柳家小三治独演会


詳しくは明日追加でアップします。
今日は高速道路無料最終日。宮城から急遽アップです。
↓は追加で書きました。

児童会館にて

 昨夜の秋田市内は強風が吹き横から雨が降ってきた。そんな天候だったが秋田県児童会館のホールでは柳家小三治師匠の独演会が開催された。

 幕開けは二つ目の柳家ろべえさんの「子ほめ」を一席。「ろべえ」という名前は珍しいと思っていたら柳家喜多八師匠(先日wowowで放映した俳優伊武雅刀を指導した「落語家Xの快楽」が面白かった)の弟子とのこと。弥次郎兵衛・喜多八の弥次郎兵衛の「弥次」をとって「ろべえ」という命名とか。落語家らしいシャレですね。ろべえさん良い落語家になると思います。

 そして小三治師匠登場。初めて観ます聴きます。ボクの記憶に間違いが無ければのことだが・・・。妹に聞いたのだが小三治師匠は40年ほど前に南外村の公民館に来て一席演じたとのこと。我が家には師匠のサインがあったはずだ。昨年、ドキュメンタリー映画『小三治』では小三治師匠の日常を観ていたが「生」小三治師匠は初めてだ。

 噺のマクラが長いと聞いていたがやはり長かった。小三治師匠のルーツである伊達藩と佐竹藩のことや南部藩のことなどをたっぷりと語った。

 師匠の演目は二席。最初は『一眼国』である。この落語は初めて聴く噺だった。『一眼国』をどう読むかわからなかったので調べてみたら「いちがんこく」と読むとのこと。しかも結構演じられている噺らしい。知りませんでしたねぇ。
 あらすじは、見世物小屋の主人が一つ目小僧を捕らえに行ったら、そこは一つ目国。子どもをさらおうととして見世物小屋の主人は捕らえられ逆に二つ目の男が見世物にされるという噺。

 二席目は『野ざらし』。釣りをしていた人が全然何も釣れない。そこであきらめての帰り道に無縁のお骨に出遭う。それを手持ちのお酒で供養したら、その夜にお骨の主であった若い女性の幽霊が現れる。そのことを聞いた隣の男が夢よ再びとばかり、真似してお骨を探しに行く。こんな噺である。時間の関係か最後まで演じずに途中で終わったのが少々残念なり。

 小三治師匠は昨日届いた「東京かわら版」という演芸専門雑誌の今月号のトップに特集されている。肩に力が入らない語り口でインタビューに答えている。そのインタビューで師匠は小さん一門で同年代の亡き談志師匠の言う「落語は人間の業である」なんかではなく「人間ていいなあ」というのが落語ではないかと小三治師匠は言ってる。その感覚もいいなぁ。そのような雰囲気が昨夜の落語会で感じられた。

 マクラでちらっと師匠が話した「落語は趣味なんですよ」の言葉がよかった。最近、ボクも「先生が趣味のようなものです」と言うことがあるのに似ているかもしれない。趣味道楽と言えば「なんだ仕事をバカにするのか」というお叱りを受けそうな気がする。
 でもですよ、実は趣味や道楽は「全精力をかたむけてやっている」のです。例えばボクの大好きなアマチュア無線。あの人もあの人もそしてあの人も皆アマチュア無線が好きで好きでたまらないのである。彼らはプロのアマチュア無線家なのだ。
 つまり、趣味や道楽は中途半端な仕事意識を凌駕しているのであるとボクは思ったのでした。ハイ。

 そんなこんなの小三治独演会。一期一会だったかもしれません。

   人間て良いなと思う落語会柳家小三治人柄にじむ


我が家のとわちゃん。ジジとババが黙っていて20秒ほど彼女を無視した状況になった。と、ドスンゴロンと音がするではありませんか。後を見たら大きなゴミ箱をひっくり返し中味を全部放りだした。そして、目はイタズラっぽくニタリと笑っている。アリャリャ。無視してごめんなさい。

幕末太陽伝から柳家小三治まで


落語デー

 今日は落語デーである。
 午後から『幕末太陽伝』その後『柳家小三治落語会』のハシゴをするのです。小三治は落語で問題ありませんが、何故『幕末太陽伝』が落語に関係するのかはウイキペディアに書いているのでコピペします。

