熊がでた


熊がでた

 ボクはこの歳になるまで動物園以外で本物の熊を見たことがない。しかし、春から秋田県内のあちこちでは熊が出たので注意と報じられる。

 毎日通勤する田舎道にも写真のようなのぼりが立てられている。南外村の大平地域の隣である大森町の大平地区である。アレッ同じ地名なの?気づいた人はエライ。その通りです。違う村と町で隣り合わせて同じ地名がある不思議な場所である。おそらく昔は同じ大平地域だったのだろう。それが行政上の関係で分断されたと推測する。

 いずれにしてもボクの家から3㎞から4㎞地点に『熊出没注意!!!』ののぼりが立っているのである。のそのそのそ歩いて熊が我が家の近くに来ても不思議はない。道路はもちろん楢岡川の流れもつながっているのだ。

 先日(2011.5.19付)の魁新報には昨年度捕獲されたツキノワグマの捕獲数が245頭だったと書いている。秋田県で定めた捕獲計画上限の2.3倍になったらしい。
 秋田県ではツキノワグマが人間と強制できる適正な頭数を1000頭程度と見ているようだ。この記事を見ると245頭を捕獲してかろうじて1000頭代を維持しているようだとしている。

 人間の生活と野生の熊との接点がどんどん増加しているようだ。農業が変わり時代が変わってゆくので野生生物の環境も変化しているのだろう。
 いずれにしても熊が出た~~はなかなかに恐い話でもある。

 話変わって。ボクの祖父は「虎雄」。そして向かいに住んでいる遠い親戚のおじさんは「熊夫」なかなかに縁が深いかもしれない。そんなことはないか・・・。


今日は飲んでいるのでようやくアップ。生存証明です。

バレーボール観戦


コートの中に学校生活のすべてが

 ボクの職場は今年で創立60周年になるとのこと。3年前に仙北市の女子高に勤めたときにはちょうど創立80周年の式典の時だった。妙に周年行事に縁があると思っている。

 今日は創立60周年記念招待バレーボールの1日だった。雄物川体育館に女子は宮城県の利府高校、男子は東京学館新潟高校が来訪してくれた。

 利府高校は2年前にバレーボールの練習試合で行ったことがあるので懐かしさをおぼえる学校である。3.11の震災では女子バレーボール部員が家族とともに一人犠牲になられたとのこと。おそらく多賀城から通っていた生徒だろう。気の毒なことだ。開会式では選手も応援隊も全員で黙祷を捧げた。冥福を祈りたい。

 さて、バレーボールの試合を最初から最後まで見るのは1年以上ぶりだ。女子の試合を見ながらボクは「この一球」の意味を考えていた。
 3セット目に試合は23-21だった。リードされているチームが懸命にボールに追いついて拾いまくる。ボールが何度も何度もコートに落ちそうになった。それでも拾って相手コートにボールを返す。結局、その時に得点はできずに24-21になった。
 しかし、ボクはこのプレーの流れを見たことで「試合を見ることができて本当に良かったなぁ」と心から感じた。涙がにじんでくるのをこらえられなかった。なんと女々しいことか・・・・。

 男子の試合後に東京学館新潟高校の監督さんがインタビューで応えた言葉が良かった。生徒会からの質問はバレーボールを指導する上でどんなことを指導の基本にしていますかだった。ボクの記憶ちがいかもしれないが次のように話して下さった。

「コートの中に学校生活のすべてがあると考えています。勝ち負けの前にしっかりした日常生活をすることを基本にしています」

 ボールを拾い続けることの延長線上にこの言葉があるなぁ。と、バレーボールの試合を見ながら涙がにじんできたことにコトリとボクの心が納得した。

    ひたすらにボール追いかけその先に見えてくるのは普通の暮らし


春季全県高校野球の結果
 2回戦
  本 荘  3- 0 明 桜
  能 代  8- 4 大 曲
  金足農  5ー 2 角 館
  大曲工 11- 1 横 手(5コ)
  秋田商 11- 4 横手城南
  秋田工 10- 8 能代商

