わけのわからないカタカナ語

全県短歌大会へ

 今日は秋田魁新報主催の「全県短歌大会」に行ってみた。一首応募していたが箸にも棒にも引っかからなかった。それはいいのです。
 今日の短歌の講師は歌人の加藤治郎さんという方。
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短歌における虚構性、フィクションの有無などについての話はとてもよかったと思う。私もこの虚構性と言うかフィクションについて質問した。
 短歌はどうしても個人的な内容を詠うことが多い。私の考えは、短歌の中には詠んだ人の人間性、生活、考え方などが反映されているということだ。しかし、最近はまったくフィクションで短歌を詠う人が出てきている。例えば父が死んでもいないのに死んだことにして歌を詠む。実際にはいないはずの兄弟のことを詠むなどである。もちろん、昔からそういう短歌を作る人はいた。
 でも、私は短歌は個人的なチマチマしたことを詠むのがいいのではないかと考えている。そのことについて加藤さんはどう考えるか?と質問した。

 加藤さんの回答を簡単に書く。フィクションもいいと思う。それはフィクションにする必然性が明確にある場合に限るということだった。もしも、単に「これを詠んだら何かいいことがあるかもしれないというような、うけねらい」はやめた方がいい。

 なるほどなぁ。と、かなり納得したのであります。


『日本標準』

 カタカナ語を使う政治家について先日ブログに書いた。栃木の友人からラインがあった。そこには「東京新聞の日曜版におもしろいコラムがありました」とコラムの写真が添付されていた。
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『日本標準』というタイトルである。
 「デンデン男」を皮肉ったりしているので文章をコピーしてみました。

『関東の某市で観光振興のため、昔の家屋や市電を買い付けた、とのニュースが放映された。市長が登場して「地域のアドバンテージに資する」云々と語るのを見たおじさんは首をかしげた。ここで「アドバンテージ(=有利、利益)」というカタカナ語を使う意味があるのだろうか。もっと簡単に「地域の価値を高めるため」とか「観光の独自性を狙って」など、普通の日本語で言えるではないか。
 政冶家はきちんとした日本語で、自らの政治を分かりやすく一般の人々に説明する義務がある。なのに、東京都知事がカタカナ語を多用するのはなぜなのだろう。「都民ファースト」は「都民第一」でいいではないか。「クールビズ」は「軽装」で分かる。
 英語や外来語を使いたがる人は、自らの国際性と視野の広さを誇っているのだろう。つまり自慢だ。そしてカタカナ語を使うことで本質をあいまいにしてぽかす。「アドバンテージ」などと言って人を煙に巻き、どうだワシは、と鼻高々の得意顔なのだ。
 政治家こそ世界標準ではなく、日本標準を学ぶ必要がある。少なくとも「云々」を「でんでん」などと読んでしまわぬように』

まったくその通りです。デンデン男は今でも「云々」を「デンデン」と思っているかもしれません。


と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。
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