『幕末太陽傳』(ばくまつたいようでん、幕末太陽伝とも表記)は、日活映画、川島雄三監督、フランキー堺主演により昭和32年(1957年)7月14日に封切られた日本映画である。ストーリーはオリジナルだが、落語『居残り佐平次』から主人公を拝借し、『品川心中』『三枚起請』『お見立て』などを随所に散りばめ、その落語世界を幕末の志士たちが駆け抜ける特異な世界を作り上げている。会社の看板スターを脇役扱いにしたことや、幻となったラストシーン(後述)など逸話も多く、50年前の時代劇映画であるにもかかわらず常に若い観客の熱狂的な支持を得るカルト映画でもあり、平成11年(1999年)にキネマ旬報が行った「オールタイムベスト100日本映画編」では5位に入賞するなど、日本映画史上最高傑作の一つに挙げられる。
2012年に日活が100周年を迎えることを記念して本作のデジタル修復が行われ、2011年に世界各国を巡回上映[1]。日本でも一般公開された。

落語から題材をとった映画ということですね。

 いずれにしても楽しみです。だから落語デーなのです。


我が家のとわちゃん。壁に飾っているマナグ凧を外せとせがむ。そして、外に出ようと誘われるのだ。だが本日は雨と風が強すぎる。だから無理。また、いつか行くことにしよう。
最近、雪が消えたのでとわちゃんは地面に出始めた小石や枯葉や枯れ枝を拾いまくる。そしていつのまにか口に入れるのである。ダメダメと言って口から出させるのだが・・・・。好奇心あふれるのだろうなぁ。

   カリコリと小石を口に放りこみ宇宙味わう孫って汚い?

これにて本日のブログは生存証明で終了です。

凧あげ


汚染の無い空を

 久しぶりに晴れ上がった。数日、ノンビリと過ごせる何もない日々を過ごすことができている。
 さて、今日は我が家とわちゃんと凧あげに挑戦だった。3月18日(日)に湯沢市で凧あげ大会がおこなわれた。物好きなボクはとわちゃん家族とともに出かけた。
 湯沢の凧の特徴は「まなぐ凧」と呼ばれマナグ(目)が特徴である。墨一色で書かれているのもマナグ凧の珍しいところ。さらに安定させるための尻尾をつけずに不安定さの中で上手に難しさが湯沢凧の技であるという。
 会場には津軽、能代、おそらくその他の地区からも凧の同好会が集まっていた。地元からは老若男女が楽しんでいる。子どもの手助けをして凧を天高く上げる楽しさが伝わってきた。

 30年ほど前、ボクも「凧」に凝ったことがある。凝ったと言っても凧が上がる原理、歴史、各地の凧の特徴などを色々な本を収集して調べた程度だが・・・。結局、凧が揚がる原理は飛行機と同じということがなんとなくわかった。

 ビニール風呂敷を切って自作した凧と細いミシン用の糸を常に車のトランクに入れていた。いい風が吹いている時に車を駐めてフワリと空中に浮かして喜んでいた。1メートル四方のビニール風呂敷がどんどん上昇気流に乗って豆粒のようになるまであげる爽快感を味わっていた。
 ミシン糸が切れてどこかに飛んでしまい、アリャリャと思ったこともあります。もったいなかったなぁ。でも、型は決まっているのですぐに作り直して新しい凧とミシン糸を持って歩いた。

 湯沢の会場では地元の味噌を使った豚汁が振る舞われて寒さを和らげることができた。その会場内では本物のマナグ凧と子供用のスポーツカイトが売られていたので両方購入。マナグ凧は自分で揚げることはしないで飾り用にする。
 かなり前に今は亡きJA7AO松本さんにマナグ凧のミニチュアをいただいたことがある。おそらく古い家の物置にあるはずだ。こんなことを思い出しながら買ってきた。

 そして、本日はもう1台の子供用スポーツカイトを持ってとわちゃんと一緒に凧あげ。風は上空を舞っている。一定しないのだ。でも、一瞬の風を読んでフワリと揚げた。たこ糸を全部出し切るまであげたら、とわちゃんの喜ぶこと喜ぶこと。途中で風が強くなってきたので慌てて下ろすことにした。自分一人ならば問題なくコントロールできる。でも子守りをしながらでは無理ですね。
 そんな一時を過ごした。命の洗濯ですね。でも、この空の向こうがフクシマでありそして宮城岩手の被災地である。汚染のない空であることを祈りたい。