これでベスト8がそろった。明日の準々決勝が楽しみですが雨が心配です。
   


ボクが住んでいる場所の近くに枝垂れ桜(だと思いますが)が桃色に咲いている。雪で押しつぶされていたのだが鮮やかに色づいた。今日のブログはこれにて終了です。

原発再稼働とは・・・・


逆さの鳥居

 田んぼに水が張られて「田かぎ」と呼ばれる作業をする。水を入れた田んぼを大型のトラクターでかき混ぜながら走る作業である。その後に1日くらい田んぼを休ませて田植えが始まる。
 写真は大森町の山間で「田かぎ」が終わり一休みの田んぼである。深い静かな湖のようだ。
 向こうには鳥居が見える。この大森町八沢木地内には霜月神楽などで有名な保呂羽山神社(波宇志別神社と言うかもしれない。記念館もある)の付近。さらに近くの将軍山への登山口もあり山岳信仰の鳥居が立っている。もしかすれば写真の鳥居も信仰の象徴かもしれない。夕陽に逆さの鳥居が映る一瞬の湖出現。豪雪で遅れた収穫への祈り。

   田植え前わずかの時間おだやかな湖水出現豊作の水


反省も検討もなく・・・

 ノーベル賞作家大江健三郎さんが朝日新聞(2011.5.18付)のコラムに『【あいまいなまま続けさせるな】核の時代の混乱と霧どこへ』を執筆している。内容は福島原発事故は25年前のチェルノブイリ原発事故の総体的な調査や検討がなく、ズルズルと原発を推進した延長線上に今回の事故がある。と、書いている。
 今また福島原発事故が収束していないのに原発推進の議論が出てきていることに警鐘を鳴らしている。
 ここではコラムで大江さんが取り上げている最近の原発への議論や最近の話題をメモしておきたい。

『核の時代のツケがさまざまな形で混乱と霧とを広がらせ、「次のチェルノブイリ」を予感させるような事例はいくらでもあげることができるが、ほとんどは世界全体によって見て見ぬふりをされていると言って良いだろう』

『福島原発でチェルノブイリと同じ大きさの事故が起こったのです。直後には、原発を推進してきた自民党の総裁も、それを続けるのは難しい状況だ、と言明しました。ところが一週間たつと彼は軌道を修正しています。「安定的な電力供給ができないと製造業などが維持できるのかという問題もある」』

『5月5日の朝日新聞には〈早くも「原発維持」に向けた動きが始まった。原発推進派の議員が集まり、新しい政策会議を発足。「反原発」の世論に対抗する狙いだ。〉と報道しています』

『それに対して6日には菅首相の浜岡原発の全停止要請があり、正当な判断だと思いました。しかし、「30年以内にマグニチュード8程度の地震が発生する可能性が87%という数字も示されている」という浜岡に特有のケースの強調に、あらためてゾッとしながら、もう一つ別の懸念もわいたのです。すぐ8日に首相は、浜岡以外の原発に向けての要請はないこと、「脱原発」路線には踏み込まないことを表明しました』

『まだ収束もおぼつかないのにフクシマを過去の出来事とし、これまでの原子力計画を続けるとすれば、そのあいまいな日本、次の私たちに未来はあるでしょうか?』

次はボクが見たもの。

『菅直人首相は18日午後、首相官邸で記者会見し、定期検査中の原子力発電所について「安全性が確認されれば稼働を認めていくことになる」と表明した。今後の原子力政策については、「原子力のより安全な活用方法が見いだせるならさらに活用していく」と述べ、原発の安全性を確認した上で、原子力政策を堅持する考えを示した』

『この菅直人首相の再稼働論に反発している原発をかかえる自治体もある』

 菅直人首相をトップとして政治家たちが再稼動を前提としている節操のなさは、本当に国民の安全を最優先に考えているとは言いがたい。だいたい放射性廃棄物の行き場もないのにどうするのか。大江さんの言葉に心から同感である。


