震災の地にて


野蒜海岸付近

 東松島市。野蒜海岸である。
 一番上が野蒜浜である。宮城県でも有数の広い砂浜海岸で海水浴場である。ボクは宮城県で今の仕事がスタートした。その最初の年にキャンプの引率で行ったのがこの野蒜浜である。岩手からつながるリアス式海岸から長い砂浜の海水浴場となる最初の海岸だと思っている。太平洋の外洋と直接つながっている。だから流れはきついし速い。最初のキャンプの時にも海水浴客が流されたと大騒ぎになった記憶がある。しかし、普段は穏やかでとてもいい海水浴場である。
 もう一つ野蒜浜で思い出すのは2001年11月18日から11月19日未明にかけてのしし座流星群の大出現である。
 この夜、ボクは仙台の郊外にある泉ヶ岳で観測しようとして昇っていた。しかし、どうにも曇ってよくない。そこで急きょ山を下り、野蒜海岸に車でかけつけた。この写真に写っている海岸に寝袋を敷いて寝転がって空を見上げた。すると午後11時過ぎから晴れ上がり流星群が雨のように流れ始めた。流星群と言うよりも流星雨と呼ばれる状態を観測できた。この状態は朝方まで続いた。思い出の野蒜浜である。

 ところが先日の大震災では津波がこの海の向こうから襲ってきた。二枚目の写真は右側が野蒜海岸に建設された高さ5メートルほどの土手である。この土手がずたずたに壊されている。海岸の横のアスファルト道路もずたずたに引きちぎられた。そして、左側には松林があったのだが何本かを残してなぎ倒されている。松林が津波の威力を減じたと言われているがその姿は痛々しい。

 三枚目の写真は海岸から200メートルほどのところにある仙石線の鉄道。写真の左側から押し寄せた津波によって鉄道の線路も右側にずらされてしまった。この鉄道の奥には津波によって押し流された二両の電車も見ることができた。すさまじい破壊のエネルギーである。

   ひっそりとただひっそりと海はあり命はぐくみ命うばいて



今日はささやかな救援物資を塩竃に置いて夕方過ぎに自宅に帰った。塩竃の家には野鳥へのエサ台が置かれている。スズメ、ヒヨドリ、シジュウカラなどなどが集まっている。今朝から冬型の気圧配置。風は冷たく椿の枝にとまるスズメたちも羽を膨らませ寒さに立ち向かっているように見える。。

センバツが終わった。ほとんどテレビも観ることなくラジオも聴くこともなかった。今回はどこが勝つとか負けるとか、あるいは優勝するなど興味がなかった。新聞等で試合結果を確認したくらいだ。
震災の中で開催されたセンバツについて明日の新聞などではいろいろな感想を書くと思う。ボクの感想と印象は「選手宣誓」「そして静かな高校野球」だったと言うことにつきる。これは今後の高校野球のある意味大切な方向性を示している気がする。詳しいことは後日書きたい。

少々、長旅だったので疲れました。これにて本日のブログは終わりです。
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