『石巻学 創刊号』

懐かしいですねぇ

 先週、どこの新聞か忘れたが『石巻学』という雑誌が創刊されたとの記事を見つけた。
新規ドキュメント 19_1

 石巻、3.11で大きな被害を受けたのだが復興に向けている。
 ボクが宮城に住んでいる4年間は石巻はとても懐かしい町である。当時、ボクが住んでいた町から石巻まで40~50分で行けるのも身近な町だったのである。
 同僚のN君と二人で酔っ払ってから石巻まで出かけたことがある。その夜はもっともっと酔っ払って渡波の海岸で二人で泳ぎ服を脱いだ場所からかなり遠くに流されて海岸で服を探すのに苦労したことも想い出である。今、考えてみるとよく生きていたなぁと思うのであるが・・・。「たぬき」という焼き鳥屋だったと思うがスズメの焼き鳥を食べたのも石巻が初めてだった。ボーリングにもしょっちゅう出かけていた。
 また、M君に連れて行ってもらい石巻(女川)の岸壁でウミタナゴを釣った日のことも忘れられない。M君は石巻出身で砂浜で「イサダ」と言ったと思うが小さなエビをたくさんすくって撒き餌にしてウミタナゴを釣ることを教えてくれた。
 生まれて初めて買ったミニカーで同僚たちで「初乗りだぁ」と言いながらドライブをして鮎川まで行って「のり」でそのまま一泊して鯨博物館を見て帰ってきたのも思い出す。
 初冬になると毎晩のように石巻港に釣り竿を1本持参して接岸している船の間で「流れゴカイ」を餌にしてスズキの子どものセイゴ(セッパと言っていた)を釣りに出かけたのも懐かしい。
 今は亡き鹿野さん(実名でもいいでしょう)に北上川の下流にボラやミョウゲツを釣りに何度も連れて行ってもらった。そして、夜は鹿野さんの家で一杯ゴチになり帰ってきたのである。

 大震災の時には家人の兄が石巻で働いていた。津波を避けて町の中の小学校の三階で避難していて全く連絡できなかったこともあった。生還した時には本当にホッとしたのである。

 そんな想い出の石巻。震災によって大きく変わったと思う。石巻に思いをこめての『石巻学』だと思った。早速、丸善ジュンク堂に注文して昨日届いた。これから10号は継続したいと書いている。パラパラと開いて石巻を「楽しんで」みたい。


ところで自民党ってすごいなぁと思わせることがあった。それは昨日の甘利大臣の辞任会見の時である。辞任を表明して質疑応答になった時に甘利氏は次のような発言をした。
「いい人ばかりとつきあっていると選挙に落ちる」
だから・・・・と言うような流れの話だったのだがボクはアレッと思ったのである。
つまり・・・・自民党(甘利氏)に投票している人は悪い人が多いってことなんだろうなぁと一瞬感じたからだ。おそらく彼はカッコつけて「清濁あわせ呑む政治家」を演出するために発言したと思うのだがボクには「それが自民党の状況なんだろう」と墓穴を掘ったんではないかと感じた。
それにしてもよくこんなことが言えるもんだ。さすがアベシンゾーの盟友である。
投票した人も救われないと思うのだが・・・。でも、そんなことは先刻ご存じで投票しているのかもしれない。
閣僚辞任だけでなく議員も辞めるべきだとボクは強く思っている。

と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。

   知らぬ間に積もる雪には音は無し屋根滑る時轟音解放!
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