時14分)刈和野で起きた震度5弱。マグニチュード4.9の地震に驚かされた。とりあえず勝手に刈和野地震と命名しよう。
 震源地が刈和野だと聞いてすぐに思い出したのが100年ほど前に起きたと言われる強首地震だ。強首地震については父や母に話を聞いていた。

「かまどに乗せていた釜が1尺も飛び上がったど」
とか、
「岩倉温泉の湯っこが止まり廃業した」
などである。

 ボクの父母が生まれる前後の地震である。この地震については父母が子どもの頃に周りの人たちが被害の状況を克明に伝えていたのだろう。

強首地震については次のように書かれている。

『1914年3月15日午前4時59分44秒、秋田県仙北郡大沢郷村(現・大仙市、旧・西仙北町)を震源として発生した。別名を強首地震(こわくびじしん)という。地震の規模はM7.1。秋田市で震度5を記録したが、東北地方を中心に北は北海道函館付近、南は関東地方までを揺らした。震度の数値はそう大きくはないが、94名の死者を出した』

 昨夜の震源は強首から直線にして1~2辧F韻乎覗悗動いたのだろう。地震の震度は100年前と同じくらいだが、Mが小さいために大きな被害がなかったのだと思う。

 話、変わって。3週間ほど前に新しく赴任された職場の人が挨拶で次のような話をされた。

「東日本大震災の余震が続いています。もしかすれば100年前に起きた仙北地方を襲ったと言われる断層が連動するとも予想されています。地震の備えを十分にしたいものです」

 確かに東日本大震災の影響で日本の広範囲で余震が続いている。長野県などの内陸部でも大きな地震が頻発している。日本列島がグラグラと揺れている感じだ。地震が連動するかもしれないという予想が当たったとも言える。

 実は100年ほど前に仙北を中心に大きな地震が強首地震の他にもう1回あった。有名な千屋断層を生じさせた陸羽地震である。陸羽地震や千屋断層についてウイキペディアには次のように書いている。

『1896年(明治29年)8月31日に発生した陸羽地震。マグニチュード(M)は7.2、2008年(平成20年)の岩手・宮城内陸地震と並ぶ東北地方最大規模の直下型地震。震源は極浅く、震源地付近で震度6、一部では震度7の揺れがあったと推定されている。被害は、横手盆地の内部と東側の山地に集中し、仙北郡の千屋・長信田・畑屋・飯詰・六郷などの集落では、全戸数の7割以上が全半壊した。全体では、死者209人、負傷者779人、家屋全壊5792戸、半壊3045戸、山崩れ9899箇所に及んだ。
陸羽地震では、断層の東側が350cm上昇した。千屋断層ができ一部が地表に露頭した。また奥羽山脈をはさんだ岩手県側にも川舟断層(西側が200cm上昇)が出現した。
現在、千屋断層の露頭部分は風化が進みほとんど目にすることができなくなった。1984年(昭和59年)3月10日秋田県の天然記念物に、1995年(平成7年)2月14日国の天然記念物に指定された』

 千屋断層は地震の教科書などで根尾谷断層などとともに有名な断層ある。ボクも少し興味をもっていたので何年か前に千屋断層を見に行った。ところが残念ながら千屋断層は天然記念物とはいえよくわからなかった。

 その後、この地方での断層活動は「なり」を潜めていた。だが、そのうちの一つの刈和野付近は昨日グラリと動いた。陸羽地震が起きた断層が動かない保証はない。今後も東日本大震災に連動した影響があちこちで出てくるだろうと推測できる。

 科学的ではないがボクは次のように想像している。

 地震の大親分がM9でドーンと大地震を起こした。その大地震の子分たちが「親分がこれだけやればアッシたちもやりますゼ」とMの少し小さな子分の地震が暴れている図だ。と・・・・。

   百年も一万年も地球には瞬時のできごと「人」よ謙虚に



本日は横手で軽く懇親会有り。本日のブログはこれにて終了です。

野球(スポーツ)の伝えること


鏡の中の風景

 職場を2階から3階に登って行くと手洗い場がある。そこには鏡が4枚ほど並んでいて若者たちのオシャレの場だ。ボクにとっては全く縁のない場所。鏡なんて嫌いだ。だから鏡なんて見たことがない。
 しかし、鏡に映る外の風景はとても魅力的だ。鏡の前を通り過ぎるたびに「いいなぁ」と思う。そこで1枚写真に撮ってみた。ところが思ったように写らない。まぁ、そのうちにまた挑戦することにしてとりあえず鏡の中の風景である。実際に見える景色とは左右逆になっている。見えるかなぁ。


