最大限の讃辞かも
鳥海山の夕焼け
今日も好天だった。鳥海山が夕焼けの中にシルエットを見せていた。そして、すぐに周りは暗くなり、空は紫色に変わってゆき日は暮れていった。
言葉をめぐる息苦しさ
「死の町」とか「放射能をつけちゃうぞ」と言った前通産相の時に「言葉狩り」の感じがした。と、以前ちょっとブログに書いた。
今、平野復興相が「私の高校の同級生みたいに逃げなかったばかなやつがいる。彼は亡くなりましたけど」と言ったことで自民党が問題発言だと鬼の首をとったように騒いでいる。ボクも例によって尻馬に乗りそうになった。しかし、前の「死の町」発言に対して単純に憤ったことに反省しているので今回は冷静に見ていた。
すると今朝(2011.10.20付)の朝日新聞「天声人語」に「言葉」についてとても良い内容が書かれている。自分を戒めるために全文引用したい。
『小紙に連載されて人気を博した井上靖の小説「氷壁」は最後に主人公が山で落命する。主人公に目をかけていた上司が社員を前に悼辞を述べる。思わず口をついて出た「ばかめが!」の一語で締めくくるくだりは印象深い場面だ▼作中で井上は、この一語を吐いた上司の内面を練達の筆で描く。哀惜と喪失感、憤りがせめぎあう。せんだっても小欄に書いたが、「ばか」の持つニュアンスの幅はずいぶんと広い▼平野復興相が公の場で、津波被害について「私の高校の同級生みたいに逃げなかったばかなやつがいる。彼は亡くなりましたけど」と語ったそうだ。これも辞書そのままの意味ではなかろう。だが問題になり謝罪した。言葉をめぐる空気が、どうも息苦しい▼扱いが難しい言葉だけに、発言に逸脱感はあるにせよ、事例を調べる必要を述べた前後の文脈はまっとうだ。自民党幹部の言う「許されない」ようなものだろうか。むしろそうした反応に「やれやれ」の感がある▼言葉の切っ先は、ときに人を傷つける。無神経は論外だが、心地良い言葉を並べてことが済むものでもない。現実を見すえ、問い、答える言葉がリアリティーや闊達(かったつ)を欠けば、本日召集の国会論議も深まるまい▼思い起こせば、味わい深く人を「ばか」呼ばわりする達人はフーテンの寅さんだった。その寅さんにも「それを言っちゃあおしまいよ」の決めぜりふがあった。おしまいにはせぬ節度を保ちつつ、震災後を語り合う言葉の自由度を広く取りたい』
「言葉をめぐる空気が、どうも息苦しい」と天声人語氏は述べている。ボクもそう思う。日本は「物言わない国」をめざしているのではないかと思えて仕方がない。
ボクが中学校の頃、文化祭で演劇としてアンデルセン原作の「裸の王様」をやった。ボク役は王様をだます布織り職人。うまく演じたかどうかは半世紀も前だから記憶の彼方に飛んでいる。ま、その頃から人をだますイメージがボクにはあったのかもしれない。
「王様は裸だ」と、一人の少年が指摘することから本質は見えてくる。
最近、そんな少年の心や素直さを失っているのではないか。あるいは、わかっていても表現しないで誤魔化しているのかもしれない。
ちょっとした言葉尻をとらえて抑えつけることは考えものだ。「バカ」と言う言葉には最大限の讃辞もある。親密な仲での甘えの言葉でもある。前後があることをしっかりと認識する必要がある。
ところで裸の王様がのさばっている場所はたくさんありますが・・・・。ダレも本当のことは言いませんけれどね。
なんだか話がグシャグシャになってしまったが言葉狩りのような世界は息苦しいのです。
とわちゃんが心配です。熱が下がらないらしい。もう少し様子を見なければいけないだろう。気の毒です。朝方は少し熱が下がって元気だが夕方を過ぎると熱が上がるようだ。体重も1垓瓩落ちてしまった。ウーム。
と、言うわけで本日のブログは終了です。
君の目の見つめる先のクモの巣は虹の色なり永遠の輝き