中村勘三郎さんの逝去の報を聞きながら


落語と歌舞伎と

 昨日、中村勘三郎の死が報じられた。57歳の逝去とのこと。あまりの若い逝去に惜しむ声があちこちから出ている。
 ボクは自慢じゃありませんが歌舞伎を一度も観たことがない。しかし、昨日亡くなった勘三郎が勘九郎としての子役時代にテレビにしょっちゅう出ていたのはよく見ていた。その彼が歌舞伎界を背負う人になっていたのだ。

 さて、本題はここから。
 昨夜、落語CDの入っている段ボール箱をガシャガシャとかき回して出てきたのを聴くことにした。その結果、出てきたのが桂歌丸のCD「髪結新三(かみゆいしんざ) 上・下」だった。そのマクラは次のような内容だった。

『「髪結新三」は芝居で有名です。その芝居は落語の人情噺をもとに明治6年歌舞伎の河竹黙阿弥が「梅雨小袖黄八丈」として芝居に持ち込んだものです。
大中村屋の勘三郎がやっていたが勘九郎も跡を継いで時々やっているようです。(勘九郎が)勘三郎を襲名してもやってくれるんでしょう。勘三郎になってやらなければ非道い目にあわせたい・・・(笑)。落語の内容と違う芝居との比較も一興かと・・・・』

このように話してから本題に入った。

 桂歌丸がこの「髪結新三」を演じのは平成14年6月15日に「上」。同じ年の8月10日に「下」をやっている。と、言うことは中村勘九郎が十八代中村勘三郎を襲名する三年前のことだ。
 その頃から勘三郎襲名は決まっていたのだろう。そして、『梅雨小袖昔八丈(つゆこそで むかし はちじょう、通称:髪結新三/かみゆいしんざ)』は得意の演し物だったようだ。
 要するにボクは勘三郎が亡くなった夜にたまたま聴いた桂歌丸のCDで中村勘三郎の話が出てきて驚いたのである。

 3年ほど前に同じ職場にいた女性の方が歌舞伎ファンだったのだが歌舞伎のお話を聴いてもボクはチンプンカンプンだったことを思い出す。歌舞伎の話をもっとしっかり聴いておけば良かったなぁ。

 今年、落語の襲名披露興行を二度見ることができた。三遊亭円楽と桂文枝。何年か前には桂米團治の襲名披露もみた。感じたのはその口上のスタイルと言いますか様式が歌舞伎の襲名披露ととても似ていることだ。落語も歌舞伎どちらもお互いに影響を及ぼしていたのだろうなぁと思った。

 昨年、立川談志が亡くなったときに生前の中村勘三郎が談志師匠を惜しみながら話していたことを覚えている。

『私が芝居をやっていると観客席から自分が良い演技をしたと感じたちょうど良いタイミングで「中村屋!!」と声がかかる。ものすごい「通」だなぁと思い観客席をみると談志師匠がいました』

相通じるものがあるんだなと思わせられたのである。

 いずれにしても惜しい役者を失った。冥福を祈りたい。

   


カメラで富士フィルムから出ている「チェキ」というポラロイド型のカメラがある。昨夜、とわちゃんと遊んでいたらチェキ用の古いフィルム10枚入りが見つかった。
早速、撮って遊ぼうと思ったら新しいフィルムがチェキに数枚収まっているではありませんか。それではそれを使って何枚か撮影した。その中の三枚がこれらです。
遊び感覚で撮るパシャパシャ撮るのもなかなか面白いものです。わかちゃんが移っているのはお姉さんのとわがシャッターを押した者である。

本日は忘年会で早めのブログアップです。

   孫たちの写真を並べフフフフと悦に入るのがジジバカ極意
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