スポーツの神々しさ

 K君が「この記事は、いいすよ」と言いながら新聞の切り抜きを1枚持ってきてくれた。
 今朝の(2011.4.19付)毎日新聞に掲載された作家小川洋子さんのコラムである。タイトルは『楽あれば苦あり 甲子園1勝以上に大きなもの』だ。

 小川さんはセンバツに部創設最短で出場した岡山創志学園の校歌の作詞者とのこと。創志学園は岡山女子高校が1998年にベル学園と改称され、さらに2010年、創志学園に校名変更されて野球部が創立された。
 小川さんが作詞したベル学園の校歌が校名が変わっても引き継がれた。創志学園のセンバツ出場は小川さんに思いがけない喜びがもたされたと書いている。ちなみに小川洋子さんの著作でボクの持っているのは『博士の愛した数式』だ。

 さて、コラムの中に書かれている、小川さんが甲子園球場の裏側を取材したときの感想がとても良い。

『グラウンドの片隅に立った時、もうこれ以上先へは足を踏み入れられないな、と本能的に理解した。柔らかく細かい砂で見事に整備された内野、真っ白なベース、外野に広がる芝生。それらは神々しいほどの緊張感をはらんでいた。そこに立つに相応しい人間のみが、ラインを越えてゆくことを許され、そうでない人間はこちら側からただじっと見ているだけしかできないのだ。あの神聖な甲子園球場に、自分の作った校歌が流れる。想像しただけで涙ぐみそうになった』

 ボクも心からそう思う。甲子園でなくても学校のグラウンドでも、ボクは簡単に入れないと常に思っている。野球部の顧問だった当時は現場にいたからグラウンドには入れた。しかし、いったんその場から遠ざかれば遠くから見守るだけしかできないと自分の心にインプットされている。それだけ神聖な場所だと思っている。

 まぁ、どこの学校とは言わないが校長というだけでズカズカと入り込んできた人もいるのだが・・・。こんな人には罰が当たります。いや、当たってしまいましたねぇ。よく野球には神様がいる。とか、グラウンドに一礼して入るとかの気持ちが良くわかる。

 そして小川さんは創志学園の部員から寄せられた色紙を紹介し甲子園に思いを馳せる。さらに野球(スポーツ)が持っている、きれいごとではない残酷さを含んだ一人の人間の人生を切り開く生き方を紹介する。

『なぜ、あの時あんな簡単なゴロをエラーしてしまったのか。なぜ、あそこであの一球を見逃したのか。一生考え続けても答えの出せない問いを、スポーツは投げかけてくる。だからこそ私たちも、まるで目の前の試合が一人の人間の生き方を映しているかのような思いで、一生懸命に試合を観る』

 センバツ開会式で創志学園のキャプテン野山君の選手宣誓もとりあげている。

『立派な宣誓だった。台に上がって、帽子を取ってお辞儀をする。その仕草に心がこもっていた。太い眉毛がりりしかった。難しい言葉は一つも使っていないのに、選手たち全員の思いが真っ直ぐに伝わってきた。名文とはつまり、技術でも何でもない、尊い志があるかないかによって決まるのだ、ということを教えられたような気がした。野山君が書いてくれた色紙の言葉は「常に全力」。そう、君は全力だった。野球ができることへの感謝を、大人たちに向かって全力で表現してくれた』

 ボクもブログで取り上げたが素晴らしい宣誓だった。あらためて宣誓の全文を読み直してみたが良いものは良い。
 創志学園は1回戦で惜敗。小川さんは校歌を聴くことが出来なかった。しかし、一つの勝利以上のものを伝えてくれた。と、結ぶ。

 このコラムのコピーを読みながら野球が持つ「君はこのままでいいのかい?」という問いかけにあたらめて触れ、センバツの選手宣誓を思い出しながら涙をこらえた。

   一球に向かう姿勢は生き方も考え方も一生のもの

 K君からこの記事を紹介してもらったことに感謝だ。



今朝、4時過ぎの地震は強かった。我が家のすぐ近くの西仙北町刈和野が震源の内陸の直下型地震だ。震度5弱。我が家はボクの体内震度計で震度3~4。
実は前々から地震の連鎖があるのではないかと言われていたことが現実になった。このことにボクは驚きそして、あり得ることだと納得している。それについては次回書きたい。今日のブログはこれにて終了です。

