東北の怒り


シメ

 塩竃の庭には鳥のエサ場を作っていてヒマワリの種などを入れている。塩竃のお父さんに聞くと最近はスズメ・ヒヨドリ・シジュウカラ・シメなどが来るという。
 その中でシメはヒマワリの種が大好きとのこと。この写真に写っている個体もヒマワリの種を一粒くわえて近くの木の枝にとまり上手に割って食べていた。スズメよりも一回り大きな鳥である。


津波の痕

 日中、塩竃の家を出て多賀城から仙台港へ向かい仙台市荒浜付近さらに七ヶ浜まで津波の痕を見てきた。
 大震災から1ヶ月以上経過して道路からは瓦礫が取り除かれて車の通行は出来るようになっている。しかし、津波によって流されて田んぼなどに取り残された車や松の木その他の瓦礫はまだまだ片付かない。復興までは何年もかかるのではないかと想像された。
 仙台港の工場地帯も壊滅的な状態だった。おそらく従業員の車だろう。工場の駐車場に何百台も津波に飲まれたままの姿で置かれている。ウームと黙りこむしかなかった。

 道路の右と左。道路の向こう側とこちら側。つまり、津波に襲われた場所と襲われなかった場所は数メートルの差だ。しかし、そこでは景色が一変する現場だ。

 まだまだ警察官が交通規制をして立ち入りが出来ない場所もあった。まだまだ壊滅的な状態の場所が数多くある。少しずつ少しずつ復興に向かってゆくしかないのかなぁと思ってきた。


安易な言葉もう沢山

 昨日(2011.4.16付)の河北新報に『3.11震災と作家たち 6』のコラムに熊谷達也さんという仙台出身の作家が『東北の怒り 安易な言葉もう沢山だ』を書いている。その内容を読んで熊谷さんの憤りや東北の住む人たちへの激励が伝わってきた。内容の一部を引用します。

『人間は何をどう想定しようと、人智をはるかに超えた力を、時に暴力という形で解き放つのが自然だということを、私たち東北人は誰に教えられることなく知っている。だからこそ私たち東北人は、自然に対して謙虚に向き合い、その厳しさに耐えることを当然として生き続けてきた。だから、今回の震災に対しても、失ったもののあまりの大きさに嘆きこそすれ、恨むことはしていない。ただ黙々とその日に出来ることをひとつずつ積み重ね、日常を取りもどすための辛抱をするだけだ。
 だが、内に抱える腹立ちや怒りを、今回ばかりは、遠慮せずに言葉にしてもいいのではないか。それほど、東京を中心とした首都圏から発信される言葉は、下品なまでに卑しく、あきれ果てるものが多いからだ。ここまで言葉に傷つけられ、それでも黙っていることは、もうできない。今回だけは、東北人はキレていい。誰もキレなくても、私はキレる』

 そして、熊谷氏は次のように筆を進める。震災直後の自衛隊派遣人数の少なさ。メディアが原発事故ばかり騒ぎ立てている間に救えるはずの生命が瓦礫の下で消えたこと。計画停電だの何だのの東京での馬鹿騒ぎにいい加減にしろと心の中で吐き捨てていたこと。東京に電気を送るために原発を引き受けさせ、原発がなければくられないように東北の村を作り替えた首都圏のエゴイズム。
 『「想定外」などという、想像力のかけらもない安易な言葉に、これ以上傷つけられるのはもう沢山だ』と結ぶ。

 熊谷氏の言葉にボクも同感である。



夕方過ぎに南外に到着。東北道は前回行った時よりも路面の凹凸が大きくなっているような気がした。先日の余震の影響もあるのかもしれない。50匍制がかかっているが車の流れに乗るためにはそれ以上の速度で走っている。すると所々でドガンドガンと不気味なバウンドをくり返す。
それでも無事到着。本日のブログはこれにて終了。
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