春季高校野球全県大会の結果
 1回戦
  横 手  8- 3 大館国際
  秋田工  1- 0 湯 沢
  明 桜  7- 6 横手清陵
 2回戦
  秋田北鷹 5- 2 秋 田
  大館鳳鳴 9- 2 西 目

いよいよスタート。球児たちの活躍を見守りたい。


ボケの花が咲いた。今年の赤はいつもより毒々しくない。もっともっと赤かったのになぁと思いながら1枚写真を撮った。本日の心からブツブツつぶやきのブログはこれにて終了です。

野球は人を映す


一筆啓上つかまつり候

 ホオジロの鳴き声を日本語に変換する聞きなしで有名なのは「一筆啓上つかまつり候」である。ボクにもそんなふうに聞こえてくる。と、言うのは負け惜しみ。じつはそんな風に聞こえないことも多い。
 鳥のすむ場所によって訛りがあるようだ。ネットでホオジロの「聞きなし」を調べたら神奈川県の高校生の考えた聞きなしがあった。

「バカヤロお前なに言ってんだ-」
「〆切直前あとちょっと」

ウーム。今朝のホオジロは2番目の「〆切直前」のがピタリかもしれない。神奈川県立小田原城内高等学校(女子)3年文系コースに設置された「理科供廚亮箸琉豐弔箸靴董1989年に4学級で行なった結果を神奈川県理科部会で報告した内容である。女子高校生はするどい。なかなか侮れないぞ。

 写真は今朝我が家の半分枯れかけている松に飛んできたホオジロである。

    ホオジロの気持ちになって届けたい一筆啓上つかまつり候
    教室に飛び込む虻にさわぎだす女生徒の声に作為を感ず


甲子園は何のため

 今朝の日刊スポーツに京都外大西の甲子園準優勝投手がひったくり事件を起こして逮捕されたと報じられている。

  ボクの生涯の友人である幼なじみのST君は48前のセンバツに出場した。彼は言う。

「甲子園はわたしの人生を変えてくれた。甲子園に出場できたことでどんな苦しい場面でも乗り越えられた」

おそらくこの感想が甲子園に出場した人たちの偽らざる気持ちだと思う。しかし、京都外大西で甲子園に出場し準優勝まで経験し大活躍した男に何があったのか。
 事件を起こした本人が悪い。「心」が育っていなかったんだろう。と、簡単に言うことはできる。でも、それだけだろうか。指導する側に何か大切なポリシーが欠けていなかったんだろうか。

 この記事を読みながら「甲子園とは何だろう」と考えてしまった。


楽天の星野監督

 野球ネタをもう一つ。昨夜の楽天対読売の試合をテレビで見ていた。試合は読売が若手の活躍で逆転勝ち。
 ボクが気になったのは楽天の星野監督の仏頂面だ。思い通りに動かない(動けない)選手たちに対して苦虫をかみつぶしたような顔である。時には椅子をたたき、試合終了後にはベンチを蹴飛ばしていた。
 
 これが星野監督のめざす熱血指導だとしたら大間違いだとボクは思う。たとえ勝たなければ商売にならないプロ野球だとしてもである。



2枚目の写真は雲一つない空にくっきりと見えた鳥海山を見ながら心を洗うことにしよう。もうすぐ雪も消えて鳥海山に子どもの顔の雪形が現れるでしょう。本日のブログはこれにて終了です。

過激な発言?


モクレンとヤエザクラ

 今、我が家の向かいの家ではモクレンが開きだした。少し遅めである。そして、職場のグラウンドではヤエザクラが満開になった。どちらも鮮やかな色で萌える季節を彩る。


クールビズ

 知らなかったなぁ。

 夏場に軽装をする時に行政側から指示が出ていることを・・・。その一覧表が新聞に載っていた。夏場になればクールビズの基本中の基本のノーネクタイになることは知っていた。
 しかし、チノパンやスニーカーを着用してはいけなかったらしい。それを新聞で初めて知った。それらも今年は秋田県ではOKになったようだ。