寒い朝


放射冷却

 今朝は放射冷却の影響で氷点下まで気温が下がった。上の写真は月曜日恒例の燃えるゴミ出し場所で無事?二袋のゴミを出して大向方面を見て1枚。
 土曜日は雨。そして、日曜日は晴れて風も強く吹いたらしい。そのために雪消えが進んだようだ。
 以前、野球部の顧問をしていた頃。グラウンドに多量の積雪がありシーズンに間に合わないかもしれないと思ったことがある。雪をとかすために様々な試みをしたことを思い出す。
 まずは内野や外野から重機で雪をファールグラウンドに跳ばしてもらいプレーゾーンを作ってもらった。ところがファールエリアの雪が5月になっても残ってしまい不便な思いをした。
 その後の冬に試したのは雪の上に粉炭をまくことだ。粉炭は黒いので春の日差しを吸収して雪の溶けるのが速くなる。農業で利用される方法で田んぼの雪の上にまいて雪消えを促す。なかなか良かったと思っている。
 最も良い方法はグラウンドから雪を運び去る方法。これはボクが勤務している間には実現しなかった。その後トライしているかもしれない。
 まぁ、結論はどんなに積雪量が多くても放っておけば雪は消える時には消えてしまう。こんな簡単なことに気づいたこともあった。

 そして、雪が消える時にどんな条件が最も必要かと言う話をした。その結論は次のうちのどれでしょうか。

  ア、太陽
  イ、気温
  ウ、風
  エ、気力


あらためて驚くこと

 若い連中と福島原発について話していて少し驚いた。

「福島原発の電気は東京に送られているんだ」と、ボク。
「エッ。福島だったら福島か東北地区の電気でしょう」
「イヤー、全部の電気は東京に送ってるべ」
「それは、本当ダスカ?」
「ンダ」
「・・・」

と、まぁこんな感じ。要するに福島原発で作られている電気は東北のために使われていると思っていたらしい。なるほどなぁ。電気は空気のようになっているので、どこでどうやって電気が作られているのか運ばれているのか知らないんだと思った。良い意味でも悪い意味でも教育の大きさを感じる。
 そして、やはり東北は間違いなく虐げられているとつくづく思う。



今朝は空気がキンと冷えている。その分、我らが鳥海山も真っ白な姿を久しぶりにきれいに見せてくれた。やはり、いいですねぇ。
我が職場のK君にGが2連敗して機嫌悪くないか?と尋ねた。意外に元気で大丈夫とのこと。そして、Gの選手たちも全力疾走していると聞いた。それは良かったぞ。基本中の基本だからなぁと相づちを打つ。
さて、上の雪が消える条件で最も必要なものは「風」ということになりました。洗濯物が乾く原理と同じことなんでしょうねぇ。

   震災の痕を眺めてあらためて小さき「人」にたじろぐ自分

今日のブログはこれにて終了です。

東北の怒り


シメ

 塩竃の庭には鳥のエサ場を作っていてヒマワリの種などを入れている。塩竃のお父さんに聞くと最近はスズメ・ヒヨドリ・シジュウカラ・シメなどが来るという。
 その中でシメはヒマワリの種が大好きとのこと。この写真に写っている個体もヒマワリの種を一粒くわえて近くの木の枝にとまり上手に割って食べていた。スズメよりも一回り大きな鳥である。


津波の痕

 日中、塩竃の家を出て多賀城から仙台港へ向かい仙台市荒浜付近さらに七ヶ浜まで津波の痕を見てきた。
 大震災から1ヶ月以上経過して道路からは瓦礫が取り除かれて車の通行は出来るようになっている。しかし、津波によって流されて田んぼなどに取り残された車や松の木その他の瓦礫はまだまだ片付かない。復興までは何年もかかるのではないかと想像された。
 仙台港の工場地帯も壊滅的な状態だった。おそらく従業員の車だろう。工場の駐車場に何百台も津波に飲まれたままの姿で置かれている。ウームと黙りこむしかなかった。

