「落語家の通信簿」いいですねぇ(2)
大雪傾向に
実は明日開催の春高バレーの応援に家人も一緒に行くつもりだった。しかし、大雪に加えて低温注意報。これで3日も家を空けたら水道が凍ってしまう。
そして、大事なことを思い出した。それは地域の自治会総会を招集したのがボクだったのである。それをキャンセルするのは問題が大きい。当たり前ですね。そこでテレビ前で応援することにした。
寒気団が居座っている。朝に一回、夕方にも一回除雪。いつまで続くことやら・・・。
笑いの本質とは
全開の三遊亭円丈師の本の続きです。
この本の中でなるほどなぁと納得したことがある。それは「笑い」についてである。円丈師は「笑い」を次のように分析する。
『「笑いは結局、主観的なもので絶対的なものではない」「この世に、どんな人間も絶対笑うギャグや芸は存在しない」。どんなにおもしろい芸も超下級のギャグも、最後はひとりひとりのお客の判断に委ねられる。お客がどんなつまらないことでも、おもしろいと思えば笑えるし、つまらないと思えば笑えない。笑うか、笑わないか?それは、演ってみないとわからないのだ』
この部分を読みながら今のテレビのお笑い番組を思い出した。
テレビに出演している人たちがみんな大笑いしている。これっておかしいべ(「おかしい」とは「変だ」という意味です。「可笑しい」ではありません・・・)と、常に違和感だらけだった。出演者が手をたたいて大笑いしている。これはなんか不思議な光景である。そのことを見事に言い当ててくれたのである。
まぁ、それが好きでテレビを観ている人もいるのだから文句は言えないが・・・。でも、ボクはあまりこんなお笑い系は好きじゃありません。
落語会でボクはとんでもないところで「クスリッ」と笑ったりするらしい。何でこんなところで「うけているのか」理解できないと言う人もいる。でも、円丈師の言うように「笑いのツボ」はひとりひとり違うのである。
まぁ、そんな意味でテレビのお笑い番組はスタジオの「笑い屋?」に導かれて笑っているのだろうな。最近「笑点」は観なくなったなぁ。何だか台本通り演じているような気がしてならないからだ。毎年、笑点カレンダーは買っているけれど・・・・。
この本を読んで円丈師の書いた「御乱心」をぜひ読みたくなりオークションを捜したら5000円近くもする。いや、もっと高い所もあった。そのためにオークションはいったん休憩。
円丈師お薦めの一度も聴いたことのない落語家もあった。それは談志師の弟子立川談笑である。彼のCDを探したらレンタル落ちで100円也で売っている。送料が倍以上かかってしまったが即2枚購入。CDが2枚だと思ったら2枚入りのCD2セットで都合4枚レンタルCD特有の丸いキラキラシールの貼られたものが届いた。何だかもうけたような気分ですね。
早速、聴いたがボクが酔っ払っていて談笑師の噺の内容がよくわからない。ムムムムム。そこで2回目を聴いたらわかってきた。これは古典落語の現代版焼き直しとでも言えるなかなかに「はまる落語」である。
談志師匠の弟子たちの立川流おそるべしである。円丈師は言う。先代三遊亭圓楽の弟子たちで大成した弟子はそれほどいないと・・・・。
と、言うわけで『落語家の通信簿』でした。やはり通信簿は「つけられる人」は嫌かもしれませんね。
我が家の猫。トマトである。最近、暖かい居間に入ってこない。何かに恐れているようだ。おそるおそる入ってきても天井を見上げて脱兎(脱猫)のごとく逃げ出す。我ら人間に見えない何かが見えているのかもしれない。それでも時々足下に寄ってくることもあるのです。
と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。
本当に君のふるまい勝手だねでもそこがいいトマトという猫