   空高く舞い上がりたる凧見上げ空はすべてをお見通しだぜ


これにて本日のブログは終了です。

瓦礫の最終処分場(その2)


短歌に見る放射能への懸念

 南外には50年を数える「楢岡短歌会」がある。年に4回短歌誌『楢岡』が発行される。先日、4月号通算第346号が届いた。
 『楢岡』には湯沢に住んでおられる伊藤辰郎さんが『最終処分場』と題して5首寄せている。伊藤辰郎さんは南外村が故郷で現在70歳前後の方である。長い間、教員として勤め今は湯沢に住んでおられる。
 伊藤さんの『最終処分場』の歌を3首引用させいただく。

   放射能懸念の瓦礫故郷が最終処分場との報 嗚呼

 岩手県県北部被災地の瓦礫が大仙市に運び込まれるという。確かにフクシマからは遠い。しかし、福島原発の放射能は薄く広く日本国内に広がっているのだ。その瓦礫の放射能レベルは測定すると低いのだろう。しかし、焼却して灰にすると濃縮することになる。その灰の最終埋立地が故郷南外村であるという報道が流れ愕然としている様子が手にとるようにわかる。

   反対の地多き瓦礫受け入れて大合併の市名は挙がれど

 被災地の瓦礫を積極的に受け入れようとする自治体はない。しかし、あのタカ派の東京都知事が受け入れを表明した途端に秋田県知事が受け入れ表明。それに呼応して大仙市長が手を挙げた。確かに潔い判断だと最終処分場に関係のない人たちには称賛されるかもしれない。
 しかし、その瓦礫を焼却した最終処分場が南外。確かに瓦礫を受け入れて被災地を助けようとするのは間違いではない。しかし、方向性が間違っている。どうしたんだろう。こんな気持ちが伝わる。

   親たちの反対運動潰えしと故郷のこの将来いかにならんか

 若き親たちよ。この最終処分場の問題を黙っているのか。反対運動がなくなったら故郷の放射能汚染の恐れは増えてくる。故郷を担うであろう子供達の将来さらには故郷南外はどうなるのか。慨嘆する気持ちである。

 伊藤辰郎さんとは2~3回お会いした。まっすぐな方である。吉永小百合の大ファンで故郷を心から愛している方だった。
 その人の短歌が瓦礫の最終処分場に南外が決まったことにどうしたらよいのか黙っていられない。地団駄踏む気持ちが歌から伝わる。

 今朝の新聞などを見ていると淡々と大曲花館地区の処分場で焼却している様子を報じている。テレビでも大仙市の栗林市長が焼却場に行って焼却の現場を視察している様子を映し出す。放射能の測定値も高くないようだ。市長は徹底して数値などをオープンにすると話していた。
 だが、問題はそこではない。事前に周辺の住民たちに広く意見を聞きながら進めるべきだった。「こと」は放射能。普通のゴミ処分場の汚染問題よりも深刻さを含んでいる。

 ボクの立場をはっきりさせておきたい。瓦礫の処理は被災地でやれるように政治手動でやるべきだ。処分(焼却、リサイクルなどすべて)をするための予算をつけ人を雇い速やかに実施すべきだった。そのことで当面の雇用も生み出せる。さらに言えばムダな輸送費などもかからない。
 行政はムダに1年という時間を費やした。消費税増税なんか被災地の復旧のあとで良いのだ。つまり、最終処分場を南外にもってくるのは反対である。もちろん被災地の瓦礫処理を他県などで実施するのは手を尽くせなくなった時にやる最終手段だと考えている。

   「オレはいま米を作るの心配だ」友の電話に放射能憂う


我が家のとわちゃん。今日、一緒に能代に行き彼女が約1年間近く育った部屋にサヨナラをしてきた。まぁ、全然自分が育った部屋だなんてはわからなかったようですが・・・。彼女にとっても一つの節目である。
と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。

瓦礫の最終処分場(その1)


放射の汚染は?