 道路の右と左。道路の向こう側とこちら側。つまり、津波に襲われた場所と襲われなかった場所は数メートルの差だ。しかし、そこでは景色が一変する現場だ。

 まだまだ警察官が交通規制をして立ち入りが出来ない場所もあった。まだまだ壊滅的な状態の場所が数多くある。少しずつ少しずつ復興に向かってゆくしかないのかなぁと思ってきた。


安易な言葉もう沢山

 昨日(2011.4.16付)の河北新報に『3.11震災と作家たち 6』のコラムに熊谷達也さんという仙台出身の作家が『東北の怒り 安易な言葉もう沢山だ』を書いている。その内容を読んで熊谷さんの憤りや東北の住む人たちへの激励が伝わってきた。内容の一部を引用します。

『人間は何をどう想定しようと、人智をはるかに超えた力を、時に暴力という形で解き放つのが自然だということを、私たち東北人は誰に教えられることなく知っている。だからこそ私たち東北人は、自然に対して謙虚に向き合い、その厳しさに耐えることを当然として生き続けてきた。だから、今回の震災に対しても、失ったもののあまりの大きさに嘆きこそすれ、恨むことはしていない。ただ黙々とその日に出来ることをひとつずつ積み重ね、日常を取りもどすための辛抱をするだけだ。
 だが、内に抱える腹立ちや怒りを、今回ばかりは、遠慮せずに言葉にしてもいいのではないか。それほど、東京を中心とした首都圏から発信される言葉は、下品なまでに卑しく、あきれ果てるものが多いからだ。ここまで言葉に傷つけられ、それでも黙っていることは、もうできない。今回だけは、東北人はキレていい。誰もキレなくても、私はキレる』

 そして、熊谷氏は次のように筆を進める。震災直後の自衛隊派遣人数の少なさ。メディアが原発事故ばかり騒ぎ立てている間に救えるはずの生命が瓦礫の下で消えたこと。計画停電だの何だのの東京での馬鹿騒ぎにいい加減にしろと心の中で吐き捨てていたこと。東京に電気を送るために原発を引き受けさせ、原発がなければくられないように東北の村を作り替えた首都圏のエゴイズム。
 『「想定外」などという、想像力のかけらもない安易な言葉に、これ以上傷つけられるのはもう沢山だ』と結ぶ。

 熊谷氏の言葉にボクも同感である。



夕方過ぎに南外に到着。東北道は前回行った時よりも路面の凹凸が大きくなっているような気がした。先日の余震の影響もあるのかもしれない。50匍制がかかっているが車の流れに乗るためにはそれ以上の速度で走っている。すると所々でドガンドガンと不気味なバウンドをくり返す。
それでも無事到着。本日のブログはこれにて終了。

野球が楽しみに


ツバキの花

 今日は朝から雨。仲人といえば親も同然のJH7UXNにお願いして停電時の対策をしてもらった。おかげで万が一停電した時の準備はできた。感謝感謝である。 その後、塩竃に移動。久しぶりの慰問である。水道が通ったということだから普通の生活に戻りつつあるようだ。
 だが、先日の余震で瀬戸物は二度目の大被害とのこと。地震の振動方向が違ったので被害が結構あったらしい。それでも今のところ大丈夫とのこと。
 宮城に入ると道路の両側には黄色のレンギョウや白いコブシの花が満開になっている。今日の写真は塩竃にあるツバキの花。


全力疾走

 プロ野球が開幕した。あの「巨J軍は永遠に不潔です」のGが大ファンの我が職場のK君とアンチGのボクとの話に熱が入ってきた。しかし、今回はその話ではない。昨日、K君が語りかけた。

「ベイスターズの村田、見たすか?」
「プロ野球ニュースでチラッと」
「あの走り見ましたか?」
「ウン。全力でホームに滑り込んでセーフの時だべ」
「ハイ。村田は攻守交代の時も全力疾走なんだすよ」
「ホーッ」
「今年はベイスターズも応援しようかなと」
「ついでにGもやめれば」
「いや、それは無理ッす」

 確かに横浜ベイスターズの村田が全力でホームに帰った。そして、楽天をからベイスターズ移った渡辺も全力で一塁に走り相手チームの失策を誘い得点にからむ場面もあった。ボクも何だか走っているなぁと感じていた。

 打撃や守備や足の速さなどは天性のモノがある。しかし、心がけ次第で上達するモノがあるとよく言う。それはグラウンド内での全力疾走。
 ムダな動きだ。エネルギーの無駄遣い。何だかアツッ苦しいなぁという意見もないわけではない。しかし、グラウンド内でダラダラと動かないメリットたくさんある。練習時間や試合時間の短縮。そして、何よりも「心」がシャキッとする。

 今朝(2011.4.16付)の朝日新聞に『続けよう 省・タイム』と題する小さなコラムが掲載された。これを読んで同感だなぁと感じた。

 プロ野球には「レッツ・省・タイム」というキャッチフレーズがあるとのこと。地球温暖化対策に貢献しようとして2008年に始まったようだ。知らなかったなぁ。
 過去3年間は、あまり効果を生まなかった。しかし、今季は違うようだ。例えば攻守交代の選手の動きが去年までと違って見える。ダラダラと歩いてベンチの戻る選手がほとんどいないのだ。余計なタイムをかける選手もいない。と、コラムでは書いている。
 実際に平均試合時間(9回)も2時間55分で昨年よりも18分も短いそうだ。単純計算では一イニング3分の短縮である。
 ちなみに今月初めに終わったセンバツ高校野球で平均の試合時間は1時間58分と2時間を割り、前年の2時間5分より短くなったと報じられている。高校野球の総評を読んでみるとその短縮された分だけ淡泊な試合になり先制点をあげ逃げ切る試合が多かったと分析している。
 しかし、プロ野球では短くなったとしても約3時間の試合。充分に野球を推理したりハラハラドキドキしたりする楽しみは味わえると思う。
 そう言われるとプロ野球のテレビ中継を見ていると投手の投球テンポは速くなってる感じがする。いいことだなぁ。

 今年の野球はプロも高校野球も「全力疾走」の原点に返る転機かもしれない。

 朝日のコラムでは次のように結んでいる。

「選手がきびきびと動く姿は、観ていても気持ちがいい。選手はこの意識を、いつまでも持ち続けて欲しい」

 要するに「当たり前のことを当たり前に」やることが一番難しいのかもしれない。野球を観るポイントが一つ増えた感じがする。ところで、Gは全力疾走しているようですかねぇ。K君に聞いてみたいぞ。それにしてもGが負けるまでは落ち着いて寝ることが出来ないなぁ。アレッ話がおかしくなってしまったぞ。



本日のブログは早めにアップしてこれにて終了です。

今だからこそ原発の判断を裁判所に聞きたい


西山の夕陽

 夕方に帰宅する時間が早めになったのでどうしても夕陽に目がゆく。この写真の夕陽は雄物川町にあるトラストと呼ばれるスーパーセンター駐車場から西山(出羽丘陵)方向を見たものである。

 雪消えもどんどん進んでいる。あちこちの家の周囲を片付けた杉の落ち葉などを集めて燃やした煙などと杉花粉が混じり合った妙に煙たい夕陽だ。


負け続けだった原発訴訟

 朝日新聞(2011.4.15付)に原発の安全性に疑問を持ち原発の運転差し止めなどの訴訟をしてきた人たちの経緯が掲載された。
 題して『「原発危険」言ってきた 各地の訴訟 原告たちの主張』である。簡単にまとめておきたい。

 大地震が起きたら、原発は危険ではないか。原発が建設される周辺に住む住民は各地の訴訟で、国や電力は会社と長い間争ってきた。
 裁判所から出されるほとんどの判決は「安全性に問題はない」と判断した。つまり、住民側は敗訴である。
 だが、先月の東日本大震災では深刻な事故が起き、収束の見通しも立たない。これまで出された裁判所の判断に疑問が出ている。

 裁判の争点はほとんど「想定を超す地震が起きた場合に安全性が保たれるのか」である。
そして、国や電力会社そして裁判所の判断は「想定を超える地震は考えられない」として退けてきた。

 裁判所に国や原発の証人として出廷した斑目春樹・東大教授(現・原子力安全委員長)の言葉がひどい。
「大事故が起きる可能性は想定していない」と断言。さらに「可能性があるものを全部組み合わせていったら、モノなんて造れない。どこかで割り切るんです」と、説明したとのこと。

 また、静岡地裁は次のような判決を出した。
「耐震安全性は確保されており、原告らの生命、身体が侵害される具体的な危険性は認められない」と述べて原告の請求を棄却した。

