高校野球の本質とは


手帳の更新
 年末も近づいた。手帳のリフィルをカラーペーパーを購入し作り替えて交換した。2008年分は4月からは裁判関係の日程が結構入っていた。しかし7月からは予定も何もない状態になった。だから手帳はほとんど空白。
 そして、10月からは勤務再開で手帳の空白も少し埋まった。激動の7ヶ月と言えよう。
 
 手帳の外側カバーは10年以上前に革細工講座の際に自作したものである。野口悠紀雄氏が提唱した「超」整理手帳が流行した頃だ。ミーハーだからすぐに影響を受けて革細工講座の課題として作った。
 当時売り出されていたビニール製の外側カバーの大きさを測定して自分用に皮を裁断して縫い合わせた。皮の表面に刻印をして愛用している。
 しかし、10年以上使い続けているので、縫い合わせたがほつれてきている。ボロボロになっているわけではないので、まだまだ使える。それでも、いつかあらためて縫い直しをしなくてはいけないなぁと思っている。
 こうやって新しい用紙が手帳に挟み込まれてみると新鮮な気持ちになる。

      革表紙手帳の中味入れ替えて
          予定書き込み気持ち新たに



東北高校野球部の記事を見て
 今朝の新聞各紙は日本学生野球協会の審査室が野球部の不祥事の処分を発表したと報じた。
 特に東北高校の対外試合禁止6ヶ月は大きく取り上げられている。魁、朝日、日刊スポーツを見たのだが、一番冷静に処分内容だけを報じたのが日刊スポーツ紙だった。いま一度東北高校問題について考えたい。

 何度もブログに書いているのだが、この問題は間違いなく部の悪しき伝統的な体質にあると考える。
 野球さえ上手にできればよい。野球だけやれば学業も何もいらない。このような体質で野球部を運営してきているのではないかと思うのだ。これは部員はもちろん指導者もその気持ちが強かった可能性を感じる。ボクの言い方はかなり極端かもしれないが・・・そう言うことだ。。
 当然のことだが高校野球は高校生しかできない。その高校生としての自覚を最初にきちんと植え付けていなかったのではないだろうか。その学校の高校生として在籍するからできるのだ。野球が先ではない。高校生が先なのだ。その当たり前のことが分かっていない節がある。

 高校野球ほど注目されるスポーツはない。甲子園大会になれば全試合を朝から晩までテレビラジオで中継する。こんなにも注目されれば、自分は特別だと舞い上がらない高校生は多いだろう。特に強豪チームと呼ばれる高校の部員諸君についてはだ。
 しかし、そんな部員ほど学校内で「鼻つまみ者」になっている傾向がある。野球に限ったことではないが、学校を代表するスポーツの部活動としよう。その学校を代表する部活動は、学校全体から絶大な応援を受ける。その応援に応えることはとても大切なことだ。間違ってもその学校の「先生方」に嫌われてはいけない。
 そして、一番嫌なタイプは監督や顧問の言うことは聞く。しかし、授業の先生や一般の先生の言うことをまったく聞かない連中だ。こんな部員がどれだけ多いことか。
 指導者はこの辺をしっかりと教え諭さなければならない。このことが無くして野球なんて勝っても意味がない。他の部活動ももちろんだ。

 今でも今年の春季東北大会の一場面を思いだす。東北高校のベンチのヤジがひどすぎてスタンドから飛んだ言葉だ。
「それで天下の東北高校か。部長監督は何を指導してるんだ!!!」
 そんな基本的なことは天下の東北高校でなくても、どこの高校も指導しなくてはいけない。最も難しく最も大変なことだ。しかし、指導者はやらなくてはいけない。と、考える。それが高校野球だからだ。
 と、まぁまたまた熱くなってしまったがそう言うことだ。


昨日と今日は晴れた。帰りの南西の空にはものすごく明るい二つの星が迎えてくれた。ギラギラの金星とその斜め左上にキラキラと輝く木星である。この夕方の星を見ることができるのは、秋田の今の時期としてはラッキーだ。
これにてブログ終了です。

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