 今朝、携帯電話がブルブルとふるえた。誰かなぁと思い携帯ディスプレーを見たら同級生のShun君だ。
 ボクの水槽に飼っているドジョウ、ヨシノボリ、スジエビ(飼い方が難しく今は全滅)などを近くの川や沼から捕ってきてくれた素敵なヤツだ。
 もちろん、その収獲した大部分は食卓に上がり年に1回は皆で集まり彼の捕ったドジョウやスジエビ等の自然の恵みで一杯やり味わうのです。
 つまり、Shun君は山河に住む生き物にとても詳しい自然を大切にする男なのだ。その彼の話したことは次の通り。

「大仙市で震災の瓦礫処理をするんだ」
「んだなぁ。新聞などで報道している」
「燃やすのは大曲の焼却場なんだども灰などの最終埋め立ては南外だ」
「今朝の新聞に載っていた」
「オレは米を作っている。埋立地からすぐ近くの川の水を取り入れているべ」
「なるほど」
「もし、放射能がもれたら米をつぐれねべ」

彼は心から心配している。

「最終処分場にするために行政は地元に何も説明していない」
「エッ?」
「だから米を作っている人たちは心配してる」
「そりゃあそうだ。処分することの進め方がおかしいべ」
「せめて最終処分場として安心できるのかどうかの説明がない」
「それなば、おがしい」
「万が一の時にはどうするのか。まったくわからない」

こんな話が10分ほど続いた。震災の被災地の瓦礫を処理することは喫緊の課題だ。もちろん瓦礫を受け入れて処分することは大切なことだと「は」思う。しかし、そのことを不安だと真剣に悩んでいる多くの人たちがいるのだ。そのケアができていない。いや、しようとしていないとしか考えられない。

 南外村が大仙市に合併する時に懸念されたことの大きな内容は「南外はゴミ捨て場になる」ということだった。
 その当時ボクはどんなに小さな自治体でも自立してゆくべきだと考えていた。今でもその考えは変わらない。ところがアメと鞭の政策で大合併になった。
 10年以上前のことだが合併の説明会でボクは合併反対の立場で質問したし意見も言ったつもりだ。だが、民主主義は多数決で押し通される。結局は合併し南外村は大仙市になった。

 その後10年経過。多くの村民は(まぁ、この村民は誰と誰と誰かと言われると困りますが・・・)合併は何も良いことをもたらしていないと感じている。そして、古い村の時の方がきめ細かい行政の姿勢があったと懐かしんでいる。

 はっきり言う。最初に手を上げた秋田県知事佐竹氏やそれを受け入れようとした栗林大仙市長は個人的には勇断だ決断が素晴らしいかっこいいと大向こうをうならせるかもしれない。だが、最終処分場になる我々南外の住民への説明が不足だ。最終処分場の問題は行政がていねいに楢岡川の流域住民に説明する必要がある。
 ボクはたまたま地域の自治会役員である。最近、地域で困っている問題のアンケートが大仙市から届いている。このアンケートには最終処分場問題も書こうと考えている。もちろん抗議の意味をこめて。

   「瓦礫処理最終処分南外」の一面記事に背筋はゾクリ

写真の右側の杉林の向こうの山が最終処分場になる場所です。我が家から直線距離で数百メートル。すぐそこである。やはり心配なのだ。

ここまででブログの制限字数です。この件については明日も続きを書きます。


我が家のとわちゃん。最近、おやつのセンベイなどを食べる時に指で持っていた部分を少し残す。例えば長さ数センチのアラレセンベイが大好きです。それをサクサクと食べるのだが2センチほどを残してテープルの上に並べて次の長いものに手を出す。短くなると同じ動作をくり返す。
残したものを食べるわけではない。仕方がないのでジジバカはそれを食べてあげるのだ。どうしてそうするのか我が家では意見が分かれる。例えば指の部分になると食べられなくなるから置いてしまう。例えば御菓子がなくなってしまうと困るので新しい御菓子をゲットしておく不安症候群。
で、ボクは考えた。モズがカエルやトカゲなどを枝に刺しておく行動は有名である。それをモズのハヤニエと言う。その行動の意味はよくわかっていないらしい。保存食としておくという説もある。でも多くは食べていないとも言う。それって我が家のとわちゃんの御菓子残し行動に似ているではありませんか。いずれにしても、いつかは残さず食べるようになるんでしょう。

午後8時。突然地震がグラリ。震度3くらいかなぁと思って速報を見たら震度4。水槽の水がゆらゆらと揺れている。久しぶりに大きな地震だった。

これにて本日のブログは終了です。

照國物語


冬に逆戻り

 アリャリャ。今朝起きてみたら雪が10センチほど積もっている。いや、もっと積もっているかもしれない。道路には朝早い新聞配達や牛乳配達の車のわだちが潔い。日中も時折吹雪いて景色は真冬そのものに逆戻りだった。
 それでも時々、顔をだす晴れ間からは力を増した太陽エネルギーが片鱗をのぞかせて暖かみを伝えてくれる。

