
ADXAメンバー’s
昨日から今日にかけてさとみ温泉でおこなわれた「第25回DXを肴にして語る会・最終回in秋田」は楽しかったなぁ。
東北6県プラス東京・神奈川・北海道・千葉・沖縄からも多くのアマチュア無線DX大好き人間が集合した。到着予定の時間が少し遅れていたので不思議だなぁと思っていたら「こまちに熊がぶつかったために遅れている」と連絡が入ったとのこと。大張野駅付近で熊が秋田新幹線に衝突したらしい。これはこれは大変なことだと思っていたら30分ほど遅れて到着した。
それでも「語る会」は定刻スタート。不肖、ボクが会の進行役。秋田で開催された5回全部の進行役だと思っていたが勘違い。4回目であった。田沢湖でおこなわれた大会に所用(おそらく野球の遠征だったと思う)で欠席してやらなかった。
さとみ温泉の女将さんは南相馬市出身とのこと。女将あいさつで東日本大震災の被災者を受け入れた時のお話をするときに涙を堪えきれずにいた。「旅館の廃業まで覚悟した」とのお話に集合した人たちも当時の苦境に思いをはせていた。
ところで福島から参加されたPLさんのお話も少し聴くことができた。PLさんの家の周囲では放射線レベルが0.4マイクロシーベルト程度とか。
0.4程度と聞いて、ちょっと先日の新聞記事を思い出した魁新報。(2012.6.20付)に掲載された「県内の高校で放射性薬品発見」の記事である。硝酸ウラニルという薬品が発見され、すぐそばで0.447マイクロシーベルトくらいだった。その薬品のあった場所は二重のロックがされている保管庫でありその外では0.07程度の数値とのこと。
つまり、何を言いたいか。福島では日常的に放射性薬品が身近に置かれているのと同じレベルの放射線を浴びていることになる。するともう一人の福島の方(おそらく浜通)が「オレの所では0.9マイクロぐらいだよ」と話してくれた。
PLさんのお宅ではお孫さんが万が一を考えて京都に避難しているとのこと。
「将来、孫たちに放射線の影響が出た場合の責任とれるか」考えたらお孫さんとの別れも仕方がないとしみじみ話してくれたことに福島の苦悩がにじんでいた。
で、話は戻って宴会。この四半世紀にわたるミーティングの最初は「酒ッこを呑んでDXの話をしよう」という主旨だったので飲むこと呑むこと・・・。お酒大好きな秋田のGDUさんが
「お銚子をもってゆくとアッと言う間に消えてしまう」
と言う。
「砂漠に水をまいてるようなもんだすな」
とボク。それだけ参加者の方たちはガンガンガンガンと呑む。いいですねぇ。
部屋に戻っての二次会も賑やかだった。酒の弱いボクはダウン。宿泊の部屋は三人の相部屋。夜中に何だか人の肌に触っている感じがする。朝風呂に入りながら隣に寝ていたFIGさんがしみじみ言う。
「気がついたらBDSさん(ボクのこと)が私の布団に入ってきたんす」
「オレも人の体に触っている感じがしてすぐに逃げたんです」
「そんな趣味があると思って・・・」
「いや、ネーす」
酔っ払って寝相が悪くゴロゴロしているうちにそんな状態になってしまった。ボクにそんな趣味はありませんです。ハイ。
2日目の講演会も良かった。NIさんの135KHzの技術的な話や世界初の太平洋を越えた交信の話など先駆者の話は限りなくおもしろい。スーパーラドアンテナとかいう商品を徹底的に実験してインチキな商品だという話もあり盛り上がった。とても刺激的な内容だったなぁ。
そして、最後に進行役であるボクの不手際を少々。すべての日程が終わり最後に実行委員長であるZPさんの挨拶が進行表にあった。それが無事、大会も終わったなぁとボク自身が感動しながら終了宣言をしちまったのです。すべての日程が終わってから指摘されて「アッ」と思ったが後の祭り。もし、このブログをZPさんが読まれていましたらごめんなさい。次に会う機会があれば1杯多くビールを注ぎます。
そんなこんなで楽しい時間はアッと言う間に過ぎ去った。写真はADXAのメンバーです。目に横線を入れようという声もあったが知らんふりで掲載。
この最終回のミーティングを企画計画したADXAのメンバーの努力なくしてこの楽しさは味わえなかったと感謝したい。
さびしさは祭の後にやってくる元気を出そうまたあう日まで
傘好きのとわちゃん。雨が降っても降ってなくても傘をさす。そして、ババヘラアイスのパラソルを見つけても大喜び。「傘」と言えずに「かか」と言う。絵本でも新聞でも傘の絵や模様があれば「かか」と指をさす。子どもの興味のあり方は不思議ですねぇ。