まど・みちおさん逝去


大荒れの予報が

 終日、しとしと雨が降っていた。これで春雨ではなく予報では秋田県沿岸部に暴風雪警報が出された。自宅に帰ってあらためて天気図を見たら低気圧が東に進んでいて強い冬型になる気配である。
 写真は水たまりにうつる街灯であります。まだまだ雪の壁は高いですねぇ。



やさしさの中に深さが

 何年か前に加藤和彦、きたやまおさむ、それに坂崎幸之助の三人でフォーククルセダースが再結成された。その後に加藤和彦が亡くなったのは残念なことではあるが・・・・。
 そのコンサートの模様がテレビで放映された。その中で詩人で精神科医のきたやまおさむがおおよそ次のように話していたことがとても印象に残っている。

「これは不条理の歌です。白山羊さんの書いた手紙を黒山羊さんが食べてしまい、その内容を知りたいと思って、あの手紙の内容はなんだったかと返事を書きます。それが延々と続くのですから・・・・」

この後に不条理の歌「やぎさん ゆうびん」が歌われた。

しろやぎさんから おてがみ ついた
くろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた
さっきの てがみの ごようじ なあに

くろやぎさんから おてがみ ついた
しろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた
さっきの てがみの ごようじ なあに

その時にボクは「なるほどねぇそんな解釈があるのか」とすごく納得したのであります。放映された番組のDVDを作っていたので探せば出てくるはずだ。

 その、まどさんが亡くなったのである。昨日(2014.3.4付)朝日新聞に詩人のねじめ正一さんがまどさんについて『日常脱ぎ捨てた深い言葉』と追悼コラムを書いている。
 ねじめさんは最初「ぞうさん詩人」と馬鹿にしていた。しかし、次の詩の一節を読んで。まどささんの詩は平易なひらがなの詩なのに、現代詩を超えていると思った、と書いている。その詩の一節は
『うたをうたうとき わたしは からだを ぬぎすてます』
ねじめさんは次のように述べている。
『からだという日常を脱ぎ捨てなければ詩は書けないのだ。世の中のしがらみや野心を脱ぎ捨てなければ、人の心を打つ詩の言葉は出てこないと言うことを教えてもらった』
さらに
『まどさんの詩は、あり、おなら、漬物石、鼻紙、ドロップ、ノミ、石鹸、スルメ、蚊などの、そころらへんにあるただのものと、自分との間に一瞬流れる共感の電流である』
とも書いている。このあたりになるとボクも理解に苦しむが何となくわかるような気もする。

 まどさんが亡くなってからテレビニュースで少し取り上げていたが戦時中には戦争賛美の詩を書いたという。戦後、そのことをとても恥じ入り反省して104歳まで生き抜いたとのこと。その反省こそが大切だなぁと思うのである。
 そして、戦争の恐ろしさをあらためて考えさせられる。




ボクの父母とポン友とも言える小父さんがいた。ボクら家族は「おんちゃ」と呼んでいた。子どもの頃には毎日のように我が家に遊びに来て、夕方になると親父やおふくろと一杯やって帰って行く。
冬の薪ストーブ用の薪はすべておんちゃが山から切り出して準備してくれた。おかげで我が家の冬は寒さ知らずで過ごした。我が家の家族のような人だった。
そのおんちゃが結婚したのは30代半ばを過ぎていた。当時は遅い結婚だったかもしれない。お嫁さんを迎えたら我が家に来ることは少なくなった。それでも冬場の薪の準備や山の整備はしっかりとやってくれた。
やがてお嫁さんになってきた人も我が家の前にある畑で野菜を作って楽しんでいた。そこに一粒種の息子さんが誕生。メンコイ子どもだった。今では50歳を超えているが・・・。
おんちゃは数年前に亡くなった。そして、昨日奥さんが亡くなった。我が家が若かった頃のたくさんの思い出の記憶に登場する方をまた一人失った。享年は米寿だった。合掌。
と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。

   米寿にて逝去なされたヤウさんはフフと微笑み写真の中で
アクセスカウンター
リンク
カレンダー
02 | 2014/03 | 04
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新記事
最新コメント
プロフィール

Hi-Rock

Author:Hi-Rock
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR