身近な「天保飢饉」


飢饉の立て札

 4月からとわちゃんは幼稚園に入園した。そして、わかちゃんは我が家に預かり日中を過ごすようになった。お母さんが勤務先に向かう途中までわかちゃんを車に乗せてきて中間地点でわかちゃんを預かって我が家で一日過ごす。
 その落ち合う場所で少し時間があったので周囲を見回したら白い柱が立っている。何だろうと思って見たら『天保飢饉・根堀小屋一帯の地』と書かれた看板が立っている。
 この地は天保の飢饉に関係のある場所なんだと思ったが詳しいことはよくわからない。そこでネットを見たら
http://homepage2.nifty.com/nenkin-akita/rekisi/rekisi25.html
を発見した。その写真のキャプションには次のように書かれている。

『根堀小屋跡地 大仙市南外大柳地域。国道105号線ばた。飢えをしのぐために、澱粉を取ろうと蕨の根を掘るため小屋掛けをした所の跡地』

 歴史のことは皆目わからない。そんな時にはウィキペディアにあたるのが一番。だいたい次のような内容である。

『天保の大飢饉(てんぽうのだいききん)は、江戸時代後期の1833年(天保4年)に始まり、1835年から1837年にかけて最大規模化した飢饉である。1839年(天保10年)まで続いた。主な原因は洪水や冷害であった。東北地方(陸奥国と出羽国)の被害が最も大きい。陸奥の国(仙台)では米ばかり作らせたので冷害の被害が特に大きかった』

出羽国だから秋田も当然入っている。180年ほど前にこれほどの大きな飢饉があったんだなぁ。ボクのオヤジが1913年生まれだから今年は生誕100年になる。つまり、だいたい父のお爺さんあたりの頃に天保の飢饉があったということになる。
 こうやって考えてみると180年は割に近いと感じる。さらに米ばかり作らせた仙台藩の悲劇など政治の間違いが被害を大きくしていることもわかる。
 これは今も昔も変わりがないなぁと思う。今はTPPの参加で農家は大きな打撃を受ける。普通の農家の衰退によって20年前に起きたような冷害があれば我々消費者はイチコロだろうなぁ。

 ウーム。孫の迎えに行っただけで勉強になったなぁ。いいぞ、わかちゃん!。

    天保の飢饉を教える看板を見つつ思うは「歴史に学べ」


とわちゃん。幼稚園に少し慣れてきたようだが家に帰るとかなり疲れているようだ。今日はとわちゃんの家に遊びに行ったが例によってカメラを向けると逃げ回る。本日はピンぼけのとわちゃんである。
明日の天気予報は冬型。雪の予報も出ている。まだ夏タイヤに替えていないので安心ではありますが・・・。これにて本日のブログは終了です。
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