 だが4月4日のブログでも金沢地裁が「電力会社の想定を超えた地震動によって事故が起こり、住民が被曝する具体的可能性がある」と原発差し止めの勇気ある判断をした例がある。ところがその後、名古屋高裁で逆転した。

 要するに裁判所の判断の大部分は国と原発側の思うとおりの判決内容になっている。裁判所は独立していないのだ。

 ところが今回の震災では金沢地裁判決が指摘した危機がまさに現実化した。

「これで裁判所もわかったはず」
住民側は、改めて原発全体の安全性に強い疑問を投げかける。裁判の弁護団長を務めた岩淵正明弁護士は次のように話している。
「今回の事故はけっして想定外ではない。原発を容認してきた裁判所にも責任の一端がある」

 今、日本は大きな岐路に立っている。原発を容認するのかしないのか。ボクは電気を節電したりして辛抱するし我慢する。だから原発はいらないと言いたい。



仕事から帰ったら秋田のお父さんから「高清水」が1本届いていた。感謝感謝である。先日、楢岡焼の掘り出し物市で購入したお猪口でグイッとゴチになります。
久しぶりに放課後にグラウンドに出た。1時間近く外にいたら鼻がグスグス。目も少しかゆくなってきた。ボクは花粉症ではありませんが少し影響されているかもしれない。と、言うわけでほろ酔い気分になったら鼻のグスグスは完治。本日のブログはこれにて終了。

夏タイヤに交換


カワラヒワ

 最近になってようやくカワラヒワが飛び交ってきた。写真はかなり無理して引き伸ばしたのだが木の上部でジージーと鳴いているカワラヒワの個体である。コロコロコロ、コロコロコロと何羽か鳴きながら飛び去っていった。


夕陽

 今日は黄砂気味と言うか杉の花粉で空気が満たされているためかボーッと曇った状態である。
 夕陽の光もそのようなボンヤリと曇った中を通ってきているので微妙な赤みになっている。花粉症の人にとっては苦しい時期だ。
 気温は室内よりも室外の方が温かい一日。グラウンドにはまだまだ多量の積雪があるのだが一歩一歩の春に近づく。


タイヤ交換

 T社のFK君の車である。ボクの走行距離15万卍兇琉車総点検とタイヤ交換の日。その代わりの車である。

 ハイブリッド車代表のプリウス。実際に乗ってみた感想。
 車内がとても静か。思ったよりも重々しい、そして広い。電子機器がよくわからない。ボクのようながさつな人間には合わないかもしれない。
 そんなことを感じながら走行していた。そして、ブツブツとつぶやいた。

   エアコンの設定温度1度下げ快適なるも罪悪感も



今日はこれにてひっそりとブログ終了。

「二十四の瞳」を観る


盛岡へ

 急遽、休暇をとって盛岡にゆく。

 帰り道「錦秋湖サービスエリア」に寄り少しガソリンを補給。そのついでに近くにせまってくる奥羽山脈を1枚撮影した。まだまだ春は遠いなぁと感じた。


これからの目標

 NHKBSで「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」という特集を3年間放映するという。
 最初は「家族編」として50本の日本映画を特集するらしい。山田洋次監督と言えば「寅さん」。
 山田洋次監督は市井の人たちを丁寧に描いている人だと思う。その大監督が選ぶ映画だ。間違いはない。ぜひとも観たい。

 だから、今年の目標は「山田洋次が選ぶ日本の映画100選」をできるだけ観てみようである。

 これまで放映された映画は次のラインナップ。

1.東京物語 2.二十四の瞳 3.トウキョウソナタ 4.鉄道員(ぽっぽや)の4本。

 「二十四の瞳」を観た。小豆島を舞台にした12人の生徒を受け持った大石先生の物語だ。放映された後に山田洋次監督が話していた。

「戦闘場面がないのだが反戦映画にもなっている」

子どもたちを思う教師の気持ち。教育の現場に自由がないことの理不尽さ。そして、教師と子どもたちとのつながり。戦争のむなしさとむごさ。2時間を超える映画の一つ一つのカットに涙がにじむ。ボクがこんなに涙もろいとは思わなかった。
 そして、この映画は日本のミュージカル映画になっていると思った。全編、懐かしい童謡が流れて効果を出している。1954年(昭和29年)の映画では珍しいのかも知れない。
 木下惠介監督の演出の素晴らしさとカメラマンのカメラワークにタメ息をつく。白黒映画ではあるが自然がゆったりと流れる。
 さらに高峰秀子の分教場の若い教師から再び教師に復活する50代くらいまでの姿がいい。大石先生は自転車に乗って現れ、自転車に乗って消えてゆく。背景には「仰げば尊し」が流れる。この曲もあらためて良いなぁと実感した。

