100年前と変わらない
洪水
昨夜からの大雨が200个鯆兇┐燭箸里海函F邀阿琉貮瑤涼楼茲覆匹波鯑饂惻┐出ている。長い時間にわたって雨が降り続いたので下流域にあたる場所が洪水になったようだ。
写真は帰り道、雄物川にかかる橋の上から覗いた川の様子。川幅が4倍以上になっている。氾らんを予定している部分にどんどんと濁流である。これは大変なことだ。
我が友人。本店の社長の会社付近でも大水で大変だったと聞く。お見舞い申し上げたい。
人多し濁流見つめて土手の上田畑思う気持ち伝わり
最後のステージ?
今日から文化祭。大雨の中で前日祭。幸い、校舎のある一帯は洪水とは縁遠い場所。外は篠つく雨であるが室内は問題なく準備などができた。
前日祭は生徒諸君の発表の場でもある。どちらかと言えばシャイな子たちが多い。それでもダンスやらバンドやらカラオケやらに取り組んで発表する子たちがいる。なかなかいいですねぇ。
その間に5分間だけボクの出番を用意してもらった。演奏は基本的にはアドリブ。一曲だけは大震災の応援歌として『ひょっこりひょうたん島』をやることに決めていた。
♪苦しいこともあるだろさ
悲しいこともあるださ
だけどボクらはくじけない
泣くのはイヤだ笑っちゃお
進め~ひょっこりひょうたん島
そして、ブルースコードを弾きながら歌詞をどなりまくるというパターン。ちょっと味付けにハーモニカを入れて・・・。
考えてみればこんなパターンで何回もステージに立たせてもらった。今年はこれが最後になるだろう。と、言っても別に大きな感慨はなくただ淡々と大声でギターをかき鳴らした。シャイなボクにとってはとても素敵な経験だった。
良い場面を作ってくれたことに感謝したい。
『東北・作られた異境』
河西英通さんの著書。中公新書。2001年の発行で2010年に5刷になっている。これを先日、ボクの大好きな大曲の平山書店の平台から買ってきた。大震災の関連の書籍を並べていた。
内容を簡単に言えば「東北」が歴史的にどのような捉え方をされてきたかを述べている。そこには東北に対する差別があり蔑視があり・・・・。それでも向上するために努力してきた歴史を掘り起こしている。この中に「アリャリャ、今と同じジャン」と思う内容がある。
東北向上のために1896年頃に岩手県の山田と秋田の船川をつなぐ鉄道を計画した。ところがこの計画は二つの天災で打ち砕かれたとのこと。一つは同年6月に起きた「三陸津波」。そしてもう一つは同年8月の六郷大地震(千屋断層のできた陸羽地震)だった。三陸津波について同書では次のように書いている。
『(東北横断鉄道の計画がダメになった理由の三つ目として)津波以前にすでに醸成されていた差別的な眼差しの存在です。「海嘯地余話(三)」は、今回の津波が東京や東海道でおこったならば、世間の同情はもっと集まっただろう。三陸が「東の奥の辺僻」で人々が「未開の蛮族」と思われていたから、世間はあまり同情しなかったのだ、と報じています。赤十字の医者はまるで獣を治療するかのように患者に接し、国庫の補助も微々たるものだと指摘しています。三陸は自然災害としての津波の前に、すでに社会的な差別の波をうけていたのです』
ここの部分を読みながら布団の上に座り直してしまった。なんてこった。100年前と今とほとんど変わらないじゃないか。
震災復興とは口ばかり。政治家のやることは自分たちの権力闘争だけだ。
そして、フクシマ原発の電力は東京や関東地区に持って行く。核のゴミ捨ては六ヶ所村。まったく差別そのもの。
この内容が3.11大震災の前の著書であるところに意味がある。まったく腹立たしいのである。
と、言うわけで少々腹立ちまぎれで本日のブログはこれにて終了。日本酒で気持ちをなだめなければ・・・。