     春なのに雪降り積もる古里の轍は語る「春はまだだよ」


秋田の横綱

 昨日、大相撲は優勝決定戦で白鵬が鶴竜を上手投げでやぶり22回目の賜杯を手にした。
 さて本題。同じ日(2012.3.25)に魁新報には毎週日曜日連載の『秋田の生んだ横綱 照國物語』が48回目で最終回を迎えた。 湯沢市秋ノ宮で生まれた照國の伝記である。

 照國は幼くして父を亡くし母や弟たちにいい暮らしをさせようと14歳で上京し相撲取りになった。しかし、争いを好まない温和な性格で相撲も弱く、相撲部屋をいったんは破門されたこともある。それを、同郷の幡瀬川が呼び寄せて鍛え直した。
 真冬でも井戸水を浴びて息子萬蔵少年(後の照國)の必勝を祈願した母。照國はそうした人々やファンのために、ひたむきに猛稽古して。そして無敵の双葉山にも勝ち越す大横綱に成長した。横綱在位10年。病とけがに絶え続け、引退間際に連続優勝も実現させた。
 この伝記で照國は生涯を通じて母、弟たちそして故郷の山河を忘れることがなかった。故郷をこよなく愛していた横綱だったことを教えてくれた。
 連載は湯沢市の小学校教諭の簗瀬均さんという方が執筆した。簗瀬さんは連載の最後に次のように結んでいる。

『照國は大戦(太平洋戦争)を挟む激動の時代に生まれ育ち、数々の困難に支えられて粘り強く必死に生き抜いた。連載を通して横綱照國の生涯が秋田の皆さんに少しでも元気を与えることができたなら、この上ない喜びである』

簗瀬さんのいう元気を与えて貰ったことは間違いありません。毎週日曜日にはこの連載が楽しみだった。照國のような人がいるんだなぁとワクワクしながら読ませてもらった。簗瀬さんという方は存じないが素晴らしい書き手であるなぁと感じた。そして、取材も大変だったろうなと感心している。秋田魁新報にはこの連載を一冊の本にしてもらいたいとボクは心から願いたい。

 話は変わるが、照國の弟子には秋田の生んだ大関清国がいる。弟子の育て方も家族的な愛情で上手だったという。
 清国はボクが中学校から高校にかけての頃に大活躍した。血湧き肉躍る思い出応援したものだ。清国にはいろいろな波瀾万丈なことがあったようだ。それはともかくとして彼の息子が林家木久扇の弟子になり前座林の家木りんとして落語家をめざしている。田沢湖の落語会で一度(もう一度どこかで見たことがある気がするけれど思い出せない)見たが若くてヒョロリと細長い身体をしていたのが印象に残っている。ウーム。

 と、言うわけで子どもの頃に相撲取りになりたかったボクにとって照國の物語は素晴らしくワクワクする読み物だったのである。


我が家のとわちゃん。元気になってきました。食欲も回復したようです。昨夜はとわちゃんのお母さんの実家から届いた味付け御飯をモリモリと食べていた。「もうダメよ」と言われても止めない。オーッ回復したなぁとジジバカはクイックイッと日本酒を飲むのであった。
今日は職場の送別会。早めのブログアップです。

楢岡焼の掘り出し物市


海鼠釉

 毎年、3月の今頃になると南外村にある陶器の窯元「楢岡焼」で恒例の掘り出し物市が開催される。昨年の3月27日のブログにも書いたが、もちろん今年も出かけた。

 昨年は一瞬の抜けるような青空だった。だが、今年は朝から湿った雪が降り続き結構降り積もった。掘り出し物市は午前10時から開催される。ボクが「楢岡焼」の窯元に着いたのは9時ちょっと過ぎ。すでに入場整理券は9番になっていた。
 「市」が開かれるまで小一時間ある。今年は孫のとわちゃんも付き添いで連れて行ったので付近をブラブラと散歩したりして時間を過ごす。