 まぁ、ボクも公務員として勤務していたが何十年もネクタイの着用はしたことがなかった。もちろん、式典の時にはそれなりにネクタイを着用した。でも、普段は活動しやすい服装だった。特に足下もいつもサンダル履きだった。おまけに冬でも靴下を履かないから「ハダシ」というアダナがあったとかなかったとか。
 それでもある程度の年齢になってからはネクタイを下げるようになった。それには理由がある。加齢によってノドの付近の皮膚がシワシワになってきたためだ。姿はただのジ様なのである。それを隠すにはワイシャツを着てネクタイをすればいいことに気づいた。言い換えればボロ隠し。
 クールビズなんかを積極的に奨励されたら天の邪鬼のボクはネクタイをぶら下げ続けるかもしれない。ネクタイをはずしたからと言ってそんなに涼しくならないことを知っている。首の付近が汗で少~し鬱陶しくなる程度だ。

 ボクの好きなワイシャツはユニクロのちょっと厚手のボタンダウンのもの。これは汗を吸収して夏も快適に着られる。もちろん冬にもいいのだ。


お話にならない

 天の邪鬼ついでにもう一つ書きたい。それは今日ネットで流れたニュースである。大阪の橋下知事が 入学式や卒業式の国歌斉唱時に起立しない府立学校や公立小中学校の教員を免職する処分基準を定めた条例を9月の定例府議会に提案する考えを示したとのこと。まったく何を考えているのやら・・・。

 だいたい「君が代」を国歌と定めたこと自体に問題があると今でもボクは考えている。「君が代」は歌いたい人は歌えばいいし、歌いたくない人は歌わなくてもいいと思っていた。国旗国歌法案が成立した時には強制しないということが付記されていたとボクはおぼえている。 確か天皇も「強制しないほうがよい」と話したと記憶しているのだが・・・。
 東京の石原慎太郎やタカ派の人たちは日の丸や君が代に敬意を表しなければ日本から出て行けと暴言を発する。その言葉を見聞きする時にボクは愛国心の意味が違うだろうと常に考えている。日本は大好きだ。ただ自分としては君が代と日の丸がイマイチ腑に落ちないということだけなのだ。

 先日の朝日歌壇(2011.5.16付)に掲載された東京都の津路野志峰さんが次のような歌を寄せている。

  『大戦の前夜の如き響きもて繰り返される「強い日本」』

選者の佐佐木幸綱氏が選評で「マスコミやコマーシャルがかもしだす最近の空気に、太平洋戦争の時代を重ね合わせる投稿歌がたくさんあった中の代表的な一首」と書いている。

 マスコミやコマーシャルばかりではない。政治家たちもこの流れに乗ろうとしていることは間違いない。発言する政治家たちを選んだのは日本の国民である。そのレベルに似合ったトップをいただいているって事になるのだが何だか悔しい。



最近、黄砂が2日ほど続いた。秋田の気象台では1日だけ観測されたと報じていたがもっと長い期間黄砂は続いていたと思うのだが・・・・。これにて本日のブログは終了です。

    黄砂ならまだ許せると思います一度洗えば白くなるから

愛しいものたちとの別れ


たまには空を

 今日は25℃を超える夏日。気象台によると例年よりも気温が7~8℃高かったという。久しぶりにポプラ(だと思ってよく見たらイチョウだった・・・・)の上空を見上げた。
 空って青かったなぁとあらためて気づく。そして木々はどんどん深い緑になってゆく。


ETV特集

 昨夜、ブログアップしてから〆の350ミリリットル缶ビールを冷蔵庫から取り出してテレビのコントローラを押した。教育テレビでは福島原発特集を放映していた。番組の途中から見たのだが画面に引き込まれてしまった。
 新聞のテレビ番組で確認したら『ETV特集「放射能汚染地図」科学者たちの独自調査2ヶ月の記録』とある。

 内容は年輩の科学者が不自由な身体(と、ボクには見えた)で福島第一原発事故が起きた時から2ヶ月にわたって放射能測定した特集番組である。

 なぜ事故現場よりも20勸幣緡イ譴疹貊蠅嚢眷仕拱庸修測定されるのか等を追いかけてゆく。高濃度の原因は風の通り道にあたること。あるいは自然豊かなことも大きな要因らしい。

