汚れたお重はぴかびかに・・・
協和、道の駅にて
今日は仕事が終わってから、わかちゃんととわちゃんの引率で協和町まで。わかちゃんが協和道の駅に行きたいと言うので行ってみた。
夕方。道の駅前を通るR47は霧がどんどん深くなってくる感じがする。
チラッと寄ってあとは帰ってきました。ここは「おはぎ」がいいですね。
今日は真珠湾攻撃から80年。いまだに(今の自眠党などの憲法改悪派たち)戦争をしたい気持ちまんまんのような気がしてならない。
最も懸念するのは「あの当時」の憲法と同じ内容を復活させようとしていることだ。絶対に許してはいけない。
そんな思いを新たにする日である。
今朝の朝日新聞。久しぶりに編集委員の高橋純子さんのコラム『多事争論』が掲載された。タイトルは『政権批判はムダですか 汚れたお重 洗わぬわけには』である。
汚れたお重を「権力の汚れ」に言い換えている。
今、政権批判に冷ややかな視線の背景には「権力への警戒がほどけて、権力を頼む姿勢がひとびとの間で強まっていることもあるのでは・・・」と警戒感を述べている。
鋭く納得する。
「自眠党が勝って良かった」と言う人がいる。その人たちは「寄らば大樹の陰」「何かのおこぼれに預かれるはず」の気持ちが強いのだろう。
そうそう、新潟県で自眠党の重鎮が選挙で「裏金がなければ当選できないよ」という話をしたとかしないとかで大もめになっている。それも「権力を頼む」ことにつながっているとボクは感じている。
そんな状況が続けばどうなるのか。高橋純子さんは次のように結んでいる。
『「よいこと」のために権力を使って良いのか・・・・とても大事な問だと思う。一度この問の地点まで身を引いて考えてみないことには、「目指す社会」へと向かうはずが、「いまある社会」に鼻面を引き回されるだけになってしまうだろう』
最後の「鼻面を引き回される」ということは「絆」という怪しい言葉につながっている。安易に「絆」などを使っているととんでもないことになるよ。と、彼女は含んでいるとボクは読んだが・・・・。
で、最後の最後に次のように書いている。
『今夜はうな重(梅)の出前でもとるか。もちろんお重は舐めるようにぴっかぴっかに洗い上げて戻す』
これも皮肉そのもの。アベシンゾーも自眠党は汚れきっている。ぴっかぴっかにしなくてはいけないのだ。
いいなぁ。彼女の文章は小気味が良い。
160m。今朝、ポッとピンク色が見えた。アレッと思ったらベラルーシである。160m未交信。どうせダメだろうと思って呼んだらすぐに返信があった。
ありゃりゃです。
と、言うわけで今日は久しぶりのニューワンになった。あとはUSAと2局ほど交信。
7メガでGYPさんがTO9Wと交信したようだがいいなぁ。最近は1840固定でノイズばかりを聞いているだけだから仕方がない。明日にでも7メガも覗いてみるかなぁ。
と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。
「わからん」という声無視して授業する黒い歴史を今も引きずる