 掘り出し物市が始まった。もともと審美眼のないボクは適当にマグカップ、皿、茶碗、日本酒用のお猪口などを20点ほど選んで会計をしてもらった。

 素朴な陶器の中に近代的な要素も入っている。陶器の肌触りと少~し手応えのある重量感が魅力だろうなぁ。そして、何と言っても楢岡焼の特徴である青みを帯びた(最近は色にもパリエーションを取り入れているが)海鼠釉の輝きが「サゲッコ」等を美味くする気がするのだ。
 楢岡焼の掘り出し物市が終わると春に一歩近づく気がする。楢岡焼の皆さんとも1年ぶりの挨拶を交わして春に向かうことなった。

    カシャカシャと陶器選る音心地よし楢岡焼の掘り出し物市

 

去年の3月27日の自分のブログを読み直してみたら「放射能は体にいい」などと言った人間に腹を立てている。あの時は原発事故のデータを東電も政府も隠蔽していた時だ。最近になってそれが明らかになっている。だが、その時は隠蔽の片棒をかついで原発が安全ですなんて言う人間をテレビに出していたんだなぁと改めて腹立たしく感じるのである。


我が家のとわちゃん。インフルエンザから回復してきた。鼻づまりもかなり改善。彼女が病人であった数日は彼女の言うまま手下として、いやいやジジバカの奴隷は見てきた。すると何と言うことでしょう。秋田弁で言う「のさばらせでいる」つまり甘やかしすぎだと言う声ババア周辺から聞こえてくるのだ。
なるほど、良く見るととわちゃんは自分の気に入らなければ喉も裂けよとばかりに「ぎゃーーーーー」と雄叫び(いや雌叫びかも・・・)を上げるのだ。ジジは彼女の要求するアイスクリームの入っている冷凍庫に向かう。
その後を女王様のとわちゃんもトコトコと付いてきて自分で開けられない冷凍庫のフタを開けるのを見張っている。開けた途端、上から覗き込み自分の好きなアイスを取るのである。なんと気のきいたヤツだ。なかなかメンコイぞ。わがままのし放題である。
最近、ボクは口の形で「ア・イ・ス?」とやるととわちゃんはイタズラっぽい顔でウンウンとうなずく。そして家来のジジイと女王様は知らん顔をして冷凍庫に向かうのであった。不良少女への道を一直線に歩ませているジジバカである。
そんなわけで本日のブログはこれにて終了。

ゴッドファーザー??!


雨の一日

 今日は雨。インフルエンザのとわはボクを外に出ようと誘うのだが雨では無理。それでもガス抜きのためにチョイと外を見に出る。
 その後はおんぶして本店の社長から購入した軽く温かい毛布を巻いて傘をさして外出。気温は寒いがおんぶされている部分はポカポカと温かいらしくすぐに寝息をたてて寝た。
 発熱はなくなりインフルエンザは回復したようだ。しかし、鼻づまりは治らないので寝息の呼吸はかなり荒い。早く治ってくれたら良いなぁ。そしたら先日湯沢で買ってきた凧を春風に乗せて上げてやるのだが・・・。

     孫おんぶ寝息をたてて重くなる子連れジジイの鼻歌シャキーン


難読・誤読の名前たち

 先日、盛岡に行った時。少しの時間、駅にある書店を1時間ほどぶらついた。興味のある本やパソコン雑誌などをチェック。
 新書コーナーで1冊の本に目が止まった。それは『子供の名前が危ない 牧野恭仁雄 ベスト選書』である。

 ボクの商売柄、子どもたちの多くの名前に接する。ここ十数年ほど子どもたちの名前の傾向が変わったなぁと感じていた。
 まずは名前の文字が読めない。漢字が難しいわけではないのだが漢字の通りに読むと「違いますっ!」と抗議され訂正される。こりゃあまずいなぁ次回から間違わないように覚えなくては、と少々気をつかうのだ。商売だからいいんですけれどね。
 次に名前が洋風である。別に和風だからいいわけではない。ただ、テレビで流れるCMの車の名前が漢字に変換されていたりすると「ウーム?」と思ってしまう。

 そんなこんなで妙な違和感を覚えていたのですぐに『子供の名前が危ない』を購入した。早速パラパラと目を通してみたら、あちこちで子どもの命名ですごいことが起きていることがわかった。ボクの違和感は当然のことだったのである。

 最近、マスコミで子どもの「奇妙な名前」を「キラキラネーム」と表現している。この本では「珍奇な名前」と位置づけて分析している。著者の牧野さんは「はじめに」で次のように述べている。

『今、奇抜な名前、他人に読めない名前が世の中にあふれています。漢字から飛躍した読み方をさせている名前、通常では見かけない奇妙な名前、見た目はごく普通の名前でありながら、妙な読み方をさせている名前など、最近の子供たちの名前の奇抜さには目を見張るものがあります。当然、こうした名前をつけたのは多くの場合親ということになりますが、彼らは往々にして、個性やインパクトを重視したと主張します。これにたいして、社会の反応は極めて冷たく、ある人はこうした名前をおもしろおかしく受け取り、ある人は苦々しく思っていることがほとんどです。時には「子の虐待だ」とか「知識やモラルの低下によるものだ」などとさえ言われるほどです。まちがってもこうした名前をつけた親たちを「個性がある」「感性がいい」と思う人はほとんどいません。奇抜な名前がなぜこんなにも増えたのか。その背景にはどのような社会現象があるのか、こうした大きな謎を解明していくのが本書のテーマです。さらに奇抜な名前がもたらす弊害についても指摘しています』

 そこで、この本にある名前をいくつかピックアップしてみます。読めますかねぇ。

「雄」「「亜明日」「一女」「里羅楠」

読み方「らいおん」「あーす」「いおな」「りらっくす」

 この本を読み進んでいたら悪質な珍奇ネームとは言えないまでも珍奇ネームの分類として「男女両方になりまぎらわしい名前に」なななんと「とわ」がありました。ウーム。
 これを読みながら名前にまつわる二つのことを思い出しました。

 その1。年配の女性の方の自己紹介でした。その方は
「私は子どもの頃から出席簿の名前を男子に組み入れられていました」と言いました。
どんな名前かなぁと思って名簿を見たら「智和」となっている。「ともかず」じゃなく「ちわ」さんと読むんですねぇ。
 その2。昔は三年毎に運転免許証再発行だった。再発行者は警察署の講堂に集められた。警察の事務の方は免許証を配布する時に黒板に「四四五六」「七五三二」と書いて次のように言うのだった。
「このような名前の人も時々いますので読み方を間違ったら申し訳ありません」
そりゃあ読めませんよね。「四四五六」は「よしごろう」さん、「七五三二」は「しめじ」さんと読むようだ。ちなみに「四四五六」さんはボクのすぐそばに住んでいる、とても気立ての優しいお父さんである。

 まぁ、いずれにしても難読の名前は多いなぁ。と、思う1冊であった。


と、言うわけで本日は我が家の周囲から50メートル範囲をウロウロと動き回るだけ。健康的なのか不健康なのか・・・。ブログはこれにて終了です。

彼岸も終わる


一歩ずつ春が・・・

 先日、彼岸の入りで墓参りをした。アッと言う間に今日で彼岸も終わりになる。今日は一人でひっそりと墓地で手を合わせてきた。
 墓地は写真で見るようにお墓の棹がようやく顔を出すくらいまで雪は沈んでいる。しかし、全体の様子が見えるまではまだ時間がかかるだろうなぁ。
 いずれにしても暑さ寒さも彼岸までであるが、まだまだ寒いですね。

     豪雪の彼岸のお墓雪かぶり先祖の御霊少し気の毒


金銭だけが全てか??

 ここから先はもしもこのブログを我が社のK君が見ることがあったら読まないように。と、前置きをして今さらながらのYG金銭まみれ体質を少々。アンチGのボクとしてはこれについて少し書きたい。

 先週末に朝日新聞が報じた「巨人軍、最高標準額を超える契約金の支払いで選手獲得」問題。さらに野間口には社会人シダックスにいた当時から小遣い200万円もあげていたというのだ。オレも欲しいゾと思った。

 読売巨人側は「最高標準額は目安であって上限ではない。ルール違反は一切なかった」と言ってるようだ。いやいやルール違反そのものだろう。子どものような「やった、やらない」の問題ではない。巨額の金を積んで有力な選手をなりふり構わず獲得する汚いやり方は不滅だったということだろう。

