コシアブラの旨味


窓からの桜

 やはりボクは窓から見る景色に色気を感じる。今日、ちょっと寄ってみた職場の窓から見える満開の桜である。



山菜の王様

 鹽竈から来ていたお父さん。今日も山に芝刈りに行ったではなく、山菜採りに行きました。先日はまだ山菜には季節が早かったらしくコゴミとゼンマイを少し収穫してきた。
 今日は1日おいて山は大きく変化していたとのこと。そう言えば昨日話していた。

「一日経てば山菜は大きくなります」
「ホーッ」

 で、今日の収穫の一部を我が家にプレゼントして帰宅の途についた。

 写真は山菜の王様と呼ばれるというコシアブラ(左側)とコゴミ(右側)である。
 以前もブログに書いたことがある気がするのだが、南外では春の山菜はサシボッコ、ヒロッコ、ホナッコ、シドゲ、タケノコ(笹ダケ)が主なものだった。まだまだあるのだろうが、これくらいしか思い浮かばない。それにノラカブと呼ばれる菜の花のような根っこのすまし汁。
 コシアブラはボクの地域ではあまり食べることはなかったと思う。そうそう、タラの芽なんかも誰も手をつけなかった。今じゃあ時代が変わりましたねぇ。

 今宵はこれをテンプラにして皆で楽しむことにします。ごちそうさま山の幸たちよ。

    ほろ苦くあくの強さが春の味味わうことのできる秋田は



我が家のとわちゃん。甘やかしすぎのジジバカとシャキーンと目が合う。するとトコトコと寄って来て膝の上に登ってくる。そして外に出てゆこうと誘いをかける。ジジバカは家人たちの冷たい視線を感じながら外に出るのである。ヒヨドリの鳴き声を「ピヨピヨッピー」と物真似をすると彼女も「ぴぴぴ」と言う。夕方、外に出ると彼女は空を見上げてほぼ半月になった月を見て「アアアアっ」と言うのである。そして、天才だと思っているのだからまったくのジジバカであった。
本日は来客多数。詳しくは後日。これにて本日のブログは生存証明で終了です。

気合いのかかる魚?


春満開

 気温は25℃を超えたようだ。今日は鹽竈からの来客とともに仙北町にある払田の柵に向かった。ここ2~3日の好天でコブシもサクラも一気に開花。
 秋田の国では梅桜桃李(ばいおうとうり)が一斉に花開くことを実感できる。特に今年は寒く冷たい春だったので開花を見ると心から浮き立つような気持ちになります。

 払田の柵に作られた門を通ってみたが特にすごいなぁとは思わなかった。だが、資料館にあった1200年以上前に建てられた木が調査によって掘り出され木の形が現在まで残っていることに神秘さを感じることはできた。

 写真は払田の柵の案内所の桜並木。向こうには奥羽山脈がかすんで見える。

      高校の応援団歌思い出す「春爛漫と桜咲く」です


カスベ

 とても基本的ななぞなぞです。
それでは問題。
「魚の中でもっとも気合いのかかっている魚はなーに?」
その答は「エイ」です。
 鹽竈のお土産でエイが三匹届いた。乾燥したエイは「カスベ」(いや「カシベ」と言うべきかも)と呼ばれる。カシベはお盆のごちそうである。秋田市土崎のお祭りでは「カスベ」が必ず出されるとのことだったが、土崎のお祭りに行ったことがないので噂話だけで知っています。
 生のエイも「かしべ」というようだ。新鮮な魚だったがアンモニア臭が結構強い。乾燥したカシベと同じように煮付けて食べてみた。やはりカシベの味である。美味いのです。



我が家のとわちゃん。とにかく電話機器が好きである。何にも話さないのだが最近は耳につけて通話するような雰囲気である。最近はさすがに110番はしないのだがダイヤルキーボードを押すのには少し神経を使います。
と、言うわけで本日のブログは生存証明でこれにて終了です。

カナヘビ騒動記


夕方の虹

 昨晩は職場の仲間たちで横手市の某飲み屋で一杯。
 会場に向かう時に一瞬虹がかかった。午後6時頃であるから太陽は西の空に沈みかけていたと思う。ちょうどその時間帯に霧雨が降っていたのはごく一部だったのだろう、虹も縦のごく一部のしか見えなかった。それでもなかなかに幻想的な雰囲気が一瞬横手の空に出現したのである

