七ヶ浜にて


仮設住宅

 宮城県七ヶ浜町。きれいな七つの浜があるから名付けられたと聞く。町の浜という浜を津波は襲った。

 知人の入居している仮設住宅を訪れた。親戚から預かった毛布などの救援物資を届けに行ったのである。

 仮設住宅は約200戸ほどの平屋の建物がずらりと並んでいる。知人の家族が入居できたのは4畳半二間6畳一間そして風呂場と台所があった。ここに3世代の家族が6人住んでいる。七ヶ浜の仮設住宅には家族構成によってこの間取りよりも小さな部屋もあるとのことだった。写真を見ると仮設住宅の向こうには瓦礫を積んだ山が見える。
 
 当面、2年間入居できると話しておられた。避難所から移り住んで間もなくだが少しずつ落ち着きを取りもどしつつあるとしみじみ語ってくれた。

 将来を考える余裕はまだまだ難しそうだ。海で暮らしてきた人たちである。海苔の養殖や生産などで経営が順調になってきたときの震災だ。震災で壊滅的な被害に遭ったとしても海から離れることはできないだろう。今後はゼロからの挑戦になると思う。
 しかし、これまで蓄積してきた海の男としてのノウハウはたくましく生きている。今の状況ではすぐに仕事をすることは無理だろう。海は生きている大丈夫だとも言う。

 ボクが野球部の顧問をしていた頃。練習後にマネージャーとおにぎりをにぎって部員に食べさせていた。七ヶ浜からはおにぎり用の立派な海苔を毎年プレゼントしてもらい部員のお腹に入った。

 この地では将来の住民の住み方構想がまだまだできていない。これからの喫緊の課題だ。行政の手腕に期待したいのだが・・・・。

彼がポツリと言う。
「生きていられたことに感謝しなくては」
ここからスタートだ。

 帰り際にボクの帽子につけていた『震災復興高野連バッジ』をプレゼントしてきた。

    知人住む仮設住宅訪れてガンバレ云わず元気でと云う


被災地をめぐって

 七ヶ浜町で被災した浜をぐるりとめぐってみた。瓦礫の片付けは1ヶ月前に行ったときよりも進んでいる感じがする。しかし、まだまだ入り口だ。1割も終わっていないようにボクには見えた。はるかな長い道のりを感じさせる。
 政治家たちよ。自分の都合ばかり考えないで被災地をもっともっと見てくれ。復興のために尽力してくれ。

 菖蒲田浜という宮城県内で有数の海水浴場があった(過去形なのがツライ)。そこの松原を見てアッと驚いた。直径30僂曚匹両召量擇タオルを絞るようにねじ切られている。津波のすさまじいエネルギーの一端を見た。



そんなわけで夕方南外に到着。高速道路の凹凸も削ったり盛ったりして少しずつ手直しが進んでスムーズに走れるようになっていた。ちょっと疲れましたので軽くビールでも飲んで寝ます。これにて本日のブログは終了です。

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