 原発事故直後の戦慄の測定値。発見したホットスポット(離れた場所の高濃度汚染箇所)に人が残されていたこと。人生をかけた養鶏場が全滅したこと。福島や郡山市内の汚染校庭問題。などを伝える。

 番組の最後に事故現場から近い場所から避難した人が自宅に置き去りにした犬と猫にエサを与えに1時帰宅する場面が出た。
 飼い主はまとまったエサを与えて犬のもとを車で去ろうとした。飼い主の車が出発すると愛犬が首輪をといて車を追いかけてきた。テレビカメラはどこまでも追いかけてくる犬が小さくなって見えなくなるまでを映し出した。

 この場面を見てボクは大林宣彦監督の『転校生』の場面を思い出した。愛しい人が走り去る車を追いかけてくるところを8ミリ映写機で後部座席から撮影するシーンである。
 原発事故は愛しいものたちとの結びつきを引き裂いた。なぜ?。納得できない思いが募る。あまりの理不尽さに涙が頬を伝っていた。

 福島県内を2ヶ月かけて約4000卞擦里蠅鯊定した放射能の濃度を色分けした結果を地図上に図示した絵が画面に出た。赤が高濃度汚染。福島県内の道路上に点在する赤い色は不気味である。アナウンサーは「県発事故の爪痕」と表現していた。解決はいつになることか。


3日連続の飲み続け。少し疲れ気味。本日のブログはこれにて終了です。

おめでとう!


結婚祝い

 昨夜は仲間うちで雄平君と藍子さんの結婚祝い。二人ともボクの以前の勤務先での教え子である。
 特に藍子さんは野球部のマネとして古巣の野球部の方向性を作り変えた子とも言える。話題になっている『もしドラ』のマネのような存在だったかもしれない。

参加者は写真のように(と、言っても誰も知らないかもしれませんが・・・)元の野球部仲間たちでお祝いをした。


今晩は能代に行ってきました。我が社のK君に言われそうだ。

「いっつも孫を見に能代に行ってるスベ!」
「ギクッ」

である。それにしても孫はメゴイものです。以上、一杯ごちそうになり本日のブログは生存証明です。

震災写真集


まとめて見ると実態が見える

 震災からほぼ2ヶ月経過。塩竃のお父さんは震災の記録にしようとして3.11以降の河北新報を保存している。
 最近になってからあちこちの新聞社や出版社から東日本大震災関係の写真集が発売された。ボクもまとまった記録と考えてとりあえず左側から朝日新聞、魁新報、写真に写っていないがフライデーの総集編を購入した。
 写真集のページを開いてゆくと津波の被害にあらためて言葉を失う。写真の持つ力だなぁと感じる。そして、復興に向かう姿も少しずつ見えてくる。

 先日、東京消防庁に勤める友人から『東京消防 4月号東日本大震災特集号』を見せてもらった。これを開くと東京消防庁の震災への取り組みを一覧できる。地震津波によって大規模火災が発生した。消防として当然消火に取り組んだことはもちろん、福島第一原発に派遣された姿も掲載されている。被災地で活動する消防士たちの『目』から見た写真に新聞社のいわゆるプロの写真とは違う迫力がある。そして、復興のために取り組んだ消防士たちの姿に頭が下がる。この冊子は大震災の救助復興記録として貴重な一冊だ。

 写真集を開きながらもう一つ感じるのは地震や津波は『天災』福島原発は『人災』であることが見える。天災ならば時間と人の努力によって前向きになれる。しかし、人災は時間の経過につれて状況がドンドン悪くなっている。先の見えない絶望が広がる。こんな感慨も抱く。


マーマレード

 静岡の友人から届いた夏ミカン。ものすごく酸っぱいミカンである。こうやって書いているだけで口の中でツバがわき出てくる。
 それでも半分近くは友人たちの口に入ったはず。あまりの酸っぱさに野球観戦で日に焼けた肌に効きそうとの感想も届いた。フフフフ。