 で、結局は飲み過ぎで「ア~ァ呑まなければ良かった。喋りまくらなければよかった・・」と、本日はほとんど自己嫌悪の宿酔いになっている。内気で無口で訥弁の人間が酒の力を借りてはいかんという教訓なのですねぇ。


趣味の道は奥深いですねぇ

 職場で一人の少年が群馬に家族で旅行に出るという。彼はトカゲ(カナヘビ)をペットとして飼っているとのこと。名前はノブオ君と言うらしい。
 ノブオ君を電車に乗せて連れて行くのは無理なので預かってくれないかと職場に持ってきた。5~6センチくらいの小さなトカゲである。
 小さなケースに入ったノブオ君をボクの机がある窓際に一日置いて様子を見た。おとなしく静かに過ごすトカゲを見ているのもなかなかに風情がある。(ないか・・・)

 やはり職場で三日間も預かるのはできないので飼い主の少年に返すことにした。飼い主の少年からどうして飼育しているのか色々と聞いてみた。彼はカナヘビをひょいとケースから出して手の上に乗せながら(手乗りカナヘビ??)話してくれた。

 昨年の9月に横手の近代美術館近くでたまたま捕獲したこと。エサは蜘蛛を捕って与えていること。冬場にも蜘蛛を保存して与えるとのこと。飼育の苦労と楽しさが伝わってきた。カナヘビのノブオ君はとても良く馴れているのだが正直ボクは飼いたいと思いませんねぇ。
 そんなわけで少年はカナヘビとともに去って行った。

    カナヘビが片足あげて吾睨む黒い目の中進化の宇宙


今日はものすごく天気が良かった。鹽竈から来訪しているお父さんは朝から山に入り山菜採り。午後3時現在まだ戻ってこない。遅い春である収穫ははたしてありやなしや。報告は明日にでも・・・。
我が家のとわちゃん。天気が良いので外に出て遊ぶこと遊ぶこと。暖かさで活発になったアリを追いかける追いかける。しゃがんで座って寝そべってアリの行く先を飽きずに追っている。こんな単純な真剣さがボクには無くなったので感動した。結局、ボクの方が先に飽きてしまい家に入りたくないと泣き叫ぶとわちゃんを抱きかかえて屋内に逃げ込むのであった。ハイ。
これにて本日のブログは終了です。

東電は運が良かった??!!


サクラ開花

 昨夜のNHKニュースによると秋田市ではソメイヨシノが満開になったと報じていた。
 本日、わが職場でも三階から窓の外を見るとサクラがほころび始めた。昨日は気温が高かったので遅れ気味だった開花がようやく始まり正しい東北の春がやってくる。

    寒い春開花遅れた桜花ほころび始め四月末日  



許せない、原発再稼働に前のめり

 書こうかどうか考えたが書くことにしよう。
 昨夜、政府は大飯原発の地元大飯町で説明会を開いた。とにかく原発再稼働に前のめりになっていることは確かである。

 4月24日付の毎日新聞科学欄に専門編集委員の青野由利さんが『東電は運が悪かったのか』という記事を掲載した。それを読むと野田政権つまり政府は「東電は運が悪かった」と思っているかもしれないと分析。なぜなら大飯原発の再稼働に奔走するのは即席の安全基準の場当たり的な手続きに見えるからだ。応急手当をしたから大丈夫。福島原発のような運の悪いことは重ならないだろう。そんな胸の内が聞こえてきそうな感じがするからだそうな。

 この記事を読みながら、そうだよなぁとなぜ再稼働にひた走る政府の姿勢の一端にボクも納得。政府は間違いなく福島のような「あんな運の悪い事故はもう起きることはない」と踏んでいるとしか思えないのだ。

