キヨシロー忌
こんな酒を呑むなんて・・・
今日は我が家のゴタゴタを大片付け。エーイッ要らないといわゆる断捨離をしてみるのだが難しいもんですね。それでも燃えるゴミ、燃えないゴミを250㎏ほど焼却場に運んだ。
その中で棄てきれなかったのが焼酎のミニチュア瓶。
米と麦の焼酎である。
三十年ほど経過している。純米白波と書いているほうは封を切っている。さつま諸白(もろはく)は封がある。どちらも半合(90㎖)の量である。
もちろん呑みます。封を切っている純米白波も問題なく呑める。もちろんさつま諸白も。米と麦それぞれの焼酎の風味は残しているのであります。熟成なんかはありませんね。でも美味いっ。まったく「いやしい人間」です。ハイ
生きていたら・・・
今朝(2019.5.2付)の朝日新聞天声人語に忌野清志郎のことが書いている。キヨシローが亡くなってから十年目になるんだと月日の経過の早さをつくづく感じている。
キヨシローが亡くなったときボクは女子バレーボール部の顧問をやっていて仙台市に遠征ししていた。その頃のブログを確認してみると彼が亡くなった次の日の五月三日に次のような短歌を書いている。
ヤマボウシキヨシロー忌に咲いているヤツがいたからボクも生きれた
RCサクセション結成当時まだギターの忌野清志郎とベースの小林君かな?の二人でやっていたときに産業会館で見たことをあらためて思い出す。
ボクは煙草を吸わないがRCサクセションの歌う『ぼくの好きな先生』の歌にあるそんな先生になりたかったといつも思っていた自分だったなぁと思い出している。
57577で自分の考えを表現してみようと思ったのがこの頃だったなぁと思いだした。キヨシローが亡くなった頃から短歌っぽいことを始めたのは縁だと感じるのである。彼が生きていたらもっとおもしろい芸能界だったと思うのだが・・・・
本日は30年前の焼酎を飲んでこれにて終了です。
シャイだった反骨だった好きだった五月二日はキヨシロー忌だ