空を見る
光芒
なんてボクは影響されやすいんだろう。先日、購入した武田康男著「すごい空の見つけ方 草思社刊」を見ているうちに
「よしっこれからは空を撮ることにしよう」と決心した。
まぁ、それほど決死の思いというものではないけど・・・。これまでも珍しい空の風景があればとりあえずシャッターを切った。今後は少し意識的に空を見ようと思うのだった。
と、言うわけで今日の夕方は黄砂(だと思う)で周囲がボーッとしていた。空には厚く雲がかかっているが時々雲間から光がもれている。
その光が黄砂などの影響で尾を引いて見える。これを「光芒」とよぶようだ。さっそく写真機で撮影した。光の通っているスジが見えますかねぇ。
ところで黄砂は北朝鮮のテポドンの発射とともにやってきたのかもしれない。すごい「風」を吹き込んできた。科学的にはロケットによって黄砂が連れてこられることはないのですが・・・。
空を見るただボンヤリと
空を見る
すべてのことは光芒の果て
戦争ごっこ
今朝の朝日新聞の小さな記事に次のような内容が掲載された。
ジャーナリストの斎藤貴男さんの話として
『北朝鮮のミサイル問題に対して、政府の対応に反応しにくい雰囲気が作られていると感じる。ミサイルでも人工衛星でも日本に落ちてくることはないと思っても、実態がわからないので「脅威ではない」「備えなくてもいい」とも言いきれない。意見を言いにくい状況だからこそ、メディアには綿密な検証をして欲しいが、政府のプロパガンダに乗ってしまったように見える。テレビで見る限り「戦争ごっこ」をしているようにしか受け取れない』。
昨日のブログでボクが書いた「何となく楽しんでいるような雰囲気」とはそのことを言ってるのだ。
秋田に配備されたPAC3だったかも試運転してみたくて仕方がなかったのだろう。と、ズーッと考えていた。
落語家の春風亭柳昇が太平洋戦争中のことを思い出しながら「最近、機関銃を撃っていませんので血に飢えているんです」と噺の枕で笑いをとっている落語がある。今回の日本政府やマスコミの騒ぎとこのギャグを結びつけてしまう。実際に機関銃の撃ち手だった柳昇師匠はもっと過激なことを言っているのだがそれはここには書けない。あくまでもシャレだろうから・・・。
タカ派がテレビに出てきて日本の安全とか何とか言っている。確かに危険であることは間違ってはいない。日本の安全は大切だ。しかし、斎藤さんが話しているように全く検証できていないことについて「ここしかない、今しかない」とばかりに戦争の雰囲気を煽っている。
これこそ相手方の思うつぼだろう。と、ボクは思うのだが・・・。これは生類憐れみの令と同じ構造だ。言っていることや実施しようとしていることは間違いがない。しかし、どこかで「余計なこと」をやろうとする構造と似ている。
と、ボクは思うのだ。間違っていたらごめんなさい。
テポドン【人工衛星】は無事?に日本上空を通過し「星」になったかどうかはわからない。色々なことを考えさせられるできごとだった。まったく・・・。
明日から新たな季節がスタートだ。楽しみでもありドキドキでもあり・・・。これにて本日のブログは終了。さぁ日本酒で乾杯だ。純米吟醸酒「北鹿 魯山人」。うまいっ。