 ところが青野さんは「あえて言うなら福島原発事故で東電は運が良かったと」して三つ理由をあげている。
 一つは4号機の使用済み燃料プールは津波で電源喪失。そして、沸騰そのままなら空焚きで1535本の燃料棒が大量に溶融するおそれがあった。ところが、たまたま水素爆発が起こり隣接する別のプールから水が流れ込み冷却するという偶然が起きた。
 二つ目。原子炉の注水に使った消防車は新潟中越沖地震で07年柏崎刈羽原発の変圧器が燃えたために、たまたま福島にも配備されていた。
 三つ目。これも中越沖地震の教訓から建てられた免震重要棟。これがあったから辛うじて事故当初の現場の作業が支えられ、今も復旧作業の命綱になっている。だが、この免震重要棟設置についても東電は中越沖地震を真剣に受け止めていなかったふしがある。それは青野さんが中越沖地震後に柏崎刈羽原発を訪れたときに「騒ぎ過ぎ」とのいう関係者の内心の不満を感じ取っていたからだと言う。そんな仲で福島に免震重要棟を建てておいたことは、まだしも運が良かった言うべきだと分析している。

 そう言えば、昨夜のニュースで政府の説明者(通産副大臣)は大飯原発のコントロール部分は硬い岩盤の上にあるので免震重要棟は不要だというニュアンスで話していたなぁ。
 
 記事は人としての人間はリスク回避をする時に周りの空気を読み見たくないものは見ずに逃げる。だが、原発などの設備において危機管理のリスク回避は全く違うことを指摘して次のように結んでいる。

『(原発のような場合の)危機管理には空気を読まず、見たくないものを見る、強い意志が必要なのだ。そして、原発再稼働の議論にまったく欠けているのが、政府の危機管理体制作りではないだろうか』

 青野さんの言うとおりだ。再稼働を推進している人間は二度とあのような地震はくるはずがない。津波は押し寄せるはずがない。活断層は動くはずがない。少なくても自分が生きている間は見たくないものは見ない姿勢が政府の原発推進、再稼働に拍車をかけていることは間違いないだろう。危ない危ない。.



我が家のとわちゃん。「お散歩バルーンペンギン」のヘリウムが抜けて浮かずに床にペタッとへぱっていた。こりゃあ可哀想だと思い「風船のエサ」であるヘリウム缶を購入して注入。ヘリウム缶に色々な風船がおまけでついてきた。細長い風船をふくらませてグリッグリッと加工して頭にかぶせてみた。こうやってかぶるよりも風船に空気を入れてすぐに吹き口を離してピュルピュルと空中に飛び出す方が大受けしている。子どもは風船が好きですねぇ。
と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。

常識の非常識??


スミレ

 無事、職場について駐車場に車を駐めて下を見たらアスファルトの切れ目からスミレが顔を出していた。植物は可憐な花をつけているのだが強いなぁ。と、正直思った。条件の悪い場所にでもしっかりと根を張って出てくる。どこかに「雑草軍団」とか言う名前のチームがあった。でも、あれはエリート集団だったというのがもっぱらの噂が流れていたなぁ。
 
 今日は朝からちょっとした春の嵐とも言える強風が吹き荒れていた。泉谷しげるが歌っていた「春のからっ風」を思いだす。出だしはこんな感じだ。もう誰も知らない歌なんだろうが・・・。
  ♪ 春だというのに北風にあおられ
     街の声にせきたてられ
 そう言えば我が社のK君が
「いやー、ミスチルを久しぶりに聴いたら泣けてきました」
「そうかぁ、オメダヂの年代だものなぁ」
「ンダンス。でも、若い子たちは知らないって言うっす」
と、少し年代のギャップにガックリきていた。泉谷しげるの歌も誰も知らずにそんなもんだろうなぁと思った。

夕方から雨が降り始めた。桜の花がチラホラとほころび始めた。

    踏まれてもいじめられてもけなげに花を咲かせるスミレ紫


ホナッコ

 いよいよ春です。遅れていたボクにとっての山菜の王者ホナッコを近所の方にいただいた。ホナッコの本名はヨブスマソウ。これを食べると春を感じる。
 ありがたいですねぇ。



ボクにも常識がない?

 今朝(2012.4.26付)の朝日新聞に作家の高橋源一郎さんが『■ぼくには「常識」がない?』のタイトルで次のような記事を寄せていた。冒頭の部分だけを引用します。

『1年前、長男のれんちゃんが小学生になった時の入学式のことだ。最初に、校長先生が、舞台中央の演壇に向かって深くお辞儀をした。でも、演壇にはなにもない。「はて?」と思って、よく見ると、左奥に日の丸の旗がある。誰に向かって、何のためにお辞儀をしているんだろう。まるでわからない。ぼくに常識がないからなのかな。しばらくして、「国歌斉唱」の番になった。そしたら、ぼくは、なんだか憂鬱(ゆううつ)になった。誰がこんなやり方を決めたんだろう』

 そうなのです。なぜかステージに上がって行く人(たいてい偉くなった人たちなのだろうが・・・)は階段を登った時にステージの奧に向かって一礼する。疲れてしまったフーッとため息をついているのかなぁと思ったがそうでもないらしい。多くの人がそその礼を常識のようにやっている。ボクはいつも不思議だなぁと思っていたのだ。

 高橋源一郎さんが「常識がないから意味がわからない」と正直に書いてくれた。これは目からウロコものである。「裸の王様」で誰も言わなかった(言えなかった)王様が裸であることを正直に言った子どものようなものですね。

 こんな不思議な礼をする光景を何年も見てくると当たり前になってしまう。これは自分の感性の麻痺につながるのではないかと感じたのである。

 ボクには常識がないのである。



わがやのとわちゃん。ピースの芸があがって4本指をだしてきた。素晴らしいぞ。そうやって少しずつ少しずつ物事をわかってゆくのだろう。昨日はワクチンの注射があったとのことでウワーンと泣いてすぐにおさまったとのこと。ウーム。
と、言うわけで常識を身につけなければいかんなぁと思いながら本日のブログはビールでも飲みながら終了します。

タケノコご飯


夕焼け

 帰り道、久しぶりに夕陽が出羽丘陵に沈む場面に出会った。この写真を撮ったすぐ後、雄物川にかかる橋のアーチの中に夕陽は入り込んだ。貴重な一瞬だったが写真に撮れなかった。残念。

    西山に沈む夕陽の赤色は黄砂にかすみ橙に見え


タケノコ

 昨日、ボクの中学時代の同級生である名古屋に住むH君K子さん夫妻からタケノコが届いた。秋田ではと言うよりも南外では収穫できないので貴重なもの。すぐに名古屋にお礼の電話したら元気そうな声だった。

「もしもしタケノコありがどさん」
「オーッ届いだが」
「申しわげねーな」
「ナンモダ、オレが掘ったやつだがら遠慮さねたてえー」

 中学校を卒業してから半世紀以上秋田に住んでいないH君だが秋田弁丸出し。それが素晴らしいのである。

 タケノコを見ながら名古屋産だから安心して食べられると思った。すぐにタケノコご飯になり我が家の胃袋に収まったのである。ごちそうさま。



我が家のとわちゃん。カメラから逃げるようになっていたが最近は「ピース」と言うと右手をひょいと出してカメラの方を見るようになった。本日のカットはその1枚である。
原発について書きたかったが何だか疲れたので本日は生存証明でブログを終了します。

電話番号33番の乙


春紅葉

 雨が続いて木々の緑が少しずつ少しずつ色づいてきた。
 今朝のラジオを聴いていたら鳴子の若女将(アナウンサーが若女将と言うのに少し違和感をおぼえたが・・・)がこの季節の山々の色が淡いピンク色になることを「春紅葉」と呼ぶとのことだった。
 なるほど春紅葉ねぇ。そこで・・・・。

    山々は春紅葉の紫にほんのり染まり気持ちほんわり


電話

 塩竈歩きレポートその3
 鹽竈の町中を歩いていたら古い酒肉屋さんの建物があった。酒肉店とは何とすごいのだろう。酒池肉林である。しかし、この店も津波の被害で改築をしなくてはいけないようだった。
 看板を眺めたら「電話421」と書いている。塩竈で421番だったらかなり昔に引かれた電話だったろうなぁと思った。

 ボクが子どもの頃に電話は基本的に役場や学校と一部のお金持ちの家にしかなかった。だから役場や学校の電話は一桁台の番号が多かった。その名残で役場や学校の電話番号の末尾は2111とか4004とかになっているようだ。まぁ、これは確かではありませんが・・・。

 ボクが初めて電話にさわったのは外小友小学校の職員室の壁に取り付けられた電話機だった。本体は四角い形で送話口が真ん中付近にあり受話器が左側からコードで伸びていた。電話機の右側には交換局を呼び出すグルグル回すハンドルがついていた。
 先生が「ハイ話してみて」とボクに言ったのだが内気で無口で訥弁なので、一言も話せずに電話機の前にただモジモジと立っていた記憶がある。

 それから何年かして我が家にも電話がきた。当時は電話普及の時代でとにかく多くの電話を安価に設置するために共同電話も多かった。我が家も父母と仲の良かったオンチャの家と共同で33番の甲と乙の番号を分け合って電話をひいた。
 電話機は壁掛け式ではなく黒い卓上型になり送受話器は一体型になっていた。ダイヤル式ではなく電話機の右側にあるハンドルを回して交換手を呼びだし「何十何番」と電話番号を言って相手を呼び出す方式だった。その後、しばらくしてからダイヤル式に変わってゆく。
 電話が普及したと言ってもまだまだ全世帯には行き渡らない。時々、呼び出し電話で近所に「電話ですよ-」と駆け回った記憶がある。
 あるお爺さんは電話の古い型しか知らないらしく送受話機を耳にあてたのはいいが送話口を頭上の方にして「もしもし、もしもし」と連呼していたのも懐かしい。

 当時の電話は引き込み線の関係なのか玄関付近や居間からちょっと離れた場所に置かれていた。もしも女の子から呼び出しがあったりすると大変なことになる。皆が聞き耳を立てていたような気がする。もちろん電話がかかってくるなんてことはなかったが・・・。
 「電話でキッス」なんて歌もヒットしたのだから電話は人の心をつなぐ「何か」を持っていたんだろう。

 今、一人一台の携帯電話の時代になるとは・・・。電話機を舞っている純情なドキドキ感なんかはないんだろうなぁ。

 本当かどうかわからないが最近では古いダイヤル式の電話機を見ると番号の部分に指を入れて回さずに番号の部分を押す子どもがいるらしい。

 ボブ・ディランの歌ではないが「時代は変わる」んですねぇ。


我が家のとわちゃん。久しぶりの登場です。最近、リズム感が良くなりボクがギターを弾くとそばに来て弦をたたいて喜んでいる。だからギターの音は中途半端だが循環コードを弾いてやると大喜びでリズムをとるのだ。ウーム天才だぜ。ハイ。
と、言うわけで本日のブログは終了です。

His Master's Voice


犬の置物ディスプレー

 塩竃のお祭りを見ながら塩竃の町を歩いた。震災の津波被害があちこちであった道路を歩いた。少しずつ復興しているようだ。だが、ひっそりと落ち込んでいる感じは強かった。
 町中にあるレコード屋さんの前を通ったら写真の犬の看板が置かれている。町中のCD屋も珍しいが錆びたブリキの台上にのっている犬もしみじみと懐かしく可愛らしい。

 今もそうだと思うのだが、この犬はビクターのマークだった。大学生の頃に、下宿の友人が「この犬がスピーカーに向かって聞き耳を立てているのはご主人の声が聞いているんだ」と、教えられた。さらに「His Master's Voice」だと言うことも教えてくれた。蓄音機が発明されて大きなスピーカーから流れてくる自分の主人の声を聞く犬。このイメージが鮮明だったの「His Master's Voice」は一発でおぼえた。

 ウィキペディアで見たら大手レコード会社のHMVは「His Master's Voice」の頭文字をとったとのこと。なるほどなぁ。ちなみにこの犬の名前は「ニッパー」というらしいことも知った。

 塩竃の奥深さを知ったのである。

    台のうえ犬の置物ニッパー君主人の声聴く姿いじらし



今朝の日刊スポーツ紙に北東北大学野球リーグの結果が掲載された。岩手大学が青森大学に二連勝。すごいなぁと思って横の記事を見ると富士大学の野球部で活躍している夏井君兄弟が紹介されていた。兄さんはすでに4年生になったんだなぁと昔の頑張りを思いだした。


高校野球リーグの結果(魁新報よりコピー)
【県南地区】 
 平 成   9- 2 六 郷
 角 館  16- 0 雄 勝
 横手清陵 4- 4 湯 沢


と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。

鹽竈神社のお祭り


花つまり?

 昨夜から今日にかけて塩竈にいた。たまたま塩竈神社のお祭り(花まつり)があるとのことで塩竈のお父さんと一緒に出かけた。

 塩竈神社祭典の名物は二百二段の石段をゆっくりと下りてくる御輿渡御とのことだった。。

 その石段を下りてくる時間は十五分かかるらしい。十五分は速くても遅くてもだめとのこと。この一口知識はボクのそばにいた御神輿の係りの方が、ボクに話しかけてきて教えてくれた。貴重な情報にお礼を言って立ち去ったら、そのおじさんは後ろから追いかけてきて「午後8時頃に石段を登るんです。ライトアップされてきれいですよ」と親切に教えてくれたのである。ウーム素晴らしい観光案内だった。

 御神輿が鐘と太鼓のチン・ドン・チン・ドンのゆったりしたリズムで下りてくる。塩竈のお父さんの話では御輿の重さは1トン。御輿の前に8人後ろに8人合計16人が担ぎ手とのことだった。日本三大荒れ祭りとしても有名とのこと。石段を下りる時には静かに静かに厳粛に下りてきた。二百二段の石段を下り切って鳥居を出てから少し広い場所で左右に練り歩くのを見てその豪快さと勇壮さに「荒れ祭り」の片鱗を見た思いがした。戦時中は警察にも突っ込んでゆく荒れ模様だったとの話も伝わっているとお父さんは教えてくれた。

 ところで、町を歩いていたらお祭りのポスターが貼られている。ボクには「花つまり」と見えてしまうのだが・・・。デザイナーの感性だろうが少し違うなぁとボクは苦笑いをした。

 と、言うわけで本日は鹽竈の町を少し歩きながら由緒あるお祭りの一端を見ることができた。鹽竈は春まだ寒く桜はまだまだであり白いコブシの花が満開だった。暖かく天気が良かったらもっと楽しいお祭りだろうなぁと想像した。

   鹽竈の二百二段の石段を下りる神輿に復興の祈り



秋田県高校野球リーグの結果(魁新報より)
【県南地区】
 六 郷  7- 6 西仙北
 羽 後  7- 6 平 成
 横手城南11- 1 大 曲(5コ)
 横 手 14- 0 大農太田(6コ)
 横手清陵10- 4 秋田修英
 横 手  7- 5 湯 沢
 大曲工 18- 0 雄 勝(5コ)
 大曲農 10- 2 湯沢翔北(7コ)
 増 田 12- 7 雄物川
【鹿角・大館・北秋地区】
 大館国際11- 1 花 輪(5コ)
 大館工 11- 1 小 坂(6コ)
 大館鳳鳴 5- 0 秋田北鷹
 大 館  7- 1 十和田
【能代地区】
 能 代 11- 1 二ツ井(5コ)
 能代商 11- 1 能代工(7コ)
【男鹿・潟上・南秋地区】
 男鹿工 10- 0 男鹿海洋
 秋田西  7- 2 五城目
【秋田市地区】
 秋田中央 3- 0 秋 田
 秋田南  4- 2 新 屋
 明 桜  6- 4 秋田商
 秋田工 13- 3 秋田高専(6コ)
【由利本荘・にかほ地区】
 西 目 11-11 仁賀保
 由 利 10- 7 矢 島
 由利工  1- 1 本 荘
 西 目  4- 0 由利工 



我が家のとわちゃんはまだ帰ってきませんので写真がありません。今日のブログはこれにて終了です。

リーグ戦観戦です


高校野球
 今春初めて球場に足を運んだ。平鹿球場で秋田県南高校野球リーグ秋田修英対横手清陵戦であります。
 この週末の天気予報はとてもいい。球場の気温は18度前後だろうか。少し風は強いがポカポカと暖かい。

 野球シーズン開幕だから試合を展開する動きはまだしっかりとはできていないような気がした。それでも懸命にプレーする選手たちの姿に久しぶりに感動した。修英は選手も増えてこれからが楽しみなチームになるだろう。清陵は左打者たちが監督譲りの打撃を示してくれた。

 球場から見える鳥海山は真っ白で球児たちを応援していたなぁ。写真のバックスクリーンの右側に白い鳥海山が見えるのですが…。

  打て守れ走れ輝け球児たち今年も野球始まりました


野球を見てから宮城に来ています。と、言うわけで本日のブログはこれにて生存証明です。
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