桑田佳祐「東京の唄」は良い
梅雨時の奥羽山脈
湿っぽい天候の時に奥羽山脈には雲がボワーッと覆い被さって巻き込む状況だ。「あたかも」岩手県側から雲が押しつけられているような感じなのです。

話変わって「あたかも」と書いて「」をつけたのは、林家正蔵師匠がこぶ平時代に(もしかしたら正蔵を襲名してからかもしれないが)得意なマクラの話がある。
「うちの小学生の息子が国語の宿題をもってきたんです」
「〈あたかも〉を使って例文を作りなさいと言う題でした」
「息子の作った文を見て驚きました」
「それはですね〈ぼくの家の冷蔵庫にアイスクリームがあたかもしれない〉」
で、爆笑という正蔵師匠定番のマクラの噺・・・・・
そんなわけで本日は湿っぽく蒸し暑い日でした。
桑田佳祐の歌
WOWOW25周年記念で桑田佳祐特集が6月25日に放送された。タイトルが『偉大なる歌謡曲に感謝~東京の唄~』。それをDVDにして観たら、いいっすねぇ。
桑田佳祐は60歳を越えたそうである。彼が一緒に演奏してくれたバンドのメンバーについて次のように語っている。
「ジャズだポップスだロックだと言っていたメンバーがノリノリでした」
歌謡曲が身体に染み込んでいるということなのだ。
彼がメドレーで歌う曲を聞くと、ボクもほとんど口ずさめる。例えば「東京ドドンパ娘」「有楽町で逢いましょう」「唐獅子牡丹」などなど・・・・。
「東京ドドンパ娘」はいいなぁ。
♪好きになったら はなれられない
それははじめてのひと
ふるえちゃうけど やっぱり待っている
それは初めてのキッス 甘いキッス
渡辺マリという歌手が歌っていたが思議な歌だったがボクは好きな歌だった。
最近、カバー曲を歌うことが流行っているようだ。例えば吉幾三。朝、ラジオを聴いていると吉幾三の歌うCDのコマーシャルが流れる。突然、欲しいなぁと思ったりするがポチッとする衝動を抑えているところ。
考えてみるとボクが小学校6年生頃に初めて歌謡曲に目覚めたような気がする。それはフランク永井の「有楽町で逢いましょう」だった。
それまではラジオドラマのテーマ曲を必死になっておぼえるくらいだった。「高丸菊丸」などを知っている人はいるのかなぁ。もしかしたらこんなラジオ番組などなかったかもしれないと思うようになってきた・・・・。
しかし、フランク永井からは歌謡曲だった。中学になればクラスの誰かが雑誌「平凡」や「明星」の歌の付録を持ってきたの見せてもらい歌詞をおぼえた。三橋美智也は神様のような人だったなぁ。
そして、ギターを持ったりして少しずつ好みが変わってゆくんですねぇ。ビートルズ、フォークソングなどなど。でも、結局は子どもの頃に染み込んだ歌謡曲は深い意味を持っているですね。
そんなことを思い出しながら桑田佳祐の「東京の唄」を観たのであります。ハイ。
何だかわけのわからないことを書いてしまった。少々疲れ気味かも。これにて本日のブログは終了です。
イントロはサウンド・オブ・サイレンス卒業のとき音に込められ
湿っぽい天候の時に奥羽山脈には雲がボワーッと覆い被さって巻き込む状況だ。「あたかも」岩手県側から雲が押しつけられているような感じなのです。

話変わって「あたかも」と書いて「」をつけたのは、林家正蔵師匠がこぶ平時代に(もしかしたら正蔵を襲名してからかもしれないが)得意なマクラの話がある。
「うちの小学生の息子が国語の宿題をもってきたんです」
「〈あたかも〉を使って例文を作りなさいと言う題でした」
「息子の作った文を見て驚きました」
「それはですね〈ぼくの家の冷蔵庫にアイスクリームがあたかもしれない〉」
で、爆笑という正蔵師匠定番のマクラの噺・・・・・
そんなわけで本日は湿っぽく蒸し暑い日でした。
桑田佳祐の歌
WOWOW25周年記念で桑田佳祐特集が6月25日に放送された。タイトルが『偉大なる歌謡曲に感謝~東京の唄~』。それをDVDにして観たら、いいっすねぇ。
桑田佳祐は60歳を越えたそうである。彼が一緒に演奏してくれたバンドのメンバーについて次のように語っている。
「ジャズだポップスだロックだと言っていたメンバーがノリノリでした」
歌謡曲が身体に染み込んでいるということなのだ。
彼がメドレーで歌う曲を聞くと、ボクもほとんど口ずさめる。例えば「東京ドドンパ娘」「有楽町で逢いましょう」「唐獅子牡丹」などなど・・・・。
「東京ドドンパ娘」はいいなぁ。
♪好きになったら はなれられない
それははじめてのひと
ふるえちゃうけど やっぱり待っている
それは初めてのキッス 甘いキッス
渡辺マリという歌手が歌っていたが思議な歌だったがボクは好きな歌だった。
最近、カバー曲を歌うことが流行っているようだ。例えば吉幾三。朝、ラジオを聴いていると吉幾三の歌うCDのコマーシャルが流れる。突然、欲しいなぁと思ったりするがポチッとする衝動を抑えているところ。
考えてみるとボクが小学校6年生頃に初めて歌謡曲に目覚めたような気がする。それはフランク永井の「有楽町で逢いましょう」だった。
それまではラジオドラマのテーマ曲を必死になっておぼえるくらいだった。「高丸菊丸」などを知っている人はいるのかなぁ。もしかしたらこんなラジオ番組などなかったかもしれないと思うようになってきた・・・・。
しかし、フランク永井からは歌謡曲だった。中学になればクラスの誰かが雑誌「平凡」や「明星」の歌の付録を持ってきたの見せてもらい歌詞をおぼえた。三橋美智也は神様のような人だったなぁ。
そして、ギターを持ったりして少しずつ好みが変わってゆくんですねぇ。ビートルズ、フォークソングなどなど。でも、結局は子どもの頃に染み込んだ歌謡曲は深い意味を持っているですね。
そんなことを思い出しながら桑田佳祐の「東京の唄」を観たのであります。ハイ。
何だかわけのわからないことを書いてしまった。少々疲れ気味かも。これにて本日のブログは終了です。
イントロはサウンド・オブ・サイレンス卒業のとき音に込められ