息苦しい世界にしてはダメだ

バッケ

 今日は曇り空。時々、みぞれ模様の状況だったが久し振りの散歩に出てみた。
 楢岡川の湯ノ又地区にかかる橋の上から川を覗いて見たら雪解け水がとうとうと流れている。
P3160308.jpg
土手の雪も水かさが増すにつれて流されるので雪ぎえは進んでゆく。

 そして、道路の端っこにある雪の消えた狭い土の上を見るとフキノトウ(バッケ)が顔を見せようとしている。
P3160315.jpg
これは気温が上がれば一気に伸びて広がるんだろう。春が一歩一歩近づいている。

 ここまで書いて思いだしたことがあります。それはラジオで話していた
「まだ、冬タイヤの交換をやらないようにしましょう」
と、言う内容である。
 エッ、もう冬タイヤの交換をしているのがいるのかぁ?と呟いたらオッカアが
「とっくにやっている人もいるよ」
「エーッ!?」
自殺行為だと思う。
 タイヤの減りがもったいないんだろうなぁ。まったく・・・・。正直言えばケチくさいヤツだ。
 話はどんどん別に移るがケチくさいと言えばウインカーを交差点の直前にならないと点灯しない人のなんと多いことか。この原因を考えると、バッテリーの減りを気にしているのではないかと思うのである。そんなにケチくさくしなくていいと思うのだが・・・。
こんなことを言ったら
「あまり、早くウインカーをつけるとダサいからだよ」
と、いう話を聞いた。バカヤローである。意思表示を早くしろよな。安全が一番だろう。何も100メートルも手前からウインカーをつけろと言っているわけではない。せめて30メートル前でつけろよな。交差点直前はやめてくれって言いたいだけだ。
 年寄りの意見かなぁ。
 なんだか話がとっちらかったが・・・・。そういうことです。


戦前の検閲社会にする気か

 昨日、チラッと書いたが文科省による前川前文部次官の中学校での講演への介入である。完全に検閲社会にしようとする意図が働いているしか思えない。
 今朝、連続テレビドラマ「わろてんか」の最初の画面を見ていた。戦時中に映画を作るのに内務省の検閲制度のことがテーマとなっていた。
Marge001_20180316213700148.jpg
内務省の役人が事細かに映画の台本を検閲する話であった。
 この愛知県の中学校に対する介入には政治家の指示があったと私は見ている。文部官僚だけでこんなことをするわけがない。森友と同じ構図である。

 このように今の政治状況が続けば間違いなく日本の思考回路は戦前の時代に戻る。そして、世間は萎縮してしまう。これは断言できる。だからこそ、せめてチンパンジーがダンプを運転しているような危険な今のアベシンゾー政権は退陣してもらわなければダメだ。
 そのためには国民の声が必要だ。考えてみようぜ。と、書いておこう。


森友問題は明日のニュースなどで詳しく載ると思うので今回は書きません。
ただ、一つ。予算委員会で自民党議員のニシダという男が「サガワ事件」などと言ってアベシンゾーを擁護する姿は苦笑しかないつてことだ。さらにアソーが「サガワ」と呼び捨てにしていることだ。この人は自分たちを守ってくれた人間を情け容赦なく切り捨てる人間だと言うことを見事に見せつけてくれる。
自民党がこぞってその「政権擁護」と「切り捨ての論理」に立っている。恥を知れと書いておきたい。
 

本日のブログはこれにて終了です。

  ホオジロの声は艶めきカシドリの飛びは艶(なめ)めき山里は春

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ウインカー

居るよね。直進かと思っていると左折直前に点灯する輩がね。
こういう人は道交法第一条を読んで貰いたい。
早く点灯をするとランプが消耗、BATTがと考えているのかぁー。
しかし現在のランプの性能は昔と違い、丈夫に出来ている筈だ。
でも感心するのは、日本のドライバー達のマナーの向上ったら、
凄いの一声です。街中でクラクションの音を聞くと言う事がまず無い。
昭和45年頃の国道では、ブーブーと渋滞なのに五月蠅かった記憶がある。50年も前はそんな状況でした。

ケチんぼ

パパさん

ウインカーを点けない人が多いですねぇ。点けてはいますが
直前というのが・・・。
道交法を守ってくれと言いたいのですが、私もあまり人のこ
とは言えないこともあります。ハイ
ま、ほどほどってことにしてくれと思います。

クラクションは聞きませんね。マナーもそうでしょうが鳴ら
しと後の妙な違和感。昔、クラクション殺人事件を思い出し
ます。
その点、エジプトはすごかったです。クラクションが鳴りっ
ぱなしでした。
その意味では実に静かな日本の交通事情です。

私もひと言

ウインカーとクラクションの件でコメントされていましたが
私もひと言。
高校三年生の昭和35年、就職に必要と思い原動機付自転車第二種の試験を受けました。
当時の道路交通法はウインカー(の言葉はまだ無く)「右折・左折時には腕木を出すこと」ってありました。

当時の田舎には乗用車は未だなく、バス・トラックは腕木や行燈を出しながら右折・左折してました。

昭和36年に上京、東京は交通渋滞が始まっていました。
信号機も少なく全ての車輛はクラクションを鳴らしながら走っていました。
たしか、昭和39年の東京オリンピックを契機にクラクション禁止になったと思います。










コメント感謝します

畠迷惑Roger さん

コメントありがとうございます。

私も原付免許を高校の時に取得しました。昭和37~38年頃です。
方向指示は手でやってました。左折は左手を水平、右折はアクセル
があるので左とを直角に上に上げたような記憶があります。ハイ

当時はクラクションは当たり前でした。それでも車の台数がなかっ
たので騒音にはなっていなかったような気がします。

昭和39年の東京五輪からクラクションが少なくなったとのことは
勉強になりました。考えてみれば私はその頃には将来自分が自動車
に乗って運転するるなんて考えもしませんでした。
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