成長を素直に認めようゼ
冬型
天気予報で流されている天気図を見て「オーッ見事な冬型」な西高東低だと久しぶりに感動。昨日までとは一転して気温は5℃前後までしか上がらない。
今日は短歌の打合せで秋田市まで。車を降りて近くの空を1枚撮影。

本日も曇天なり。しかも、かなり寒い一日に。
ところで車の窓を見たら何となく緑っぽい。ワイパーで一度掃いたら1箇所に緑のすじが付いた。スギの花粉である。昨日、会った昔の野球仲間がグスングスンと鼻炎がひどかった。
「なしたのや?」
「ん~、花粉症ダンス」
気の毒なくらいの症状である。そう言えば、我が家のとわちゃんも2~3日前から
「目がかゆい、目がかゆい」
と。目をこすりつける動作が増えている。もしかしたら花粉症かなぁとジジバカは心配である。小学校2年生いや四月から3年生だがこんな小さな子どもにも花粉症なんかあるんだろうか?
季節はちょっと春を見せてくれた。だからこんな日はちょっと嫌らしくつらいものがありますね。
今朝(2019.3.22付)の秋田魁新報に『卒業式謝辞でイージスに言及予定 大学側要請で記述削除 秋田美大生「やるせない」』との記事が掲載された。

大学の対応はひどいなぁと思った。新聞には謝辞に盛り込もうとした内容を書いているので読んでみたが、それほど政治的なメッセージではない。内容は秋田美大がある場所から2.5㎞しか離れていない場所に設置される可能性のあるイージスアショアは地域のためにあるいは平和のために必要かという気持ちをこめただけの内容だった。
昨年は埼玉だったかどこだったか忘れたが、ある市の公民館報に町で募集し入選した俳句に憲法九条のことを書いているとのことで例年は入選作を広報に掲載していたのを掲載しないことにしたとの報道があった。その後、それはおかしいと訴えられて裁判の結果、掲載することが決まったと報道もあった。
謝辞から除いたのも、広報に掲載しないのも結局は究極の「忖度」だ。自由に発言できないようにする、いや発表できないようにする「息苦しさ」が感じられて仕方がない。
もう少し言えば、秋田美大としては学生が地域のために考えられるようになったことを喜んでこそ正しい姿勢だ。しっかりと四年間の学生生活を送ったなぁと誉めてやるべきなのだ。
もうちょい書いておくが、よしんば政治的なことを学生が堂々と話したらならばもっともっと評価してやるべきなのだ。政治について考えられるようになったことこそ大学教育の成果だったと。忖度などしないで成長を素直に認めるこった。
それもこれも全部アベシンゾー一味の仕業と言える。早い退陣を願っている。
今日、秋田市の帰り道。以前もブログに紹介したが下北出地区(だと思うが)にある看板がいいなぁとあらためて感じた次第。

「おがうるだぐな なんもええごどね」
この看板を見ると、いつも60年以上前に流行った『グッバイ・ジョー』の歌詞を思い出す。
『♪あわてて女を見ると あばたもえくほに見えて
いかした女に見えることが 時々あるからさ
グッバイ・ジョー グッバイ・ジョー
あわてると ろくなことに ならない』
歌える人はいますかねぇ。ボクはすぐにグッバイ・ジョーの歌は歌えます。
つまり「おがうるだぐな なもええごどね」なのである。
さらにボクにとっての短歌練習帖だなぁと思った。
どごさえぐ なにどしめいで 走ってるな おがうるだぐな なもええごどね
本日のブログはこれにて終了です。
天気予報で流されている天気図を見て「オーッ見事な冬型」な西高東低だと久しぶりに感動。昨日までとは一転して気温は5℃前後までしか上がらない。
今日は短歌の打合せで秋田市まで。車を降りて近くの空を1枚撮影。

本日も曇天なり。しかも、かなり寒い一日に。
ところで車の窓を見たら何となく緑っぽい。ワイパーで一度掃いたら1箇所に緑のすじが付いた。スギの花粉である。昨日、会った昔の野球仲間がグスングスンと鼻炎がひどかった。
「なしたのや?」
「ん~、花粉症ダンス」
気の毒なくらいの症状である。そう言えば、我が家のとわちゃんも2~3日前から
「目がかゆい、目がかゆい」
と。目をこすりつける動作が増えている。もしかしたら花粉症かなぁとジジバカは心配である。小学校2年生いや四月から3年生だがこんな小さな子どもにも花粉症なんかあるんだろうか?
季節はちょっと春を見せてくれた。だからこんな日はちょっと嫌らしくつらいものがありますね。
今朝(2019.3.22付)の秋田魁新報に『卒業式謝辞でイージスに言及予定 大学側要請で記述削除 秋田美大生「やるせない」』との記事が掲載された。

大学の対応はひどいなぁと思った。新聞には謝辞に盛り込もうとした内容を書いているので読んでみたが、それほど政治的なメッセージではない。内容は秋田美大がある場所から2.5㎞しか離れていない場所に設置される可能性のあるイージスアショアは地域のためにあるいは平和のために必要かという気持ちをこめただけの内容だった。
昨年は埼玉だったかどこだったか忘れたが、ある市の公民館報に町で募集し入選した俳句に憲法九条のことを書いているとのことで例年は入選作を広報に掲載していたのを掲載しないことにしたとの報道があった。その後、それはおかしいと訴えられて裁判の結果、掲載することが決まったと報道もあった。
謝辞から除いたのも、広報に掲載しないのも結局は究極の「忖度」だ。自由に発言できないようにする、いや発表できないようにする「息苦しさ」が感じられて仕方がない。
もう少し言えば、秋田美大としては学生が地域のために考えられるようになったことを喜んでこそ正しい姿勢だ。しっかりと四年間の学生生活を送ったなぁと誉めてやるべきなのだ。
もうちょい書いておくが、よしんば政治的なことを学生が堂々と話したらならばもっともっと評価してやるべきなのだ。政治について考えられるようになったことこそ大学教育の成果だったと。忖度などしないで成長を素直に認めるこった。
それもこれも全部アベシンゾー一味の仕業と言える。早い退陣を願っている。
今日、秋田市の帰り道。以前もブログに紹介したが下北出地区(だと思うが)にある看板がいいなぁとあらためて感じた次第。

「おがうるだぐな なんもええごどね」
この看板を見ると、いつも60年以上前に流行った『グッバイ・ジョー』の歌詞を思い出す。
『♪あわてて女を見ると あばたもえくほに見えて
いかした女に見えることが 時々あるからさ
グッバイ・ジョー グッバイ・ジョー
あわてると ろくなことに ならない』
歌える人はいますかねぇ。ボクはすぐにグッバイ・ジョーの歌は歌えます。
つまり「おがうるだぐな なもええごどね」なのである。
さらにボクにとっての短歌練習帖だなぁと思った。
どごさえぐ なにどしめいで 走ってるな おがうるだぐな なもええごどね
本日のブログはこれにて終了です。