 さて、残りの夏ミカン7個ほどをマーマレードに加工。少し皮を多めにしてハーブ・アルパートの曲の名前『ビタースイート・サンバ』にあやかってビタースイートサワー・ジャムをめざした。

 そしてできあがったのが写真の四つのビンである。。少し固めで味はまずまず。自家製ヨーグルトに入れてもスーッと溶けてくれない。焼いたパンにのせるにはちょうどいい。と、自画自賛。


本日は二日酔い気味で一日フラフラと自宅にいた。何もする気がなく正しい休日を過ごした。いろいろな人からいただいた手紙に返事を書かなければいけない。しかし、季節のあいさつを書けないでいる。文章を書くのはむずかしいとあらためて二日酔いの頭をかかえている。来週は少し前向きな気持ちになれるかもしれない。

    気のきいた文章書こうと思うからフットワークは重くなるのみ 

春季高校野球全県大会組合せ


ちょっと見にくいかもしれませんが
トーナメント表です。
トーナメント表の上でクリックすれば
拡大されるはずです。
よろしくお願いします。

フルスイング


全力をつくす

 あらためて思った。『過去はもうない。未来はまだない。あるのは今だけ』。だから今を全力でできることに取り組む。簡単そうで難しい。しかし、とても大切なことだ。

 前に同僚だった全力監督のモットーでもあり、ボクのブログのタイトルでもある。パラらせてもらっているんですけれど・・・。

 本日は、その延長線上で野球のフルスイングを考えたい。

 日刊スポーツ(2011.5.13付)のコラムに『落合監督と小笠原 プロらしい距離感』が掲載された。5月5日に2000本安打を達成したGの小笠原にと中日落合監督についてである。

 落合監督が日本ハム時代に新人の小笠原を評価しており助言を送っていた。落合監督は小笠原をFAでとりにいった。その時の小笠原の評価する理由を次のように話していた。
「(日本ハムの同僚の時に)初めて見た時、何でもフルスイングしていたなあ。一言で言えばダボハゼだ。けどな、どんな球でもフルスイングできる選手っていうのはなかなかいないんだ。ボールを見極めるより、フルスイングすることの方が難しいんだ」。落合はボール球を振る欠点より、ポール球すらフルスイングできる長所に目をつけた。
 だが今二人は中日とGのライバル球団。2000本安打を打っても落合監督のコメントは
「まだ2000本じゃねえか。小笠原が辞めるならお疲れさんだけど、まだやるんだろ、何がそんなにめでたいんだ?」
儀礼的な賛辞や感謝はない。思いは心にとどめ、あくまでも目の前の職務(勝負)に没頭する。そんな二人の距離感が実にプロらしかった。

 このフルスイングの話を読みながら5年前のことを思い出した。ボクは某高校で全力監督と一緒に野球部の顧問だった。YS君という部員がいた。彼はとにかくフルスイング。初球からブンと振る。その姿が小笠原の話にダブったのである。全力監督は彼に一番打者を任せていた。

 その当時、部員の中ではYの法則と呼ばれる法則があった。YS君が初打席でヒットを打つと試合は負けない。そんな法則だった。確かにそれは見事に真理をついていた。
 まもなくボクは野球部を去りYS君との接点はなくなった。YS君はトップバッターからクリーンアップを任されたようだ。Yの法則はなくなりチームは甲子園出場は叶わなかったらしい。

 それにしても全力でスイングする姿。とても懐かしい風景を思い出した。


荒れ模様

 昨夜から強風が吹き荒れている。近くのバス停から乗車しようと思い時間を確認に行った。周りは黄色っぽくボーッとかすんでいる。強風に乗って黄砂が飛来しているかもしれない。
 そのバス停がなかなか見つからない。だいたいバス停は道路に対して直角に置かれているのが普通だ。ところかこの首塚バス停は道路と平行になっている。おまけに建物の壁のそばにあるので発見できなかった。
ウーム。


本日は職場の歓迎会。これから出発です。少し早めのブログアップします。
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