美しい言葉の空虚さ


ニラ再び

  どうにも暑い。この時期になって30℃前後の気温は北国の我らにとっては何ともつらい気温だ。
  それでも朝夕は20℃を割るようになってきた。それはそれでうれしい。しかし、気温のアップダウンの激しさは体調に微妙に響いてくる。何だか咳と鼻水が止まらないのである。などと少し弱音を吐きつつ、今日のブログをスタートします。
  写真は最近どんどん花が開いている野生系ニラである。小さな白の手ぬぐいを置いたような感じだ。こうやって全体が咲き終わると来年に向けて種を作るのだろうなぁ。




 脚本家内舘牧子さん。ボクは基本的に好きな人ではない。ある日、某組織について素晴らしい改革をしたなどという的外れな評価をしたことがボクの評価を決めている。だが、今回はその内容ではない。
 内舘牧子さんも時には良いことを言うねぇと思わせることがあった。それは魁新報2011.9.4付の各週連載コラム『内舘牧子の明日も花まるっ!』に『もうそれじゃない』と題して東日本大震災について触れている内容だ。その部分を引用したい。

『(内舘さんの)友人、知人やスポーツ選手や芸能人は最近震災に関して同じことを言う。それは「震災後すぐは、どうしていいかわからなくて、とにかく『一人じゃない!』だの『絆』だのって言って励ますしかなかったけど、もうそれじゃないですね」ということである。
 震災が起こる前から、私には「避けたい言葉四天王」というのがある。「絆」「ぬくもり」「さわやか」「ふれあい」の4語。どれもいい言葉だし、人間にとって大切な意味を持つ。だがあまりに安易に遣われすぎて、この言葉の持つ豊かさ、深さが軽くなってしまったように思うのだ。加えて、何より怖いのは、この4語にはまったく具体性がないのに、この4語を遣うだけで、美しく完結してしまうことである。たとえば
「私たちは絆を大切にし、被災地の方々とふれあい、ぬくもりのある活動をする決意です。そして、さわやかな明日と夢を与えられたらと思います」となれば、その空虚さには、誰しも気づく』

 コラムは、今は「絆」だの「一人じゃない」だのという言葉で許される時期は過ぎたと指摘する。今、なすべきことは、それらの言葉を具体化して自分にできることを列挙して実行する時期だと提言している。

 このコラムの内容には素直に拍手を送りたい。その歯切れの良さであの時「よいしょ」しなければ大ファンになった可能性があるのにとも思った。

 さて「絆」についてはボクも昔から胡散臭さを感じていた。若い生徒諸君にクラスのモットーを何か考えようぜ。と、提案すると必ず出てくるのが「絆」という言葉だ。
 じゃ、その絆って何?と、あらためて聞くと
「なかよくお互いを信頼できるクラス」とくる。
 ふーん。それでどんなことを具体的にやるの?と聴いてみる。どうしてわからないんだろうと思っているような不思議そうな顔で
「絆ですよ絆」
おまけにクラスのTシャツにまで「絆」とでかいプリントするクラスが出てくる。よく観察すると絆など全然築かれていないにもかかわらず言葉に酔ってしまうようだ。

 昨日、テレビニュースに出ていた某政党の事務所にも大きく「絆」と書かれていた。その美しい精神の欠如しているとボクが考えている政党なのに・・・。

 今の日本でボクたちに何ができるのか。「一人一人が過去を忘れずに復興に向かう意志を持ち続けること」だろうと思う。

      「絆」とは危うく怪し言葉なり君が好きですとよく似ている


なんだか尻すぼみになってしまった。今宵は盛岡で大学時代のクラス会。震災で伸び伸びになったので何人くらい集まるのか楽しみである。これから高速で向かいます。そんなこんなで早めのブログアップです。
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