栄冠は君たちに輝くゼ
梅雨に鍛える
期末テストが始まり陸上競技場のグラウンドはひっそりとしている。その中でチューバを一生懸命吹いている子がいた。
いいなぁ。梅雨空に鍛えるだ。向こうの野球場では球児たちがカキーンカキーンと打撃練習をしている。そこに吹奏楽の諸君が練習している風景はとても風情がある。
さぁ、夏の大会は来週から始まる。
栄冠は君に輝く
今年の開会式では初の試みがされるという噂が伝わってきている。それは球場全体で「栄冠は君に輝く」を歌おうという試みらしい。入場行進に参加した球児も入場行進に参加できないスタンドにいる球児も心を合わせて歌い上げる。
我が職場の野球部でも,この歌を指導しようとしている。この歌は誰でも知っている有名な曲だと思っていた。つまり,老若男女小学生からお年寄りまで・・・。ところが高校1年生諸君はこの歌を知らないらしい。
なるほどなぁ。この歌を聴いたことはあるだろうけれど,意識的に聞かないから覚えることができないだろう。
オリジナルの曲をCDデッキで流しながら教えることになった。実は,その前にボクのギターで伴奏して教えてみようかという案も出た。しかし,どうしてもロックンローラーであるボクの歌はハツラツとした感じにならない。自分で言うのも何だが・・・渋すぎるのだ。だから,この案は却下になる。
さぁ、「栄冠」のシーズンだ。この曲は毎年,朝日新聞で歌手を替えて歌ってもらっている。今年は平原綾香だと先ほど教えていただいた。ピアノ伴奏でしっとりと歌い上げているらしい。あまりよく知らないが平原綾香って結構太い声だったような気がする。早く聴いてみたいなぁ。
「雲はわき」この歌聴くとワクワクと心ふるえて今も青春
新しい船を動かすのは?
ワールドカップサッカー。優勝候補と呼び声の高かったアルゼンチンもブラジルも敗退。アルゼンチンは大スターのマラドーナが監督だった。
マラドーナ監督は攻撃と守備とをポジションによって完全に分担させた。このような指揮は1930年代のサッカーだとアルゼンチン人記者は評した。朝日新聞のスポーツ欄【2010.7.5付 アルゼンチン個人技頼み】にこのように書いていた。
この意味は次のような内容だった。
高い能力を持つ選手を揃えて固定したポジションでしか動かさないサッカーと言うことだった。中盤や後半の選手が上がって得点にからむこともなければトップの選手が守りに回る場面もない。
しかし、今はどこの国のサッカーもすべてのプレイヤーが色々な場所に走り込んでボールにからんで行く。
アルゼンチンのサッカーは格下の相手となら選手個々の高い能力で粉砕できる。しかし,実力が同じ程度の相手になると完璧に押さえられてしまう。その典型的な例がドイツ戦だった。
このようなサッカーはとても古いサッカーである。と,書いている。
この内容に呼応したわけではないだろうが、オシム氏も似たような考え方を示している。引用したい。【2010.7.5朝日新聞 オシムの目からより】
『こんなひどいアルゼンチンは記憶にない。マラドーナ監督の下で個の能力を生かした自由なスタイルが特徴とされてきたもののメッシやテベスが孤立し,散発的なシュートもことごとく止められた。彼らが単独突破を試みて失敗をくり返したのは,エースを生かすために自己犠牲的なサポートをしてくれる仲間を欠いたことが原因だ。(中略)ドイツはこの試合でアルゼンチンに対して,サッカーとは何か,どうプレーすべきかの授業をした。いかなる時間帯も11人全員がプレーし,献身的に組織的プレーを繰り返した。』
どんなスポーツも新しい考え方を伝統ある(古い確立された戦術)プレーと融合させ進化させてゆくものだと思う。そして、チームのメンバーを有機的に動かすことの大切さを,アルゼンチンのマラドーナ監督から学びたい。
ウーム,「あのチーム」を思い浮かべてしまいます。
それでもアルゼンチンはマラドーナ監督の続投を望んでいる。それだけ今後に期待しているのだろう。マラドーナだったら許せるけれど・・・。
新しい船を動かすのは古い水夫では難しい。新しい水夫が切磋琢磨して動かしてゆくはずだ。そんな吉田拓郎の歌を思い出している。
【本日のワイルド・メモ】アオサギ・ウグイス・スズメ・カラス・ヒヨドリ ヒグラシ・アブラゼミこんなものだった。アンテナが低すぎたなぁ。まぁ、仕方がありませんけれどね。
今日も暑い一日だった。そうそう、アブラゼミの鳴き声が問題なく聞こえるなぁ。この前は悪戯されたのかもしれない。「クロカン」よりは字数の関係で明日以降にします。これにて本日のブログは終了。ビールでも一杯やって休もう。