 ところで、昨年のNHK大河ドラマ龍馬伝で岩崎弥太郎を演じた香川照之と小泉今日子が出演する「トウキョウソナタ」も現代的なテーマで最後の場面では涙ポロポロだった。二十四の瞳ではないが「泣き虫」なのである。ハイ。

 と、言うわけでこれからしばらくは家族をテーマとした「山田洋次が選ぶ日本の映画100選」を観る。なんと安易な目標なことか・・・。どこまで視聴が続くのかは疑問ですけどね。



何となく重っ苦しい気分ですねぇ。塩竃のお父さんからメール。「レベル7が現実になりました。いよいよ100匏眸鯑颪あるかもしれません。その時は秋田に避難します。秋田も危なくなったら四国に避難しましょう。それ以上は、もう考えが浮かびません」。福島の隣にある県としては心配なことだと思う。

  これまでは数字の七をラッキーと思っていたが今はワースト

これにて本日のブログは終了です。

原発事故レベル7


大丈夫?原発事故評価

 先日、塩竃のお父さんが原発事故をレベル7の事故評価だと心配したメールの内容をブログに書いた。それが現実になってしまった。

 本日、政府が福島第1原発事故を国際的な評価に基づく事故評価を最悪の「レベル7」に引き上げた。「福島第1原発は放射性物質の放出を止め切れておらず、(放出量は)チェルノブイリ原発事故に匹敵、または超える懸念がある」との認識を示した。

 おそらく事故発生当時からこのレベルの事故だったことは間違いなかったと推測される。情報を小出しにして「原発事故があってもたいしたことないジャン」という「免疫的な意識付け」をして徐々にレベルアップしたと言われても反論は出来ない。

 もしかすればチェルノブイリ以上の事故になる可能性も大だ。この段階になっても多数の犠牲者や白血病などの被害者を出したチェルノブイリ原発と比較すれば問題ない。と、言っている。今さら何を言うんだろう。と思うのだが・・・・。

 今日の写真は『公立公文書館デジタルアーカイブ』にあった太平洋戦争中のポスターをコピーした。

 上の写真が『都市空襲の脅威』である。「油断すると消防隊の力も及ばぬ数千カ所の発火とともに毒ガスが来る」のコピー文が何とも今の原発の状態を表しているような気がする。
 そして、2枚目の『防毒室及防毒蚊帳』は福島第一原発以後の避難をパロディーにしているのではないかと思うほどにタイムリーな内容になっている。
 これだけの装備があれば「安全です」「現段階では問題がありません」「セシウムも大丈夫です」と言っているようだ。

 70年ほど昔に作られたあまりにも日本的で、しかも芸術的なポスターだ。その内容が今の原発事故をパロっている内容になっているとは・・・。


ミニ・コンサート

 昨年の今頃もブログに書いたが、今日我が職場のコモンホールで吹奏楽のミニコンサートが開催された。さすが東日本大会に出場して好成績を上げただけある吹奏楽部。部員たちの演奏が和やかで軽快な音で校内を包んでくれた。
 今の状況でほんのりと心温まる出来事だった。

   生きてゆく元気の素が詰まってる吹奏楽部の音に安らぎ



プロ野球も今日から開幕。新聞では震災を気にするあまりの自粛ムードはそろそろ解禁してもいいのではの論調もある。確かに少しずつ普通の生活に戻すことも大切なのだろう。そんなわけで本日はFukushimaの原発に怒りをこめてブログを終了します。

『公立公文書館デジタルアーカイブ』のアドレスは下の通りです。ぜひともご覧下さい。なかなかのものです。 http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/category/categoryArchives/0700000000/default
アクセスカウンター
リンク
カレンダー
03 | 2011/04 | 05
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
最新コメント
プロフィール

Hi-Rock

Author:Hi-Rock
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR