食中毒警報でした

猛暑に
今日も暑い日である。おそらく猛暑日。つまり気温は35℃を超えているかその周辺である。さすがに外の部活動は午前午後の二部練を中断せざるを得ない状況にもなっている。
最近、出羽グリーンロードの通勤途中で背の丈が3~5メートルほどの低木に白い花がたくさん咲いているのが気になっていた。峠道の途中で車を駐めて写真を撮った。たまたまその花の上に蝶が一頭とまっていた。
なんとも情けないのは花の名前も蝶の名前も知らないことである。花は野生のガクアジサイだろうと見当をつけているのだがわかりません。まったく・・・。
今朝は家の周りでキツツキの仲間のアカゲラがキョッキョッケケケケケケと鳴いていた。
キツツキもキョッキョケケケと鳴くほどに暑いだるいとついつい弱音
ボツリヌス中毒
この暑さで横手地区では「食中毒警報」が発令された。食べ物に雑菌がつくとドンドン腐敗してゆく温度だ。
食中毒といえば魁新報(2012.7.21付)に『特集食中毒の歴史~飯ずしで12人死亡も。清潔・迅速・加熱で防げる』が掲載された。
記事の内容は「牛のレバ刺しが禁止になり何日か過ぎたが秋田市では禁止直前に駆け込みレバ刺しを食べた人たちが食中毒になった」ことを紹介して秋田県における食中毒の歴史について解説している。
記事の見出しで「飯ずしで12人死亡」に、ボクは「南外村のことだ」とピンときた。その内容を少し引用。
『(食中毒の)歴史をたどると、昭和30年代はカレイやコイなどの飯ずしが原因で命を落とすことがあった。ボツリヌス菌による食中毒だ。最大の惨事は1961年11月、旧南外村で起きた。10月下旬、魚の行商人から主婦6人がサンマを2箱買い、分け合った。ある家庭でサンマの頭と内臓を取り除き、ぶつ切りにして水に浸した後、麹や塩、カブ、キクなどを加えて飯ずしにした。試食した妻は15時間後に苦しみだし、翌日死亡。脳血栓とみられた。
妻の通夜に訪れた親類、知人15人はボツリヌス菌に汚染された飯ずしとは思わず、この飯ずしを食べて次々に手足のしびれ、呼吸困難などを起こし11人が亡くなった。ボツリヌス菌は土壌や河川、動物の腸管など自然界に広く存在し、神経毒が強い』
このボツリヌス菌食中毒が起きたときボクは高校1年生。こんなことがあるのかと驚くと同時にボツリヌス菌という名前を初めて知った。さらにこの年(1961年・昭和36年)の秋田県十大ニュースの第1位が秋田国体だった。そして第2位が南外のボツリヌス中毒だったと記憶している。
何年後かの学生の時、微生物の教科で空気の嫌いな微生物(要するに空気中では生きることができない)の話を指導教官がしたときに南外村のボツリヌス菌中毒事件を例として取り上げた。
気の小さいボクは「それはボクの村で起きた食中毒です」と言えずに教室の片隅で小さくなっていた。そして、そんなに有名なことなんだと何だか「すごいなぁ」と不謹慎にも思ったのも事実である。
ボツリヌス菌は嫌気性で体外に毒素を出すことなどを講義で聞いて「ウーム」とうなった。空気のない時代から生き続けていた生物だから強力な毒をもっているんだろうなぁとチラッと考えた。
ボクも焼き肉店で最後のレバ刺しを食べたことはブログに書いた。レバ刺しがものすごく美味いかどうかを聞かれたら「そうでもない」と答えるかもしれない。妙に甘ったるくてニュルッとした感じが良いともいえるのだが・・・。まぁ、珍味ですね。酒っこを一杯飲んで食べるから美味いんです。御飯のおかずにしたいとは思いません。
レバ刺しを食文化とまでは言いませんが、レバ刺しを注文する人の「自己責任」でいいんじゃないの。と、ボクは思うのです。
地上最強の毒素と言われるボツリヌス菌中毒のように悲惨な事故は常に身近に潜んでいることを常に意識していればいいような気がするのだが・・・。
我が家のとわちゃん。とても目ざといのである。誰かが美味しそうなジュースを持っていようものならどんなに好きなおもちゃでも手放して飲みにゆく。生存競争に負けるなとわちゃん。
これにて本日のブログは終了です。