昔ばなしの著作権は?

夕焼けの鳥海山
東京は大雪で大変のようだ。今朝のテレビを見ていたら八王子駅前が積雪でシャーベット状になっていた。こりゃあ大変だろうなと人ごとながら少し心配した。
栃木の友人からも車の上に10センチほど雪が積もった写真がメールで送られてきた。都会の積雪は雪のあるうちは問題ないが次の朝に凍結した時が大変だと彼は書いている。積雪による怪我人も雪が降った次の日の転倒事故で出ているようだ。
日本列島はおもしろいことに、こんな時には雪の降り方が逆転している。秋田は天気がとても良かった。
しかも夕焼けの中に夕焼け鳥海が顔を出してくれた。久しぶりに良かったなぁ。
珍しく夕焼け鳥海現れて儲けた気持ち今日はうるう日
昔話のCD
一昨日、突然の電話があった。秋田県埋蔵文化財センターからである。通称「まいぶん」。アレッどうしたんだろうと思ったら南外村の文化的遺産とも言える『徳五郎昔話』についての問い合わせであった。内容は「南外村に保存されているCD「徳五郎昔話」の著作権はどこにあるのか」という内容だった。
CD「徳五郎昔話」の経緯は次の通り。
堀井徳五郎さんという方が南外村におられた。もし、存命ならば127歳前後の方。多くの昔話を知っていて語り部として有名な方だった。小学校の先生をなさってたらしい。
昭和42年頃に徳五郎さんは南外村の公民館などの協力で昔話を語り下ろしたオープンリールのテープを5本残した。直径10センチほどのテープにおよそ10時間30分、全93話が記録されている。(真ん中の写真)
徳五郎さんは全部話し終わった後に次のように話している。
「テープは年を経ると消えて薄くなるという話があります。消えて無くなると困りますから、そういう傾向が見えましたら、私でできるならば語り直したいと思います。もし、私がおらない時にそういうことになりましたら再録音をして保管をしてもらいたいと思います」
ボクがこのテープのことを知ったのは25年ほど前である。今は亡きボクの弟が役場の社会教育に勤めていた頃だ。その頃、弟に依頼されてオープンリールが使えなくなるからカセットテープにダビングしたのである。すでに徳五郎さんは亡くなっていた。
7年ほど前、ボクがたまたま公民館を訪れた時にテープのことを思いだして尋ねたらカセットテープはなかった。オープンリール5本があるだけだった。このまま朽ち果ててはもったいない。保存するためにCD化した方が徳五郎さんの遺志にもそうものだとしてボクがCD化にとりかかったのである。
急遽、オープンリールを再生できるデッキを購入してCD化をはじめた。とりかかったのはいいのだがテープの音声レベルは一定せずとても聞きにくい。
それでも音声レベルやノイズ除去などをコンピュータ処理して、十分に聞き取れるように作ったのが左側写真のセットである。
埋蔵文化財センターでは昔話などの資料をまとめる作業をしているとのこと。その過程で『徳五郎昔話』のCDのことがわかった。印刷物にするにしても著作権はどこにあるのか?と、言うことだった。
そうなると正直言ってボクにはわかりません。徳五郎さんの話の通り「再録音」しただけですからねぇ。
ボクは公民館にあったテープが劣化するからデジタルにして保存する手伝いをしただけなのである。そこで、公民館に問い合わせて下さいと答えた。
すると、「公民館では貸し出しをしない。もし聴きたいのならば公民館の中で聴いて下さい」との回答だったらしい。ウーム。こうなればわかりません。
口伝えの昔話。話しているのはもし存命ならば130歳近い方である。だが誰に著作権があるのかはわからない。はたして・・・。
そんな電話をもらって7年前に作ったCDなどを引っ張り出して見た。そうそう大仙市の広報にもこのCD化したことは掲載されたのである。(右側の写真一部)
我が家のとわちゃん。やはりボクを家来だと思っているようだ。少し時間があるとボクの肩を引っ張って家の中を徘徊することにつきあわせる。もうすぐ徘徊老人になるかもしれないことを見越しているのか・・・。可愛いやつですねぇ。
これにて本日のブログは終了です。