かまやつひろしが亡くなった
本日は急遽ブログをアップして出発します。
一つの時代が「また」終わった気がする。
かまやつひろし氏(以後、かまやつ)が亡くなったという。中学のころに「三人ひろし」と言う名前で、一人だけ不思議な名前だなぁと思っていたのが「かまやつひろし」だった。他の二人は守屋浩と井上ひろしだったと思うが、どちらの歌も今でも口ずさめる。守屋浩ならば「ぼーくの恋人東京へいっちち」であるし、井上ひろしならば「及ばぬことと-あきらめました--」など。ところが、かまやつはどんな歌を詠っていたのかまったく知らない。
すると何年か経ったら(大学の三年生前後かなぁ)GSブームが起こりスパイダースのメンバーに「かまやつひろし」がいたのである。彼の作った曲が何とも刺激的である。「ふりふり」「ばんばんばん」などタイガースなんかよりも断然いいのだ。
その後、吉田拓郎の作った「下駄を鳴らして奴が来る」などでヒットを飛ばした。でも、ボクは彼の作る不思議で微妙なコード展開の曲が好きだった。
何年か前の新聞の片隅に「秋田にかまやつひろしと坂崎幸之助がくる」ので希望者は往復ハガキで応募してくれと掲載された。おそらくFM放送の主催だったと思う。小さな記事だし、秋田県でかまやつなんか誰も知らないだろうと思いすぐに往復ハガキを書いて投函した。
数日してから返信ハガキが届いた。入場OKの連絡だと思ったら「応募者多数で抽選の結果、あなたは外れ」ですだった。まぁ、だいたいこんな時にボクはほとんど当たらないというジンクスがある。この時が、かまやつを見ることができる最初で最後のチャンスだったのでした。残念だったなぁ。
かまやつのCD『1939〜MONSIEUR』の黄色のジャケットがあるはずだ。

彼の産まれた年がタイトルになって、なじみのある歌手もコラボして、おそらく彼の子どもも参加した曲が入っている。もう一度、引っ張り出して聴かなくては。
やはり、一つの時代がなくなってしまった。まぁ、そんなものですが少し寂しい。
一つの時代が「また」終わった気がする。
かまやつひろし氏(以後、かまやつ)が亡くなったという。中学のころに「三人ひろし」と言う名前で、一人だけ不思議な名前だなぁと思っていたのが「かまやつひろし」だった。他の二人は守屋浩と井上ひろしだったと思うが、どちらの歌も今でも口ずさめる。守屋浩ならば「ぼーくの恋人東京へいっちち」であるし、井上ひろしならば「及ばぬことと-あきらめました--」など。ところが、かまやつはどんな歌を詠っていたのかまったく知らない。
すると何年か経ったら(大学の三年生前後かなぁ)GSブームが起こりスパイダースのメンバーに「かまやつひろし」がいたのである。彼の作った曲が何とも刺激的である。「ふりふり」「ばんばんばん」などタイガースなんかよりも断然いいのだ。
その後、吉田拓郎の作った「下駄を鳴らして奴が来る」などでヒットを飛ばした。でも、ボクは彼の作る不思議で微妙なコード展開の曲が好きだった。
何年か前の新聞の片隅に「秋田にかまやつひろしと坂崎幸之助がくる」ので希望者は往復ハガキで応募してくれと掲載された。おそらくFM放送の主催だったと思う。小さな記事だし、秋田県でかまやつなんか誰も知らないだろうと思いすぐに往復ハガキを書いて投函した。
数日してから返信ハガキが届いた。入場OKの連絡だと思ったら「応募者多数で抽選の結果、あなたは外れ」ですだった。まぁ、だいたいこんな時にボクはほとんど当たらないというジンクスがある。この時が、かまやつを見ることができる最初で最後のチャンスだったのでした。残念だったなぁ。
かまやつのCD『1939〜MONSIEUR』の黄色のジャケットがあるはずだ。

彼の産まれた年がタイトルになって、なじみのある歌手もコラボして、おそらく彼の子どもも参加した曲が入っている。もう一度、引っ張り出して聴かなくては。
やはり、一つの時代がなくなってしまった。まぁ、そんなものですが少し寂しい。