 もっとも、この新聞記事を見て我が社の巨人軍命のK君の反応を見ていたのだが、小さな心を痛めている様子はないなぁ。どうしたことだ。

 ところで大学在学中にお小遣いをやっていたとの報道を見て5年前のことを昨日のことのように思い出した。
 ボクが某高校野球部の顧問をしているときに西武の裏金問題が勃発しエッと思った。某高校野球部の部員が高校在籍中に西武からお小遣いをもらっていたというのだ。学生野球憲章に違反する行為であった。その部員が在籍していた頃に何があったのか・・・??
 もちろん西武が、その裏金お小遣いを渡していた時期にボクは顧問でもないしその高校にも在籍していなかった。

 だが、その問題が発覚した時にボクはたまたま顧問だった。裏金問題は特待生問題にまで発展してしまい全国的に大騒動になった。
 裏金には何も関係のない部員たちやボクら顧問まで高野連から自主謹慎と言う「わけのわからない処分」をされた。その後「それはおかしいんじゃないの」との声が全国でわき上がり自主謹慎などの処分は短期間で撤回され、特待生であると認定された部員てとも2ヶ月ほどで試合に出れるようになった。この二ヶ月はジェットコースターに乗っているようなめまぐるしい展開だった。

 裏金問題と特待生問題が収束するのに、自画自賛であるが解決のために部員や保護者のために奔走したつもりだった。
 ところがドタバタの裏では「これ幸い」と顧問たちの足を引っ張るために暗躍した人間たちがいた。教育現場にけっしてあってはならない所業であるとボクは今でも考えているし許すことができない。生涯忘れることのできない出来事が起きた。
 詳しい経緯については書面にしている。今でもその経緯を読み返すとはらわたが煮えくりかえる。もっとも、読まなければいいのですけれどね。

 オーッと話が飛んでしまった。まぁ、今回の巨人のルール違反の記事を読んで「あのときの、あのこと」が一瞬にして目の前に浮かんできたのです。

 巨人サイドが「ルール違反はない」と言うが、最高標準額は契約金の高騰を防ぐために導入された目安だったはずだ。それを自らが掟破りをしているのだから相変わらず「巨人軍は永久に不潔です」と言われても仕方がないだろう。

 プロ野球全体がこんな体質だという報道や読売対朝日の大新聞対決だという報道が喧しい。どんな決着になるのか目を離せないのだが上方落語で言う適当に誤魔化す桂米朝師匠の落語で言う「ドガシャカ、ドガシャカ」となるんでしょうけどね。


我が家のとわちゃん。熱は下がった。でも鼻づまりがひどくて呼吸が荒い。横になると寝つかれないようだ。もう少しの辛抱です。起きている時にはわがまま一杯にテレビにかじりついている。ウーム。
と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。

素晴らしい選手宣誓


春休み

 ひっそりとした廊下である。春休みに入り部活動を続ける生徒諸君以外は自宅でノンビリとしているのだろう。遠近法の見本のように向こう側が細くなって行くのを見ると生徒のいない校舎というのはとても無機質であることがあらためて感じる。

   静かなる校舎の中にカツコツと卓球の音のみ響きくる


感動ものだった

 石巻工業主将阿部君の選手宣誓は大震災を実際に経験した子たちでなければ話せない内容だった。
 いろいろな新聞記事によると抽選会で選手宣誓が決定してから石巻工業の部員全員で思いつくメッセージをホワイトボードに書き出したとのこと。
 それを受けて主将が全体をまとめた。その内容を読んだ監督はほとんど手直しする内容もなく、読みながら涙が流れ落ちたという。それだけ実体験があってこその素晴らしい選手宣誓でありメッセージだった。
 朝日新聞に全文が掲載されたのでコピーしておこう。

〈選手宣誓全文〉
 東日本大震災から一年、日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には、苦しくて、心の整理がつかず、今も当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、悲しみにくれている方がたくさんいます。
 人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。しかし、日本が一つになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。
 だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう、日本の底力、絆を。われわれ高校球児ができること、それは全力で戦いぬき、最後まであきらめないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。

 この子どもたちの潔さに比べたら政治家たちの右往左往はまったく見苦しいと言えよう。もっとしっかりしようぜと檄を飛ばされた気持ちがする。
 そして、これをアップしている時に石巻工業は神村学園を相手に善戦している。



我が家のとわちゃん。今朝、起きがけの顔を見るといつもより腫れぼったい。昨夜も鼻づまりなどでウツラウツラと寝られなかったらしい。気の毒なことだ。早く治ってくれと願うしかない。
今宵は職場の第1回目の解散会。とわちゃんが心配ですがこれから一杯やりますのでブログは生存証明です。
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